第4話 明石と愉快な仲間たち
明石は、部屋の中にいた。
会議室のようなその部屋には、中央に大きな長方形のテーブルがひとつ。テーブルのそれぞれの長辺側には、向かい合うように椅子が4脚ずつ備えられていた。部屋の隅には、小さな飾り棚が設けられ、鳥や動物をかたどったような手のひらサイズの金属製の置物が、ちょこんと飾られていた。壁には、気にならない程度の大きさの絵画が、目立たない程度の銀色の額縁と一緒に掛けられている。
何も言われなければ、日本の、どこか会社の来客者対応用の会議室と言われても気付かないところだ。
その部屋にはドアがひとつあったが、明石にはそこを通った覚えはなかった。
明石はというと、今しがた自分の身に起きた事態を飲み込めずに、只々ラグナの顔を見ることしかできていなかった。ラグナと名乗る女性が差し出す手に触れた瞬間、広場の風景が一変して、屋内、この部屋の中にいるのだから、絶対に何かがおかしくなっている。それは世界か、はたまた自分か。
ラグナは、自分の手のひらに乗った明石の手を丁寧に下へ降ろし、ペコリと頭を下げた。
「アカシ様の執務室へ向かう前に、こちらにて、お顔合わせをいたしたく存じます。どうぞ、お掛けください。」
ラグナは奥側の椅子を引いて、着席を促した。明石は、訝しげな表情になりながらも、その席へ座った。座る間も、明石はできる限り考えを巡らせていた。ドッキリだとしても、仕掛けが全くわからない。一体何が起こったのか、それとも…。
コンコン、とドアがノックされた。
「支援室のノエルでございます。」
「早いわね、どうぞ」
ラグナがノックに応えると、ドアを開けて子供が入ってきた。
少なくとも明石には子供に見えた。いくつくらいだろうか、小学校低学年頃の少女だが、白いフリル付きの黒のメイド服を着て、上品そうに明石に会釈をした。髪の毛は藍色で、耳の下くらいのショートカットにしている。
「救世主、アカシ様よ。」ラグナが少女に紹介した。
「アカシ様、ようこそお越しくださいました。」
ノエルと名乗った少女は、改めて明石にお辞儀をした。
「私は救世庁救世支援室のノエルと申します。こちらの世界でのアカシ様のお食事などを担当いたします。アカシ様が快適に救世活動を執り行えますよう、尽力いたしますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。早速ではございますが…アカシ様、こちらの世界にいらっしゃったばかりで気も張っていらっしゃるかと思います。何かお飲みになられて、リラックスいただければと存じますが、いかがでしょうか?」
「え、えーと」
「日本茶、紅茶、コーヒーなどがございます。」
「じゃ、じゃあお茶を…。」
「かしこまりました、それでは失礼いたします。」
スカートを腰のあたりでちょこっとあげて、ノエルは明石に頭を下げると、部屋から出ていった。
「さて、明石様。色々なことが立て続けに起きて、混乱されているかもしれません。私が前触れもなく数々の魔法を使ったためでございます。顔合わせの前に、予め、いくつかご注意いただきたいことがございます。」
「いや…はい」
ラグナが説明し始める。明石は聞きたいことは数え切れないくらいあったが、まずは話を聞いてからと思い、ラグナの次の言葉を待った。
「まず、こちらの世界では、私のそばを離れないでください。さきほどお聞きになったかもしれませんが、明石様の世界の言語と、私どもの話す言語は異なります。失礼ながら、明石様には翻訳の魔法を掛けさせていただいております。この魔法で、明石様の発話は私どもの言語に変換され、また、明石様には私どもの言語が明石様の御理解いただける言語に変換されて聞こえるようになっております。私の魔法には有効範囲がございますので、ある程度私から離れてしまいますと魔法の効果が切れてしまいます。ですから、どうぞ私のそばを離れないよう、ご注意ください。」
「…わかりました。」
ラグナの話を聞きながら、明石はラグナの口元を見た。確かに、聞こえる言葉と口の形が一致しない。魔法だからなのか。では、この世界は、やはり夢?
