第十四話 探偵は死なない(6)
意識が、すぐに遠のいていく。熱いはずの血が、氷のように冷たく感じた。俺はイリスに肩を貸してもらい、物置同然の石造りの小屋へと足を踏み入れた。元冒険者の隠れアジト──今は誰にも忘れられたような場所。
膝をついた瞬間、喉の奥から鉄の味が上がってくる。吐き出されたのは鮮血だった。限界は、近そうだ。
「冴島さん……」
イリスの声は震えていたが、泣いてはいなかった。金色の瞳が細く揺れ、彼女の顔には戸惑いと決意が同居していた。
小さな手が俺の胸に触れ、淡く光が広がる。癒しの魔法。だが、その光はすぐに胸元にある“黒ノ記章”へと吸い込まれていった。
「……魔力が……冴島さんに注いだ魔力が、全部、記章に吸われてしまいます……」
イリスが呟くように言った。表情は静かだった。だが、その頬には汗とも涙ともつかない雫が一筋、伝っていた。
「やれやれ……本当に、ろくでもねえお土産だな……」
声が掠れる。冗談のつもりだったが、喉の奥から出たのはかすれた吐息にすぎなかった。
呼吸が浅い。身体が重い。目の奥がじんじんと痛む。死という感覚が、背中に張り付いて離れない。
その瞬間、扉が叩かれた。重い衝撃音。壁の埃が舞い上がる。
「……私が、守ります」
静かに、だがはっきりと、イリスは言った。その横顔に迷いはなかった。金の瞳は真っ直ぐ前を見ていた。
「……来やがったか」
刺客たち。あの邪神教の追っ手だ。奴じゃねぇ。下っ端か。四つの気配が外にいる。全員が、明確な殺意を抱いている。
「イリス、逃げ──」
言い終わる前に、扉が爆ぜた。黒い火球が石壁を抉る。
黒衣の刺客が影のように現れる。イリスは無言で一歩前に出た。目だけが鋭く光る。
「指一本、触れさせません」
その言葉に、感情の起伏はなかった。だが、その背中は何より雄弁だった。
魔法陣が床に走り、金の光が周囲を染める。
「〈フレイム・クラスタ〉」
炎の柱が天井を突き破る。爆風に巻かれながらも、刺客は次々と突進してくる。
イリスは詠唱を重ねる。〈アイスバレット〉、〈サンダージャベリン〉──だが、その動きに陰りが見えてきた。
「……おい……イリス、無理を……」
かすかに眉が歪む。肩が上下に揺れている。俺のせいだ。俺がいるせいで、こいつは無理をしている。
──動け。
かろうじて膝をつき、体を起こす。腹に力がはいらねぇ。
「マグナム……パ……」
命令するように、自分の身体に声をかけた。だが、魔力を練ろうとした瞬間、また胸の奥に魔石が軋む音が走った。
力が吸われている。
「ぐっ……!」
動けない。マグナムパンチも、もう使えない。俺はただの足手まといだ。
「もう……限界……」
イリスの唇が震える。その視線が、一瞬だけ俺に向いた。
そして、すぐに行動に移る。分身魔法で敵の視線を錯乱し、俺を引きずるようにして小屋を飛び出す。
石畳を駆ける音が響く。イリスの細い肩に、俺の全体重がのしかかっている。
「……もう、いい。ここで──」
「……黙っていてください」
乾いた声だった。強がりでもなく、悲しみでもなく。まるで自分に言い聞かせるような、そんな声音。
そして、彼女の手が震えながら、俺のほほに触れる。
「いいか、イリス……もう、時間がない。……よく聞け」
イリスはだだをこねるように首を振り、壊れそうな貌で俺を見た。
「冴島さん……」
「探偵は死なねぇよ」
俺は思い右手をあげ、その中指にある指輪を見た。
俺の武器。魔力を集中させるための装備。それを、俺は外してイリスに渡した。
「お前が、これを持って……。これが……こいつが、鍵になる」
イリスは何も言わずに頷く。その瞳は、涙を浮かべながらも、揺れてはいなかった。
そのとき、背後に気配。最後の刺客が、刃を構えて迫る。
イリスが、俺の前に立った。静かに手を上げ、呟くように言う。〈ブラスト・ノヴァ〉。短い詠唱とともに、爆風が周囲を薙ぎ払う。
刺客の影が燃え尽き、瓦礫と煙があたりを覆う。
* * *
──彼の姿は、もうそこにはなかった。
私は、ただ静かに立ち尽くしていた。手のひらの中には、冴島さんの指輪。
胸の奥が、空洞になったようだった。けれど、涙は出なかった。もう、流しきってしまったのかもしれない。
風が頬を撫でる。煙の中に、誰かがいた気がした。帽子の影。あの人の横顔。
幻かもしれない。けれど──確かに、微笑んでいた気がした。
「……行きます」
私は、静かに背を伸ばす。拳を握る。泣き声は飲み込んだ。震える脚に力を込め、前へと踏み出す。
「私も……探偵ですから」
そう呟いて、走り出した。まだ見ぬ真実へ。あの人の残した意思とともに。
すみませんが、少しの、間更新止まります




