『尊い』を喰らう、色欲の悪魔
「うひゃひゃひゃひゃ。逃げ場は無いぜぇ、お嬢ちゃんよぉ?」
洞穴の奥。そこは松明の明かりのみで薄暗く、風はほとんど入って来ない。湿った空気の中、行き止まりでうずくまる少女と、追い詰めるように立つ中年の男がいた。男はでっぷりと太った腹、薄汚れたタンクトップ、汚く不並びな歯といった盗賊にしても余りにみすぼらしい容姿をしている。まるで嫌悪感を体現したようであった。
「い、いや、来ないで!」
奥に追い込まれた少女はそんな中年のオッサンとは対照的に明らかに身なりのいい服を着ている。真っ赤なドレスを纏った姿は、その容姿と相まって目を引くものがあった。
「なーに、お前は人質だ。別に暴行はしねぇよ。ただ、……味見くらいはするかもなぁ?」
男は睨めるような視線を少女に向けた後、卑下た笑みを浮かべる。少女は怯えきっていて、言葉も出ないようだった。
「へへ、ヤっちまった後は回してくださいよ、お頭」
見張りの男も下品に笑う。品がある人間なんかここにはいない。
「た、助けて!」
少女が震えながら言う。
「助けなんて来ねぇよ。大人しくしな!」
「それはどうかな?」
男が少女の服に手をかけようとした瞬間、洞窟の入口から声が響いた。同時に猛スピードで洞穴を直線で進む影が見える。
「がっ」
「ぐはぁ」
見張りの者たちは断末魔を上げる暇もなく首が刎ねられる。そしてその影はすぐに中年の男の前まで来た。
「な、なんだテメェ! おい、お前ら、やっちまえ!」
男は部下に支持を飛ばす。が、それに反応する者はいない。
「無駄だ。もうお前の部下はいない」
鎧姿の女は言う。長い金髪が僅かな光の中揺れた。
「ちっ、使えん奴らめ。」
男は懐からナイフを取り出す。それを空中で振り回し、
「俺はオーンと言う。これでも『黒犬』のリーダーなんでなぁ。痛い目見たく無かったら、さっさと帰りな」
と言い放った。
「御託はいらない!」
女騎士が剣を振った瞬間、男、オーンの持っていたナイフが宙に浮かぶ。そしてゴトリと何かが落ちる音がした。
「うおぉぉお、お、俺の腕がぁぁ!」
オーンは右腕を、正確には右腕のあった所を抑える。そして血走った目で身なりの良い少女を睨んだ。
「く、来るんじゃねえ! こ、この女がどうなってもいいのか!?」
「下種が。最後まで汚らわしい」
女騎士がとてつもない速さで地を蹴る。地面が抉れるほどの脚力で踏み出された攻撃に盗賊は対処できない。
「ま、待て。金ならやる! だから命だけは!」
「遅い!」
オーンの首が飛ぶ。血が辺りに飛び散る。
「大丈夫ですか、姫様」
女騎士が姫と呼ばれた少女をそっと抱く。すると姫は緊張の糸が切れたのか、女騎士を強く抱きしめながら泣き始めた。
「姫様、駆けつけるのが遅くなってすいません」
「いいの。貴方が来てくれて安心したわ」
姫と女騎士はしばらく見つめ合っていた。
「……。私は二度と姫がこのような危険な目に遭わぬよう、改めてこの身を姫に捧ぐ事を誓います。」
女騎士が膝をつき、姫の手の甲にキスをする。その様子を嬉しいそうに見つめた姫は――。
※ ※ ※
(いい、いい、完璧だ!)
そんな様子を見ている人が一人。オーンの首である。頭から下が無いのに、その目は燦然と輝いていた。
彼は正確には人間ではない。悪魔、それもかなり偉い部類である。悪魔とは通常現れるだけで街を壊す程の実力を持っているが、この男と、この男の部下だけは毛色が違っていた。
(やはり百合は素晴らしいですね、アスモ様!)
