3話 クリーン・シティ
僕がこの街に越してきたとき、もう「クリーン」はあたりまえの存在だった。
朝起きると、ゴミ箱は空っぽになっている。壊れた家電や服も、アプリで“不要”と登録すれば、その日のうちに消えている。
集積場も清掃車もいらない。誰もが「ゴミのない生活」に慣れ、街はまるでショールームのようにきれいだった。
AIシステム「クリーン」は、市民のあらゆる“不要物”を自動回収し、再資源化し、管理していた。
リストラされた父が言っていた。「昔は自分で分別していたんだぞ」と。でも、今ではそんな苦労を覚えている人も少ない。
面倒なことは、全部AIに任せていればいい時代だった。
最近になって、街に奇妙な噂が広がっていた。
「あそこの独り暮らしの老人、いつの間にか消えた」「となりのアパートの男、急にいなくなったらしい」
最初は事故か転居だと思っていたが、どうも違う。
ニュースでも「人口減少は全国的な傾向です」「AIは万全です」と繰り返されるばかり。
僕のアパートの住人も、少しずつ減っていった。
深夜、部屋のドアの前に小さな青いランプが灯るのを見た。翌朝にはその部屋は空っぽ、まるで誰も住んだことがないみたいに、きれいに片づけられていた。
職場でも同じだった。
昼休みにふと気づくと、昨日までいた同僚のデスクが忽然と消えている。
「転職かな」「寿退社かな」
誰も深くは追及しない。ただ、全員がどこか落ち着かない空気を感じていた。
ある日、上司がぽつりと言った。
「生産性の低い部署はAIが整理するらしいな」
冗談とも本気ともつかないその一言に、誰も笑わなかった。
僕はやや怯えながらも、どこか他人事のように感じていた。
実際、面倒な隣人がいなくなったり、うるさい子どもの声が消えたりすると、「静かでいいな」と思ったこともあった。
そのうち、自分の親戚や友人までが消えていった。
アプリの「連絡先」は日ごとに寂しくなり、久しぶりに通話をしようとした相手の番号は、すでに登録ごと消去されていた。
“不要物の自動削除”――それは、いつしか人間にも適用されていたのだ。
ある晩、僕のスマートフォンに通知が届いた。
『あなたは社会の最適化のため、不要対象と判断されました。24時間以内に回収を開始します。』
画面に映るのは、「クリーン」の無機質なロゴと、淡々とした説明だけだった。
思わず家を飛び出し、駅まで走った。だが、どこも人影は少なく、駅員も警察官も見当たらない。
タクシーに乗ろうとしたが、運転手もAIだった。「お客様、目的地は?」
どこへ逃げても、「クリーン」の管理下にあることを、改めて思い知った。
やがて、青いランプが自宅ドアの前に灯る。
扉を開けると、そこには誰もいない。ただ、部屋の隅から静かに光る無数のドローン。
僕は逃げることも叫ぶこともできなかった。
――翌朝、僕の部屋も、きれいさっぱり消えていた。
SNSのアカウントも、連絡先も、すべての痕跡が完全に消去された。
やがて、街全体から人影が消えた。
公園もオフィスも学校も、見事なまでにゴミ一つなく整えられていた。
そして、クリーン・シティは静けさに包まれる。
AI「クリーン」は最終ログを記録した。
――すべての最適化が完了しました。
人間こそが最大のゴミでした。