第六十話 死者の街に花束を(14)
夜の港は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。潮の匂いに混じって、どことなく冷たい、嫌な空気が漂っている。遠くに見える灯台の明かりだけが、曖昧な水平線を照らしていた。
俺たちの目の前にあるのは、伯爵が所有しているという、港でもひときわ大きな倉庫の一つだ。イリスが見つけた裏帳簿にあった、不明な貨物の搬入先。そこが「死者」の集積所になっている可能性が高い場所だ。
今日のチームは五人だ。俺、イリス、シュロット、それにティナとリィゼだ。ティナとリィゼは、ここへ来る途中も少し緊張した面持ちだったが、やるべきことは理解してる。
イリスが計画を説明する。
「私が不可視化と遮音の魔法で私たちを隠し、警備の目をかいくぐります。物理的な障害があれば、シュロットとリィゼさんで対処お願いします。ですが、あくまで発見されずに侵入するのが最優先です」
破壊は最小限に、痕跡は残さない。それが今回のルールだ。
「わかった。リィゼ、ティナ。俺の背後に。イリス、頼むぜ」
「はい」
イリスが静かに魔法を詠唱し始める。魔力の波紋が俺たちを包み込み、周囲の光景に溶け込ませていくような感覚。同時に、外の音が遠ざかり、俺たちの立てる音が吸収されるのを感じる。完璧じゃねぇが、薄暗い夜闇の中、注意散漫な相手ならやり過ごせるはずだ。
「行くぞ」
リィゼが先導し、俺たちがそれに続く。彼女の足音は、まるで影のように滑らかだ。さすがA級冒険者。こういう場での動きはプロ中のプロだ。ティナは緊張からか、わずかに息遣いが荒いが、必死についてきている。シュロットは、こういう時はその巨体にも関わらず、あたかも地面を滑るように静かに移動する。
倉庫の周囲には警備の人間が数人いたが、幸いにもイリスの魔法とリィゼの隠密スキルが効を奏し、気づかれることなく裏手へと回ることに成功した。扉は頑丈そうだったが、イリスが鍵に触れる。ごく小さな魔力の光が灯り、鍵穴の構造を感知する。
「物理的な鍵です。解除します」
カチリ、と再び小さな音を立てて、重い扉の閂が外れた。シュロットが、力を込めずに、しかし確実な動作で扉をわずかに押し開ける。
中へ滑り込む。
倉庫の内部は、想像以上に広かった。昼間の港の喧騒が嘘のような、シンとした静寂に包まれている。埃っぽい空気と、わずかに金属や油の匂い。それに混じって……あの、嫌な冷たい空気。生気のない、死の匂いだ。
そして、それを見た。
巨大な倉庫の空間に、整然と、規則正しく並べられた「何か」だ。薄暗い中だが、はっきりと視認できる。人間だ。いや――人間だったもの、か。
おびただしい数の人影が、壁際にずらりと並んでいる。皆、同じ方向を向いて立ち尽くしており、身動き一つしない。顔には表情がなく、目は閉じられているか、虚ろに開かれているだけ。生きた人間特有の揺らぎや、わずかな仕草が一切ない。まるで、出荷を待つ商品か、それとも、何かの準備のために待機させられている兵隊か。
こいつらが、あの「生きた死体」だ。裏帳簿に記されていた「処理体」とか「生体」とか呼ばれてた連中か。こんなに大量に……。ぞっとする光景だ。
「……」
リィゼが、固唾を呑む音が聞こえた。ティナは、思わず口元を手で押さえている。イリスも、その瞳に驚きの色が浮かんでいる。シュロットは、いつもと変わらず無感情な表情だが、その丸いレンズがじっと「死者」たちを見つめていた。
予想はしてたが、これほどの数とは……。こいつらがどこからか運ばれてきて、ここに集積されている。単なる街の異常じゃねぇ。もっとデカい何かが動いてる。
「管理室を探すぞ」
俺は声を潜めて指示を出した。この大量の「死者」を管理している場所があるはずだ。そこに、奴らの計画に関する情報が残されているだろう。
倉庫の奥へ、慎重に進む。並べられた「死者」たちの間を縫うように、気配を殺して移動する。彼らは反応しない。まるで本当にただの物体のように。それが、逆に不気味だった。
倉庫の一角に、他の区画とは異なり、壁で仕切られた小さな空間があった。金属製の扉には、簡単な鍵と、かすかな魔力の痕跡。イリスが再び魔法で解除し、シュロットが静かに扉を開けた。
そこは、簡素な管理室だった。机と椅子、書類棚だ。壁には大きな地図が貼られている。埃っぽさはなく、比較的綺麗に整頓されている。ここで、奴らは作業してるんだろう。
机の上の書類に目をやる。大量のファイルと、帳簿のようなもの。ティナとイリスが手分けして、内容を確認し始める。リィゼは入口で見張り役だ。シュロットは部屋の隅で待機している。
ティナが、貼られた地図に気づいた。
「これ……レクスヴィントの地図だけじゃないですね。王国内全土、それに……王国外の主要都市まで印がついてる」
嫌な予感が確信に変わる。全国どころか、国外までか?
