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第十二話 探偵は死なない(4)

 夜の街は、静かすぎた。いや、静かにされていた。まるで闇に口を塞がれたように、猫の鳴き声ひとつ聞こえやしない。

 俺は街外れの廃工場跡を歩いていた。ガロから渡された極秘の地図の先。黒ノ記章に連なる古文書が隠されたという噂の倉庫跡だ。横にはイリス。警戒した面持ちで、常よりも一歩近い距離を保っている。

 ――いやな空気だ。息を吸い込めば、肺に溶けた鉛を詰められるような圧。

「イリス。何か感じるか」

「……風が、止まっています。魔力の流れも」

 彼女の声が低く落ちた瞬間、全身の肌が粟立った。

 そして、音もなくそれは現れた。

 黒い影。全身を漆黒のローブに包み、顔すら見えぬまま、俺たちの前に立ちはだかった。

「探偵さん……お久しぶりです」

 ひどく冷えた声だった。声色には感情がない。だが、その奥に潜むのは憎悪でもなく、執念という名の氷柱だ。

 イリスが杖を構えると同時に、俺は帽子を後頭部に押し直した。男はこういうとき、笑って死地に飛び込むもんだ。

「黒衣の影……随分と手の込んだ挨拶だな。わざわざこんな夜に」

「あなたが、少々余計な真似をしすぎたので。訂正しに来ました」

 次の瞬間、目にも止まらぬ速度で奴の曲剣が走った。

 避けるのが一瞬でも遅れていれば、今ごろ帽子ごと頭を落としていた。背後の鉄柱が、奴の一撃で深く抉れる。

 やれやれ、俺は弁償しないからな。

「イリス、援護!」

「はいっ!」

 少女の詠唱が走り、青白い閃光が闇を裂いた。だが――

「遅いですよ」

 稲妻のように黒衣の影が走り、イリスを吹き飛ばす。

「イリスっ!」

 次の瞬間、奴の姿が煙のようにずれ、俺の背後に回り込んでいた。

 曲剣の切っ先が、俺の腹をかすめる。痛みが走る。血の匂い。軽傷、だが流れは悪い。やはりこいつ、ただの刺客じゃない。剣術、魔法、気配の殺し方――すべてが達人級。

 なら、こちらも手加減してる場合じゃない。

「――マグナム・パンチ」

 右の中指が、熱を帯びる。魔力を流し、リングに起動をかける。

 思い切り拳を叩き込めば、空間ごと吹き飛ばす衝撃が走った。

 煙の中、何かが跳ねた音。手応えは――かすり傷か。

 くそ、こいつ、身を滑らせやがった。

「探偵さん……さすが、ですね」

 声が後方から聞こえる。振り返れば、奴は片膝をついていた。口元に薄く笑みを浮かべているような気がした。

 そして、奴は唐突に言った。

「落胆しましたよ。あなたがその程度なら、早々に“神”の復活の贄になっていただくべきでした。そして――」

 ……“神”?

 その言葉の意味を問う前に、奴の口が続いた。

「……まだまだこの程度なのか、冴島」

 日本語――神林の声だった。

 一瞬、時が止まった。俺の中の何かが、凍りついたような気がした。

「……今、何て言った?」

 影は何も答えなかった。だが、確かにあれは神林の声。三年前、最後に聞いたあいつの声に、間違いなかった。

 その隙を、奴は逃さなかった。

 視界がぶれた。痛みは、遅れてやってきた。

 腹に、鋭い熱。見下ろすと、血が吹き出していた。曲剣が、俺の腹を真一文字に貫いていた。

「っ……く、そ……」

 力が抜けていく。膝が地面につく。視界が歪む。

 倒れこんだ、俺に覆いかぶさり、胸元を引きちぎり――見えたフードの中の顔は――

「神林!」

 奴は取り出した魔石を見せるように掲げてから俺の胸に押し当てた。

「ぐっ!」

 胸に氷のような異物が埋め込まれる。

「……今回の私の仕事は、ここまでです。では、また会いましょう」

 そう言って、立ち上がると、影はすう、と闇の中に溶けた。まるで、最初からいなかったかのように。

「冴島さんっ!!」

 イリスの叫びが耳に届いた。細い腕が俺を支えようとする。

 だが、身体は思うように動かない。吐き出された血が、喉に絡む。視界が赤く染まる。

 ……くそ。らしくもねぇ。

「イリス……逃げろ……」

「逃げません! 絶対に助けますから……!」

 彼女の瞳は震えていた。けれど、泣いてはいなかった。俺を支える腕は、折れそうなほど細いのに、しっかりと力が込められていた。

 やがて、俺は意識を失う直前、彼女の詠唱を聞いた。

 周囲の空間が歪む。幻影魔法だ。彼女はこの場から、俺を――

 すまねぇな、イリス。男は、仲間に心配かけないもんだ。

 そう思いながら、飛びがちだった意識を保とうとした。

 ……あの声、あおの顔。あれは本当に、神林だったのか?

 疑念は、熱よりも濃く俺の意識にこびりついたまま、また意識が薄れた――。


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