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第七十六話 死者の街に花束を(30)

「探偵――っ!」

 再び叫びが響く。その直後、異形は俺たちに向けて襲いかかってきた。

 否、正確にはフローリアの元へ向かおうとし、その動線を阻む俺たちに襲いかかってきたのだ。彼女の目的は、今もフローリアにある。不完全な儀式であっても、なお彼女の身体を求めている。

「ウ、ツ、ワ……私のカラダ――ァっ!」

 口から漏れた言葉は人語ではなかったが、異形がフローリアを自身の器として捉えていることが、痛いほど伝わってきた。怒りと執念が込められた攻撃だった。

 その動きは予測不能だった。突如として固形化して突進してきたかと思えば、次の瞬間には霧のように拡散し、俺たちの防御をすり抜けようとする。さらに淀んだ魔力で空間を歪ませ、足元から死者の手を出現させる。

「シュロット、防御を!」

 異形が物理的な形を取り、俺に向けて突進する。シュロットが立ちふさがり、その攻撃を正面から受け止めた。甲高い金属音がホールに響き渡り、彼の真鍮色のボディに爪が食い込む。それでも巨体で異形の猛進を阻む。

 リィゼが動く。異形の不安定な動きの一瞬、固形化したその身体に剣を突き立てた。斬撃は確かに命中したが、異形は苦悶の叫びを上げつつ身体を霧状にして回避。物理攻撃は完全には通用しないようだった。

 イリスが即座に魔法陣を描く。狙いは、異形の魔力干渉の阻止か、形態の固定化か。彼女の指先から放たれた光が異形に向かい、不快げな奇声が上がる。だが異形はその魔法を魔力の波動で弾き返してみせた。

 戦いは一進一退。いや、こちらが押されていた。異形の力は圧倒的で、攻撃も防御も変幻自在。シュロットが盾となり、リィゼが隙を突き、イリスが魔法で支援する。俺はリングの力で『マグナムパンチ』を放ち、攻撃の隙を突こうとする。だが、攻撃は決定打に至らない。

 ホールの他所では、警備隊とギルドの混成部隊が死者の群れと激突していた。剣の交錯、魔法の炸裂、怒号と呻き。戦場は混沌そのものだった。

 そんな中、祭壇の傍らで――ティナが動いていた。

 混乱と俺たちの戦闘が作り出した隙を突き、彼女は祭壇へと駆け寄る。異形は俺たちとの交戦に集中しており、ティナにはまだ気づいていないようだ。

 ティナは魔法装置に固定されているフローリアの元へたどり着くと、彼女を必死に解放し始めた。ベルトを緩め、固定具を外す。焦燥と決意が、その顔に刻まれている。

 戦闘の合間、俺はティナの動きを視界の端で捉えていた。駆け寄り、必死に拘束を解く姿。その手を貸したいが、目の前の異形から一瞬たりとも気を逸らせない。俺たちが食い止めねば、ティナもフローリアも無事では済まない。

 ティナはついにフローリアを装置から完全に解放し、意識を失った彼女を抱きかかえると、ホールの隅へと移動させた。そして頬を優しく叩きながら、必死に呼びかける。

「フローリアさん。フローリアさん、お願い、目を覚まして!」

 その声は、ホールの喧騒にかき消されそうになりながらも、俺の耳にははっきりと届いた。ティナが、フローリアを助けてくれた。安全な場所へ。

 異形との攻防は続く。だがその怒りは明らかに増しており、攻撃もより苛烈になっていた。

 時間がない。

 ティナが助けてくれた。だが俺たちがここで倒れれば、すべてが水泡に帰す。儀式は阻止できた。しかし、異形となった伯爵夫人が生きている限り、この街もフローリアも安全ではいられない。

 シュロットが大きく後退し、イリスが膝をつきそうになる。俺も満身創痍だ。

 ティナの叫びが聞こえる。

「フローリアさん! 目を覚まして!」

 ホールの隅、ティナの腕の中のフローリア。その顔は青白いままだが、穏やかな表情が戻っていた。

 そして。

 フローリアのまぶたが、ゆっくりと持ち上がる。

 透き通るような薄水色の目が、光を宿し始める。最初は戸惑いの色。その視線が周囲を見回し、状況を理解したように変わっていく。混乱に満ちたホール、俺たちの戦い、そして祭壇上の異形――

 彼女の目が、明確な理解を宿す。

 微かな、だが確かな魔力がフローリアの身体から立ち上る。それは以前感じた、彼女自身の魔力……だが今は何かが混ざっていた。伯爵夫人の力、“境”の力。

 フローリアは理解した。

 自分が儀式に巻き込まれていたこと。伯爵夫人の力の一部を受け継いだこと。そして、その力によって自分の中に眠っていた、本当の力に目覚めたことを。

 ――境界を越える鍵の力に。

 フローリアが目覚めた。もはや彼女は「器」ではない。

 新たな力が、この戦場に加わった。

 そしてその覚醒した瞳が、異形と化した伯爵夫人を真っ直ぐに見据えた。

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