第二十七話 弟子入り一週間戦争(前編)
朝、イリスの淹れてくれたとびきり苦いコーヒーを一口啜り、資料でもまとめようかという、至極穏やかな時間だった。
俺の事務所のドアから、控えめにしては妙に粘り気のある、遠慮がちなような、それでいて断固としたような、奇妙なノック音が聞こえてきた。
「……誰だ。こんな朝っぱらから」
時間はまだ六時を少し回ったあたりだ。日の出前ではないにしても、この街の人間が活動を開始するには、まだ少し早い時間だ。ましてや、探偵事務所に依頼人が押し掛けるような時間帯でもない。訝しげにドアを開けると、そこにいたのは全く見知らぬ若い男だった。
ボサボサの茶髪に、いかにも冒険者らしい、少し使い古した革のジャケットを羽織っている。年の頃は二十代前半といったところか。目の下にはうっすらとクマがあり、どうやらあまり眠れていないらしい。緊張と、それに反する気合いとが同居しているせいで、顔が妙に固まっている。まるで、これから初めて魔物と対峙するかのような、ぎこちない表情だった。
「おはようございます、冴島さん! 俺、カイル・ドートと言います! あの、弟子にしてほしくて……来ました」
男は俺を見るなり、深々と頭を下げた。その勢いでボサボサの髪がさらに乱れる。
「……はあ?」
寝起きの頭で、状況が全く掴めない。弟子? 俺に?
「弟子です! あの、冴島さんの活躍、この街に来てからずっと追いかけてます! 特に、ギルドで噂の、密室殺人の鮮やかなトリックを見破った事件とか、透明になるはずの魔物の足跡を見つけ出したやつとか……あれ、本当にすごくて!」
男は興奮した様子でまくし立てる。どうやら、ギルドの掲示板に張り出される俺の解決した依頼の概要を読んでいるらしい。それはまあ、宣伝のためにやっていることだが。
「だからって、朝の六時に押しかけるか普通!」
「目が覚めたら、もういてもたってもいられなくなってしまって……! 一刻も早く、冴島さんの元で学びたいと思いまして!」
思わず頭を掻いた。なんだこの、変な律儀さというか、熱意というか、それに輪をかけた無計画さを兼ね備えた若造は。まるで猪突猛進の猪か何かだ。
「名前は?」
「カイル・ドートです! ランクはB級冒険者です!」
B級か。まあ、そこそこの腕前はあるということか。しかし、探偵に弟子入りしたい冒険者というのは、また珍しい。
「……誰かにけしかけられたのか?」
なんとなくそんな気がして訊いてみると、カイルは少し気まずそうに顔を逸らした。
「あ、あの……実は、ギルドのバルドさんにも相談したら、『あの探偵が心底嫌がる顔を見たいなら行け』って、背中を押されまして……」
「あの野郎……!」
バルドめ。どうやら、俺に面倒事を押し付けるついでに、カイルをからかったらしい。まったく、人の悪い奴だ。
というわけで、バルドの悪ノリとカイルの猪突猛進さが組み合わさり、なし崩し的にカイルは俺の事務所で働くことになった。「給料は出ない、期間は一週間限定だ」という条件を突きつけると、カイルはそれでも満面の笑みで頷いた。
ちなみに後でイリスに詰め寄られた。
「私の時と態度が違います!」
「悪かったが、少しは学習したんだよ……」
しばらく、俺に対するアタリが強かったのは別の話だ。
さて、早くも初日から事件、というよりは騒動は起きる。
その日、俺は依頼で特定の人物の尾行をカイルに任せた。「怪しまれないように、慎重に」と念を押したはずだった。しかし、しばらくすると、事務所に怒鳴り声が響き渡った。
「冴島さん、尾行、成功しました! あの人、やっぱり怪しいです!」
カイルが得意げに報告してきたかと思えば、彼の背後から、壮年男性の憤慨した声が追ってくる。
「このクソガキ! 一時間も俺の後ろをつきまといおって! 誰か知らん奴がずっとついてくるから、盗賊かと思って危うく剣を抜きそうになったわ!」
尾行対象だった男性は、顔を真っ赤にして怒鳴っていた。
「……カイル。声がでかすぎる。あと、尾行対象に気づかれてる時点で、尾行じゃねえ。それじゃあ、ただの公開ストーキングだ」
俺は額に手を当てて溜め息をついた。初日からこれか。先が思いやられる。
次の日。今度は情報収集と聞き込みを頼んだ。街で評判を聞いて回ったり、最近変わったことはないかなどを調べたり、地味だが探偵にとって重要な仕事だ。カイルは「任せてください!」と元気よく飛び出していった。
昼過ぎに戻ってきた彼は、なぜか得意げな顔をしている。そして、その後ろには、縄でぐるぐる巻きにされた中年男が一人。
「冴島さん! 聞き込みしてたら、怪しい奴を見つけて捕まえときました!」
俺は男を見た。見覚えがあった。
「……カイル。お前それ、近所の薬草屋の旦那だぞ」
「えっ⁉ 薬草屋の旦那さんだったんですか⁉ でも、なんか挙動不審で、それに、ポケットから何かを取り出して隠してるのを見たんで、泥棒かと思って……」
薬草屋の旦那は、新しい薬草の調合のことで頭がいっぱいで、それで少し挙動不審になっていたらしい。ポケットから隠していたのは、新しい調合のメモだった。もちろん、誤解はすぐに解け、旦那は解放された。縄を解かれながら、「まったく、とんだ迷惑だ!」とぶつぶつ文句を言っていた。カイルはしょんぼりとしていた。




