2章 陽だまり
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すっかり日が落ち空に星が輝き始めた頃。
夕餉の支度を終えた理子とお千代は配膳をしていた。お千代と手分けして作った料理を厨で皿に盛り付け、厨の隣に設けられたその和室に置いてあるお膳の上に皿を載せていく。和室の中央には囲炉裏が設けられお千代が作っていた味噌汁が火にかけられ、時折木がぱちん、ぱちんと弾けていた。橙色の炎が部屋を明るく照らしている。
それぞれの膳にはたっぷりの野菜が入った味噌汁、こんがり焼かれた鮭、きゅうりやにんじんの漬物。甘味として添えられていたわらび餅は黒蜜がかけられている。
とても美味しそうだと、理子は目の前に広がる色とりどりの食事に胸を躍らせた。馬酔木村での食事は質素なもので、じゃがいもをふかしたものが主食で魚など滅多に食べることができなかった。そんなことを思いながら、理子は抱えた皿の上を見やった。
(九尾様は喜んでくれるかしら?)
理子の目線の先にあった、それは夏彦が大好物だという品だった。甘辛く煮た油揚げの中に酢飯を入れて詰めたいなり寿司は理子作のものだ。お口に合うといいのだけれども、そんなことを思いながら理子は朱色の皿の上に乗せたいなり寿司を全てのお膳に置いて、お千代を振り返った。
「これで全て揃いましたね」
「理子様のおかげでいつもより夕餉の支度が早く済みました」
理子の言葉に「ありがとうございます」とお千代はにっこり笑い、理子に身にまとっている割烹着を脱ぐよう勧めた。そして自らも割烹着を丁寧に折りたたむ。理子の割烹着をまとめて右手で抱え、そのまま理子にお膳の前に座るよう促す。理子がお膳の前に腰を下ろしたのをしっかり見てから「坊ちゃまを呼んで参りますね」と襖を開け、いずこかへ姿を消した。
鍋をかけていた囲炉裏の木がぱちん、ぱちんと幾度か鳴ったとき、近くで鈴の音が鳴った。鈴の音が小刻みに鳴り響き襖が開いた。現れたのは優しい栗色の髪をさらりと右肩に流した青年。
.......____夏彦だった。
その姿は頭の上に生えた獣の耳はなく、人と変わらない。
「怪我の具合はよくなったか?」
そう心配そうに茜色の瞳を揺らす夏彦の背後で夏彦が開けた襖をお千代が閉めた。
「まだ少し痛みますが、九尾様がくださった薬草のおかげでだいぶよくなっております」
そういって頭を下げる理子に夏彦は「そうか」と声をかけ、顔をあげるように促した。理子が言われるがまま顔をあげると夏彦はそれでいいのだというように、にこやかに笑って見せた。
「お!いい匂いがするな!」
そして目の前に配膳された食事をみやって、理子の右隣に腰を下ろした。お千代は理子の左隣に座り、三人で囲炉裏を囲み、いただきますと手を合わせた。
理子は手を合わせたままちらりと右隣をみやった。すると、夏彦がいなり寿司を箸で掴み嬉しそうに、いなりを口に頬張る。その夏彦の行動に本当にいなり寿司が好きなのだと理子が思っていると、夏彦は目を細めた。
そして味わうように噛み締めてから
「このいなり、うまいな」
と一言。
「いつもと違う味付けだが、どこかの店で買ってきたのか?」
いなり寿司を一つ平らげた夏彦は何げなしにお千代に尋ねた。お千代は理子にちらりと視線を送ってから夏彦に伝える。
「ふふふ、それは理子様が、坊ちゃまのために作ったものなんですよ」
お千代の言葉に夏彦は理子といなり寿司を交互に見つめる。喜色の滲んだその茜色の瞳があまりにも眩しくて、理子は少し目を伏せた。
「お千代さんに、九尾様の好物がいなり寿司だと教えてもらいました。母から教わった作り方で記憶を辿りながら作ったものになるので、お口にあうのか不安だったのですが___........」
一生懸命作ったものを美味しいと言ってもらえるのはやはり嬉しい。
「九尾様様のお口にあってよかったです!」
くすぐったい気持ちのまま重ねた両手を握りしめた。
目線の先では囲炉裏にくべられた薪が、ぱちんぱちんとはじけている。その合間に「俺の、ために___........」、夏彦は途切れ途切れにそういったきり黙り込んだ。
しばらくの静寂。それ以降夏彦の反応がなく、理子が不思議に思い顔を上げると
「......._____九尾様?」
何故か口元を右手で覆っていた。けれども、そこが問題ではない。
「お熱があるのですか?」
見れば夏彦の顔がりんごのように赤く染まっているのだ。
理子が心配で夏彦の顔を覗き込むと夏彦は大丈夫だいうようにと口元を抑えている反対の手で静止し、意を決したように大きく息を吐いた。そして
「お、俺のために作ってくれたのが嬉しくて___........」
耳の付け根まで赤くしながら理子に告げた。その弾みで髪紐についている鈴が、チリンと鳴り響いた。
嬉しさを隠しきれていないその茜色の瞳が理子の漆黒の瞳を捉えて離さない。
夏彦が素直に喜んでくれているのが嬉しかった。
夏彦が素直にその気持ちを言の葉にしてくれるのが嬉しかった。
理子は思わず口元に両手を当てる。
(......._____なんて、優しい妖なんだろう)
「私も九尾様に喜んでいただけて嬉しいです!」
だから理子も自らの心の内をそのまま口にした。
この妖の言の葉は誰よりも真っすぐで、
この妖の傍はまるで太陽の陽だまりの中にいるような、
......._____そんな《《あたたかな》》場所だと、そう思った。
その様子を「ふふふ、坊ちゃまも理子様もよかったですね」、とお千代が微笑ましげにみていた。




