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第七十三話 死者の街に花束を(27)

 洞窟迷宮を抜けた先は、人工的に作られたと思しき、石造りの広い通路だった。

 壁には、洞窟で見え隠れしていたシンボルよりも、さらに大きく、複雑で、不気味な紋様が刻まれている。空気は、先ほどの洞窟の湿気とは違う、冷たく乾燥した、しかし重苦しい魔力で満ちていた。

 ここが、伯爵夫人が儀式を行っている場所へと続く道だ。イリスの探知魔法が、この通路の先に、儀式場があることを示している。これまで感じた中でも最も強大で冷たい魔力……ヴァレリア伯爵夫人の魔力が渦巻いている。

 通路の終端に、大きな石扉が見えた。おそらく、ここがその入口だ。扉には、禍々しい魔力が宿っているのが分かる。シュロットが、扉の前に立つ。

「シュロット、頼む」

「Ja!」

 シュロットが力強く応じると、その拳を巨大な石扉に叩き込んだ。

 轟音!

 石扉が、内側へ大きくひび割れ、吹き飛んだ。

 先に広がっていたのは、圧倒的な空間だった。

 広大な、巨大な石壁のホール。天井は遥か高く、その広さは屋敷一つ分もあるんじゃないかと思わせる。ホールの最も奥、真正面に……それはあった。

 巨大な、「門」。

 石と黒曜石でできた、閉じられた巨大な両開きの門。

 禍々しい魔力がそこから放たれている。あれが……フローリアが言っていた「門」なのか。古文書に記されていた、この世界と死の世界を繋ぐ扉……。今、それは固く閉じられているが、その存在感だけで、空間を圧迫している。

 ホールの中心には、円形の祭壇があった。

 祭壇には、見たことのない魔法的な装置が幾重にも設置され、禍々しい光を放っている。その装置の中央に……フローリアがいた。白いローブのようなものを纏い、手足や胴体をベルトで固定されている。瞳は閉じられ、顔色は青白い。意識がない。

 祭壇の傍らには、ヴァレリア・レオノーラ・エルネスト伯爵夫人が立っていた。黒い長髪が魔力の流れで怪しく揺らめき、紅玉の瞳が冷たい光を放っている。彼女は、こちらに気づいたにも関わらず、祭壇に立つフローリアに手をかざし、不気味な詠唱を続けている。その手から、淀んだ、強大な魔力がフローリアへと流れ込んでいる。まさに、魂を移す秘法を執り行おうとしている最中だ。

 俺たちの突入に反応し、祭壇と伯爵夫人の周囲、そしてホールの入口付近に、無数の「死者」が現れた。彼らは、これまでの雑兵とは違う。鎧を纏った騎士のような姿、「死者」でありながら鋭い眼光を持つ者、巨大な体躯を持つ者……伯爵夫人の精鋭たちだ。彼らは、祭壇を守るかのように密集し、俺たちへの攻撃態勢に入った。

「……行くぞ!」

 俺は叫んだ。

 迷っている暇はない。正面突破だ。フローリアを、伯爵夫人の手から助け出さなきゃならない。儀式を止めなきゃならない。

 俺たちは、祭壇目掛けて走り出した。

『マグナムパンチ!』

 俺は、正面に密集している「死者」の群れに、渾身の一撃を放った。光の奔流が、死者の壁を打ち砕き、肉片と魔力の残滓を撒き散らす。通路が開ける。

「Ja!」

 シュロットが、その開けた通路に突っ込んでいく。巨体が、迫る「死者」を文字通り撥ね飛ばし、押し退け、道を切り開く。

 イリスが、詠唱を始める。彼女の指先から放たれる火炎球が、死者たちをなぎ倒した

 敵の数は圧倒的だ。死者の壁を打ち砕いても、すぐに新たな死者がその穴を埋める。シュロットが開けてくれた道も、すぐに閉じられそうになる。伯爵夫人の魔力が、ホール全体を圧迫している。身体の動きが鈍くなるような感覚。詠唱を続ける伯爵夫人の声が、ホールに響き渡る。

「くそっ……!」

 思うように進めない。祭壇は、すぐそこに見えているのに、距離が一向に縮まらないように感じる。死者の抵抗が、想像以上に固い

 イリスが、苦しげな顔で魔法を連発している。広範囲魔法を連続でだ。相当な負担だろう。シュロットも、休みなく体を動かし、「死者」の群れを押しとどめている。――多勢に無勢。

 祭壇では、儀式が進んでいる。フローリアの身体を取り巻く光が、さらに強く、禍々しいものへと変わっていく。伯爵夫人の詠唱も、最終段階に差し掛かっているのがわかる。

 あと少し。あと少しで、伯爵夫人の魂がフローリアへ移ってしまう。

 焦燥感に、胸が締めつけられる。このままでは間に合わない。

 死者の群れが、押し寄せる波のように襲ってくる。マグナムパンチを連発するが、魔力には限界がある。シュロットの拳も、リミッターが外れそうな勢いで動いていた。イリスの魔法も、無尽蔵ではない。

