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23話 一本の針

 その日、公園では午後の陽射しがやわらかく地面を照らしていた。

 ベンチの隣、砂場で遊んでいた小さな子供が、母親にもらったばかりの裁縫針を持っていた。

 母親は荷物を整理していて、子供の手の中にある小さな銀色の針には気づかなかった。


 子供は、ふとした拍子に、その針を握ったまま転んでしまった。

 手から滑り落ちた針は、くるくると回りながら、

 アスファルトのひび割れを見事にすり抜け、地面に突き刺さった。

 子供はすぐに立ち上がり、何事もなかったようにまた遊び始める。

 母親は「お洋服が汚れたわ」とだけ言って、二人の午後は何事もなく過ぎていった。


 しかし、地中では想像もつかない現象が始まっていた。


 針の先端が偶然、地表数メートル下の微細な石英結晶にぴたりと接触した。

 その微小な圧力が結晶構造に歪みを与え、“ピエゾ効果”によって

 わずかな電場が発生した。

 その局所電場は、近くの鉄鉱粒子に作用し、電子スピンの偏りを生み出した。

 鉄鉱粒子はナノメートル単位で動き、クラスターとなって瞬間的に磁化した。


 この磁化は地下深くの土壌層で、“マグネトロン共鳴”と呼ばれる現象を引き起こし、

 結果として土壌中の微粒子がごくわずかに再配置された。

 これが地下水の流れに干渉し、わずかだが水脈のルートが変化した。

 新たな水流は、地下に眠る天然ガスの小さなポケットを洗い流し、

 ガスの圧力バランスを崩した。


 そのガス圧の変化が数キロメートル離れた断層帯へと伝わり、

 マイクロクラック――微細な岩盤の割れ目が生まれた。

 ちょうどその頃、地球の裏側では遠方地震によるP波が地殻を伝っていた。

 偶然の一致が重なり、P波はこのマイクロクラックで通常より増幅されるレンズ効果をもたらす。


 増幅された地震波は、数日かけて断層網全体に広がり、

 地殻内部の応力バランスを少しずつ変えていった。

 何億トンという大陸プレートが、ごくわずかに動き始めた。

 誰も気づかないまま、地中深くで“地球のバランス”が狂い始めていた。


 科学者たちがモニタリングするデータにも、最初は異常が現れなかった。

 ただ一部の地震計に“ごく微弱な変動”が記録された程度だった。

 やがて、それは地下水脈の崩壊、ガス噴出、活火山の活発化となって表面化する。

 世界各地で群発地震が始まり、大規模な火山噴火と津波が続発した。


 大気中には火山灰が広がり、異常気象が地球規模で起こる。

 地球の自転が、数十万分の一秒単位で変動しはじめた。

 古いプレート境界では連鎖的な断層滑りが始まり、

 やがて大陸規模で地面が大きくひび割れた。


 人類は科学の知識を総動員してこの異常を解析しようとした。

 だが、事象はすべてが“わずかなズレ”の連鎖で説明できる範囲に収まっていた。

 巨大な災害に人々は混乱し、国際的な協力体制も破綻し、

 やがて都市も通信もすべて途絶えた。


 ついに、地殻変動は限界を超え、

 地球全体が“板のように”音もなく崩れ落ちた。

 海も大地も空も、人も歴史も、音も記憶も――

 すべては一瞬で宇宙に消えた。


 原因をたどれば、それは午後の公園で、小さな子供が偶然落とした一本の針だった。


 今や地球には誰も残らず、科学者も歴史家もいない。

 ただ、この宇宙の片隅に、かつて青い星が静かに消えたという“事実”だけが残っている。


 ――あなたなら、この出来事を「ただの偶然」だと片づけられるだろうか。

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