迷い人と竜の国
後日談をアップしました。お楽しみいただければ、嬉しいです。
「う〜ん、どうしましょう……」
セリナは途方に暮れていた。
なんでこんな事になったのか?自分はどうしてここにいるのか?
理解が追いつかず、自分がどうすればいいのか、わからない。
そんなセリナの眼の前では、金色の瞳に黒い縦長の瞳孔を持つお伽噺の中の生き物……(だとセリナは信じていた)白い小さな竜が、行儀よく座って、キュルンと彼女を見上げていた。かわいい。
ディートフリートさん、心配するだろうなあ……
あの心配性の騎士が心を痛めてると思うと、セリナは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。だからと言って、起こってしまったことはしょうがない。この小さな竜を責めることも出来ない。元はと言えば、セリナが引き起こしてしまったことだ。
「とにかく、なんとかしてディートフリートさんに無事を知らせないとね」
そう思ってセリナは立ち上がり、白い小さな竜に話しかける。
「とりあえず、あなたのお母さんのところに行こっか?」
セリナがそう言うと、竜がキューと鳴いた。セリナの脳内には「うん」と言う肯定の返事が返ってきたのである。
ここしばらく、ディートフリートは王都で、爵位継承の為の事務作業やら諸々の手続きやらで忙殺されていた。
領地経営の為の経験も積み、しばらく前の隣国との戦争もセリナのお陰で大事になる前に収めることが出来、父亡き後母が引き続き治めていた領地を、その爵位と共に引き継ぐことになったのだ。
セリナとは、半年後に結婚式を挙げる予定だ。
お互いの気持ちを確認し、国王であるアルベルトと母やヴァレンシン領の皆にも祝福されて婚約を結んだのが約3ヶ月ほど前。
やっと報われたディートフリートの恋心に、セリナと過ごすこの婚約期間は、彼にとって心躍る幸せな毎日であり、癒やしであり、領主としてまたセリナの夫として領地や彼女を支えていこうと責任を自覚する日々でもあった。
ここ1週間程領地を離れて王都に来ているが、さっさと用事を終わらせて、一刻も早く領地に戻り、セリナの側で癒やされたいと、それこそ寝る間も惜しんで働いていたのである。
そしてやっと全ての手続きが済み、爵位継承の書類が無事に揃ったところで、アルベルトとユーシスに暇の挨拶をしていたときだった。
緊急の知らせが、と駆け込んできた領地からの使者に、ディートフリートは顔色を失くした。
「セリナ様のお姿が消えました。現在我が領の騎士たちを動員して、行方をお探ししております」
セリナは、突然この世界に現れた。原因もわからず、彼女の意志とは無関係に、この世界に迷い込んだのだ。
彼女のような異世界からの迷い人は、これまでにも何人か確認されているが、誰一人として元の世界に帰ったなどということはなかった。
しかし、彼女がそうではないと限らないし、最悪、別の世界に紛れ込んでしまうことだってあるかもしれない。一度世界を越えてやってきた迷い人だ。
セリナがこの世界から消えたのかもしれない……
そんな考えが思い浮かんだ瞬間、ディートフリートの背筋がゾッと冷たくなる。
「セリナがいなくなった?……そんな……」
だって、一緒に生きていくと約束した!あのセリナが、自分から約束を破るようなことは絶対にしない。
「ディートフリート!大丈夫か? おい、お前、状況を詳しく話せ」
傍らにいたアルベルトが、ディートフリートの肩を掴み、軽く揺さぶる。そして、使者を振り返り詳細を尋ねた。
「はっ。セリナ様は一昨日前からメイベル様とご一緒に、ユベルの温泉地にお出掛けでした。昨日まで特に変わったことはなかったそうです。昨晩は、とても美しい星空だからとバイオリンを奏でられました。そして今朝方、露天の温泉に浸かってくるとお部屋を出られて、その後行方がわからなくなりました」
ユベルの温泉地とは、ユベル山の山頂付近に湧いた天然温泉にある、ヴァレンシン家の別荘のことだ。温泉好きのディートフリートの母に、好きなときに気兼ねなく楽しめるようにと、生前彼の父が贈った場所だった。
以前、母がセリナにそのことを話したとき、彼女は目を輝かせて聞いていたから、母がセリナを誘って共に出かけたのだろう。
父が亡くなって以来、母はそこに行くことも無かったのに……
「バイオリンは?」
それまで黙って聞いていたユーシスが、使者に尋ねた。
「お部屋にそのまま残されていました」
それを聞いたユーシスはしばらく考え込むように目を伏せた。
「そう……アルベルト、俺も一緒にセリナちゃん探しに行くよ。大丈夫。彼女はこの世界のどこかにいる」
やがて顔を上げたユーシスが、顔色を失くしたディートフリートを見てそう断言した。
(この世界にいる……ならば、俺の手が届く!)
