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第二話 訪れた少女と探偵の危機

 朝の空気は冷たいが、まだ冬には遠い。

 代替コーヒーは今日も不味い。苦味と酸味のバランスなんてものはこの世界には存在しないらしく、ただ舌にまとわりつく土臭い液体をすするのが、今の俺の日課だ。

「やれやれ……これでも、最初よりだいぶマシか」

 どうしてもコーヒーが必要だった俺は、幾種もの液体を作っては失敗した。何度かは、文字通り死にかけた。

 ため息をついてカップをテーブルに置いたとき、扉がノックされた。

 まだ開店前だ。

「シュロット、お客さんだ」

「nein」

 シュロットが返事をする。

 ”ないん”すなわち、”ノー”。生意気なシュロット--屑鉄だ。

 掃除中で手が離せないと、真鍮製の身体がごしごしと窓を磨く音に合わせて揺れている。

 仕方なく、立ち上がる。

 帽子はまだ壁にかけたままだ。

 ドアを開けると、そこに立っていたのは――少女だった。10代前半に見える。淡い金髪に、透き通るように白く神秘性のある貌。とがった耳はエルフか、年端もいかない小さな体には不似合いな、どこか落ち着いた雰囲気がある。

 少女が濃い金色の瞳が俺を見て、口を開けかけた。が、

「悪いな、開店前だ。それに子供の依頼は受けない主義でね」

 そのまま、言葉を止めた彼女の顔を見下ろして、扉を閉めた。

 ……ノックは続いた。律儀なもんだ。だが、今は付き合ってやる余裕はない。

「シュロット、ちょっと出てくる。留守番頼む。ああ、子供は中に入れるなよ」

「ja」

 掃除を続行し、気のない返事。

 中折れ帽をかぶり、スーツの裾を直す。ドアを開けると少女が何かを言いかけたが、俺はそれを聞く前に外出した。子供の依頼は面倒ごとが多い。何より、俺の目的は、本来の相棒――神林司だ。

 前回の事件で邪教団〈深淵の子ら〉の拠点を叩いたが、その教会跡で、黒髪の男の目撃証言があった。警備団の連中の話では、そいつは妙に周囲を警戒しながら、何かを探していたらしい。