「進むぞ! 止まるな!」

 叫び声を上げる。リィゼとティナが、外で時間を稼いでくれている。ここで儀式を止めなければ、すべてが水の泡になる。フローリアを助けなきゃならない。

 祭壇は、まだ遠い。伯爵夫人の冷たい視線がこちらに注がれているのが感じられる。俺たちの行動など、彼女には煩わしい雑音にすぎないのだろう。

 儀式の成功が、刻一刻と近づいてくる。フローリアの身体が、伯爵夫人の器になろうとしている。

 絶望的な状況だ。だが、諦めるわけにはいかない。

 死者の群れは途切れない。倒しても次々に現れる。祭壇が見えているのに、距離が縮まらない。伯爵夫人の魔力がホール全体を覆い、動きが鈍る。身体が重い。空気も、鉛のように重たい。

 『マグナムパンチ』の連打で魔力は大幅に削られた。リングの力をもってしても、この数を相手にするのは厳しい。腕が痺れ、全身に痛みが走る。幾度か死者の攻撃をまともに受け、スーツは破れ、切り傷や打撲が増えていく。

 シュロットも限界が近い。巨体を揺らしながら死者の群れを押しとどめていたが、動きが鈍ってきている。金属のボディには、打撃痕と魔術の焼き跡が刻まれている。微かに機械音のような唸りが聞こえた。

 イリスの魔法の輝きも弱まっていた。詠唱の合間に苦しげな息遣いが漏れる。伯爵夫人による魔術干渉を受けながら広範囲の魔法を維持するのは、膨大な魔力と精神力を消費する。額には汗が滲み、顔色も悪い。長くはもたないだろう。

 じりじりと後退していた。死者の圧力に押され、壁際に追い詰められていく。背中が壁に打ちつけられた瞬間、激痛が走る。もう退ける場所はない。

 魔力も体力も、そして気力さえ尽きかけていた。目の前には、無数の「死者」。その奥では、儀式を続ける伯爵夫人。祭壇に固定されたフローリアは、未だ意識が戻らない。身体を取り巻く魔力が、臨界点に達したかのように激しく輝いている。

 その瞬間。

 ホールに響いていた伯爵夫人の不気味な詠唱が、突如として止まった。

 ――静寂。

 死者たちの動きも、一瞬、凍りついたようだった。全ての音が消え、空間が歪むような圧迫感が迫る。

 伯爵夫人が、祭壇からゆっくりと顔を上げた。紅玉のような瞳が、まっすぐこちらを――いや、俺を見据える。勝利を確信した冷笑が、その唇に浮かぶ。

「……よく来てくださいましたわね。このわたくしの新しい誕生に、わざわざ駆け付けてくれて」

 澄んだ声が響いた。地を這うように低く、それでいて冷たい響き。

「お礼をいいますわ。冴島探偵」

 嘲りに満ちた声だった。俺たちの必死の抵抗は、最初から見透かされていたのか。全て、無意味だったのか。

「――さあ、時間です」

 有無を言わせぬ口調で告げられる。視線は再びフローリアへと戻った。

「そこで、フィナーレをごらんなさい」

 それは彼女がフローリアの身体を奪い、永遠の若さと力を手に入れる瞬間。俺たちがそれをただ見せつけられ、何もできずに終わる結末。

 身体が軋むように痛む。魔力も尽きかけている。シュロットもイリスも、限界だ。壁際に追いやられ、もはや身動きすら難しい。

 それでも――

 諦めなかった。

 歯を食いしばり、激痛に抗いながら身体を起こす。リングの魔力は残りわずか。拳に力は込められない。だが、眼だけはまだ死んでいなかった。

 血走った目で、祭壇の伯爵夫人を睨み据える。

 まだだ。終わってなどいない。探偵の仕事は、最後まで真実を追い、悪を裁くこと。女や子供を泣かせてはならない。

 決して、諦めない。

 伯爵夫人の冷笑、フローリアの無垢な顔。

――迫りくる「フィナーレ」。

 ただその光景を睨み返すことしかできなかったが、その視線には一切の降伏はなかった。

 歯を食いしばり、全身の痛みに耐えながら立ち上がる。身体は壊れていたが、魂はまだ折れていない。探偵の目は死んでいなかった。

 血走った視線で、伯爵夫人の勝ち誇った表情を見据える。

 まだだ。まだ、終わらない。探偵の信条は、最後まで正義を貫くこと。フローリアを、あんな女に渡すものか。

 絶対に、あきらめない。

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