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第三十一話 若者の恋(後編)

 三日目の朝。約束の、最後の日だ。

 指定された場所は、城下町の北門近くにある小さな広場だった。そこで、セラの身柄を引き渡す手筈になっていた。ルディが迎えに来るはずだった。

 セラを連れて現地に向かうと、広場の隅に、黒い馬車が一台止まっていた。そして、その傍らには御者姿の男が一人、無愛想な顔で待っていた。どう見ても、ルディではない。嫌な予感がした。

「お前が冴島か。手筈は聞いている。こちらへ」

 男は俺たちの姿を見るなり、そう言った。そして、横に立っていたセラの腕を無理やり引こうとした。

「待てよ。話が違う。ルディが来るはずだ」

 俺が立ちふさがると、男は露骨に眉をひそめた。次の瞬間、彼は懐から光るものを取り出した。短剣だ。迷いなく俺に向かって、真っ直ぐに突き込んできた。

「そう来るか」

 俺は腰を落とし、戦闘態勢に入った。俺の戦闘スタイルはこの世界にはないボクシングだ。

「マグナムパンチ」

 重心を乗せ、渾身の力を込めて拳を放つ。鈍い音とともに、御者は呻き声をあげる間もなく地面に崩れた。意識はないだろう。

 御者を片付けたものの、やはりルディが来ていないのが気がかりだった。広場を見回す。何かを引きずった跡。俺はすぐに近くの路地へ駆け込んだ。路地裏の、積み上げられた木樽の陰から、血を流して倒れているルディを見つけた。

「しっかりしろ、坊主……!」

 慌てて駆け寄り、脈を確認する。幸い、意識はあった。だが、足首の辺りを抑えており、どうやらひどくくじいているか、骨にひびでも入ったらしい。

「冴島さん……あの御者……俺を襲って……セラさんを、連れて行こうとして……」

 ルディは掠れた声で、何があったのかを教えてくれた。待ち合わせ場所へ向かう途中、あの御者に襲われたのだ。恐らく、彼も邪魔だったのだろう。

 しばらくして警備隊隊長のガロと警備隊の部下たちが到着した。俺が連絡を入れていたのだ。さすがに段取りが早い。

「もう終わっていたか?」

 ガロが短く訊いた。彼の目は、倒れている御者と、俺、そしてルディを見て、一瞬で状況を把握したようだった。

「ああ。さきほどな」

 と俺が答えると、ガロの部下の一人が、後ろから連れてきた男を突き出した。その男は、手首を縄で縛られている。苦しげに顔を歪めて、縛られた手首を動かそうとしている

「アルマン……」

 セラが口を押さえていた。

「こいつが、セラが訪ねた家の男だ」

 ガロがその男を見て言った。

「セラ、こいつが何者か、知ってたか?」

 ガロが静かに、しかし重い口調でセラに問いかけた。

「この男、お前を追い回していた貴族と通じていた。そして、お前を、金で売ったんだ」

 ガロの言葉を聞いた瞬間、セラの顔から血の気が失せた。彼女はそのままその場に崩れ落ち、声もなく泣き始めた。裏切られたことへの衝撃、そして、自分を追っていた貴族と、頼った人間が繋がっていたという絶望。

 ルディは、その事実を知って怒りに身を震わせ、足を引きずりアルマンに掴みかかろうとした。俺はルディの肩を掴み、止めた。

「やめとけ、坊主。あいつに手を出したところで、お前の気持ちも、この現実も、何も変わらねぇ」

 ルディは拳を握りしめたまま、震える肩を俺に預けた。彼の目からは、悔しさと無念さの涙が溢れ落ちていた。


  *  *  *


 翌日、俺は警備隊の詰所で、今回の一件について、改めてガロから話を聞いた。セラの件を追っていたのは俺だけではなかったらしい。ガロも、件の貴族が裏で奴隷売買に関与しているという噂を掴んでおり、内偵を進めていたのだという。

 アルマンは貴族の協力者の一人だった。今回のセラの件は、貴族が彼女を手に入れるための策略であり、アルマンはその手引きをしていた。ガロは、今回の一件で決定的な証拠が揃ったため、件の貴族を正式に提訴する準備に入ったという。

 セラは静かに、故郷に戻ることを決めた。もうこの街にはいられない、と思ったのだろう。貴族の追及や、裏切りへの恐怖。故郷の、「風で音を鳴らす石」のある場所に帰りたいと願ったのかもしれない。

 「……冴島さん、イリスさん。本当に、ありがとう。ご迷惑をおかけしました」

 最後に挨拶に来たセラの声は、かすかに震えていた。もう、この街には戻ってこないだろう。

 ルディは、どこか虚ろな目で彼女を見送り、最後まで何も言わなかった。彼の顔には、別れを惜しむ色と、守りきれなかったことへの自責の念が浮かんでいるように見えた。

「坊主」

 と、ガロがルディの肩に手を置いて声をかけた。

「酒でも飲むか。今夜は付き合ってやる」

 ルディは戸惑っていたが、やがてゆっくりとうなずいた。

「……はい」

 ガロはルディの肩をポンと叩き、二人は連れ立って詰所を出て行った。

 俺は、その姿を少しだけ見て、背を向けて歩き出した。ああいう酒は、若者と、荒事を仕事にする武骨な男たちが、互いの傷を慰め合うためにやるもんだ。俺の席は、そこにはねぇよ。

 探偵事務所の古い木の扉を開けたとき、ふわりと、事務所中に広がるイリスの淹れてくれた温かい紅茶の香りが鼻をくすぐった。

「おかえりなさい」

 とイリスが迎えてくれた。

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