21話 邪悪の化身
それは地響きを伴って現れる。
山々の尾根を黒い影がなめ、巨木をなぎ倒し、荒れ狂う暴風とともに、炎を吐きながら村を蹂躙した。
ドラゴン――
その名を聞くだけで、老いも若きも身をすくめ、乳飲み子でさえ泣きやむという。
灼熱の息が田畑を焼き尽くし、巨体が家々を粉砕する。
空が赤く染まり、夜は恐怖と絶望の闇に塗りつぶされる。
村人たちは叫び、泣き、祈り、すがりつく。
「あれが現れた年は、村が一つ消える」
誰もがそう噂した。
何十年も前から、ドラゴンは人々の悪夢となり、年に一度、あるいは忘れたころに現れた。
だが、ドラゴンの心は、誰よりも純粋だった。
「今日は、誰と遊ぼうかな」
谷に響く遠吠えも、本人にはただの挨拶だ。
村人が逃げ惑う様子も、「かくれんぼが始まった」と無邪気に考える。
怒号や絶叫は、「みんなで騒いで楽しんでいる」としか思えない。
ドラゴンは、町の真ん中を蹴散らし、塔をへし折り、
「ここまで登れるかな?」と屋根を突き破って遊ぶ。
家が焼け、畑が黒焦げになれば、
「こんなに広い場所、みんなで追いかけっこできるな」と心を弾ませる。
村人たちは、たまらず会議を開く。
「やつをどうにかしなければ、明日は我が身だ」
鍛冶屋や戦士、知恵者が集まり、炎にも折れない鉄壁、武器、薬、罠――
さまざまな防衛策が次々と生み出された。
「すごいなあ、人間って頭がいい。僕と遊ぶために、いろんなものを作ってくれるんだ」
ドラゴンは、やけどをしても痛みを感じず、砲弾を受けても「今日はいつもより大騒ぎだ」とうれしそうに笑った。
村人たちは、家を失っても立ち上がり、
「次は負けない」と新しい建物や街を造った。
時とともに、町はかつてない強さと繁栄を手に入れた。
鍛冶屋は大きな富を築き、建築家は新しい工法を広め、
祭りは防災訓練となり、町の誇りと変わった。
それでもドラゴンは、何度でも「遊びにきたよ!」と現れる。
灼熱の火炎で街を焼き、爪で大地を裂き、羽ばたきで嵐を呼ぶ。
そのたびに人々は涙し、祈り、怒り、ついには「討伐」の声を上げた。
その日、町じゅうの人間が一つに団結し、最新の武器と罠で迎え撃つ。
広場に現れたドラゴンは、空を焦がす咆哮とともに、最後の“遊び”に夢中だった。
「今日はいつもよりたくさんの人がいる。なんてにぎやかなんだろう!」
矢が刺さり、砲が爆ぜ、煙と炎の中でドラゴンは巨体を揺らし、ついに膝をついた。
勝利の雄叫びと歓喜の歌が、夜空に響き渡る。
だが、崩れ落ちるその顔には、どこまでも無垢な笑顔が浮かんでいた。
「やっとみんなで、心から遊べた気がするよ……ありがとう」
――災厄を討った町はさらに豊かになり、
新たな時代が幕を開けた。
時は流れ、町はますます発展し、強さと繁栄の象徴となった。
ドラゴンの巨大な骨は石畳の下に埋められ、今では“邪悪の化身”として語り継がれている。
けれど誰も知らない。
この町の豊かさの陰に、世界で一番無邪気な――
子犬のような心を持ったドラゴンが眠っていることを。