ディートフリートは僅かな希望に縋るように、だが、期待のしすぎは駄目だと自身を戒めながら、慎重にユーシスに問う。
「……どうして、そう思うんだ?」
ユーシスが頷いて、安心させるように僅かに微笑んだ。
「バイオリンが残っていたからかな? 俺はこれまでの調査で、そもそも迷い人が、もう一度世界を越えることはないと思っているし、セリナちゃんにとってバイオリンは大事なキーアイテムであり相棒だ。それを残したまま世界を越えるなんてことは、不可能だ、というのが俺の見解。
だからこの世界のどこかにはいると思うんだけど、ただ……」
ユーシスは表情を曇らせて、その先を言い淀む。
それをアルベルトが引き取った。
「どういう状況でいるのかは、わからないってことだね?」
「うん。無事ならいいけど。俺が一緒の方が、何かあっても対処しやすいでしょ?」
ユーシスがディートフリートを見ながら言った。
ディートフリートは思う。
セリナがほんの僅かでも傷ついていないといい。その生命が脅かされていなければいい。心も傷つけられていないといい。泣いていないといい。
ディートフリートの頭に浮かんだのは、そんな心配ばかりだった。
そう、セリナは殺されたわけではない。その姿を消したということは、おそらく、何かに巻き込まれたのだ。事故か、拐われたかはわからないが、きっと生きてはいる。
だから少しでも早く、彼女を見つけて、この腕に抱き締めたい。
「わかった。ありがとうユーシス。アルベルト、ユーシスを借りても?」
ディートフリートは二人に頭を下げる。今は少しでも彼女を見つけ出す手立てが欲しかった。
「ああ、もちろん。私もセリナの無事を祈っているよ」
アルベルトが、ディートフリートの背に優しく手を遣りながら、そう言った。
ディートフリートはユーシスと共に、ユベルの温泉地に向かった。
「ディートフリート!ごめんなさい。私がセリナをここに連れてきたばっかりに……」
出迎えたディートフリートの母メイベルは、彼の姿を見るなり泣き崩れた。
おそらくここで懸命にセリナの行方を探してくれていたのであろう。彼女は憔悴し、いつもの覇気はまるでなかった。ディートフリートはそんな母親に胸を痛める。
「大丈夫ですよ。母上のせいではありません。王都からユーシスも捜索の手伝いに来てくれました。母上はもうゆっくりと休んで、ここでお待ち下さい。セリナが戻ったときに、心配をしますよ? 大丈夫。きっと父上も彼女のことを守ってくれます」
「そうね……わかりました。ありがとう、ディートフリート」
メイベルはそう言うと、侍女と共に別荘の彼女の部屋へと戻って行った。
二人は早速ここで捜索にあたっていた騎士団長と、セリナが姿を消したという露天風呂に向うことにする。
ユーシスが周囲を見渡しながら、ディートフリートに声をかける。
「ディートフリート、ここはいい場所だね。土地も空気もとても清浄で、なんていうか……身体だけじゃなく魔力も癒やされる気がするよ」
「ああ、温泉も湧いている。生前に父がこの地に惹かれて、母の為に別荘を建てたんだ」
ユーシスにそう説明しながら、三人で歩いていたときだった。
カッカッカッカ キュイーという太くて甲高い声が空に響き渡った。周囲にいた小鳥がその声に一斉に飛び立って逃げていく。
ディートフリートや騎士団長、そしてユーシスも空を見上げて、その姿を見た。
大きく羽根を広げたその鳥は、空からこちらに向って降りてくる。鋭い嘴を持ち、その翼を広げた大きさは、人の大人よりも大きかった。
「鷲?か?それにしても、大きいな……」
「ディートフリート!あの足を見ろよ!」
その鳥の足首には、何か筒状の物が括り付けられている。
やがて地面に降り立った鳥は、堂々とした体躯でその目付きも鋭い。こちらを警戒しているのか、じっと3人の男達を見つめている。
ディートフリートはゆっくり近づくと、腰を落として話しかけた。
言葉が通じるとは思っていないが、こちらに敵意がないことを伝えたかった。
「やあ、俺はディートフリートという。君はここに用があって来たのかな?」
そう言うと、鳥は筒がついている足で地面を何度かたたき、嘴でその筒を示した。
ディートフリートはゆっくりと近づいて、その筒を外してやる。
そして、蓋を開け、中に入っていた紙を取り出した。
「これは……セリナからだ!」
この世界に来たセリナは、声でのコミュニケーションや文字を読むことに問題は無かったが、書くことだけは魔法でどうにもならず苦労していた。
だが、1年と少し、彼女は少しずつ文字を覚え、書くことも出来るようになっていた。
まだ拙い字ではあるが、練習の為に何度もディートフリートに手紙を書いてくれたその字を、彼が見間違えることはない。
「なんだって? 一体なんて書いてあるんだ?」
