2章 陽だまり
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ひとしきり笑いあって、娘は少年に向き直りゆっくりと息を吐いた。
「申し遅れました。私は理子、と申します」
そういって理子が佇まいを正した。対する少年は口元をわずかにほこらばせ二つの獣の耳をぴくりと動した。澄んだ夕焼け色の瞳でまっすぐに理子を見つめる。
「俺も名を、名乗っていなかったな。俺の名は夏彦」
(『夏彦』、この妖にぴったりな名前だと思った。キラキラと輝いて、あたたかい。まるで夏の明るい日差しのような、太陽のような、そんな妖。九尾の妖狐が悪しき妖だとしても、この妖がそうだとは思えない。少なくとも、私は)
そんなことを考えていると夏彦は気遣うように声色を変えた。
「俺は葛薬堂という、薬屋を営んでいる。だから、昨晩も薬草を探しにいっていたんだ。そしたら、あの洞窟の中にキミがいた。どうしてキミはあんなところにいたんだ?」
真剣そのもののまなざしに理子は肩をすくめて答える。
「贄魔の儀式の生贄として捧げられました」
「贄魔の儀式?」
「私がいた馬酔木村では、このところ日照り続きで満足に作物が取れませんでした。そこで行われたのが贄魔の儀式です。贄魔の儀式は村はずれの祠に村の娘を妖の生贄に捧げ、村の安寧を祈る儀式で、その生贄として私が選ばれたんです」
馬酔木村は緑豊かな村とは程遠く、土には砂利が混じり雨はめったに降らない荒れ地にある村。そのため、田や畑でとれるのはごくごくわずかな米や野菜。特にこのところ日照り続きで作物が取れなかった。妖信仰のあるこの村では天災や厄災が起こるたびに若い娘を捧げる贄魔の儀式が行われていた。
(昨日もいつも通り、田や畑を耕す一日が始まり、終わるはずだった。
........____けれども、そうはならなかった。
いつものように田と畑を耕し終え、帰路の途中。突然、村人たちに襲われた。逃げ出そうと必死に抵抗したが、刃物で脅され、気を失うまで殴りつけられ、両手足を縄で縛られた。
気が付いたときには、眼前にはひとならざる妖たち。妖たちをみて、贄魔の儀式に生贄として捧げられたと気づいた時にはすでに遅く、自らの命運を悟らざる得なかった)
「どうしてキミが生贄、に?」
「それは私がよそ者だからです」
(贄魔の儀式の生贄に捧げられた娘で戻ってきたものなどいない。
だからこそ、その贄魔の儀式によそ者の自分が選ばれただけのこと)
理子はゆっくり深呼吸をして、瞼に焼き付いた景色を思い浮かべた。
炎に飲まれる父と母の最期。黒煙と瓦礫の山。そして、人々の泣き叫ぶ声と怒号。
「8年前__.......、私は父と母を火事で亡くしました」
「胡蝶の大火事で、か?」
「胡蝶をご存じですか?」
まさか目の前の人物から胡蝶の名が出るとは思わず問いかけた。すると夏彦は「あぁ」と短く頷いてから首を傾げる。
「けれど、馬酔木村からだいぶ離れていないか?」
馬酔木村から胡蝶までは山を10ほど越えねばならない。火事のあとどうして胡蝶ではなく、そんなにも離れた馬酔木村にいくことになったのだと聞いているのだろう。
「人攫いに合ったんです」
「人攫いに、か!?」
「火事のとき両足が折れてしまって、動けなかったんです。父も母も目の前で火に飲まれ、私はただただ茫然としていました」
火事に紛れて馬車に押し込められた。幸いにも攫った男は私を『商品だ』といって折れた足を木で固定して、最低限の治療を施した。『山を15ほど越えたところにお前を高く買い取ってくれる宿屋がある。お前は高く売れそうだ』といっていた。大方遊郭にでも売り飛ばすつもりだったのだろう。
私の両足が折れている油断もあったのだと思う。攫った男は私を縄で縛るなどのこともなく、馬車の外から鍵をかけるだけだった。攫われてから2度ほど夜空に満月があがった頃、機会が訪れた。攫った男が馬車の鍵を閉め忘れたのだ。その日の晩、攫った男が寝ている隙に私は逃げ出した。
「運よく逃げ出すことができたのですが、幼かった私はお金もなければ、胡蝶村へ戻る術がありませんでした。途方に暮れ歩いた先にあったのが馬酔木村で、それ以来ずっと身を寄せていました」
