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殿下を愛称で呼ぶのはと思いながらも、先程出会い頭に「クリス様」と呼んだことを思い出した。
困った顔をしながら、殿下が見つめてくるものだから恥ずかしくなり俯いてしまった。
殿下の瞳は綺麗なアイスブルー。
そんな瞳に見つめられれば女性は誰でもクラっときてしまう。
そして、その瞳に似合うかのような金髪。
この方を気安く愛称で呼ぶと女性の目が痛いのは確かだ。
でも、ユーゴ一筋の私にとってはそんなことどうでもいい。
それに、さっきから横で笑いを堪えているようだがクックッと声が漏れている兄は「クリスが、クリスが」と壊れたオルゴールのように呟いている。
「あのお兄様といるときだけでしたら、クリス様とお呼びしてもいいでしょうか?」
「妥協点だな、アンジュは心優しいからよかったな」
何故か兄は上から目線で私は下でにいる。
この状況は如何なものだろうか?
兄と殿下は学友であり親友であるため、不敬にはならないだろうけど、立場が逆すぎる。
こんな自由奔放の兄でも私のことをいつも大事にしてくれているので、ついつい甘えてしまう。
「わかった。あまり急ぎすぎても可哀相だならな。それにしても、アンはどうしてここに?」
殿下は納得してくれたようだが、言葉に引っ掛かる。
でも、この方は私よりも5つ上であるから華麗に躱されるのが落である。
無駄な追求はやめよう。
そして、本題は何故私がここにいるかだ。
それは……
「ユーゴが女性と密会していると聞いたからです」
意を決意して言葉に出してみたが、やはり後半は声が小さくなってしまった。
私の言葉に驚いたのか「あのハミルトンがか」と殿下が溢した。
私も最初は驚いて否定した。
ユーゴがそんな不誠実なことするはずがないと。
でも、友人であるカロリーナやミーシャが街に行ったときにみたと言うものだから、段々と自信がなくなってきてしまった。
口にしてしまったことで、堪えていた悲しみが崩壊してしまった。
それに、前に兄がいるからなのだろうか。
急に立ち上がり膝をつき、瞳に涙を溜める私の目元を乱暴に指で拭う兄は貴族としてどうなのか。
「ユーゴがそんなことをしたのか。たっぷり礼をしてやらないとだな」
兄であるケイ・グレアムは軍所属の王宮騎士であり、殿下の護衛を担当している。
黒髪に鋭い目つきはまるで、獰猛な野獣のようだと言われている。そして、それに比例するように強いらしく、そんな兄に守られたいという願望を持っ女性が多いらしい。
だが、そんな兄の言葉には少々殺意が込められているようだ。
「……あのお兄様?ユーゴに無体なことはしないでください」
擦られた目元が少し赤くなりつつも、上目遣いになれば兄は大人しくなる。
いつもの優しい兄に戻ってくれたことを期待しながら「ああ、わかっている」とぶっきらぼうに返事がある。
「ケイが照れてるのは珍しいな」
クックッと笑う殿下をみていると心が暖まるような気がした。
そう、そんな気がしただけで私は氷点下に落とされたのだ。
ユーゴが共に席に着いたのは社交界の紅一点と呼ばれているれているジェーン・トロン伯爵令嬢である。
彼女をみて内心落ち着いていられるかといえば、いられない。
顔の筋肉がまるで固まったかのように動かない。
そんな私の表情をみて、クリス様の表情は段々と険しいものになっていた。