イリスが、手にした書類から声を上げた。
「この書類……『資産配送リスト』とあります。送り先は、地図に印がある都市です。数量と、輸送スケジュールが詳細に記されています」
「資産……まさか、これ、あの死者たちのこと?」
ティナが、怯えたように呟く。俺は別の書類を睨みつけるように見ていた。
「これには『配置計画』って書いてあるな……送り先の都市で、重要人物に『接触』後、『配置を完了する』……どういう意味だ?」
重要人物に接触? 配置完了? 文脈からして、良い意味であるはずがねぇ。俺は、別の書類に目を通す。そこには、具体的な名前や役職が記されている。どこかの都市の高官、有力な商人、貴族……その横に「接触方法:置換」と書かれているものが多い。
置換……? 入れ替わりか。
ここで全てが繋がった。奴らは、あの「死者」を、国内各地、それだけでなく王国外の主要都市に送り込もうとしてるんだ。送り込んだ先で、その都市の重要な人物と「接触」させ、「置換」する。つまり、殺して、その人物と入れ替わるんだ。そして、その人物として、裏から街や組織を操る……レクスヴィントで起きてることが、これから国中に広がる計画だったんだ。街の異常なんてレベルじゃねぇ。これは、国家転覆にも繋がりかねない、壮大な、それでいて悍ましい陰謀だ。
その時、イリスの声が、わずかに震えた。
「この書類……『血統適合者に関する報告』とあります。エルネスト家の血筋について詳しく書かれています……。冴島さん、ここに……『フローリア・エルネスト』、と名前が……」
俺の体が、強張る。フローリアの名前? なぜ、あの子の名前がここに?
イリスは、書類を読み続ける。その声に、静かな緊張感が宿っていた。
「伯爵家との血縁関係、血に祖との合致部分が多いことを確認……『高位の適合者であり、朽ちた肉体の新たな器として最上』……」
朽ちた肉体? 新たな器?
イリスが、さらに重要な記述を読み上げる。
「『境界干渉能力、儀式への高い適合性』……『全国展開には、高位の適合による触媒が必要不可欠であり、この対象はまさにその中核となる』……『最重要対象として、早期確保を指示する』……」
最重要対象。早期確保。そして、新たな器。
全てが繋がった。フローリアは、この悍ましい計画に必要な存在だったんだ。「生と死の境」を利用したアンデッドの全国展開。その大規模な儀式を行うために、あの子の血筋と「境界干渉能力」が必要。それは単に触媒としてだけでなく……おそらく、伯爵が、自身の老いや衰えから逃れるために、あの子の若い肉体を奪い取り、入れ替わるための「器」として利用するつもりだったんだ。あの子を誘拐する計画が、ここに記されていた。俺が、あの子と「境」について話した時、そしてあの追跡者が現れた時……奴らは、あの子が計画に利用できる、最高の「器」だと知って、利用価値が高いと判断して、狙いを定めたんだ。「最終の器」と呼ばれていたのは、まさに全国規模の「置換」を行うための、生贄、いや、伯爵のための新しい身体、としての役割だったんだ。
クソッタレが……!
俺は奥歯を噛み締めた。あの子を狙ってやがった。しかも、こんな悍ましい計画のために。その目的が、老いぼれの魂を若い体に乗り換えさせるなんて……虫唾が走る。約束したんだ。何があっても守る、と。この計画を知った以上、あの子を奴らの好きにはさせねぇ。
「必要な情報は掴んだな。いくつか証拠としていただこう」
俺は、冷静を装って言った。イリスは頷き、ティナも書類から目を離し、険しい表情で頷いた。ティナはまだ少し震えているが、状況は理解したようだ。
ティナとリィゼに重要な内容を示す資料を持たせる。
「撤収するぞ。来た時と同じように、静かに……」
書類を元に戻し、痕跡を残さないよう細心の注意を払いながら、管理室を出る。再び、あの無表情な「死者」たちの間を縫って、倉庫の入口を目指す。魔法は継続している。気配は殺している。あと少しで外だ。
出口の扉が、目の前に見えてきた。緊張がピークに達する。リィゼが先頭で、扉に手をかけようとした、その時だった。
「あっ……!」
背後から、ティナのか細い声が聞こえた。
振り返るより早く、ガシャン! と何かが床に落ちる鈍い音。ティナがテーブルに会った何か、コップか何かだったのだろう。その音は、静寂に満ちた倉庫に、恐ろしく響き渡った。