これまた首だけになった部下からテレパシーが入る。ここにいる盗賊は皆、オーンもといアスモと呼ばれた男の部下であり、「黒犬」なんて組織は最初から存在しない。
何故こんな茶番のような事をしているのか? それは世で言う『尊い』ものを見る為である。この男、通称色欲の悪魔は、他の生物を喰らって強くなる他の悪魔とは違い、人の愛を見る事で強くなる、異例中の異例種だった。
別に遠目から見るだけでも強くはなれるのだが、試練があった方がより強い愛が生まれる、という信念を持つ彼は敢えて自らが干渉し、より強固な愛を築かせようとする。
三流な男の芝居も彼が好むやり方であった。
(良いものが見れたなぁ)
洞穴を出ていく二人を見届けると、アスモとその部下は溶けるように影の中に消えていった。
※ ※ ※
現世から魔界へと戻ってきた。変身を切った今の私の見た目は、あんな汚らしい盗賊のものではない。中性的とよく言われる顔とクリーム色の髪をした、素の状態である。勘違いされやすいが、性別は男だ。
(キスまでするとは……。これは完全に想定外だ。良いものを見せてもらった)
今日の私は非常に機嫌がいい。何せ先程の姫と女騎士がキスをしたのだ。予想以上の光景を目にする事ができ、幸せを胸一杯に感じている。
今私がいる魔界には愛などない。争いを好むアホ共ばかりで、心底辟易としてしまう。
しかし、今日の食事だけで、数年は生きていけるだろう。『尊い』を見ることは、私と眷属にとっては食事に等しい行為だ。
「さて、次は……」
私達にとって恋愛を眺める事は食事に等しいが、数年生きれるからと言って、その間人間の恋愛に干渉しない訳ではない。
魔界は争いにまみれているので、いわば退屈なのである。別に仕事がある訳でもない。
だから私は頻繁に現世に降り立つ。普通悪魔が現世に行けばそれなりのパニックになるし、最も現世に行ける技術を持った悪魔など数えるほどしかいない。
だが、私はバレないように行ける手段を見つけた。それに部下を引き連れて行く事もできる。これによって私たちは好きな時に魔界と現世を行き来できる。
「おっ、これなんかイイね」
現世の様子を見れる水晶に映るのは、大きな屋敷の中の光景。どうやら少年に、使用人の女性が勉強を教えているようだ。
『レン様、ここは――』
『ち、近いです、エリさん』
少年は熱の籠もった視線を使用人に送っている。間違いない、これは『おねしょた』だ。
「皆、次のターゲットが決まった。前回待機だった二人と……、ゲイル、お前も来い!」
ゲイル、二つ名は「『おねしょた』のゲイル」である。この男はかなりの硬派で、尊ければ何でも喰らう私たちと違って、おねしょた以外の食事を決してしないのである。偏食とも言えるがその情熱は凄まじく、周りからは尊敬を集め、私も初めて幹部にしたくらいには信頼を置いている。
「ほう、私を呼ぶか。まさか主、次の獲物は?」
「うん、そのまさかだ」
ゲイルが震える。3年振りの食事となるゲイルはその瞳に強い光を宿した。
「感謝します、我が主」
短くそう言うと彼は立った。今回は彼にメインで動いてもらおうかな。
※ ※ ※
「本日からこの屋敷で働かせて頂きます、オーンです。初めてですのでお手柔らかに」
今私は老人の姿で潜入捜査をしている。別にぶっつけ本番でもいいし、前のように馬車などで移動している所を狙ってもいいのだが、今回は二人がどのような感情を持っているのか、それをしっかり確かめておきたい。
「では、よろしく。仕事の説明は私、エリが行います」
エリと名乗った女性が頭を下げる。この女性、今回のターゲットの一人である。今回は彼女に近づいて、雇い主の息子の事をどう考えているか知る必要がある。
「ええ、よろしくお願いします」
悪魔が人間相手に敬語を使い頭を下げるのは、普通おかしい行為らしいが、そんな事は気にしたことがない。
期間は一週間。その後は魔獣の森に調査に行くと言い、私は行方不明になる予定だ。
「ではまずは掃除から……」
こうして、悪魔が人間の雑事をする、という奇妙な一週間が始まった。
※ ※ ※
(変な人……)
エリは新しく入った老人の使用人を不思議に思っていた。まず仕事が完璧なのである。5日目にして、広い屋敷全ての仕事を覚えてしまったのだ。それは喜ばしい事なのだが、初めてと言っていたのに、既に10年以上ここで働いている私よりも出来る節がある。しかも、先輩の顔を立てる為か、それを隠しているようにも見えた。
そして何より不思議なのが、その人柄である。とても穏やかな話し方は油断すると、悩みを全て打ち明けてしまいそうになる。
「おや、エリさん。何かお困りですか?」