騎士団長とユーシスも驚いて、その紙を覗き込む。ディートフリートは、サッと目を通すと、二人に向けてその紙を見せた。
ディートフリートさんへ
心配をかけてごめんなさい。私は無事です。
今、訳あって竜の国にいます。私はここがどこにあるかはわかりませんが、とても良くしてもらっています。ただ、彼らを助けてあげたくて、すぐに戻ることは出来ません。
きっとメイベルさんや皆さんにも心配をかけて、申し訳ないけれど、お願いです。
この大鷲のスヴェンに、私のバイオリンを預けて下さい。
彼が、バイオリンを私に届けてくれるから。
とても賢い子なんですよ。
ディートフリートさん、こちらでの用事が終わったら、すぐに貴方のところに帰ります。だから、どうか心配しないで。
皆さんにもよろしくお伝え下さい。
セリナ
セリナの無事を知らせる手紙に、三人はまずほっと息をつき、騎士団長は「とりあえずメイベル様と皆にお知らせします」と、屋敷の方へ戻って行った。
ディートフリートとユーシスは、今度は顔を見合わせ、その内容に首を傾げる。
彼女の無事は確認出来たが、その手紙の内容が二人の理解を超えるものだったからだ。
昔は数多くの冒険家が、伝説の竜を追い求め、その存在を確認しようと探索したらしいが、かつて生きていた形跡は見つけられたものの、現存を示すものは何一つとして見つからなかった。だから、竜はすでにこの世界から失われた、というのが定説だった。
「竜の国? そんなモノが実在するのか?」
ディートフリートの当然の疑問に、ユーシスもこれまで読んだことのある文献を思い出す。
「竜って、あの竜だよね? 遠い昔、この大地と空と海は、彼らのものだった。だけど大きな力を持ちすぎた彼らは、他の生物と共存することが出来ず、神の定めにより、生きる場所を空として、大地と海から姿を消した……ていう、あの」
「セリナはその竜の国にいるのか? どうして……」
数百年というレベルではない。おそらく数千年前の頃の遠い昔の話だ。ディートフリートは、一体何に巻き込まれたのか?とセリナを思う。
「それはわからないけど。う〜ん、バイオリンをこの鳥がセリナちゃんのところに持っていくって言うんだから、実在はするんだろうけど……」
ぶつぶつとつぶやきながら考え込んでいたユーシスは、じっとこちらを見つめて動かない鳥に向き合うと、その前にしゃがみ込み、ディートフリートがしたように目を合わせた。
セリナが無意識に発動していた、声に乗せた意志を伝える魔法を使って、鳥に話しかけてみる。
「ねえ、君、スヴェンだっけ? バイオリンはセリナちゃんにとってとても大切なものなんだ。そしてこのディートフリートも彼女のすごく大切な人だ。だから、俺達が彼女のバイオリンを持って君と一緒に行くよ。きっと、セリナちゃんと一緒に竜たちの助けになると思うから。俺は、飛行艇を飛ばすことが出来るから、君と一緒に飛んでいける。どう? スヴェン、いいかな?」
鳥は、ユーシスの言うことをじっと聞いていたが、やがて、ギュイッと鳴くとユーシスに了承の意志を伝えたのだった。
時を少し遡り、セリナは白い小竜の母親と思しき人物に面会していた。
そう、人物……つまり人間だったのだ。少なくとも見た目は。
(でも、なんか人間離れしているのよね、どう見ても)
まず、その身長がセリナよりもかなり高い。多分2メートルはあると思う。
そして、髪の色が不思議だ。青味を混ぜたパール色。
瞳の色は金色で、瞳孔が縦長なのだ。その顔貌はとても美しいのだが、なんていうか表情に乏しい。
体つきは女性だ。
「人間の娘、我が子を助けてくれた礼を言いたい。ありがとう」
その女性が口を開いた。
今では耳からでも理解出来るようになったファーレン王国の言葉ではない。不思議な響きのその音は、セリナの脳内で意味のある言葉に変換されていく。自動発動しているセリナのこの魔法は、セリナが自覚して使っているわけではない。
「いえ、助けたとおっしゃいますが、私が何をしたのかよくわからなくて……上手く説明できないのですが」
セリナは、最近話しているファーレン王国語で答える。
「そなたは名は、何と言う? 不思議な魔力を感じるな。まるでこの世界の理の外の力のようだ」
女性の表情はあまり変わらないが、その声に驚きの響きが感じられた。
セリナもまた受け取った言葉の内容に、驚きが隠せない。
「そんなことがわかるのですか!?」
つい問い返してしまい、はっとして慌てて謝った。
「……ごめんなさい。つい。私の名はセリナです。おっしゃる通り、別の世界から迷い込んだ迷い人と言われています」
女性は特段気を悪くするわけでもなく、淡々と続ける。
「そうか。我はヴェツェリデギーナ。この子はツァイデジーン。人には馴染みがない名前だろう。ギーナとジーンで良い。それにしても迷い人か」
「はい、あの、それで……私はどうしてこちらに呼ばれたのでしょう?」
