第六十六話 死者の街に花束を(20)
目を覚ますと、暗い部屋だった。
石膏でできた、シンプルな装飾の天井。
そうだ。冴島さんと一緒に伯爵につかまって……。
ゆっくりと身体を起こします。どこも痛くない。
拘束もされていない。
――これが夢だったら……。
そう思いたい気持ちとは裏腹に、あの伯爵の顔、身体を駆け巡った不気味な魔力、……冴島さんが倒れてしまった光景が、鮮明に脳裏に蘇えった。あれは、夢なんかじゃない。現実だ。
ここはどこだろう? 部屋を見回す。家具は少なく、簡素な部屋。ベッド、小さな机と椅子。壁に窓が。窓枠には、鉄格子が嵌まっている。
格子のある窓……。ここから逃げられない。私、捕まっているんだ。
窓に近づく。手入れされた庭園、遠くに見える別の建物。ここは伯爵の屋敷の中か。街の様子は見えない。レクスヴィントの街並みも、港も……。
恐怖が込み上げてきた。これから、私はどうなるんだろう。
伯爵の「器」にされるって、本当なのか。身体を乗っ取られるなんて……考えただけで震えが止まらない。
冴島さんは……? あの時、倒れてしまっていたけど、無事だったか……。イリスちゃんや、シュロット、他の人たちも……皆、逃げられたのかな? 私を助けようとして、皆まで危険な目に遭ってしまった。私のせいなのに……。
ごめんなさい……。ごめんなさい……。
込み上げそうな涙を我慢した。泣いてる場合じゃない。逃げなきゃ。でも、どうやって? 部屋には鍵がかかっているみたいだし、外にはきっと、あの「死者」たちがたくさんいる。
冷たい汗が流れていた。身体が震える。冴島さんがいれば、きっと……。私、一人では……。
その時でした。
部屋に満ちている、冷たい空気に気づいた。
それは、ただ物理的に寒い、という感覚じゃない。もっと……深い。
この伯爵の屋敷に、独特の魔力が満ちているのを感じた。それは、レクスヴィントの街で感じていた、あの不気味な冷たい空気と似ているけれど、もっと濃く、直接的で。
まるで、身体の奥底まで染み込んでくるような、特異な魔力。
その魔力が、私の身体の中……血と魔力とが、強く共鳴した。
ドクン、と心臓が跳ねるような感覚。身体の中の何かが、その外部の魔力に引き寄せられている様に。
共鳴が強くなるにつれて、頭の中に、何かが流れ込んできた。それは、ヴィジョンじゃない。映像として見えるわけじゃない。言葉でもない。ただ……「知識」。私が、知っているはずのないことが、次々と頭の中に満ちていく。
「境」
この街が持つ、特別な意味のこと。生と死の間にある場所。
「門」
冥界の門のこと。
単なる伝説じゃない。本当に存在する、この世界と、別の世界を繋ぐ「扉」のこと。
その門を守っていた人々がいる。
私の、遠い祖先たち。彼らは、その門が開かないように、世界の均衡が崩れないように、代々、特別な役目を負っていたこと。
そして、私の血筋のこと。
私の魔力のこと。
私の血には、その門を開閉する力がある。この「境」を、意図的に渡り、操る力。私の魔力は……「境界を越える鍵」。
覚えのない、知識。でも、確かな知識だった。まるで、私がずっと知っていたことなのに、忘れていただけだった、というような感覚。その知識が、頭の中に、ぐんぐん満ちてくる。何、これ……。なんで、こんなこと知ってるんだろう……?
私の魔力が……変わった? 身体の中の魔力が、以前とは違う質を持っているのを感じる。もっと……鋭利で、冷たい。この魔力が、この部屋を満たす伯爵の屋敷の魔力と、呼応しているのが分かる。
この、覚えのない記憶と、身体の変化……。
私は、もう、前の私じゃないんだ。
この記憶は、私の血の中に眠っていたもの?
頭の中が、整理できない。
でも、この変化が、私がここにいる理由、私が巻き込まれた事件、そしてあの伯爵が私に何をしようとしているのかと、深く繋がっていることだけは理解できた。
「器」……彼らの新しい身体。彼らは、私の血筋が持つ「境界を越える鍵」としての力が、魂を移し替える儀式に必要だから、私を選んだ。
全国規模で、死者と生者を入れ替える。その大規模な儀式を行うには、私の力が不可欠だから。
私は……私の血は、そんな恐ろしい計画のために使うものじゃないんだ。
身体はまだ震えていた。恐怖も、混乱も、消えない。でも、自分の血に宿る、知らなかった使命。その力が持つ、本来の意味を知った今、ただ怯えているだけではいけない、と思った。
私は「器」じゃない。私は……「鍵」なんだ。この「境」を、操作するための。
この、戻れない自分の変化。それが、私に何をもたらすのか、分かりません。でも、きっと、ここから逃げるための……冴島さんたちを助けるための、何かになるかもしれない。




