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北の聖女

 大山脈より四つに分断された大陸。その北部の高地に位置する神を祀る者たちの村・ユエユ。

 この地に残されていた神殿に祀られていた神を崇める宗教共同体である彼らは、大陸外から流れ着いた罪人であり、ここに辿り着いて以来誰一人として死なず、数百年の時を過ごした。

 決して不死者だった訳ではない彼らが数百年も生きられたのには、この地に齎された一振りの剣に理由がある。


 彼らがこの地に辿り着き、元々神殿に住み着いていた原住民たちによって殺されようとしていた時、一人の少女の前に空より舞い降りた優美な細剣。

 少女が剣を握ると、たちまち周囲に霧が満ち、それが明けた時には数十人はいた原住民たちは跡形もなく消え去っていたという。

 彼らはそれをこの神殿に祀られている神の御力と見做して聖剣と呼び、その担い手として選ばれた少女を聖女として敬うようになった。

 原住民の消え去ったこの高地は、瘦せた土地出身の彼らにとって理想の環境だったのも手伝い、神殿を囲むように丸太の小屋を建てて住み始めたのがユエユの始まりだ。


 継ぎ目のない白色の石材によって構成された神殿を囲むように、周辺の森から切り出したのだろう丸太で組まれた小屋が十棟ほど建てられている。

 小屋の周りには冬を超えるための準備の途中だったのだろう、鹿と思しき動物の脚の骨が吊られ、その下に残りの骨がまばらに落ちていた。ついていたであろう肉や皮は腐敗しきり、地面に黒い染みを残して消え去っている。

 その他にも割られる前の薪が積まれた山は苔生し、その傍らに立てかけられた斧は錆付いて、何年も手入れがされていない様子だった。


 生活の名残を色濃く残したままに朽ち始めている村だが、そんな状況とは裏腹に複数の人影が今もなお動きを見せている。

 それらは二体から四体ほどのグループに分かれ、互いの体に歯を立てあっていた。

 明らかに肉は削がれているのだが、不思議なことに傷口から血液は出ておらず、その断面は生物としてはあり得ないほど乾燥しているように見える。この行動を始めてから今までに体内の水分は全て気化してしまったのだろう。

 さらに、他個体の体を嚥下した瞬間から傷口が盛り上がり、数秒後には元の状態に戻るほどの驚異的な回復力を持っているのも確認できた。

 

 この異常な生物たちこそがユエユの民であり、聖剣により消え去った原住民たちと同種の存在だ。

 無論、彼らは最初から狂っていたわけではなく、これこそが聖剣の与えた祝福と呪いである。


 同族喰らいを続ける彼らの横を抜けて神殿へと近づく。彼らは食せる存在にしか襲い掛からないため、こちらに興味を持つことすらなく、一心不乱に目の前の肉に噛り付いていた。



 神殿内部でも何体かのユエユの民が貪りあっていたが、一瞥すらされることなく目的の部屋へと辿り着いた。

 それは神殿地下に設えられた小さな部屋で、簡素な造りの家具がいくつか置かれているのと、壁も床も神殿全体と同様の石材で出来ているのも相まって、牢獄とも見まがう息苦しさを感じさせた。

 ここが聖女の生活していた部屋なのだが、何者かがここで争ったような形跡が残っている。

 机の上に置かれていただろう羽ペンとインク瓶。

 血に汚れたベッドシーツと女性ものの修道服。

 そして、地面に突き立てられた白色の細剣とその周囲に散らばる小さな肉片。

 これらが数百年前に彼らを救い、今の惨状を招いた元凶である聖剣と、その担い手たる聖女のなれの果てだ。


 聖剣から放出された霧により不老不死となった者は、担い手により異端者と判断されると正気を失い、目の前の生物を喰らおうとするだけの存在と化す。

 そして、異端者がもう一度霧に触れると異端の罪を許され、無へと帰されるのだ。

 これが彼らのこれまでと現状、原住民たち消滅の原因だった。


 壁際に備え付けられた机の上に、日記が開かれたままになっている。

 机の上は零れたインクによってほぼ全面が黒に染まっていて、日記も机と接している付近は読めそうにない。

 ひとまず開かれた部分に目を向けた。

 そこにはなんてことはないユエユの民の日常が書かれていた。

 朝起きて一日の無事を祈る。朝食を食べて冬への準備を行なう。昼食を食べて神殿の掃除をする。夕食を食べて一日の無事を感謝し眠る。なんてことはない平和そのものの日常。

 しかし、どうやらここ数年ほど聖女と他のユエユの民との間で議論が続いていたようだ。

 内容は外の世界に目を向けるか否か。

 数百年をこの地で生きてきたユエユの民たちはこの地から旅立ち、他の人類との交流を始めるべきだと主張している。

 それに対し聖女は、この地で自分たちを救ってくださった神に祈りを捧げ続けることこそ、我々のすべきことであると反論していた。

 最近では、聖女が意見を絶対に曲げないと諦めたのか、聖女を置いてこの地を去ろうとする計画まで進んでいたようで、外に跡として残っていた越冬の準備も、春になって外へと向かうためのものも含んでいたらしい。

 そのことに気づいた聖女は聖剣を手に持ち、神へと問うた。

 自分が間違えているのか、彼らが間違えているのか。


 その問いに聖剣は応えた。


 次の日、聖女が外へ出るとユエユの民たちは全員正気を失い、部屋を出た聖女に対して一斉に襲い掛かった。

 聖女は慌てて部屋へと立て籠もったが、その抵抗も空しくここで命を落とした。

 思考をまとめるためだろうか。日記の最後に震えた文字でこう書かれている。


ーーーー何故ですか、神よ。

ーーーー数百年変わらず信仰を捧げてきたというのに。

ーーーー私を救ってくださらないのですか。

ーーーー一体何が足りていな


 この文を書いている途中に襲われたのだろう、最後は文字にもならない線が伸びているだけだった。

 数百年を信仰に捧げた女は、この狭苦しい部屋の中で人としての一生を終えた。

 聖剣を引き抜くと地面に散らばり震えていた肉片が一際大きく蠢いた。

 聖女から変化を奪い去った不老不死の祝福は、未だに彼女を生かし続けている。

 変化を許さなかった者に変化が訪れることは二度となく、その苦しみは未来永劫終わることはないだろう。

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