そんな事を考えていたら、ちょうどオーンがやって来た。
「別に何でもありませんよ」
絆されそうになっているのに焦って、強めに言い返してしまう。だが、彼はそれを意に返している様子もなく、
「いやはや、信頼されていないのは分かっていますが、少し思い詰めているように見られます。他言しないと約束しますので、この老骨に話してみてはいかがですかな?」
と言ってきた。顔に出さないようにしていたが、どうやらバレていたらしい。いや、気づいているのはもしかしたらオーンさんだけかもしれない。
「実は――」
彼の人柄を信じてしまい、口を開いてしまった。
「私、レン様、ご主人様のご子息に恋をしてしまっているんです」
「ほう?」
オーンさんの目が光ったように感じる。こんなご老人でも恋愛に興味があるのだろうか。ただ、その人柄からかレン様に対する思いを色々話してしまう。老人はそれを興味深そうに聞いていた。
「……けど、所詮は平民と貴族。結ばれるはずもありません。なのでこの感情は隠さないといけないのですが、隠すほど強く意識してしまうようになって……」
気づけばそんな事まで口にしてしまっている。拳は強く握りしめられていた。叶わない恋がこんなに苦しいなんて……。
「それは悲しい事ですね。何とかしなければ」
しわがれた声が震えていたので俯いていた顔を上げると、なんとオーンさんは泣いていた。
「な、泣かないでください! ごめんなさい、余計な事を言いました」
「いえ、余計な事ではございません。ただ昔を思い出してしまい……。情けない所を見せてしまい、すいません」
彼は仕事に戻るといい、姿を消した。その後すぐに彼は行方不明になった。
※ ※ ※
「て、敵襲ーッ!」
騒がしくなる屋敷。4人で入口から堂々と入り、目の前に入る人間は次々と気絶させていく。
「へっへっへ。野郎共、ガキを捕まえろ! 他は無視だ!」
こんな三流の盗賊の振りをしているのが私、アスモだ。
「曲者めッ!」
護衛と思われる人間が次々と斬りかかってくる。だが、それは悪魔を倒すには余りにもお粗末なものだった。
「うわーッ!」
間抜けな声で護衛の人間や使用人などが逃げて行く。そんな中私達4人は、事前に調べておいた、レン達が逃げるであろう緊急時の避難路へ向かった。
「居たぞ、ガキだけ捕まえろ! その他はどうでもいい!」
とは言いつつ、人は殺さないようにする。何せ極悪人以外は誰しも恋愛する可能性を秘めているからだ。
「な、何故ここがバレたのです!?」
エリは動揺している。護衛の者たちは軽く殺気を放出すると、我先にと逃げていった。
「ほう、お嬢ちゃん、この殺気で逃げねぇか」
ナイフを構えて睨む。とは言いつつ後はエリに私を殺させて、部下が逃げれば終わりだ。
非常路が繋がるこの部屋には、もう私を抜いて3人しかいない。この館の主の貴族と、その息子のレン、そして使用人のエリだ。
この3人も逃げたいのだろうが、一本道の通路はつっかえてしまっている。主である貴族の人物は意外と肝が座っているようで、息子を捨てて逃げるような真似はしなかったようだ。
……この状況にするのは大変だった。何せ貴族の主人が見ていなければ、エリとの婚約を認めない可能性があったからだ。周りが逃げて行く中、一人だけ残った使用人。それも息子の為に残るという忠誠心。これだけあれば、身分差なんて関係ないだろう。
まあ、その為にこの3人以外にはトラウマになってしまうレベルの殺気を当ててしまったが、まあいいだろう。
「行くぜぇ!」
ナイフを持って飛びかかる。まあ、私の見立てだとエリは、人間の使用人としてはかなり強い部類なので、こんなやせ細った体の私には苦戦もしないだろう。
「ハァ!」
案の定、私の動きを読み切ったのか、頭に重い回し蹴りが飛んで来る。私の体はそのまま壁に激突し、動かなくなる。
(これであの父親も納得するだろう。本当はもっとレンとエリの仲を深めたかったのだがな)
たかが使用人の一撃でやられる盗賊という、三流も演じる事ができた。このまま退散……、でもいいのだが、もうちょっとあの二人の関係が見ていたい。ここは試練を課すか。
「やるじゃねぇか、お嬢ちゃん。名前は?」
「あなたみたいな汚い盗賊に名乗る名などありません!」
ダメージを受けていないように立つ。すると、エリのストレートが飛んで来た。それを首を曲げて避け、カウンターとしてナイフを振る。が、エリもそれを読んでいたかのように手首を掴むと、そのまま私の手を捻った。
「いててッ。折れる、折れるゥ!」
痛覚などないので痛くなどないのだが、痛い振りをした。これで三流ポイントが上がった気がする。
