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第四十六話 鳴らないオルゴールの旋律(後編)

 俺は工房を後にし、エリオルトの元に戻った。応接間には、昨日と同じようにエリオルトが座っていた。俺は、彼の前に立ち、カルサールが生存していること、そして、彼がオルゴールの箱を盗んだこと、そして、オルゴールの箱の隠し底の中に隠されていた手紙の存在を、一つずつ突きつけた。

 老人は、俺の言葉を静かに聞いていた。そして、全てを話し終えた俺の前で、黙って、ゆっくりと目を閉じた。まるで、自身の内側にある、最も触れられたくない部分と向き合っているかのように、長い沈黙が流れた。

 やがて、エリオルトはゆっくりと目を開き、掠れた声で言った。

「私は……臆病だったのですな。息子が私の言うことを聞かずに、庶民の娘と結婚した。面子を潰されたと感じた。意固地になって、息子を許すことができなかった。そして、息子と妻を同時に失って、どうすればいいかわからなくなった。そして、幼いカルサールとどう接すればいいのかわからず、戸惑っていたのです。彼のお母さんのことを、私は認められなかった。そんな私が、カルサールと向き合う勇気が持てなかった。どんな顔で、孫に会えばいいのかわからなかったのです」

「なら、なぜ手紙を隠したままにしていたんです?」

 俺は尋ねた。書いたのなら、渡せば良かったではないか。

「……そんなもの、私が書いた謝罪など、あの子に受け取ってもらえるはずがないと……勝手に、そう思い込んでいたのです。私のプライドが、邪魔をしたのかもしれない。拒絶されるのが、恐ろしかった」

 孫は祖父に捨てられたと怒り、祖父は孫に赦しを乞う勇気を失い、自ら距離を置いてしまった。すれ違い。不器用さ。家族というものが、いかに脆く、そして同時に、どれほど複雑で不器用な関係性の上に成り立っているのかを、思い知らされた。

***

 事件としては、これで終わった。盗まれたオルゴールの箱とオルゴール本体はエリオルトの元に戻った。カルサールは逮捕されることなく、今回の件は事件としては立件されないことになった。これは、エリオルトが望んだことでもあった。

 その後、俺はエリオルトとカルサールを、事務所で会わせる手筈を整えた。ぎこちない再会だった。長年、感情をぶつけ合ってきたとはいえ、面と向かって話すのは久しぶりだったのだろう。互いに、何を話せばいいのかわからない様子だった。俺とイリスは、二人の邪魔にならないよう、少し離れて見守った。

 最初はお互いを避けるように目を逸らしていた二人だったが、やがて、エリオルトが震える手で、あの手紙をカルサールに差し出した。カルサールは無言でそれを受け取り、ゆっくりと読み始めた。声には出さないが、肩が微かに震えているのがわかる。読むにつれて、彼の顔つきが変わっていく。祖父への激しい怒りの表情が薄れ、代わりに、悲しみや、そして理解のような色が浮かんでくる。

 エリオルトは、訥々と、あの頃の自分の気持ちを話し始めた。息子が愛した女性を認められなかったこと。息子夫婦を失った悲しみ。そして、幼いカルサールとどう接すればいいのかわからず、戸惑っていたこと。彼の不器用で、間違った選択だったかもしれないが、彼なりの苦悩があったことを語った。カルサールの母親についても、彼の口から語られたのは、単なる庶民としてではなく、息子が愛した女性としての、そして孫の母親としての、複雑な、しかし確かに存在した感情だった。

 カルサールは、祖父の話を最後まで黙って聞いた。そして、手紙を握りしめながら、静かに話し始めた。屋敷を追い出されたと感じていた子供の頃の孤独、祖父への恨み。母親が祖父に認められなかったことへの悔しさ。しかし、手紙を読み、祖父の話を聞いて、彼なりに、エリオルトの苦悩を受け止めたようだった。彼の祖父は、ただ冷酷だったわけではない。不器用で、プライドが高く、感情を表現するのが下手な、一人の人間だったのだ。

 完全な和解、というわけではなかったかもしれない。長年の溝は、そう簡単に埋まるものではないだろう。しかし、二人は確かに、互いの本心に触れ、理解し合ったのだ。それは、いがみ合っていた以前の関係性から、少しだけ前に進んだ瞬間だった。

 数日後、カルサールが事務所に顔を出した。手には、オルゴールではなく、使い古された旅の鞄を持っていた。彼の背筋は、以前よりもまっすぐ伸びているように見えた。

「冴島さん、イリスさん。本当に、ありがとうございました」

 彼の顔は、以前のような怒りや恨みではなく、どこか晴れやかなものになっていた。過去の全てを受け止めた、強い人間の顔だった。

「じいさんと話して……色々なことが、分かりました。あの手紙も、あの時のじいさんの気持ちも。全部を受け止められたわけじゃないかもしれないけど……でも、もう過去に囚われているわけにはいかない。前に進まなきゃって、そう思ったんです」

 カルサールは、この街を出て、まだ見ぬ場所へ旅立つことを決めたという。自分の力で生きていくために。母親から受け継いだオルゴール作りの技術を磨き、新たな場所で生計を立てるために。

「俺、きっと大丈夫です。あの、不器用だけど、どこか強いじいさんの孫ですから」

 そう言って笑った彼の顔には、確かにエリオルトの面影と、そして彼自身の確かな意志の光があった。もう、誰かの影に隠れることも、誰かを恨むこともない。彼は、彼自身の足で立ち、歩き出すのだ。

 イリスが、「気をつけて」と、カルサールに旅の無事を願う言葉をかけた。カルサールは深く頭を下げると、まっすぐ前を向いて、事務所を後にした。その足取りは、迷いのない、力強いものだった。

 俺は報告書を封筒に入れ、暖炉の火に投げ入れた。紙が炎に包まれ、黒い灰となって舞い上がる。オルゴール盗難事件。それは、刑事事件としては単なる盗難だったが、探偵として関わった俺にとっては、それ以上の意味を持つものだった。家族の確執。不器用な愛情。そして、過去を乗り越え、未来へと旅立つ若者の姿。

 灰になって舞い上がる紙片を見ながら、ひとつ、つぶやいた。

「……どうしようもなく、不器用な家族の話だ。拗れて、間違って、それでも最後に、互いの本心を知って……そして、前に進むことを選んだ。錆びたオルゴールが隠してたのは音楽じゃなくて……言えなかった本音と、その本音を受け止めた若者の、旅立ちの決意だったってわけだ。そういうのも……嫌いじゃねぇ」

 窓の外では、雨上がりの太陽が、街を明るく照らし始めていた。新しい一日が、そして、カルサールの新しい旅が始まろうとしている。

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