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睨み合っている父とグレン様は、まだ廊下だということを忘れていたらしくガヤガヤとし始めた。
そろそろ息苦しくなり藻掻くように父の腕の中から脱出すると、腕を引かれまた違う人の腕の中にいる。本日何度目の男性の腕のかだろうと思いながらも、「アン」と、呼ばれた声は久しぶりに聞くが忘れるはずもない。
「ユーゴなの?」
疑問形になってしまったのは許してほしい。忘れるはずがないのだけれど、人の記憶で一番初めになくなるのは声だと昔教えられた。
最近、といよりもユーゴが城に出仕するようになってからあまり会うこともなくなり直接名前を呼ばれることが少なかったために、ほんのちょっぴり自信がなかった。
「声を忘れてしまいましたか?」
耳元で囁かれるその声に背筋がぞくぞくとする。
「久しぶりに会えて嬉しいですよ。本日は、グレアム卿に会いに来たのですか?僕に会いに来てくれてもいいのですよ」
ん?「僕に会いに来てくれても」とは一体、どういうことなのだ。考えたいけれど、いちいち耳元で話されるので、耳にかかる息になれない私には刺激が強すぎる。
「おい、ユーゴくん!!はやく、アンジュを離しなさい!婚約者だからといって、我が家の天使に淫らに触れ合わないで欲しい」
「淫ら…ですか。これは、あくまで必要な触れ合いだと思っていますよ。あなたも昔は奥方と、これくらいなされたでしょう」
ユーゴから発せられる言葉、どこか冷たい。それなのに、私を抱きしめる力は強く離さないとしている。
それよりも、抱き締められることが淫らな触れ合いなら、それ以上のことをしている令嬢たちは何といえばいいのだろう。
見世物と化したこの場をどうにかしようとし、咄嗟に出た言葉が「離して、潰れちゃうの」とは、何とも意味がわからない。
言葉に反応したのか、力が緩くなるのを見計らいユーゴの目の前に紙袋を突き出す。
「これは…?」
困惑した表情を浮かべながら問うてくる。久しぶりに見る瞳はやっぱり綺麗で、そんな瞳を見ていると吸い込まれそうで怖い。
だけれど、いまはそんなことよりも潰された食べ物のことだ。
「グラッチェで買ってきた昼食。お父様と食べようと思ったけれど、ユーゴがこんなに潰したのだから、責任取って一緒に食べてよ」
「ええ、アンと一緒なら喜んで」
拗ねたように言えば、さっきまでの冷たい声から変わり嬉しそうに返事をしてくる。
ユーゴが嬉しいと私も嬉しくなってくるから不思議だ。
「待て、アンジュ。お父様の昼食はどうなる」
「お父様はいつも通り食べればよろしいのでは?私、ユーゴといま昼食を取る約束をしましたので」
私の脳内を占めるのはユーゴと過ごすことだけなので、父のことはどうでもよくなっていた。そもそも、父とグレン様が廊下で睨み合わなければよかったのに。でも、そうするとユーゴに会えなかったからな、と考えてしまう。
「ハミルトン、彼女を何処に連れて行くつもりですか」
「あなたには関係のないことです。私が婚約者を何処に連れ出そうが。それに、ここに来るのにあなたはアンジュに触れたでしょう」
その発言に、立ち去ろうとしていた野次馬たちが騒めきはじめた。
だけれど、今日グレン様に触れられたのは計2回ほどあるため、どのことを言われているのかわからない。と、言うよりも、何だか私の行っていることが悪いことなのではないかと思い始めた。
「グレン様は兄様の友人なの。だから、やましいことはないの」
「わかっていますよ。それでも、僕以外がアンに触れるのは許せない」
敬語が外れた彼をみて、何とも言えない気持ちになった。感情が高ぶっているのか、一人称が私から僕に変わっている。
「僕の婚約者は、僕だけのものです」
そう告げるユーゴの顔を見て、複雑な心境に陥る。だって、口では何とでも言えるのだから。