「また、明石様の世界では魔法というものが現実に存在しないことも承知しております。幻想の世界、物語、伝説の中でのみ、魔法が存在するということを、承知しております。ですが、こちらの世界では、現実に存在します。つまり、ここは夢ではございません。明石様の世界では、夢か現かを確認するために、様々な自傷行為を行うというように聞いております。頬をつねる程度でしたら、…あまりオススメはしませんが、私どもとしましてもその行為を止めはしません。ですが、どうか取り返しのつかない自傷行為はなさらないよう、お願い申し上げます。」
「…というと?」
「はい、先に申し上げますが、この世界にお越しになったメシアは、明石様が初めてではございません。過去にも、同様に数人のメシアがお越しになっております。以前にこの世界のことを夢とお思いになった方が、あの、なんと申し上げましょうか、その、高台から飛び降りてしまいまして」
「えっ」
「はい、私どもの説明が至らぬばかりに…。すぐに応急処置をいたしましたので、最悪の結果は避けられたのですが、膝に後遺症が残ってしまったのです。ですから、こちらの世界をたとえ現実と思し召しにならなくとも、そのような行為はどうかなさらないように、重ねてお願い申し上げます。」
「…わかりました。注意します。」
明石は話を聞きながら、にわかに信じがたいこの世界を受け入れ始めていた。なるほど、夢にしては設定が出来すぎている。現実と信用するのもまだ危ういが、危険な行為は避けたほうが身のためだな。
そのとき、ドアがノックなしに勢いよく開いた。
「あ!ラグナ!ノエルから聞いたよー、召喚できたんだって??」
「アデル様!あの…」
開いたドアから覗くよう顔だけ見せてきたのは、ノエルと同じくらいの年頃の少年だった。ノエルと同じく小柄で、藍色の短い髪の毛をしているが、ひどいくせ毛であちらこちらに毛先がはねている。ラグナからアデルと呼ばれたその少年は、部屋の中の明石を見つけるやいなや、咲いたような笑顔をみせた。
「こんにちは!あんまり堅くならないで、楽にしてくれたらいーよ。こっちも大層なもてなしはできないけど、まぁ、好きにしてくれたら。」
「…はぁ」
明石は少年から投げかけられたフランクな言葉に当惑しつつ、この少年の立場を考えあぐねて、曖昧な返事を返すことしかできなかった。
「じゃーね!この後、顔合わせなんだよね?ボクはちょっと用事ができちゃったから、これでいいよね!」
「あ!えっと!」
少年はそのまま部屋に一歩も入ることなく、ドアの影にすっと消えていった。ラグナが今までにないくらいうろたえた様子を見せているのを、明石は見逃さかなった。
ドアから、少年と入れ違いになる形で、ノエルが戻ってきた。複数個のカップをお盆に乗せて丁寧に運んでいる。
「あの、今…」
「大丈夫よ、ノエル。入って。」
ラグナはふぅとため息を付きながら、ノエルを部屋に招いた。
ノエルが部屋に入った直後に、開いたままのドアが横からノックされた。明石がドアの方をみると、50代後半ぐらいの中肉中背の男性が立っていた。濃い灰色のスーツを着て、ネクタイを締めている。ラグナは彼に軽く会釈をし、入室を促した。
「クニヒトさん、ようこそお越しくださいました。どうぞあちらのお席へ。」
「他の二人も揃っているよ」
クニヒトと呼ばれた男性が入室すると、その後ろから身長160センチほどの女性が続いて入ってきた。黒縁の丸いメガネを掛け、黒い長い髪を三つ編みにして両肩から胸のあたりまで下げている。黒い礼服姿で、足首部分まで伸びるタイトなロングスカートを履いている。三つ編みの女性は、入室して明石の姿をみとめると、にこりと微笑んで会釈をした。彼女も、ラグナに促されてクニヒトの隣の席に進んだ。
彼女の入室に続いて、「それ」が部屋に入ってきた。明石にははじめ、何が入ってきたのか理解が追いつかなかった。
「ダズマルさん!変化は!」
ラグナが「それ」の姿を見るやいなや、慌てた様子で言った。それ=ダズマルは、2本の真っ直ぐな角が生えたヤギの頭に、黒いコウモリの翼、まさに悪魔の出で立ちをしていた。濃い色のコートを着ていて、身体はどのような様子かは見えないが、少なくとも肌が見えている部分は浅黒く濃い毛で覆われており、人間離れした身体であることは見て取れた。身の丈は2メートルをゆうに超え、角が壁に当たらないように、彼は屈みながらドアをくぐって入ってきた。オレンジ寄りの黄色い眼球には、横に細長い黒い瞳があった。ダズマルは、きょろりとその瞳をラグナに向けると、意外なほど高い声で話し始めた。
「いやぁ、ごめんね、時間がなくて。まぁ、大丈夫でしょ。慣れる慣れる。」
「はぁー、もぉー。」
ラグナはドアの近くでため息を付いて、ダズマルを通すために半歩身を引いた。
「えっとぉ、ボクはここでいいのかな。まずは自己紹介かな。」
明石の座る席の向かいには、机を挟んで、奥から、クニヒトと呼ばれた中年男性、三つ編みの女性、ダズマルと呼ばれたヤギ頭の悪魔が明石に向かって立っていた。ラグナは、ダズマルの半歩後ろのドアの近くに立っている。ノエルは、彼らが入室する間、机にそれぞれの飲み物を配膳し終えて、ドアの近くに戻っていた。
「ありがとノエル。試験場に置いてきたベルが心配だから、様子を見てきてちょうだい。」