セリナはここで、一番気になっていることを尋ねてみる。
なにせ彼女は、今朝方露天風呂に入ろうと脱衣所に入ったところで、突然目の前に小さな白い竜が現れて、キュイキュイと鳴きながら、
「昨日の夜はありがとう。僕と一緒に来て!」
と脳内に語りかけられ、あまりのことに呆然としていたセリナに飛びつくと、次の瞬間には、そのまま先程の部屋にこの竜と一緒に移動していたのである。
全くもって意味不明の自体に、一瞬この世界にやってきたときのことが脳裏をよぎりヒヤリとしたが、つぶらな金色の瞳でセリナを見上げて、
「昨日の夜、僕に魔法かけてくれたでしょ?母様とお礼をしたいの!」
とキュイキュイ鳴くこの竜に、違うだろうな、とその考えを否定して、冒頭に至ったのだった。
「それは我が、ツァイデジーンと共にお前をここに呼んだからだろうな。
セリナ、昨夜ツァイデジーンは、ユベルの地にいた。
この子は以前、うっかりこの地に湧く澱みに触れ、その生命力と魔力をひどく弱らせ、長くは生きられない運命だった。
ユベルの空気は、癒やしの気が強い。この地では酷く消耗するこの子は、かつては我らの聖地であったが、今は神より禁断の地となったユベルで、癒やされ穏やかに消え逝くことを望んだのだ。我らは神に希い、許しを得て、ツァイデジーンは友であるスヴェンと共に、その地で最後を迎えるべくユベルに降りた」
言葉を切ったギーナに、セリナは頷いて理解を示す。
「人に決して見つからぬよう、山の奥の泉で躰を癒やしていたツァイデジーンは、昨晩、不思議な音色を聴いたという」
続けたギーナの言葉を、次は仔竜であるジーンが引き取った。
ジーンは驚いたことに、その姿を人型に変えていた。白く輝くパールの髪の色に金色の瞳、セリナの腰ほどの身長で可愛らしい少年の姿だった。
「不思議な音だったよ。ひどく穏やかで心に滲みて、ユベルの満天の星空に降るたくさんの流れ星が、その音と共に僕を迎えに来たのだと思った。ずっと辛くて苦しかったこの躰の奥から、ゆっくりと暖かい気が溢れて、僕はいよいよ神様の下に召されるんだって、そう思ったんだ。
軽くなった躰で、僕は空を飛べる気がした。
今までこの天空の地では一度も飛べたことなんてない。いつも母様に抱いてもらうか、母様の魔法でしか移動出来なかったのに、この地にだって、スヴェンに連れてきてもらったのに……僕に湧き上がってきた力で、僕は空を飛べる気がしたんだ」
ジーンはキラキラとした瞳でセリナを見上げて、一生懸命に語って聞かせる。
「その力は本物で。昨晩僕は、躰を壊してから初めて空を飛んだ。魔法も自由に使えた。こんな風に人型にだって、なれた!」
ギーナがジーンを見遣りながら、声に喜色を纏わせ、続ける。
「ツァイデジーンが、この天空の地にスヴェンと共に戻った事が、どれだけ我を驚かせ喜ばせたか! 我はツァイデジーンの身に残る僅かな魔力の気配を辿り、ツァイデジーンにお主を迎えに行かせ、ここに呼んだのだ」
ああ、と私は、納得する。
昨晩メイベルさんに誘われ、私達は別荘の庭で流星群を眺めていたのだ。
月のない良く晴れた夜空に満天の星々、そこに尾を引く流星たち。そこで語られた、メイベルさんと今は亡きご主人との想い出。
私は、メイベルさんのご主人であるディートフリートさんのお父様の御冥福と、その魂が巡っていつかまたお二人が出会えるように、と願いを込めて、「世◯の約束」を弾いたのだった。
どうやらそれが、このジーンを偶然に助けてしまったらしい。
一体どういう原理でこうなったのか? 相も変わらずセリナにはわからない。
でもその偶然が、この親子を助け、ジーンがこんなに喜んでくれたのは、セリナも嬉しい。
「我が子を助けてくれたそなたに、感謝とそして頼みがある。どうか我が子と同じように苦しむ同胞を救ってやってほしい」
そしてセリナはギーナから、この国で起こっているある現象について話を聞き、やってはみるが効果は保証できないかも? と言って、協力することにしたのだった。
ジーンとたくさん話をしながら、セリナはギーナにも歓待され、部屋でスヴェンを待っていた。
ギーナは、竜の国と呼ばれるこの国の女王で、スヴェンはそのたった一人の王子だったのだ。
「あ!スヴェンが帰ってきたよ!」
ジーンがそう言って、ハッと顔を上げ、窓側に走っていく。その先には竜型でも出入りが可能なほど、広いバルコニーがあるのだと言う。
「ジーン、人間の気配がする。スヴェンが連れてきたのなら、敵意は無いのだろうが、気をつけなさい」
ギーナがその背に向って言った。
「人間!まさか……ディートフリートさん」
セリナもハッと立ち上がった。ディートフリートに宛てて、心配しないよう、そしてバイオリンをスヴェンに持たせて貰えるように、手紙を書いたのだ。
スヴェンと一緒に戻って来たのなら、それはきっと彼に違いない。
でも、どうやって?
