第七十七話 死者の街に花束を(31)
遠くで、音が聞こえるような気がした。轟音、叫び声、何かが砕けるような衝撃音。そして、私の名を呼ぶ声。
「フローリアさん。フローリアさん、お願い、目を覚まして!」
誰かが、必死に私を呼んでいる。優しさの中に、焦りが混じった声。温かな手が、頬をそっと叩いている。
身体が重い。意識が霞の中にいるみたい。でも、その声と手の温もりが、私を現実へと引き戻そうとしていた。
痛みは……あまり感じない。ただ、身体の中に何かが残っているような、奇妙な感覚がある。淀んだ、冷たい魔力の残滓。伯爵夫人の……。
ゆっくりと、まぶたを持ち上げる。光が視界に戻ってくる。
最初に見えたのは、焦りに歪んだ、見慣れた顔。ティナさんだった。
「ティナさん……」
かすれた声が、喉から漏れる。
「フローリアさん! 目を覚ましたのね! よかった……!」
ティナさんの表情に安堵が広がる。私を抱きしめてくれた。
身体を起こす。硬い床の上に横たわっていたことが分かる。ここは……。
ホールの中心を見やる。巨大な「門」、壊れた魔法装置、そして繰り広げられている凄惨な戦い。警備隊と冒険者たち、死者の群れ。剣の交錯、魔法の閃光、叫び、うめき声。
祭壇の上。
そこに立っているのは、おぞましい異形。かつて伯爵夫人だった存在。身体は歪み、形を保たず、憎悪の魔力を全身から噴き出している。冴島さん、リィゼさん、シュロット君が、その異形と対峙していた。シュロット君が盾となり、リィゼさんが剣を振るい、冴島さんは魔法の拳を叩き込んでいる。イリスちゃんは、少し離れた場所から魔法を放っていた。皆、傷つきながらも必死に戦っている。
状況を理解し、背筋に寒気が走る。儀式は完全には阻止されていない。伯爵夫人は異形となりながらも、なお生きて、戦っていた。
その瞬間だった。
身体の奥底に残っていた伯爵夫人の魔力。そして、この「冥界の門の間」に満ちる「境」の力。その二つが、私の血と魔力に強く共鳴する。
心臓が激しく脈打ち始めた。身体の内側から、これまでにない強大な力が湧き上がってくる。熱いような、冷たいような、すべてと繋がっているような、奇妙で奥深い感覚。
頭の中に、何かが流れ込んできた。
混乱も断片もない。すべてが明確な知識として、私の中に定着していく。
「境」のこと――この街と死の世界を繋ぐ、境界の領域。
「門」のこと――冥界と現世を隔てる、本物の扉。
そして、私の祖先たちのこと。代々、この「門」を守り、世界の均衡を保っていた存在。
さらには、私自身の血筋。私の魔力。
私の血には「境」を感知し、意図的に「門」を開閉する力がある。境界を渡り、操る力。
私の魔力は――境界を越える鍵。
理解した。
伯爵夫人が私を「器」として狙った理由。私の血と力が儀式に不可欠だったこと。不完全な儀式によって、私の中に眠っていた「鍵」の力が強引に目覚めさせられたこと。
身体に満ちるこの力は、伯爵邸で感じた魔力との共鳴とはまったく異なる。それは私自身の魔力であり、血の力であり、そして、この「冥界の門の間」に満ちる「境」の力と完全に繋がっている。
私は、もう儀式の「器」ではない。私自身の力を持つ存在。その力は、この場所、この状況と深く結びついている。
覚醒したのだ。完全に。
私の内に眠っていた真の力が、いま目覚めた。
恐怖はある。得体の知れないこの力への畏れ。でも、それ以上に理解できたという確信、そしてこの力で何かができるという希望がある。
ティナさんが、心配そうに私を見ている。私は彼女の手をぎゅっと握り返した。
ホールの中心では戦いが続いている。冴島さんたちが、異形の伯爵夫人と戦っていた。皆、傷つきながらも立ち上がり続けている。
私の「鍵」としての力。この力は、きっとこの戦いを終わらせるために必要なものだ。
目に新たな光を宿しながら、私は祭壇の上の異形をまっすぐに見据えた。




