第八話 リィゼ救出作戦(後編)
イリスはすぐさま部屋の端に倒れていたリィゼに駆け寄った。痩せ細った顔に土気色の肌。それでも、その眉がぴくりと動いた。
「……ん、さ……じま?」
「おい、リィゼ。お前、こんな所で死ぬような玉じゃねぇだろ」
「……来てくれた、の……?」
「おい、リィゼ! しっかりしろ!」
「……おいおい、……お前の、仕事じゃないだろ……?」
「マスターからの依頼だ。冴島探偵事務所の仕事だよ」
意識はある。だが、魔力の枯渇と衰弱が激しい。
「――大丈夫、連れて帰ってやる」
「……まだ、だ……来る……やつが……来る……!」
その瞬間、足元が震えた。地響き。天井から砂が落ちてくる。奥の通路から、いななきが響く。
イリスにリィゼを任せ、俺は通路へ確認に行く。
暗闇の通路の向こう、なんとか灯りが届く距離に巨大な影が姿を現した。
「なんだ……?」
「まさか……フロアボス!?」
現れたのは、異形の獣人。雄牛の頭に、全身を覆う筋肉。巨大な斧を持つミノタウロスだった。
「おいおい……嘘だろ……」
背後では、イリスが治癒魔法をリィゼにかけている。まだ動けない。
奴は、咆哮とともに斧を振りかぶり、俺たちに突進してきた――。
ミノタウロス――階層守護者。その名に違わぬ威容が、瓦礫の先に現れた。
「冴島さん!」
イリスの叫びとともに俺は飛び退く。奴の大斧が振り下ろされ、石床を砕いた。粉塵が舞う中、咄嗟に体勢を立て直す。足が震えているのが分かった。
「くそっ、洒落にならねぇな……!」
「Ja」
シュロットが同意したのか、ゆっくりと戦闘準備に入る。
いつもの調子が、安心感をくれた。
「イリス、リィゼを頼む!」
俺が叫び、右手のリングの感触を確かめた。
「こりゃ、命がけだ。報酬、割り増しで請求してやるからな」
ミノタウロスが再び咆哮を上げた。耳を裂くような音。怒り狂った巨獣が斧を引きずりながら突進してくる。
「シュロット、右から!」
「Ja」
俺とシュロットは左右から挟み撃ちを仕掛ける。シュロットの鉄拳がミノタウロスの脇腹をとらえるが、鈍い音がしただけ。
「Nein」
「なら、足元だ!」
膝裏に一撃、体勢が崩れた。
リィゼを背にしたイリスの風魔法が俺の動きを軽くし、俺は奴の背中を取って、首筋目がけて借り物の短剣を突き立てた。
バルド自慢の短剣は確かに刺さったが、深くまでは届かない。ミノタウロスが咆哮し、俺の身体を振り払おうと暴れだす。
そのときだった。
「こいつに一発……借りを返さないと、気が済まない……!」
女の声。それも、凛とした、リィゼのそれ。
「……どけ、冴島!」
驚いて身を引くと、そこに、ふらつきながらも立ち上がったリィゼがいた。血の気が引いた顔に、だが確かな闘志の炎が宿っている。
彼女の手には、魔剣〈カグナ〉。瓦礫の中から手にしたのだろう。まだ全身が震えているのに、それでも魔剣は力強く輝いていた。
リィゼが魔力を込めて、渾身の一撃を放つ。
「《魔閃・空牙》――!」
閃光が走り、ミノタウロスの胸に深い裂け目が刻まれる。奴が大きくよろめき、膝をついた。
「今だ、冴島!」
「喰らいやがれ……!」
俺は、奴に走り寄り、右手に力を込めた。
「マグナムパンチ!」
刺さったままの短剣を押し込む! ミノタウロスの絶叫がこだまし、その巨体がゆっくりと崩れ落ちる。石床が軋み、埃が舞い上がる。
「……終わったか」
俺は膝をついた。イリスがリィゼを支え、彼女はその肩にもたれかかるようにして笑った。
「……はは、今の見たかよ。あたし、かっこよかったろ……?」
「ああ、最高だ」
サムズアップして答えると、リィゼは蒼い貌で、でもよい笑顔で返してくれた。
全員、生きてる、それだけで十分だった。
ダンジョンからの帰還は、ゆっくりとしたものだった。シュロットがリィゼを担ぎ、傷を癒しつつ、慎重に階層を戻る。俺たちの足取りは、確かなものだった。
地上へ出た時、まだ陽は昇っていなかった。だが空がわずかに白んでいる。刻印のダンジョンの入口に、二つの影が立っていた。
「……バルドと、ティナか」
俺たちの姿を見るや、ティナが駆け寄ってきた。
「リィゼさん、冴島さん……イリス! 良かった……っ!」
シュロットの背中で眠るリィゼを見て、ティナは涙を流した。
バルドも、無言で歩み寄ってくる。やつの顔は相変わらず強張っていたが、その目は微かに安堵していた。
「生きて……いるのか」
「おかげさまでな。リィゼも無事だ」
「……そうか」
短く応えたその声に、かすかに震えがあった。
「冴島。借りができたな」
「たっぷり返してくれ。依頼金にも上乗せでな」
「ふん、やっぱり嫌な奴だ。だが……感謝はしている」
やつがそう言った瞬間、ティナがにっこりと微笑んだ。
「ありがとう、冴島さん!」
「いや、こっちは仕事しただけさ」
そう答えながら、リィゼを見下ろす。眠った彼女の顔は、安らかだった。
帰り道、空には朝日が昇っていた。イリスがぽつりと呟く。
「冴島さん。最初からこの依頼、断る気なかったでしょう?」
「さあな。……まあ、ただの人探しってわけでもないしな」
「……少し、羨ましいです」
イリスの声に苦笑しつつ、俺は空を見上げた。
徹夜明けになるが、良い朝だ。
探偵ってやつは、事件だけじゃなく、人の想いにも関わる職業だ――そんなことを、この異世界で少しずつ学んでいる気がした。




