3章 化け猫屋
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牛の刻。
朝の涼しさも和らぎ、穏やかな日差しが地面を優しく照らしている。
夏彦に「町へ行こう」と誘われた理子は身支度を整え、屋敷の玄関先で立っていた。
空を見上げると雲一つない真っ青な晴れ空が広がっており、町歩きにはぴったりだと理子は心の中で思う。
幼い頃に胡蝶の町からかどわかされ、馬酔木村にずっと身を寄せていた理子にとって町へ行くのは久方ぶりのことだった。
(町へ行くのはいつぶりだろうか?)
それと同時に使用人の私にまで気遣い、気晴らしに町へ行くように促してくれた夏彦とお千代の感謝の念が湧いてくる。
(本当に九尾様とお千代さんには感謝してもしきれない)
理子は自らの身なりを改め、右袖を目の前に翳した。
(それにこんな素敵な着物まで___........!)
理子が身に纏っているのは薄桃色の着物。着物の足元に散らされている桃色の桜と藤色の帯が華やかだ。この着物はお千代が娘時代に街着として着ていたものらしく町へ行くならとわざわざ探していてくれたらしかった。
いつも屋敷で身に着けている着物もお千代から借りているものだったが木綿素材の着物。その着物も今まで理子が馬酔木村で袖を通していた着物よりもはるかに上等なものであった。しかし、この着物は絹で織られており、美しい光沢と優しい肌触りが比べ物にならない。
(こんな上等な着物袖を通したの初めて!)
いつもとは違う装いに理子自身も胸が高鳴る。
紫陽花の簪が添えられている髪。唇は薄く紅が引かれ、白い頬には頬紅。お千代の申し出で「せっかく町へ行くのです。僭越ながらわたくしが理子様にお化粧をさせていただきますね」と化粧を施され、まるで自分ではない誰かになったみたいで落ち着かない。
(そもそも、九尾様のお隣を歩くのが私でも大丈夫なのかしら?)
夏彦は町を歩けばすれ違う人が振り向くほどに端正な顔立ちをしている。そんな妖の隣に自分がいてもいいのだろうか、とはたと思う。
(私が連れ立って歩くことで九尾様に恥ずかしい思いをさせてしまうんじゃ___........!)
そんなことを考えていると
........___チリン
と鈴が鳴った。
「!!」
(これは、九尾様の___........!)
物思いに耽っていた理子は思わず音のした方に視線を向けた。
「すまない。遅くなった」
そこに現れたのはやはり夏彦だった。お千代も一緒に伴っている。夏彦は翡翠色の着物を身に纏い、浅葱色の羽織を涼しげに羽織っていた。いつものように古びた2つの鈴をつけた髪紐でその栗色の髪をまとめ、右に垂らしている。端正な夏彦の顔立ちにその装いはとてもよく似合っていた。
理子が思わず夏彦の顔を見つめると何故か夏彦は口元に右手を当てて目を逸らした。
「九尾様??」
何か気に障ることをしたしまったのだろうか、と理子は慌てて夏彦の元へ駆け寄ると「ち、違、違うんだ___........」と途切れ途切れに話した。理子は夏彦を見上げたまま、夏彦の言葉の意味が分からず目を瞬かせる。
「あ、いや、何も違わなくはないんだが___........その___........」
「え?」
「これは俺の問題であって___........。ただ、俺がいっぱいいっぱいで___........」
「いっぱいいっぱい?」
「そ、そうなんだ。だから、キミは気にしないでいいから___........」
首を傾げる理子と頬を僅かに赤らめる夏彦。その様子をどこか微笑ましそうに見ていたお千代が「ほほほ」と笑う。
「坊ちゃま、理子様。そろそろ出発のお時間ですよ」
と夏彦と理子の間に割って入った。夏彦はハッとしたように
「そ、そうだな」
と首を縦に振り自らを落ち着かせるように小さく息を吐いた。そしてお千代は理子に向き直り優しい口調で話しかける。
「理子様、今日は坊ちゃまとゆっくり羽を伸ばして来てくださいませ」
「はい!ありがとうございます!」
そういって声を弾ませ、はにかむように笑う理子を
「………」
口元を緩ませた夏彦が愛おしそうに見ていたのだが、理子はその視線に気づかない。




