第五話 探偵に見えていなかったもの
夜の帳が降りる頃、俺は馴染みの酒場「まほろば」の奥にある個室にいた。壁には古びた酒瓶が並び、木製のテーブルには年季の入った傷が刻まれている。灯りの揺れる明かりが、静かな夜の始まりを告げていた。
向かいに座るのは、警備隊第1部隊長――通称「おやっさん」ことガロ・ダイン。
無骨な顔立ち、豪快な笑い声、そして酒がやたら強い。だが、ただの酔っ払いじゃない。こいつはこの街で数少ない、筋の通った武人だ。俺はそんなガロに頭が上がらない。恩もあるし、借りもある。
「で、今回はどんな厄介ごとだ?」
俺が尋ねると、ガロは手元のジョッキを傾け、口をぬぐった。
「先日な、魔物を扱う違法商人を摘発したんだが……その混乱で一匹、厄介な魔物が逃げちまった」
「ほう?」
「名は――カメレオン・ドレイクってやつだ」
「カメレオン……ドレイク、ね」
俺の脳裏に嫌な予感がよぎる。姿を消す爬虫類系の魔物。まるで忍者のような厄介さだ。
「その辺の冒険者に任せりゃいいだろ」
「バルドには頼まん」
きっぱりと言い切るガロ。その名前に俺は思わず笑った。
「まだ拗れてんのかよ、昔のことだろ」
「軍の同期だろうが、アイツに頭は下げん。……女を巡っての一件は、まだ忘れちゃいねぇ」
ああ、そういえば。昔、酔った勢いで聞いた話がある。
若き日のガロとバルドが、ひとりの女を巡って大喧嘩。その後、女はバルドとくっついて軍をやめが、あっさり捨てられたとか。
「やれやれ……まったく、大人の喧嘩は子供っぽいぜ」
俺はため息をつきつつ、ジョッキを傾けた。
「で? 俺にその後始末をさせたいってわけか?」
「頼む。透明化の能力があるせいで、警備隊じゃ歯が立たん」
「男は義理を重んじるもんだ……仕方ねえ、引き受けてやるよ。ただし――報酬はたっぷりもらうぜ。それと酒も奢れ」
ガロが満面の笑みを浮かべた。
「さすが、俺の自慢の探偵だ」
* * *
事務所のに戻ると、一階の酒場はまだ開店前だったが、何やら談笑の声が聞こえる。
覗いてみると、イリスが見慣れない服を着て女将と話していた。少女らしい花柄のワンピース。少し大きめだが、よく似合ってる。
「どうした?」
俺が尋ねると、女将が笑った。
「昔、うちの娘が着てた服よ。しまってあったのを見つけてね。イリスに似合いそうだったから、つい」
俺は軽く頭を下げる。
「……ありがたい」
探偵は人の過去を暴く仕事だが、こういう私事に首を突っ込むのは野暮ってもんだ。女将に旦那と娘がいたことは聞いていたが、本人が語らない限り、詮索はしない主義だ。
二階の事務所に戻り、イリスとシュロットを前にして事情を説明する。
「透明化する巨大トカゲ……カメレオン・ドレイクの討伐か」
イリスが真剣な眼差しで言った。
「私も行きます」
「ダメだ。危険すぎる。今回は俺とシュロットで行く」
「でも、私の魔法がないと――あなたたち、きっと苦戦する」
その目には、揺るぎない決意が宿っていた。子供のようでいて、大人以上に冷静な眼差し。
俺は溜息をついた。
「……わかった。ただし、戦闘は俺たちがやる。お前は絶対に前に出るな。シュロットの影に隠れていろ。もし危なくなったら……俺たちを置いてでも逃げろ」
イリスは静かに頷いた。
「はい。……でも、私は逃げたくありません」
* * *
地下道は長く、そして暗かった。湿気がまとわりつき、壁に生える苔がぬるりとした感触を伝えてくる。
先頭はシュロット。両眼のレンズからライトを照らし、音もなく進む。中列にイリス。後列が俺。
不意に、背中に冷たい気配を感じた。
「来たか……ッ!」
反射的に振り向き、右の拳を叩き込む。
「マグナムパンチッ!」
空間が歪み、激しい衝撃波が走った。
一瞬、巨大なトカゲの姿が浮かび上がり、再び消える。
「透明化能力……厄介だな」
俺とシュロットは警戒しながら、態勢を立て直す。
濡れた石畳にうっすらと残る爪痕、微かに聞こえる湿った呼吸音。見えない殺意が、じわじわと迫ってくる。
ふいに、舌のようなものが襲いかかり、壁を打ち砕く音が響いた。
冗談じゃない。あの舌、打撃力は本物だ。
しかし、やつの方向がわかる!
「イリス、今だ!」
「わかりました。――水よ、霧となりて光を導け……『光の霧』!」
イリスが詠唱を終えると、空間に淡い霧が広がり、粒子がきらめきながら漂い始める。
その中に、ぼんやりとした輪郭が浮かび上がった。
カメレオン・ドレイク。
体長六メートルの巨大な爬虫類。鎧のような鱗。鋭い爪。そして長大な舌。
「見えた!」
「シュロット、いけっ!」
「ja」
シュロットの拳が音もなく叩き込まれ、ドレイクが咆哮する。
反撃、と打ち出された舌をシュロットは計算したかのように避け、両腕でその舌を掴んだ。
カメレオン・ドレイクの動きが止まる。俺は右拳を握りしめた。
「男は一発で決めるもんだ……ッ! マグナムアッパーッ!!」
拳が顎を捉え、ドレイクの巨体が宙に浮く。
地響きを立てて倒れ伏し、動かなくなった。
* * *
翌日。
俺はカメレオン・ドレイクの討伐証明として、ツメを袋に詰め、ガロのもとを訪ねた。
「ほぉ……やるじゃねぇか」
ガロは感心したように言い、懐からずっしりとした袋を出した。
「ポケットマネーだが……今回は特別に奮発したぜ」
「ありがたく頂くよ」
俺は袋を受け取り、帽子を軽く持ち上げて一礼した。
* * *
事務所に戻ると、久々にゆっくりと椅子に腰を下ろした。
事件のあとには、まず一杯のコーヒー。それが俺の流儀だ。
と、不意に扉が開いた。
「こんにちは、冴島さん!」
ギルド受付嬢のティナが元気に入ってくる。
そして、イリスの服を見るなり、目を丸くした。
「それ……私が子供の頃に着てた服! なつかしい!」
俺はコーヒーを盛大に噴き出した。
「待てよ……ってことは、女将さんの娘がティナで、つまり――女将の元旦那って、ギルドマスター!? で、おやっさんはその恋敵だったってことか!?」
「ja……nein」
無感情な声とともに、シュロットがやれやれとコーヒーを拭き始めた。
やれやれ……またひとつ、面倒な謎が増えちまったな。