完治したとは言い難い足を引きづりながら、やっとの思いでたどり着いたのが馬酔木村だった。荒れ地にある貧しい村。田や畑の耕し手は欲していたようで、村に住むことが許された。そこから与えられた田と畑を耕し、村に作物を納める生活が始まった。
けれど今思えば妖信仰がある村だ。何かあっとときの儀式の贄に、とでも思って住むことが許されたのかもしれない。
(今となってはそれを知る由もないのだけれども)
「胡蝶へは戻ろうとは思わなかったのか?」
「馬酔木村は荒地にあります。食べるのに精一杯で胡蝶へ戻るためのお金は稼げませんでした。それにあの大火事で父と母もなく、家も失いました」
戻ったところで優しい両親の姿はなく、その町にあるのは虚しさだけ。家も失い、貯えもなく、幼子一人ではどの道路頭に迷っていた。
「そして今度は馬酔木村にも戻れなくなってしまいました」
胡蝶にも馬酔木村にも、もう戻れない。
また一つ居場所を失い、私はまた一人になった。
(........____だから私には優しいこの妖に返すことのできるものが、何一つない)
「私は九尾様の狐石を妖たちに奪わせてしまいました。それに薬は高価です。私の傷にたくさん薬草を煎じてくださいました」
(優しいこの妖はきっと「気にしなくていい」と笑うだろう)
けれど、私はそれが心苦しかった。
何もかも与えてもらうだけで、何も返せない。そんな自分がもどかしい。
理子は俯き唇を嚙み締め、深く頭を下げた。
「........_____私には、帰る故郷も戻る家もありません。けれど、働く身体はあります。炊事、洗濯、掃除、なんでもやります」
(だから、せめて自分のできる限りのことをしたい)
「ここで、働かせていただけないでしょうか?」
両手を強く握りしめ、目の前の人物の言葉を待った。
「………」
数秒の静寂。
予想だにしていない言葉だったのか、夏彦は口をぽかんと開けていた。
その時だった。すすす……とわずかな音を立てて、障子が開いたのは。
「ばあやは、大賛成ですよ!」
そして夏彦のものではない声が割って入った。
思わずそちらをみると開いた障子の先にいたのは、薄い紫色の着物を纏った小柄な老女。灰色の髪を高い位置で結い上げ、団子結びをしている。瞳は髪と同じ灰色。どこにでもいる、人間にみえた。傍らには急須と湯呑が二つ。どうやら茶を注ぎに来てくれていたらしかった。
「お千代!?いつからここに!?」
老女の突然の登場に同じのように目を丸くする夏彦。
「ほほほ、女中は聞き耳を立てるのが趣味ですからね。坊ちゃまの妖力が乱れて、お耳を出したところ、くらいでしょうか」
「ほぼ最初からじゃないか!?」
「坊ちゃまは、ほんにかわいらしいですね」
口を尖らせる夏彦に対して、お千代はどこ吹く風だ。
(お千代、ということはこの人が___........)
先ほど夏彦の言っていた女の妖なのだろうか。身体を拭って、着替えさせてくれたといっていた。
「理子様、改めまして二口女のお千代と申します。以後、よしなに」
そういって、にこりと笑うと夏彦のわずか後ろに正座で座る。そして、両手をついて頭を下げた。頭を下げた瞬間に見えたのは、うなじにある大きな口。それは紛れもなく、妖の証。お千代はそのまま
「坊ちゃま」と夏彦に語りかける。
「どうか理子様の気持ちを汲んでくださいませ。坊ちゃまならわかるでしょう。受けた恩は報いたい、と」
「いや、しかし___........」
お千代の言葉に、何か思うところがあったのか夏彦は言いよどむ。
「ばあやはうれしゅうございます。理子様のような若い娘様と働けるのは」
片目を瞑って、お千代は理子に目配せをした。優しい穏やかな瞳に背中を押された気がして、理子は大きく深呼吸をする。そして深々と頭を下げた。
「九尾様のお力になれるよう精一杯働きます!どうかよろしくお願いいたします!」
必死な様子の理子の言葉に夏彦は迷う素振りを見せたものの、理子とお千代を見比べ、そして最後には「あぁ、わかった」と根負けしたように笑った。




