第十八話
「あらぁ? まさかこんなところに人がいたなんて――ごめんなさいね」
「あまりにも存在感がなさすぎて、誰もいないのかと思ったわ」
クスクスと笑う声が響き渡る。
私は小さく息を吐くと、ポケットからハンカチを取り出し、びっしょりと濡れた顔周りを拭いた。
思っていたより水の量が多かったらしく、ハンカチ自体も濡れてしまっていて、当てたところで気休め程度にしかならない。
あまりにもくだらない、こんな低俗な行動をするのはいったいどんな人たちなのか、確認がてらその場にいた全員の顔を見回した。
私が冷静さを保ったままでいたことが気に食わなかったのか、フンッと鼻を鳴らす。
「あなたは知らないだろうから、教えてあげるわね。学園では成績優秀者と年長者が上なの。たとえあなたが公爵令嬢だろうと貴族の身分は関係ないのよ」
「ああ、でもきっとすぐに忘れてしまうわね。侯爵家嫡男の婚約者として不適格と判断されるくらいバカなのだから」
「ダニエル様の弟でいらっしゃるルドルフ様と婚約されたのでしょう? ああ、ルドルフ様。お気の毒だわ……! あなたにはもったいないくらい優秀な御方なのに!」
イライラする気持ちが再燃したのか、今度はテーブルに置かれていた紅茶を頭の上からドボドボと掛けられた。
まあ、私が好きな香りの紅茶だったし、少し冷めていたこともあり、先に掛けられた冷たい水と合わさって、お湯加減的にはちょうど良かったのだけれど。
唯一気になっているのは、せっかくルディに贈ってもらった真っ白な制服に紅茶の染みを付けてしまったことくらい。
(これ……洗って落ちるかしら……?)
毎日洗濯をしてくれるアンナたちにも申し訳ない。
私が俯いていると、落ち込んだと勘違いしてくれたようで先輩方は高笑いしながら去っていった。
(このまま午後の授業受けるのは無理ね……)
それに、万が一この状況をルディに見られたら――
「フィ――セラフィーナ?」
どうやって学園を早退しようかと考えていたところに一番見つかってはいけない人物に会ってしまった。
相当、動揺したのか、私を一瞬“フィー”と呼びそうになっていた。
「……ルドルフ様」
ツカツカと足早に近づいてきたルディはためらうことなく、自分の上着を脱いで私の肩に掛けた。
「ルドルフ様の制服にも染みが付いてしまうから――」
「いいから、そのまま掛けていて」
私が慌てて返そうとすると、ルディは不服とばかりに目を細め拒んだ。
(あ、マズイ。めちゃくちゃ怒ってる……)
昼前の授業がマナーのレッスンでどうしても男女で分かれる必要があった。しかも、他学年と合同。
ルディはこういう事態を想定していたからか、「俺たちは一通り学んでるから出る必要ない」と言っていたけど、懸命に品行方正を演じているルディをサボらせたくなかった私はそれを断った。
ルディとは終わったら一緒に昼食をとろうと約束していたのだが、私が先に終わったため、カフェスペースでお茶をしてルディを待っていたところに、最終学年の先輩方が現れ、今のこの状況に至る。
「セラフィーナ。いったい誰がこんな酷いことを? もちろん、相手の顔は覚えているよね?」
柔和な態度や声色ではあるが、私を抱える腕は力を抑えるように震えている。
(ルディの圧がすごい……)
私は「もちろん」と頷いた。
たとえ私が言わなくてもルディなら独自に調査して必ず相手を探し出すと思うし。
ここは素直に答えておいたほうが得策だ。
昼時のカフェスペースはたくさんの生徒で混み合っている。だから、一部始終を目撃していた人も多いだろう。
どちらに忖度するかは本人次第だけど。
「やっぱり……片時も離れるべきじゃなかった」
私の耳元でそう囁いたルディに私はニッコリと口角を上げてみせた。
「大丈夫よ。先輩方にこの学園での規則を教えていただいただけだから」
「…………」
「ふふっ、中間考査の楽しみがもう一つ増えたわ」
(あの方々は私が学園で一位を取ったら、どんな顔をするのかしら? 成績優秀者が上だとハッキリ言っていたものね)
言質は取った。
それにいくら学園内で身分が関係ないからといっても、卒業後のことを考えれば、自分の家柄より高位の貴族に喧嘩を売るようなバカな真似はしないと思っていたのだけれど。
どうやら、そうではなかったらしい。
ルディの忠告を聞かなかった私も悪かったと反省し、すでに覚えていた貴族の家名とその子どもたちの顔を記憶の中で次々と結びつけていった。




