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第四十三話 モーリ失踪事件

時系列的に少し前「赤い帳簿」の時期の話です。

『モーリ失踪事件』

 朝、目が覚めて最初に感じたのは、部屋の静けさだった。いつもなら、誰より早く起きたモーリが俺の顔に尻を乗せにくるか、書類の上に寝そべって邪魔をするかのどちらかだ。けれど、今日はどちらもない。

「……妙だな」

 目をこすって起き上がり、事務所を一回りしてみる。モーリの姿は見当たらない。寝床の箱は空っぽで、毛づくろいの名残もない。

「気まぐれな奴だ、外にでも遊びに行ったか」

 そう呟いたが、胸のどこかが引っかかる。あいつがいなくなるときは、いつも一声鳴いて俺に「出かけるぞ」と主張するのが常だった。無言でいなくなるのは、らしくない。

 イリスが朝食を用意しながら、眉をひそめて言った。

「モーリが帰ってきていません」

「ああ。まあ猫だからな、いずれ腹が減って戻ってくるさ」

 それから数時間後、いつものように調査の仕事で、情報屋のライラに接触してみた。その中でついでに三毛猫の事を聞いてみた。半分以上、期待なかったがヒットした。

「東の貧民街でね、あんたのとこの猫が鳴いていたって聞いたわ」

 その言葉に、俺の眉がピクリと動いた。そんなところまで行ってる?

「……場所は?」

「第二倉庫街の外れ、壊れた礼拝堂よ。浮浪者の間じゃ、ちょっとした隠れ家になってるみたいね」

 そこは今は使われていない古い建物。薄暗く、じめじめしていて、ろくでもない連中の巣窟になっていることが多い。

 俺とイリスとシュロットで現地に向かう。途中、イリスが不安げな表情でぽつりと言った。

「モーリ、心配です」

 この世界で三毛猫は珍しいだろうな、他で見たことはない。その上、オスだ。……だが、この街でそんな物好きいるだろうか。

「泣くようなことじゃない。あいつはそうヤワじゃないさ。それに、俺たちがついてる」

 そうは言ったものの、あの猫のことだ。一体何をしでかしているのやら。

 礼拝堂の中は予想通り、暗く、湿っていた。崩れかけた屋根の隙間から差し込む光が、埃の舞いを照らしている。じめじめとした空気には、カビ臭さと何かの腐敗臭が混じっていた。

「Ich……」

 シュロットが、いつもより低い声で唸り、指差す先――そこに、いた。

 モーリだ。

 彼は俺を見ると、一声鳴いてある部屋に入った。

 追いかけると、モーリと、その傍らには――痩せこけた猫獣人の少年がいた。まだ十にも満たないだろう。体は汚れ、服はボロボロで、小さく震えていた。

「……誰だ?」

 俺の声に、モーリが「ニャ」と一声鳴く。その鳴き声は、どこか誇らしげに聞こえた。少年はモーリに縋り付くように抱きついたまま、怯えた瞳で俺たちを見上げた。

「……助けて……ごめんなさい、俺……盗っちゃって……」

 彼の話はこうだった。少年は親を知らず、幼い頃から街を彷徨っていた。いつの頃からかスリとして暮らしていた。そんなある日、いつものように盗みを働いた際、偶然にもある組織が密かに流していた「夢粉」と呼ばれる違法薬物の入った袋を盗んでしまったのだ。

「……見つけ出して殺すって言われた……怖い……」

 夢粉――忌まわしい麻薬だ。かつて麻薬絡みの事件で酷い目に遭ったことがある。それ以来、俺は麻薬というものが心底から嫌いだ。

 追手は当然あった。少年は必死で逃げたが、路地裏で力尽きかけていたところを、偶然通りかかったモーリに助けを求めたのだという。ひっしだったおだろう。

「この猫、おれに『こっちだよ』って……はっきり喋ったんだ。最初はびっくりしたけど、この子しか頼れる人がいなかったから……」

 シュロットが、その言葉に反応するように低い声で呟いた。

「Du……?」

「そうだな、つまり……こいつは、俺らの“仲間”ってわけだ」

 言葉は通じなくとも、モーリなりにこの少年を助けようとしたのだろう。あの気まぐれ猫の、意外な一面を見た気がした。

 その夜、礼拝堂は静かだった。少年はイリスの介抱で少し落ち着きを取り戻し、モーリの温もりを感じながら眠っている。だが、俺の予感は外れなかった。


 闇に紛れて、数人の男たちが現れる。武装し、隠しもせずに堂々と。スリの少年を回収に来たのだ。リーダー格の男は、ニヤついた笑みを浮かべてこちらを見下ろした。

「見つけたぜ、小僧。大人しくついて来い」

「悪いな。あのガキもう“俺の事件”の証人だ」

「きさま、探偵とかいうやつか、……邪魔するなら、お前もただじゃ済まさんぞ」

「……シュロット」

「Ja」

 金属の唸りと肉が砕ける音。シュロットが、命令に答えるよりも早く、その巨体からは想像もつかない速さで男たちに襲い掛かった。鍛え上げられた金属の拳が、一人、またひとりと男たちを地に伏せていく。

「な、なんだこいつ!」

「Ich……」

 それは、怒りの表情を浮かべた金属の巨人。普段は無感情だが、仲間を守るとなると話は別だ。

 俺は少年を背に庇いながら、目の前のリーダー格に拳を突き出す。右手の魔法リングが青輝き、魔力が腕を駆け抜けた。

「マグナム・パンチ」

 渾身の一撃は、男の顔面を捉え、背後の壁に叩きつけた。男は、ぐったりと意識を失い、二度と起き上がらなかった。

 事件後、警備隊が礼拝堂に駆けつけ、事態を収拾してくれた。おやっさんは、怯える少年を優しく諭し、保護施設へとつないでくれた。

「罪の重さはあるが、まだ若い。これからの行いで変えられるはずだ」

 そう言って、厳しくも温かく彼に目を向けてくれた。別れの際、少年は何度もモーリに頭を下げ、小さな声で「ありがとう」と呟いた。モーリは、いつものように気まぐれな様子で、少年の足元をすり抜けていった。だが、その瞳には、ほんの少しだけ別れを惜しむような光が宿っていた、ような気がした。

 イリスは礼拝堂の瓦礫を片付けながら、モーリを抱いて微笑む。

「モーリ、本当に喋ったんですかね。びっくりしました」

「奇跡かもしれないな。だが、あの状況では、必死だったんだろう」

 モーリは、いつもより豪華な餌をご褒美にいただいていた。横目見た皿はきれいに完食だ。

「……まあいい。モーリさまのやることにゃ、俺はもう口出ししない」

 モーリは、満足そうに「にゃあ」と短く鳴き、俺の机の上にまた悠然と寝転がる。まるで、「どうだ、俺はやってやったぞ」と言わんばかりの自慢げな表情だ。

「ああ、よくやったな、モーリ。まさか、お前が言葉を話せるとは思わなかったぜ」

 俺がそう言って頭を撫でると、モーリは喉をゴロゴロと鳴らし、得意げに尻尾を揺らした。

 今日も事務所は、静かで、そして、少しばかり騒がしい。だが、その騒がしさの中に、確かな温かさが宿っている。あの小さな猫獣人の少年が、どうか幸せになれるようにと、俺は心の中でそっと願った。

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