 当たり前だが、この異世界の街で日本人らしい黒色の髪、目は非常に珍しい。いるなら俺か、神林か、だ。

 ――おまえはなぜ、顔を見せない……。

 だが、結果は空振りだった。

 焼け焦げた香炉、砕かれた石像、血痕の跡すらすでに風化しかけている。つい先日、この場にいたはずの男の痕跡は、どこにもなかった。

 ただ静けさだけが残っていた。

 ひどく疲れた気分で、俺は煙草に火をつけた。

 日が落ちて事務所に戻る。少女の姿はなかった。

 ほっとしたような、少しだけ胸に引っかかるような、そんな感情は、疲れたせいだと誤魔化すことにした。


  *  *  *



 翌朝。またしても、ノックの音。

 まさかと思ったが、まさかだった。昨日と同じ少女。服も、表情も、変わらない。

「悪いが、依頼が立て込んでる。子供の遊びには付き合えん」

 すぐに無言で扉を閉める。

 改めて出かける準備をして別の依頼の調査に出た。

 依頼は、行方不明の貴族の愛犬探し。実にくだらない。しかし金になるのなら、口に糊できるなら、やらない理由はない。

 犬は結局、下町の酒場の裏路地で見つかった。野良猫と喧嘩して負けたらしく、しょんぼりと尻尾を巻いていた。


 夕方、帰宅したとき、俺は信じられない光景を見た。

 少女が、事務所のソファに座っていた。紅茶の湯気が立っている。出したのは、もちろん――

「シュロット!」

「ja?」

 奥から茶菓子を持ってきたシュロットは、あわてて盆を落としかけた。

「お邪魔、しています」

 少女は言った。少し遠慮気味に。

「……どういった用件だ?」

 俺は、不愛想な顔を作り、わざと足音を立てて事務所を進んだ。

 帽子を壁にかけ、椅子に腰を下ろす。なぜか、少女は少しだけ微笑んだ。

「私の名前はイリスです」

 ティーカップを置いて、少女――イリスは話しはじめた。

「冴島さん、あなたを護ってほしいと、あなた自身に頼まれた。だから私は来ました」

 意味がわからない。そんな依頼した覚えはない。

 子供相手にする訳がない。

「冗談はいい。誰の差し金だ? ガキを使った新手の詐欺か? つぶした盗賊団の陰謀か?」

 イリスは首を横に振る。金色の瞳が、真っ直ぐ俺を見つめる。

「わたし……他のことは、覚えていない。でも、このことだけは、覚えてる」

 記憶喪失――というやつか。だが、どこか作り物じみている。

「悪いが、からかいには付き合えない。帰ってくれ」

 俺は彼女を事務所から追い出した。


  *  *  *


 三日目の朝。ノックは、なかった。

 少しだけ、胸の奥に棘が残る。まあいい。捜査の予定は詰まっている。

 一階に降りたところで、大家でもある酒場の女将、マルダに怒鳴られた。

「この冴島っ! どういうつもりだい! 子供を夜に追い出すなんて!」

 ――面食らった。

「待ってくれ。俺はあの子の保護者じゃない」

「保護者だろ! 責任はちゃんととりなっ!」

「おいおい、この世界に来て三年だ。ましてやエルフの子供なんて……!」

 女将は聞く耳を持たなかった。お玉で殴り掛かってきそうな勢いだ。

 仕方なく事務所に戻り、シュロットに言った。

「留守を頼む。あの子を預かっててくれ。夜に話を聞く。ただし……」イリスの顔を見た「話の筋が通らなければ、二度とこの事務所に入れない」

「ja」

 そのまま依頼の調査に出た。

 気が乗らなかった。

 こういう時に限って空振りも多い。

 足ばかり疲れて、何も得るものはない。

「やれやれ、だ」

 つぶやいて、路地の角を曲がる。

 なぜか人通りが無いなと思った時だった。

 空気が、変わった。

 気配が……消えていた。音も、光も。すべてが一瞬にして沈黙した。

「探偵さん」

 ――声。背後。

 振り返ると、そこには黒衣の影。

 あの姿は、邪教団〈深淵の子ら〉の使いだ。

「あなたが我々の儀式を荒らした」

 さっきから寒気がしている。〈全身が粟立つ〉って言葉の実例か。

「仕事だったんでね。迷惑をかけたのならすまない」

 ゆっくりと、できるだけ自然に。右手に獲物の準備をする。

 やつの顔はフードに隠されて見えない。

 わずかに見える口が、笑みをつくって言った。

「……代償は支払ってもらいます」

「それは、――こいつで良いか!」

 マグナムパンチを繰り出した。

 初手で全力の一撃。

 奴は交わした。

 どこからかくりだされた曲剣の反撃が、肩をかすめた。

 痛みが走る。

「くっ」

 次々繰り出される刃を、見切れない。

 俺のウィービングに刃が蛇のように追いついてくる

 大事な背広が、刻まれ、血がにじむ。

 突き刺さってくる刃、ステップバックで逃げ--間に合わない。

 なにか、覚悟をした、その時――

「――《ウインドスラッシュ》!」

 風が裂けた。青白い閃光が空を切り、黒衣の影を弾き飛ばす。

 なんとか立っていた俺の隣に、淡い金髪の小柄な影現れた。

「冴島さん、だいじょうぶ?」

 イリスだった。

「ああ」

 彼女の手が、そっと俺の体に触れた。暖かい魔力を感じた。傷が、少しだけ和らいだ気がした。

 黒衣の影は、すでにいなかった。

 二人相手では分が悪いと、逃げたのか。

 いや、正直に言うと、俺は奴から殺気を感じていなかった。

 今回は、警告か、それとも力試しか。――あらためて背中が汗で冷たく感じる。

 つぎに奴に出くわしたとき、どうする?……まあ、それは明日以降の課題だ。


  *  *  *


 その夜。イリスは、俺のベッドで眠っていた。

 勘違いしてはいけない。

 俺は、ソファで横になっている。

 頭が冴えて、今夜は眠れそうもない。

 第四階梯呪文〈ウィンドスラッシュ〉かなり高ランクの魔法使いでないと扱えない呪文。

 それを、彼女は詠唱を省略して打ちはなった。

「俺が助けてほしいと依頼したか」

 考えてもわからない事だらけだ。

 ただ、窓にさす月の明かりがいつもより柔らかく感じたのは、きっと気のせいだろう。

「……やれやれ」

 真鍮の相棒と、なつかない猫。そして金色の瞳の少女。

 どうやら、俺の事務所はまたひとつ、騒がしくなるようだ。

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