そう思いながらも、ディートフリートに少しでも早く会いたくて、セリナも立ち上がり、バルコニーに向けて走る。
「セリナ!」
彼女がバルコニーに出るなり、強く抱き締められて、視界は深緑で覆われた。
ディートフリートがいつも着ている軍服の色だ。耳慣れた懐かしい声に、セリナの胸の奥も熱くなる。王都に出掛けていたディートフリートの声を聞くのは、久し振りだった。
「ディートフリートさん!」
セリナもギュッと彼にしがみついた。
するとディートフリートが、彼女の背をぽんぽんと慰めるように叩き、そっと身体を離してセリナを覗き込む。晴れた空の色と同じ蒼い瞳が、心配そうにセリナを窺っていた。
「大丈夫か? どこも怪我していない?」
ディートフリートは、全身をざっと眺めて一通りセリナの無事を確認すると、やっとほっと息をついた。
「はい。とっても良くしてもらっています。大丈夫ですよ。心配かけて、ごめんなさい」
セリナが謝る必要は多分無いのだが、ディートフリートの心配に報いたくて、セリナはそう言って申し訳無さそうに微笑んだ。
ディートフリートは彼女の言葉に、もう一度セリナをギュッと抱き締めた。
「まったく、いきなり飛び降りるんだから……」
すると、ぶつぶつと文句を言う声が、ディートフリートの後ろから聞こえた。セリナは、ひょいと、ディートフリートの身体越しにその声の主を確かめる。
「ユーシスさん……ああ、それでスヴェンと飛んで来れたんですね!」
ユーシスの魔力と魔法なら、飛行艇を遠くまで飛ばすことが可能だった。彼は、この国でもひときわ優秀な魔法師だ。きっと、心配するディートフリートを気遣って、ここまで連れてきてくれたのだろう。もしかしたら、竜の国に好奇心を刺激されたのかもしれないが、その手にはセリナのバイオリンケースを持っていた。
「うん。そこの男は、セリナちゃんを心配して今にも倒れそうだったからね、連れてきた。もちろん大事なコレも届けに来たよ!」
ユーシスの台詞にセリナは笑う。
「二人共、ありがとうございます。来てくれて、嬉しいです」
「ねえ、セリナ。その人間達は、セリナの友達?」
スヴェンの傍らに立ったジーンが、再会を喜び合う三人に言った。きょとんと首を傾げてこちらを眺めている。
ディートフリートとユーシスが、その声の主を見て驚きの表情を浮かべた。
「君は?……ああ、ディートフリートごめん。今意志疎通の魔法を君と共有させるよ」
ユーシスは、そう言ってディートフリートに魔法を掛ける。彼は、セリナが無意識で発動している魔法を解析し、便利だからと彼自身も使えるように習得してしまったのだ。
さすが陛下お抱えの魔法師だ、とセリナは感心してしまった。
セリナはジーンの問いに、互いの紹介をすることで答える。
「彼は、ツァイデジーン。この国の女王の息子で、人型をとっています。小さな白い可愛らしい竜なんですよ。ジーン、こちらはディートフリートさんと言って、私の婚約者で、もう一人はお友達のユーシスさんです。」
「ジーンでいいよ。セリナの友達なら。そっか。たくさん心配をかけちゃったんだね。ごめんなさい」
どうやら三人の様子を見て、ジーンも察したらしい。素直に謝った彼に、ディートフリートは首を横に振った。
「いや。セリナが無事ならそれで良い。事情があるんだろう? セリナはお前達を助けたいと言っていた。だから、俺達は、セリナを手伝う為にバイオリンを持ってここまで来た。事情を教えてはくれないか?」
ディートフリートのその言葉に答えたのは、ギーナだった。
「人間達よ。それは我が説明しよう。我はヴェツェリデギーナ。この国の女王にしてツァイデジーンの母だ。そこは人の身には寒かろう。中に入るといい」
ギーナは、バルコニーに続く扉の前からそう言って、一同を部屋に招き入れたのだった。
ユーシスは、興味深く周囲を眺めながら、通された部屋に入っていった。
竜の名は人には認識しにくいから、ギーナとジーンでいいと言われ、そう呼ぶことにする。
ディートフリートはセリナを離そうとはせず、その手をしっかりと握っている。いつも過剰なスキンシップには恥ずかしそうにしているセリナだが、今回ばかりはおとなしく受け入れていた。
ジーンは今、竜体に戻り、友であるスヴェンに寄りかかってウトウトしている。可愛らしいその姿に、ギーナやセリナを始め皆の眼差しは柔らかい。
温かい飲み物を出され、和やかな雰囲気の中、ギーナの話は始まった。
表情に乏しく、淡々と話し、背が高く整った顔貌だが、人間にはない金色の瞳に縦長の瞳孔は、やはり竜なのかと納得する。この女性の竜体も見てみたいものだと、ユーシスは思った。
「我らは、千年以上を生きる長命種だ。そして、おそらく人よりも膨大な魔力と魔法を扱い、この身にも爪先や髪の一筋にまで魔力を帯びている。かつてはこの星の覇者であり、海も大地も空をも我らが行けぬ場所は無かった。