ラグナはノエルに依頼すると、ノエルはお盆を両の手で胸に抱き寄せながら、ぺこりと会釈をして部屋から出ていった。
「じゃぁ、私から順にいきましょうか。」
奥に立っているクニヒトが切り出した。
「まずは、明石様、ようこそお越しくださいました。私はクニヒトと申します。僭越ながら、我が国の内閣総理大臣を務めている者です。」
「は?」
「はい、明石様の世界の示す意味と同じでございます。役所をはじめ、様々な行政機関の取りまとめをしております。こちらの世界で、行政関係についてご確認したいことがございましたら、どうぞ何なりとお申し付けください。」
クニヒトは深々と礼をして、ちらりと隣の三つ編みの女性に目配せをした。
三つ編みの女性は、促されるように自己紹介を始めた。
「はじめまして、明石様。私はマコと申します。我が国の国会議長を務めております。明石様の国の国会は、二院制を取られているとお聞きしておりますが、我が国では一院制を採用しております。我が国の立法について、お知りになりたいことがございましたら、どうぞお尋ねください。」
マコは、ペコリと頭を下げると、隣に立つヤギ頭の悪魔が話し始めた。
「ダズマルと申します。えーと、この国の最高裁判所の長官を務めています。この度はヒトの姿に変身する余裕がなくて、この姿をお見せしてしまい申し訳ないです。ただ、この中央庁を出て街を歩けば、ボクのような姿は多く見られるでしょうから、どうか驚かないでください。」
「以上、我が国の三権の長でございます。三名方、どうぞご着席ください。これよりメシア、明石様とお顔合わせいたしたく存じます。」
ラグナが深々と礼をしながら、三人に着席を促した。
明石は、軽く混乱に陥っていた。状況を把握するためにしばらく黙っていたが、あまりに入ってくる情報が多すぎるうえに、自身の状況がわかる情報が全くといって入ってこない。
「ちょっと待ってくれ、待って、ください。なんでそんな錚々たるメンツが、私に?顔合わせ?メシアって?いったい私に何をしてほしいんだ??」
「明石様には、この国を救っていただきたいのです。」
ラグナが応える。
ふざけている。明石はそう思ったが、目の前にいる三人、クニヒト、マコ、ダズマルの表情は真剣だった。といっても、ダズマルの表情が真剣なのか否かは、ヤギにあまり触れたことのない明石には分からなかったが、少なくともクニヒトとマコの表情は真剣そのものだった。
「救ってって…そんな、私は、一体、何をすれば?」
「それは、畏れながら、私どもにも分かりません。」
「は?」
クニヒトが申し訳なさそうに話し始めた。
「ラグナさんは、いつも言葉が足りないですね。我が国は現在、色々な問題に面しております。これら問題を解決すべく、私共は、いわゆる、異文化を知ることによる経済的、技術的、文化的発展を目指しております。明石様の知識を、我が国の発展のためにお役立ていただきたいのです。」
クニヒトの言葉に、隣のマコが続ける。
「今すぐ何か知識がほしいというわけではございません。まずは、この国のことを知っていただき、そして、明石様がお気づきになられた点につきまして、『もっとこうすればよいのでは?』という知恵を賜りたいのです。私ども三名のいずれか、あるいはそこにいるラグナにお申し付けいただければ、この国のだいたいの場所はご見学できます。」
なるほど、と明石は少しだけ要領をつかみ始めた。つまり、ここ、異世界において、自分の知識が役に立ちそうなところを見つけて、そこの改善策を提示することを、彼らは求めているんだな。
「例えばねぇ」
マコに続いて、ダズマルが話し始める。
「明石様の国の制度とこの国の制度は、見ていただければ分かるんですが、とても似ているんですよ。それは、昔にお越しいただいたメシアが、王制を採っていたこの国の政治体系を、今の三権制に変えたからなんですよね。他には、魔具の開発をしてくださったメシアもいらっしゃいます。」
「魔具?」
「はい、魔法を封じ込めた道具のことです。ええと、魔法は、ラグナが使っているのを見られたかと思いますが、魔法の使用には生まれながらの才能というのが不可欠なのです。ボクは少しは使えるんですが、ラグナやさっき居たノエルほどではない。マコとクニヒトにいたっては全く魔法が使えない。しかし、魔具のおかげで、誰でも手軽に魔法の力を使うことができるようになったのです。ええと、実際に実物を見ていただいたほうが早いかな。あぁ、そうだ。」
ダズマルは、説明しながら何か思いついたようにラグナの方を振り返った。
「今日、これから最高裁判所で魔具関係の裁判があるんだけど、まずはその傍聴をしていただきながら、魔法や魔具について説明するのはどうだろう。」
ラグナはにこりと微笑んでダズマルの提案に応えた。
「よろしいのではないでしょうか。明石様、もし差し支えないようでしたら、お顔合わせは以上といたしまして、傍聴席の方へご案内いたしますが、いかがいたしましょうか?」
「いや…じゃぁ、はい、お願いします。」
「それでは、私とマコはこれにて退室させていただきますね。今後、何かあればいつでもお呼び出しください。」
クニヒトは席を立ちながら明石に言った。
「では、これから最高裁判所の傍聴席に飛びます。明石様、お手を。」
ラグナは明石に手を差し出した。おそらく2回目のテレポーテーションだろう。明石はなるようになれと、ラグナの手に自分の手を乗せた。