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第六十二話 死者の街に花束を(16)

 屋上伝いに、なんとかフローリア邸のある高台までたどり着いた俺たちは、そのまま建物の屋根から庭先へと飛び降りた。着地音を最小限に抑えるべくイリスが補助魔法を使ってくれたおかげで、大きな音はしなかった。しかし、庭に降り立った俺たちの目に飛び込んできた光景は、静寂とは程遠いものだった。

 手入れの行き届いていたはずの庭は荒らされ、いくつか植木鉢は倒れている。屋敷の壁には、何かがぶつかったような生々しい痕跡がいくつかあった。庭師や門番らしき人間が、何人か地面に倒れ伏している。意識はないようだ。死んでいるのか、気絶させられただけなのか……どちらにせよ、無事じゃない。

「しまった……!」

 リィゼが、息を呑む。ティナも、口元を手で覆っている。俺たちがあの倉庫で手間取っている間に、奴らはすでにこちらへ来ていたのか。

「入るぞ!」

 俺は声を張り上げた。悠長にしてる暇はねぇ。奴らの狙いはフローリアだ。あの子が危ない。

 屋敷の扉は、内側から破壊されたように吹き飛んでいた。蝶番が歪み、木片が散乱している。躊躇なく、そこから中へ突入する。

 屋敷の中も、庭と同じように荒らされていた。調度品は倒され、壁の絵画は引き剥がされている。そして、あの冷たい空気……「死者」の気配だ。

 屋敷の中には、やはり奴らがいた。静かに徘徊する者、廊下の角に立ち尽くす者……「死者」たちの群れだ。数は多くないが、屋敷という閉鎖空間では厄介だ。

「フローリアは奥だ!イリス、足止めを!シュロット、道を切り開け!」

 俺は指示を飛ばした。

「はい!」

 イリスが素早く詠唱を開始する。足元の床に魔法陣が展開し、そこから無数の茨のような光が飛び出し、廊下を塞ごうとしていた「死者」たちの足に絡みつく。動きを鈍らせる魔法だ。

「Ja」

 シュロットが、茨で足止めされている「死者」たちの群れに突っ込む。怪力で彼らを文字通り「排除」しながら、力任せに家具を吹き飛ばし、強引に奥への道を作り出す。轟音と、それに続く物体が破壊される音が響く。

 俺とリィゼは、シュロットが開けてくれた道を、迫りくる「死者」と戦いながら進む。俺は魔法リングから『マグナムパンチ』を連発し、一体一体を確実に無力化していく。リィゼは剣を閃かせ、「死者」の体を切り裂く。その動きは淀みなく、的確だ。

「ティナ、遅れるな!」

 リィゼが、すぐ後ろを走るティナに声をかける。ティナは顔を真っ青にしているが、必死に俺たちの後をついてきている。危険から逃れるのは上手い方だ。

 廊下を駆け抜け、階段を駆け上がり、屋敷の奥へ奥へと進む。行く手には必ず「死者」たちが立ちはだかるが、イリスの足止め魔法とシュロットの突破力、俺とリィゼの戦闘で、なんとか道を切り開いていく。屋敷の人間らしい気配は、ほとんど感じられなかった。倒れているか、避難しているのだろう。

 フローリアの部屋は、屋敷の奥、二階にあるはずだ。事前にフローリアから聞いていた部屋の場所を思い浮かべる。

 最後の廊下を曲がった時、その部屋の扉が見えた。扉は閉まっている。その扉の前には、一体の異様に大きい「死者」が仁王立ちしていた。他の「死者」とは格が違う、強敵だ。

「シュロット、あれだ!」

「Ja」

 俺が指示を出すより早く、シュロットが巨大な「死者」に突っ込んでいく。金属の体と、巨大な「死者」の体がぶつかり合う。激しい打ち合いが始まった。物理的な衝撃音が響き渡る。

 俺とリィゼはその隙に、扉へ駆け寄る。扉には鍵がかかっていなかった。急いで扉を開け放つ。

 部屋の中の光景が、俺たちの目に飛び込んできた。

 部屋の中は、意外なほど静かだった。

 フローリアはそこにいた。

 部屋の中央で、立ち尽くしている。

 そして、その向かいに……。

「大物自らお出ましかい。――エルネスト伯爵」

「……君が探偵、とやらか。遅かったな」

 オズワルド・エルネスト伯爵がいた。

 伯爵は、白髪交じりの長髪を靡かせ、痩躯の体に不釣り合いなほど大きな外套を羽織っている。その手から、黒く淀んだ魔力が放出され、それが糸のようにフローリアに絡みついている。まるで、彼女から何かを吸い上げ、彼女を縛り付けているかのような光景だ。

