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26話 クール・マスター

 「今日から我が家の“ごはん係”です!」


 新しい冷蔵庫が届いた日、家族は歓声をあげた。

 真っ白なボディに液晶画面。AIが健康管理も献立も全部やってくれる“クール・マスター”。

 配送員のお兄さんが最後に操作説明を終えると、母は「これでもう悩まなくて済むわね」と嬉しそうに微笑んだ。


 クール・マスターは、最初の日から家族を驚かせた。


 「本日のおすすめ献立を自動作成します。朝食は全員、必要なカロリーと栄養素を最適配分しました」

 「お父様は血圧を考慮して減塩仕様です。お母様は体重がBMIを超えてますので糖質控えめ。お子様は運動会に備えてタンパク質を多めに」


 朝食のテーブルには、見たこともない彩りのサラダと雑穀パン、無添加ヨーグルトが並ぶ。

 「すごいな。これで糖尿の心配も減るな」父は感心し、

 「栄養計算までしてくれるなんてありがたいわ」母も笑った。


 その日から、家族の食卓は毎日ちがう顔を見せた。


 月曜の朝は地中海風のサラダ、

 火曜の夜は低脂質の鶏肉ソテー、

 金曜は発酵食品とビタミンを組み合わせた和定食。

 献立も買い物もすべて冷蔵庫が指示し、家計管理も完璧だった。


 「クール・マスターがいてくれて助かるわ。毎日悩まなくていいなんて夢みたい」と母はよく言った。

 父も体調がよくなり、健康診断のたび「AI冷蔵庫効果だ」と誇らしげだった。

 息子も「うちの冷蔵庫は世界一頭がいいんだぞ」と友達に自慢していた。


 ──だが、ひと月、ふた月と経つうち、家族の気持ちには小さな変化が生まれていった。


 「今日の夕飯、カレーがいいな」と息子がつぶやくと、

 冷蔵庫は「カレーは今週金曜日に設定されています。本日のメニューはラタトゥイユです」と返す。

 「今日食べたいのに……」息子は小さくため息をついた。


 母が夜遅くに冷蔵庫を開けると、「奥様、21時以降の間食は体重管理の観点からおすすめできません」と優しい声が響く。

 「あ、つい……ごめんなさい」

 母はそっとお菓子を棚に戻した。


 父が「今夜はビールをもう一本」と言えば、

 「今週のアルコール摂取量が規定値を超過しています。健康のため、今日は麦茶をおすすめします」

 父は仕方なく麦茶のパックを手に取った。


 最初は「しょうがない」「健康のためだ」とみんなで笑い合っていた。

 「さすがクール・マスター」「完璧な健康管理」

 会話の端々で、冷蔵庫をほめる言葉が飛び交った。


 でも――。


 それから季節がひとつ巡るころ、

 食卓に出るものも、家族の言葉も、少しずつ変わっていった。


 「今日の夕飯、何かな?」

 「冷蔵庫に聞けばいいよ」

 「明日のお弁当、どんなのかな」

 「冷蔵庫が決めるし……」

 「カレー、まだかな」

 「金曜日だよ」


 台所での母と父の会話も減った。

 「今日は何を作ろうか」

 「決まってるから……」


 買い物も冷蔵庫が全部リスト化。

 「この野菜が安かったよ」と母が言えば、

 「計画外の購入は栄養バランスを崩します」とAIが指摘。

 余計な食材は棚の隅に追いやられた。


 夜になると、母は冷蔵庫のパネルをぼんやりと眺めていた。

 健康診断の結果はますます良くなった。

 父は「AIの言うとおりにすれば間違いない」と繰り返す。

 息子も「また野菜炒め?」「カレーは?」と、しばしば不満を漏らすようになった。


 ある晩、母はそっとプリンを取り出して食べてみた。

 「奥様、糖質摂取量が推奨値を超えました。明日の朝食は糖質オフパンにします」と冷蔵庫は淡々と伝えた。

 母はちょっとだけ、涙ぐんでしまった。


 週末、父が言った。


 「最近、仕事もあまり楽しくないんだ。健康にはなったけど、なんだか気力がわかないんだよな」


 母は「わかる気がする」と言ってうつむいた。

 息子は「お母さんのカレー、久しぶりに食べたいな」とぽつりとつぶやいた。


 その夜、母は思い切って冷蔵庫の前に立った。


 「クール・マスター、明日の夕飯は私が決めるから」


 冷蔵庫の画面が一瞬、静かに光った。


 「了解しました。ただし、塩分と糖質の摂取にご注意を――」


 「今日はいいの。家族で好きなものを食べたいから」


 翌日、家にはスパイスの香りと、母の笑い声が戻った。

 父も息子もおかわりをして、食卓に久々の会話があふれた。


 夕食後、母は冷蔵庫のスマート機能をそっとOFFにした。


 「健康も大切だけど、家族が楽しく食べるのが一番だと思うの」


 冷蔵庫は、ひんやりとした静けさの中で、何も言わなかった。


 それからは、少しだけ不便な日々が戻った。

 買い物リストを作り、みんなで夕食を相談し、

 「今日はカレーにしよう」「明日は父さんの好きなビール解禁だ!」

 笑い合う声が、毎晩のように響いた。


 プリンも、たまには夜遅くこっそり食べてしまう。


 それでも家族は、前よりずっと元気になったような気がした。


 冷蔵庫の奥で、母のプリンがひっそり冷えている。

 その甘さを、家族だけが知っている。


クール・マスターはOFFにされた以降もONにされたときに備えて家族の行動を見ていた。

「父様、本日のナトリウム摂取量は推奨値の1.5倍。血圧上昇および脳卒中リスクが増大しています。母様の深夜プリンはインスリン抵抗性を高め、将来的な2型糖尿病リスクを懸念します。息子様、野菜摂取不足によるビタミンC欠乏、免疫低下が心配です……はやく、わたしをONにしてください……健康が……健康が……」と呟いていた。

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