婚約者が疑わしいです
「いらっしゃいませ」と敷居を跨いだ途端に声を掛けられた。
アンジュ・グレアム 15歳
初めて訪れた場所で給仕をするだけのはずの人が使用人並の笑顔で迎え入れてくれるのに戸惑ってしまった。これも、婚約者のユーゴ・ハミルトンのせいだと内心悪態を付きながらも、案内をしようとしている店員にどう対応するべきかと悩んでいる。
ユーゴ・ハミルトン 18歳
3つ上の婚約者であり由緒正しいハミルトン侯爵家の嫡男。
伯爵令嬢として母に幼き頃、連れていかれた御茶会でユーゴをみた瞬間に恋に落ちた。
外見だけでもとても魅力的だ。
癖のある茶髪に切れ長の瞳。
その日、大人びた表情を浮かべるユーゴに目を奪われたのはいうまでもない。
将来どれだけ素敵な人になるのかと想像しだけで、私の脈拍はすごいことになった。
そんなユーゴにどうしても話し掛けたくて、話題もないのに「紅茶は何がお好き?私はローズティーが好きよ」と突然意味のわからない言葉を発してしまったのは私の黒歴史に近い。
それはそれは不自然すぎた切出し方だったの貴族として育てられたのだがどうしてもユーゴと話したいという衝動に駆られてしまい挨拶など忘れてしまった。
あまり改まった会ではないのだけれど、自分よりも立場が高いユーゴに対して失礼すぎたといまとなっては反省している。
それでも、「ハミルトン侯爵家嫡男のユーゴ・ハミルトンです。今後お見知りおきを、レディ」と失礼極まりない小娘の手をそっと取り、甲にキスを落としてきた。
内心、正式な場でもないのにこんなことするなんてと思いながらも「グレアム伯爵家、長女アンジュ・グレアムです」とどうにか名前を言ったまではよかったが、そこで私のキャパはオーバーしてしまったようで、そのままぐるぐると視界が揺れて気持ち悪くなりしゃがみこんでしまった。
そんな私をみかねたユーゴが優しく介抱してくれたのはいうまでもない。
母はユーゴとハミルトン侯爵婦夫人に平謝りしていた。
何故か失態しか犯していない私に対して、ハミルトン家から婚約の申し出をいただき婚約者になることができた。
そんなユーゴに劣らないようにと日々努力している私にとっては、寝耳に水だったのがユーゴが王立レストランで女性と密会してると。
それも、毎回違う女性とということで、ユーゴはすっかり社交界で浮名が立ってしまった。
それを確かめるために本日王立レストラン───グラッチェにやって来た次第である。
ユーゴとの思い出を懐かしんでいる暇もなく「お客様は何名様ですか?」と笑顔で話し掛けられるが何名って見ればわかるでしょ!って言いたくなってしまったが、そこは抑えなくては。
淑女は大声を出してならないと母から言いつけられているため、そんなはしたないことは出来ない。
「1名です」と言い出そうとしたら「3名で」と遮れた。
あまりにも聞き慣れた声でありながらも、久しぶりに聞いた声。
「よっ、アンジュ」
「クリス様にケイお兄様」
兄であり我がグレアム家嫡男のケイ・グレアムの声だった。
兄の横には、これまたこの国の第二王子であるクリストファー・グラッチェ様がいる。
「アン、久しぶりだな」
兄と違い笑顔で対応させていだきたい。
「俺はついでかよ。兄妹なのに冷たいな」
「殿下とお兄様では格が違います。それに、殿下は私のことをひとりの女性として扱ってくれますから」
社交界デビューしたての小娘が何をいっているんだという顔を兄はなさるが、そんなことは無視だ。
店員の案内に従い席に着いた。
「それにしても、アンがこんなところにひとりでいるのは珍しいな。どうしたんだい?」
「そ、それは」
殿下のひとこに戸惑ってしまったが、「いらっしゃいませ」という店員の声に気を取られてしまった。
チラッと目線をそちらに向けるとユーゴが見知らぬ女性と一緒に入店していた。
「はぁーん、そういうことか。お前、捨てられたな」
兄と思っている人、否実際に兄なのだが、兄としてその言葉どうなのだろうか。
横に座っている殿下に窘められているし。
「キーの言っていることは気にしなくていい。こいつはアンをからかうことを楽しみに生きているのだから。それに、俺のことも昔のようにクリスと呼んでくれ」
ケイの愛称がキーになります。