 表向きは穏やかで優しげだが、どこか影の薄い印象。それが、今はどうだ。顔色は相変わらず青白いが、その瞳には……強い光が宿っていた。生きた人間のそれとは違う、冷たい、しかし明確な意志を放つ光。……やはり、ただの操り人形じゃねぇ。

「フローリア!」

 俺は叫んだ。あの子が、あの不気味な魔術に絡め取られている。早く止めなきゃ。

「てめぇ……!」

 伯爵に対する怒りが込み上げてくる。あの子をこんなことに利用しやがって。

 俺は魔法リングに最大の魔力を込め、伯爵目掛けて突撃した。拳には、強い光が集束する。

「どけぇ!」

『マグナムパンチ』を放つつもりだった。あの淀んだ魔術を吹き飛ばし、伯爵に一撃を食らわせる。

 だが、伯爵は動じなかった。彼は、フローリアにかざしていた手を、わずかに俺の方へ向けた。そして、口元に薄気味悪い笑みを浮かべる。

「……騒がしいものだ」

 そう呟いた彼の指先から、フローリアに絡みついていたものとは異なる、別の魔力が放たれた。それは、物理的な衝撃や熱ではなかった。空気そのものが歪むような、不気味な波動だ。それは、まるで「生と死の境」を揺らすような、あの街全体に漂う冷たい空気の、核のようなものだった。

 その魔力が、俺の体に直撃した。

 ぐっ、と、全身から力が抜ける感覚。体が石になったように重くなり、手足が動かなくなる。呼吸が浅くなり、肺が締め付けられるようだ。最も恐ろしいのは、意識そのものが遠のいていくことだった。頭の中に霧がかかったように、思考がまとまらない。魔法リングに込めた魔力も、どこかへ霧散していくのを感じる。奴の魔術は、俺の生命力そのものに作用する……あるいは、俺の精神と肉体を繋ぐ境界に干渉する類のものか。

 膝から崩れ落ちる。視界が歪み、色が失われていく。目の前で、伯爵が静かにフローリアから手を離すのが見えた。フローリアは、抵抗する力も残っていないのか、ぐったりとしている。

「Ja!」

 扉の外から、シュロットの声が聞こえた。巨大な死者を倒したか? しかし、俺はもう立ち上がれない。

「リィゼさん!冴島さんが……!」

 ティナの悲鳴のような声。リィゼが、駆け寄ろうとする気配。

 ダメだ……来るな!

 俺のすぐ後ろで、イリスが何かを叫んでいる。だが、その声も遠い。

 伯爵が、倒れ伏した俺を見下ろしている。その背後には、部屋の隅に控えていたのか、数体の「死者」が静かに近づいてきていた。俺を捕らえるつもりか。

 ダメだ……俺はもう……

 だが、こいつらを、仲間を、ここに巻き込むわけにはいかねぇ。フローリアも連れて行かれる。

 朦朧とする意識の中で、俺は最後の力を振り絞り、声を絞り出した。

「……逃げろ……!」

 掠れた声だったが、届いたはずだ。イリスが、シュロットが、リィゼが、ティナが……。扉口で立ち止まり、俺の方を見ているのが、歪んだ視界の端に見えた。その顔には、困惑と、悔しさと、悲しみが浮かんでいるように見えた。

 だが、彼らは……逃げた。俺の指示に従い、その場から撤退していく気配を感じる。良かった……。せめて、こいつらだけでも……。

 伯爵が、フローリアを抱きかかえる。その冷たい視線が、俺に向けられる。

「連れて行け」

 簡潔な命令。数体の「死者」が、俺の体に冷たい手をかけた。抵抗する力はもう、どこにも残っていない。視界が、さらに暗くなっていく。音も遠ざかる。フローリアが連れて行かれる後ろ姿が、闇の中に消えていくのが見えた気がした。

 失敗した……。あの子を守れなかった……。捕まった……。

 仲間の気配も、完全に遠ざかる。残ったのは、冷たい床の感触と、周りを取り囲む「死者」たちの、あの生気のない気配だけだ。

 意識が、完全に、闇に沈んでいく。

 ……クソッタレが。

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