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30話 利己欲

ある日、世界中を駆け巡るニュースがあった。


「人類で最も得を積んだ者に、神からの贈り物が授けられた」──と。


その贈り物とは、不思議な響きを持つ一つの歌だった。

人はそれを「神の歌」と呼び、聞くだけで心が洗われると言った。


最初に授かった男は、長年にわたり正しい行いと知恵で成功し、数多の善を積んだとされる人物だった。

彼が歌を聞いたとき、体中に温かい風が吹き抜け、心の中の小さな利己心が少しずつ溶けていくのを感じたという。


やがて、その男が歌を口ずさむ映像が公開されると、瞬く間に世界中に拡散された。


街の人々は自然に歌い始めた。

子供から老人まで、農夫も教師も企業の社長も。


歌はただの音楽ではなかった。

聞く者の内なる利己欲をそっと和らげていく力があった。


争いは静かに減り、犯罪も激減。詐欺や盗みの話は過去のものとなった。

国家間の緊張も緩み、停戦協定が相次ぎ、軍縮が進んだ。


世界は一見、平和そのものになった。


だが、静かな変化は誰にも見逃されていなかった。


商店のシャッターが開くのは遅くなり、

工場の機械は止まり、

朝から街は活気を失っていった。


利己欲の消失は、やがて「働く意欲」の消失につながった。


誰も自分のために努力せず、誰も先を見据えず、

ただ日々を受け入れるだけになったのだ。


農夫は種をまかず、学者は研究を止め、職人は道具を放棄した。


生産が止まり、経済は縮小。

流通も滞り、食糧不足が始まった。


それでも、人々は怒らず、不満を言わず、ただ静かに座り込むだけだった。


「助け合おう」という言葉は残ったが、誰も自分を守ろうとはしなかった。


その結果、病気は蔓延し、インフラは朽ち果てていった。


やがて、世界の科学者たちが驚くべき真実を突き止めた。


「神の歌」の正体は、遥か彼方の宇宙から送られた音波だった。


宇宙人がこの星を平和裏に掌握するため、最も効率的な方法を選んだのだ。


彼らは利己欲な本能を消し去り、争いを無くし、文明の発展を止めることで、

破壊を伴わず地球を手に入れた。


地球は傷つくことなく、そのまま彼らの手に渡った。


利己欲は悪だと教えられてきた。

だが、それは同時に、生命を維持し、社会を支える根源でもあった。


消えた利己欲は、文明の火を消し、静寂だけが残された。


人はもう、夢を見ることも、求めることもなかった。


そして、ただ一つの歌だけが、遠く宇宙に響き続けている。

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