左手で腰のホルダーからナイフを取り出し、肩めがけて刺そうとすると、エリは手を離して下がった。
「もう怒ったぞッ。皆殺しだ!」
本物の盗賊ならターゲットであるレンに手を出すなんてあり得ないのだが、激昂した振りをしてナイフをレンに投げる。
「レン様、危ない!」
エリが庇うように立ち、肩にナイフが刺さる。狙い通りである。
痛みのせいか、膝をつくエリ。レンは動揺したように彼女に近づく。
「大丈夫か、エリ!」
「ええ、急所は外れました。……ですが逃げて下さい。この状態では守りながらでは戦えません」
エリは歯を食いしばって立ち上がる。この光景だけで幸せな気持ちになれる。
「あの世に逝く準備は出来たか、お嬢ちゃんよぉ?」
ゆっくりと近づく。するとエリと私の間をレンが邪魔をするように立った。
「おい、先に死にてぇのか、ガキ」
「駄目です、逃げてください!」
エリの悲痛な叫びが聞こえる。手を挙げるが、正直この対応には困った。
(ええ、どうしよう。ここでレンを殴ったら、最悪二人が離れ離れになっちゃうしなぁ)
人間の体は思ったより脆く、肩にナイフが刺さった程度では問題ないと思ったのだが、問題大ありだったらしい。本来は怪我をしつつも私を倒し、それでお互いの大切さを改めて知る、といった展開にしたかったのだが、これは失敗だ。助けを求めるように主である貴族を見るが、彼は放心状態で動けないようだった。
(まあレンが男気を見せたし、これはこれでアリだけど)
なんて考えている時、神がかり的なタイミングでドアを開ける者が居た。
「なんだぁ、おい、もうアイツら弱ってるぜ。捕まえろ!」
そう、別の盗賊が乗り込んで来たのである。
※ ※ ※
(困ったな)
盗賊がやって来た訳だが、私には最大の問題がある。そう、キャラ被りだ。これではせっかくの三流男が台無しである。
困った事は他にもある。この男、結構強い。人間にしては、という注釈が付くとはいえ、エリがどうにかできる相手ではない。
「レン様、ご主人様を連れて逃げてください」
エリが力無く呟く。実力差を悟ったのだろう。
「エリはどうするつもりなんだ!」
レンが叫ぶ。
「私は一緒に行けそうにはありません。時間は稼ぎます」
「嫌だ、一緒に逃げよう」
レンは涙目でエリに近づく。
「言う事を聞いて!」
今度はエリが叫んだ。その目には涙が溜まったいる。
「小さい頃からワガママばっかりだったけど、でも、そんなレン様を――。いや何でもありません……」
そしてエリはしゃがむと、レンにキスをした。
「あなたにお使えできて私は幸せでした。では行ってください」
それでも留まろうとするレン。だが覚悟を決めたのか、父親の引っ張って緊急通路へ消えていった。
緊急通路からは泣き声だけが響いていた。
「さて、お前を捕まえて、あのガキも捕まえるか。何、あのガキの前でお前を散々犯してやるよ」
入ってきた盗賊は肩で息をしているエリに殴りかかる。
だが、そんな様子を静かに見守っていた男がいた。『おねしょた』のゲイルである。部下の3人は見張りという名目で影の中で待機してもらっていたが、彼は影の中から出てきた。
ゲイルの動きは速い。すぐさま腰に提げた刀で盗賊の手を切断する。
(流石に腹に据えかねる。主、殺害の許可を)
(構わん、ついでに私も殺せ)
純愛好きの彼にはこの盗賊の言う事が許せなかったのだろう。三流なセリフを言う暇もなく、首を両断した。
そして私は、ひぃぃ、殺さないで! と三流臭いセリフの残して殺された。三流対決は私の勝ちだ。
「あ、あなたは……?」
震える声でエリが尋ねる。
「俺は……。そう、気まぐれな天使だ」
悪魔が天使を語るのは両者にとって屈辱らしいが、私と眷属は気にしない。というより、下手に悪魔を名乗ると契約などの手続きがあり、面倒くさいのである。
「では、さらばだ」
ゲイルが影の中に消える。これで一件落着だ。
※ ※ ※
「よくやった、ゲイル」
頭を垂れるゲイルはどこか満足そうだった。
「見ろ、あの二人の様子を」
そう言って水晶を指差す。その中に映った光景は、
「お前らの気持ちはよく分かった。身分の問題は後々考えるとして、エリ、お前は私ではなく、レン専属の使用人とする」
「ありがたき幸せ」
「ありがとう、お父様」
と言い、笑顔で手を繋いで部屋をでる二人の姿。その姿を見て、ゲイルは震えていた。
「ああ、ああ、なんと素晴らしい。これぞ俺の生きる意味だ」
声は歓喜に震えている。
「フッ、では次の獲物を探すか」
次はどんな『尊い』が見られる? やはり人間は面白くて興味が尽きない。
尊いを求める色欲の悪魔は今日も現世を渡り歩いている。