しかし、時間をかけて数を増やし、文明と魔法の発達を遂げた人間達は、我らを狩り始めた。この身に魔力を宿す我らの躰は、骸となっても人間にとって価値があるものだったからだ。
我らは本来個人主義で、番とその仔らにしか興味がない種族。1個体の威力も大きく、群れることはしなかった。数を増やした人間達にはそれが幸いし、我らは次々と狩られていった。
そこで、とうとう我らも自衛のため竜種を集め、最も力のあるものを王として人間と争うこととなる。だが、開戦となったその時、神が我らのもとに降りてきたのだ。
神は、我らに天空に浮かぶ大地を与えるが故、この星の大地と海を捨て、空で生きよ、と言った。我らはそれを受け入れ、竜種と翼を持つものだけが住むことの出来るこの地に移り住んだのだ。
それが我の曾祖父の時代だ」
歴史書にはないお伽噺で語られた時代の話だ。この不思議な浮島をスヴェンに連れられ初めて見た時、ユーシスは興奮のあまり、危うく飛行艇を落とすところだった。まったく、神の御業とは素晴らしい、とユーシスは感嘆した。
そして、ギーナの曾祖父といえば数千年ほど前の話だ。その間竜種は、人に見つかることなくここで生きてきた。その彼らの生活は、平和と清貧を尊んで来たのだろうと思う。
人間達は愚かだな……とユーシスは思った。
「我らは長命種故、繁殖力は高くない。約千年の一生で雌が卵を生むのは、1個か2個。緩やかに滅びを待つ種族だ。だが、番や家族そして仲間は大切にする。ここに住むようになってからは、我らは力を合わせ、互いを支え合って生きても来た。
ところが、ここ数百年ほど前、この地に原因不明の澱みが湧いて出て、うかつに近づいた弱い個体、つまり仔竜の生命力や魔力を著しく低下させ、やがて死に至らせるということが何度かあってな。この仔ももう長くはないと覚悟していたところだった」
続いたギーナの話にユーシスは、今回の騒動の理由を察した。
「ああ、それを偶然セリナちゃんが助けちゃった、と。うん、相変わらずの意味不明チート魔法だよね。そして、君達の願いはその澱みの浄化ってこと? でも、君達竜種の魔法は、浄化も強力なんじゃ?」
当然のユーシスの疑問に、ギーナは首を横に振る。
「当然我らも試みたが、あれはおそらく、かつて異世界からやってきた者が大地に芽吹かせた澱みを生む植物。人間達は処分したらしいが、おそらく鳥がそれとわからず運んで来てしまったのやもしれない。この世界の理の外にある魔法は、我らではどうしようもないのだ」
ユーシスはそれを聞いて思い出した。
かつて、一人の迷い人が国を乗っ取り支配しようとした。その男は後に討伐され国は滅んだが、大地に膨大な瘴気を振り撒いた。後にやってきた迷い人が、その瘴気を吸収し浄化する為に、魔法樹を生み出した。それは上手く機能してその国の浄化はされたが、一部が変異して瘴気をまき散らし始めたため、その迷い人によって処分されたと文献に残っていた。
「なるほど。わかりました。これまで我々人間達は、あなた達竜種にひどく害を及ぼしたらしい。申し訳ない。せめて、セリナを手伝いその澱みの元を始末してきましょう」
「確かに我らは人間によって多くのモノを失った。だが、全ての者が強欲だったり、悪だとは思っていない。遥か昔には心を通わせた人間もいたし、今もセリナのように我らを助けてくれる迷い人もまた存在する。
我らはこの限られた地で長く生きるが故、恨みや憎しみという感情を捨ててきたのでな。怒りはあっても長く継続し、その感情が憎しみなどに変化することはないのだよ」
そう言って、寂寥をその声に乗せたギーナは、ユーシスをじっと見つめる。
ユーシスは、竜達の営みを思い、切なさを感じて目伏せる。せめて彼らの安寧を願い、力を尽くそうと思った。
すると、それまで黙って話を聞いていたディートフリートが口を開いた。
「ギーナ、セリナと共に俺達も同行し、その澱みを断ち切れるように力を尽くそう。だが、彼女の力は不安定で、あなた方の望み通りの結果を得られるとは限らない。それでも、彼女を責めるのはやめて欲しい」
「もちろん、約束しよう。セリナはすでに我が子を助けてくれた。我は感謝しているよ」
その言葉に安心したようにディートフリートは頷くと、立ち上がる。
セリナもまた、彼と一緒に立ち上がった。
「行きましょうか? ユーシスさん、魔力は大丈夫ですか?」
「当たり前だよ。誰に言ってんのさ」
セリナの心配を、ユーシスは一蹴する。この地や、先程出された飲み物は、不思議な事に魔力を急速に回復させていく作用がある。ユーシスに問題は無かった。
三人は飛行艇に乗り込み、バルコニーを飛び立つ。
「なんというか、壮大な眺めだな」
