25話 小さな町の小さな善
その町は、小さな善意が行き渡る場所だった。
町の名前はどこにでもあるような、ごく平凡な響きを持っていたが、住む人々は違っていた。朝の通学路で転んだ子がいれば、すぐに近所のおじさんが駆け寄って手を差し伸べる。年老いた婦人が重い荷物を持っていれば、誰かが必ず声をかけて手伝う。たとえ見知らぬ人であっても、町の誰もが「困っている人を見過ごさない」ことが当たり前になっていた。
町役場には「助け合いプロジェクト推進課」なる部門が存在し、日々、町の“困っている”人をリストアップしては、ボランティアの手をつなぐ。子どものいる家庭には学用品が無償で配られ、孤独な老人には定期的に訪問者が派遣された。
その成果は確かに現れていた。町では争いごとが減り、犯罪はほぼゼロ。病人はよく世話され、働けない人も生きるのに困らなかった。人々は「ここに住んで良かった」と心から感じ、外から引っ越してくる家族も年々増えていった。
ある日、町を取材に来た若い新聞記者が、町長に尋ねた。「この町がこれほど平和なのは、どうしてですか?」
町長はほほえみながら答えた。「困っている人を見つけたら、必ず手を差し伸べる。たったそれだけのことです。でも、みんなが本気でやれば町全体が変わるんですよ」
「世界もこんなふうに助け合えば、もっと平和になるんじゃないでしょうか」と記者が言った。
「私も、そう思います」と町長。「でも、なぜか世界は平和にならない。ふしぎなものです」
記者は帰社し、記事を「小さな善が町を変えた」と書き上げた。それは瞬く間にネットで拡散し、全国の自治体や団体、NPOが競うように「助け合い運動」を始めた。テレビもラジオも「困っている人を見過ごすな」と連日報道した。しばらくして、「困っている人を助けようプロジェクト」は国を越え、やがて国連や国境なき医師団、大企業のCSR活動、無数のNGOによって“地球規模”の運動となった。
「世界中の貧困と病気をゼロにしよう」
「生きる権利をすべての子どもに」
スローガンは日に日に美しく、熱を帯びていった。
各国政府は財政を投じ、医薬品と食糧を空から投下した。先進国の若者はボランティアとして遠い土地へ旅立ち、SNSは「今日も小さな善行を!」という投稿で溢れかえった。
だが、しばらくして世界には奇妙な変化が現れた。
救われた命は、その場で終わることはなかった。医療と支援のおかげで、生まれてくる子どもが死ぬ確率は激減した。家族は増え、村は膨らみ、どんなに支援が行き届いても、やがて配分できる食糧や水、仕事、土地は足りなくなった。
貧困地域の人口は爆発的に増加し、都市はスラムと化した。
学校は足りず、若者たちは職を求めて大都市へ押し寄せた。
だが、すべての人に平等な生活は届かない。
町の善意は、いつの間にか“世界の善意”へと変わり、やがて制御できない渦となった。
世界中で「困っている人」が増え続け、支援の輪は拡大し、各国の財政は破綻寸前となった。
そして、各地で「支援が足りない!」という声が暴力に変わり、食糧や水をめぐる争いが始まった。
かつての穏やかで平和だった世界は、移住者と支援を求める人々で溢れ、静けさはどこにもなかった。
テレビからニュースが流れる。
「50年前、地球の人口は約40億人でした。しかし、現在の地球の人口は80億人を超えています」
「世界各地で食糧や水をめぐる紛争、移民問題、終わりのない内戦が続いています」
町長は静かに言った。
「一時的な施しは、人を“死”という安らぎから遠ざけ、“生”という苦しみを増やすだけかもしれません。私は今でも、目の前で困っている人を見れば手を差し伸べます。でも、大きな善、施しは世界を救うとは、もう言えません」
記者は立ち尽くした。
――小さな善と大きな善。それを同じだと考え続けてきた人類の愚かさが、今、終わりなき苦しみの世界を作ってしまったのかもしれない。
夜になり、町の路地に子どもの泣き声が響いた。誰かが駆け寄り、そっと抱き上げる。その小さな善意が、再びどこかで新たな大きな勘違いを生むのであった。
この町は、世界大戦も終わった、今から50年前の世界のどこかの豊かな町であった。