第六十一話 死者の街に花束を(15)
そして。
音に反応したのは、並べられていた「死者」たちだった。それまで微動だにしなかった彼らが、一斉に、ゆっくりと、しかし確実に、俺たちの方へ顔を向け始めた。虚ろだった瞳に、わずかに赤い光が宿る。
「……しまった!」
リィゼが、焦った声を上げた。イリスが、魔法を維持しようと集中している。
静寂は破られた。隠密潜入は失敗だ。出口は目の前だが、そこへたどり着くには、おびただしい数の「死者」たちの間を突破する必要がある。
「シュロット!」
俺は叫んだ。
「Ja」
返事と共に、シュロットが巨体を揺らし、出口と「死者」たちの間に立ちはだかる。その真鍮色の体が、薄暗い倉庫の光を反射して鈍く光った。
最悪のタイミングで、見つかりやがった……!
躊躇する暇はねぇ。ここから先は力尽くだ。
「シュロット!」
俺は叫んだ。
「Ja」
返事と共に、シュロットが動く。その巨体が、並んでいた「死者」たちの群れに突っ込んだ。轟音なんてものはねぇ。ただ、そこに立っていた無数の人影が、まるで軽い障害物みたいに弾き飛ばされていく。物理的な壁みてぇな奴らだったが、シュロットの前には無力だ。文字通り、脱出路をこじ開けていく。
「行くぞ、ティナ!」
リィゼが、ティナの手を引いた。俺も魔法リングに魔力を込める。迫ってくる「死者」の顔面に、躊躇なく『マグナムパンチ』を放った。光と共に衝撃が走り、一体が吹き飛ぶ。隣では、リィゼが剣を閃かせ、「死者」の体を両断していく。生きた人間相手じゃ使えねぇが、こいつらは違う。急所なんてもんもなさそうだし、止めるには物理的に破壊するか、動きを止めちまうしかねぇ。
イリスは後方で、足止めや動きを鈍らせる魔法を展開している。ティナは顔を青ざめさせながらも、リィゼに引きずられるように、必死にシュロットが開けてくれた道を走った。
激しい戦闘の末、何とか倉庫からの脱出に成功した。だが、外も安全じゃなかった。倉庫の周囲には、さらに多数の「死者」や、警備らしい人間(こいつも「死者」か?)が集結していた。完全に見つかった。
街中での追跡が始まる。港湾地区の入り組んだ路地裏を駆ける。だが、こいつらは数が多すぎる。路地に入っても、先回りされるか、別の路地から湧いて出てくる。
「街中はまずい!上に!」
リィゼが叫んだ。見上げると、港湾地区の建物が連なっている。リィゼは素早く建物の壁のパイプや、突き出した物置を足場にする。
「ティナ、掴まれ!イリス、補助を!」
リィゼはティナの手を引きながら、慣れた動きで壁を駆け上がり始めた。俺もそれに続く。華奢な体つきだが、こういう時の身のこなしには自信がある。イリスが足元に、わずかに浮力を与えるような魔法をかけてくれる。シュロットは、そのパワーで無理やり壁の出っ張りを掴み、よじ登ってくる。物理法則?知るか、って感じだ。
屋上へ。
見慣れない屋上は、まるで別の街のようだった。並んだ建物の屋根、その間に渡された通路、積み重ねられた貨物……。リィゼが、休む間もなく走り出す。屋上伝いに移動するルートを選んだんだ。下の街路では、無数の「死者」たちが俺たちを見上げている。一部は建物の壁をよじ登ろうとしている。
追跡は屋上での疾走になった。リィゼが迷うことなく、次の屋根、次の建物へとルートを選んでいく。跳躍が足りない場所は、イリスが魔法で補助をする。シュロットの前には、屋上にある障害物なんて意味がねぇ。積まれた木箱も、低い壁も、全部力任せに突破していく。俺も、必要に応じて魔法リングで邪魔なものを吹き飛ばしたり、足場を確保したりする。ティナは必死に、リィゼの後を追ってくる。顔色は悪いが、よく食らいついてきている。
下の「死者」たちは、屋上の複雑な構造や、建物間の距離が広がっていくにつれて、動きが鈍くなっていった。一部の奴らは諦めたように地上を追ってくるだけになり、屋上まで上がってこれる奴らは、物理的な限界から数が減っていく。リィゼの選ぶルートの妙もあるだろう。俺たちは必死に屋上を駆け抜け、次々と建物を乗り換えていく。
やがて、港湾地区の建物が途切れ、屋敷街へと続く高台に近づくにつれて、下からの追撃の気配が薄れていくのを感じた。振り切れた……いや、少なくとも、直接的な追撃は諦めさせたか。
「ハァ……ハァ……着いた……」
ティナが肩で息をしながら、へたり込みそうになる。リィゼがその肩を支えた。イリスも、わずかに息が上がっている。シュロットは、涼しい顔だ。
俺たち五人は、何とか、フローリア邸のある高台の屋敷街にたどり着いた。港湾地区から続く屋上を伝ってきたから、街の正門を通らずに済んだ。周囲を見渡すが、今のところ、追撃の気配はない。静かだ。ただ、この街全体に漂う、あの冷たい空気は、ここでも感じられたが。
潜入は失敗し、見つかってしまったが、得た情報は大きい。何より――あの子を狙う奴らが、具体的な行動に出る前に、ここへたどり着けた。
勝負は、これからだ。