浮島には、太古からの原生林や山や清流の流れる滝や川も存在し、田畑も見える。所々に煙を上げる家屋が点在し、偶に大きく長い竜が、空中を飛来していく。
女王が通達したらしく、こちらの飛行艇をチラリと見る程度で興味はないらしい。
時間が緩やかに流れているようだ。
ディートフリートの声に、セリナが答える。
「隔絶された、楽園なのかもしれません。でも実は、閉じ込められているのでしょうか?」
セリナがこぼした言葉は、ユーシスが拾った。
「それは、彼らが決めることだね。この浮島以外でも、姿を隠して空は飛べるんだろう?我々はせめて、翼を休めるこの地の安全を守れるように頑張るとしよう。あの辺りに澱みの気配がするね? もう少し、近づいて降りるよ」
三人が降り立った先にある、山間にある森の一部が、明らかに異様な気を放っていた。
何となく背筋がゾワゾワするような気持ち悪さがある。
「ディートフリート結界を張っていこう。セリナちゃんはこっちでカバーするよ。君は、この瘴気まみれの枝を払ってくれ。おそらく先に進もうとすると妨害しようとしてくると思う」
「わかった」
ディートフリートはあっさり言って、剣を抜き、自身に結界をかけて先頭を進んでいく。不安そうにそれを見たセリナにユーシスが言った。
「大丈夫だよ。ディートフリートは国一番の騎士だよ。こんなのはトレーニングにすらならない程度だから。さあ、俺達も行こう」
「わかりました。よろしくお願いします、ユーシスさん」
セリナもディートフリートについて、森に入っていった。
鬱蒼としたその空間に足を踏み入れると、次々と襲ってくる枝々をディートフリートが剣で薙ぎ払いながら、一部凍り付かせて進んでいく。
まるでトンネルのようになった空間のその先に、瘴気を発する大樹が根を張っていた。
「これか……成る程、世界の理の外の魔力ね。確かに俺達にコレの浄化は無理そうだ。セリナちゃんお願いして良い?」
「はい」
セリナは頷いて、バイオリンを構える。
奏でる曲は、昨晩と同じ「世◯の約束」
願いをこめて、魔力を乗せる。
イメージするのは、人間の行いの謝罪と竜の国の平穏。
彼らの大切な子供達を、これ以上害することがありませんように。
この国の竜達のささやかな毎日が、どうか幸せに溢れた日々でありますように。
どうかここに暮らす竜達が、健やかに穏やかにお互いを思い合って仲良く暮らしていけますように。
瘴気を帯びた大樹が、少しずつホロホロと崩れ、空気に溶け出していく。ユーシスは一瞬瘴気が拡散するのでは?とヒヤリとしたが、その欠片が浄化されるようにキラキラと光を発しながら消えていくのを見て、ほっとする。
やがて、大樹は姿を消し、セリナの旋律は美しい七色の光を帯びて、空高く舞い上がり、この国に優しく降り注いだ。
ディートフリートが言葉を失くし、その光景に魅入っている。
ユーシスもまた、戦争を収めたときのセリナを思い出し、セリナの魔法に感動した。
やがてバイオリンをおろしたセリナが、足元をふらつかせたのをディートフリートが抱き留めた。
「セリナ、お前は本当に……」
そっと彼女を抱き上げて、ディートフリートはその胸の中にセリナを抱き締めた。
(本当に何度だって、お前のことを好きになる)
いつも何度でも、セリナその人に魅かれていくその気持ちを、ディートフリートは抑えることが出来ない。
「ありがとうございます。ディートフリートさんやユーシスさんのお陰ですね」
そんな風に笑った彼女に、ディートフリートはコツンと額を当てると言った。
「帰ろう。俺達の家に」
「はい。帰りましょう」
顔を見合わせて微笑んだ二人に、ユーシスも自然と笑顔になる。
「俺の存在を無視しないでよ、二人共。送ってくの俺だから。でもさ、セリナちゃんは、本当にすごい魔法使いだね。」
そう軽口で二人をからかいながら、飛行艇に向って歩いていく。セリナは魔力をかなり消耗したようで、ディートフリートが離さなかった。
飛び立った飛行艇が、竜の女王のもとへと空を飛ぶ。
すると、次から次へと空に上ってくる色とりどりの竜達が、飛行艇に並んで飛びだした。
高く響く鳴き声から伝わる意志は、感謝だ。
ユーシスもディートフリートも目を瞠ってその光景を眺めている。セリナはそんな竜達に、手を振って答えていた。
やがてギーナの住む城に着いた三人は、その庭に降り立った。
ディートフリートは、セリナを支えて地面に立たせてやる。
ジーンが人型で走ってきた。セリナに抱き着き、彼女を見上げる。
「セリナ!セリナは本当にすごいよね!ありがとう。この国は今セリナの優しい魔力で、まるで聖地のように癒やされているよ!」
ジーンが興奮してセリナに言った。
ギーナもまた、セリナに感謝を伝える。
「礼をいいます、セリナ。本当にありがとう。我らはこれで、憂うことなくこの先も、この地で暮らしていける」
空を飛んでいた竜達も、人型となって庭に降り立った。
その躰の色を髪色に宿した竜たちは、背も高く壮観だ。
「私だけでなく、ユーシスさんもディートフリートさんも助けてくれました。人間がこれまでにしたことは許されることではないかもしれませんが、少しでも罪滅ぼしになっていれば嬉しいです。
きっと、皆さんとはもう会うことはないでしょうけど、大地から皆さんの幸せを祈っています」
セリナがそう言って、頭を下げる。ディートフリートとユーシスもそれに倣った。
竜達は、じっとセリナの言葉に耳を傾けていたが、やがて誰かが高く声を上げた。そして、それに続くように少しずつ声が重ねっていく。
「これは、歌?」
三人は頭を上げ、セリナは驚きに目を瞠った。
「別れ行く者に、その先の幸せを願って歌う竜の歌です」
ギーナが教えてくれる。
彼らのその願いは確かな意志になって、三人に伝わった。
やがて、スヴェンが翼を広げ飛び立ち、頭上をゆっくりと旋回する。
「スヴェンが送るよ!セリナ、幸せにね」
「ありがとう。ジーンもね!」
ジーンがそう言って、セリナから離れた。三人は飛行艇に乗り込み、ユーシスが飛ばす。
「行こっか。スヴェン頼むよ」
ユーシスが先を飛ぶスヴェンに付いて、飛行艇のスピードを上げた。セリナは皆の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
「長かった……」
ディートフリートは、セリナと出会い、今日結婚式を挙げるまでの期間を振り返り、思わずそう呟いていた。
約2年間弱、セリナに散々振り回されたような、でも毎日が新鮮な驚きや感動に溢れて、セリナを想う恋心や愛情に底が見えないくらい、ずぶずぶと嵌まり込んで、そしてそれがディートフリートを幸せにしてくれる。
そんな彼女と、今日やっと結婚できる。
そんな風に幸せを噛み締めていたディートフリートに、容赦なく突っ込む声が二つ。
国王陛下とその側近だった。
「あ〜あ、嬉しそうだねえ。これはしばらく新婚ボケしそうだよ、アルベルト」
「本当に……セリナを構い過ぎて愛想尽かされないようにね?ディートフリート」
きらびやかな容姿の上衣装も豪華な二人は、一番歳下のディートフリートが最初に結婚に漕ぎ着けたのが、若干面白くない。
しかも相手は、とても可憐で綺麗な、心も美しい愛情深い女性だ。
「まったく、私達を差し置いて、一人だけ幸せになるなんて、羨ましい」
「ホント、俺達もあやかりたいなあ」
二人は、もはや妬む気持ちを隠しもしない。だが、幸せの絶頂にいる(その絶頂も毎日更新されているのだが)ディートフリートには、全く響かない。
「お陰様で、やっと今日を迎えることが出来ました。アルベルトとユーシスには、感謝してる」
なんて、素直に礼を言うから、アルベルトもユーシスも毒気を抜かれて微笑んだ。
「うん。まあ言うまでもないけどさ、お幸せに」
ユーシスが手を振って言い残し、控室の扉を開ける。
「君達の未来に、神の祝福がありますように」
アルベルトもディートフリートに祝福を贈ると、開けられた扉を出て、式場に向かった。
一方、花嫁の控室では、メイベルがセリナを訪ねていた。
「セリナ、おめでとう。そして、息子と一緒にここで生きてくれること、本当にありがとう」
セリナはその言葉に、柔らかく微笑んだ。
「メイベルさん、いえお義母様、ありがとうございます。この世界で独りきりだった私を受け入れてくれて。こうやって家族にしてくれて。ディートフリートさんにもいつも幸せにしてもらって。私、怖いくらいです」
メイベルはそっとセリナの手を取った。セリナはもっと自信を持っていい。彼女は皆を幸せにするすごい魔法使いだ。
「セリナ、私はいつでもあなたの味方よ。ディートフリートがあなたを傷つけることがあったら、私が叱ってあげますから、どうかずっとここにいてちょうだい」
メイベルの冗談に、セリナはクスクスと笑った。
ディートフリートがセリナを傷つけることなんてあり得ないから。彼はいつだって、過保護な位セリナを心配して思いやってくれる。
深い愛情で、いつだってセリナのことを守ってくれている。
だから、セリナも彼に想いを返していきたい。
「私、ディートフリートさんを幸せにするって、約束します。彼がいつも笑っていられるように。辛いときは、その気持ちが癒やされるように寄り添います。だから、お義母様も皆も、一緒に幸せになりましょう?」
そんなセリナの言葉に、メイベルは一瞬ぽかんとしたが、声を上げて笑い出した。
「そうね!ええ、皆で幸せになりましょうね」
そして、ゆっくりとセリナを立ち上がらせた。
「じゃあ、行きましょう」
メイベルは、セリナの手を引いて式場に向かう。
それから、家族や友人達そして竜に祝福された、迷い人と彼女の騎士は、末永く幸せに過ごしましたとさ。