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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

DGGシリーズ

DGGシリーズ3 Take away your heart

作者: 紫


Take Away Your Heart


  鳥は切り裂くように目覚めた朝に鳴いている。

  夢を見た感覚は残っていた。

  銀色の陽が差し込む眩しい土の大地は、スコールに見回られ透明の水を跳ねている。

  彼女は膝を着き、顔を歪め泣き青空を切り裂きイカズチが轟く天に叫ぶ。

  だが、自然や地球は母である。

  大地の優しさ。風の優しさに身を起き、疾風の様に進み出さなければならない。

  そう、夢は優しく語りかけた。

  日々の不安や全てを抱えていても、やっていけるのだと。


    だが、徐々に恐怖は迫り来る。

    街では猟奇殺人事件が起こり、署内は緊迫する。

    じわじわと心を逃れられない恐怖に浸されて行く。




プロローグ

やるせない夜

警察本署

新任刑事が来たの巻

酒場地帯 

出歩いた先の出会い

本署の朝 

やっぱり嫌な奴!

犯行の夜 

心の闇と迫り来る恐怖

事件発覚 

青空と白昼の行動

事件捜査 

行き詰まりと毎度無謀なエンジェル

最後の夜 

二人の性質と性格の決定的相違

終焉の旗 

許されない怒り

取り調室 

やるせない心

エピローグ 

涙で埋もれる


曲;Mary Poppins"feed the birds"~Robert B. Sherman/Richard M. Sherman~

詩・編集;女紫


[Standing Today]


最後の朝 目覚めたら 鳥の声が叫んでいるわ

ねえ…もし全てからやり直せたらね…

 死 凌駕した雷鳴が轟き恐くても

 貴女の頬に触れる雨は そう 優しい母の手

いつでも思い出す 南風 東風 吹けば

見つめ合うときは愛する時だと

 目を見開き天を見上げては光射せば

 「全てを共に歩めるのだ!」と 声を上げて 泣く

stand up!

hey today, stoping today…… stoping stoping stoping today

silent love the wolrd. you making day by day of mine heart

 矢の如く降り注ぐその雨の邪悪さに

 心を壊され全てを 力無く哀れむ

雪が降ったなら 目覚めて探したあの日々

月があの人へ伝えてくれたら

あたし達の世界が終わるその時までに

 大地を駆け出せ

 その中に 光見つけ旅立て 我が子

 決して そう 止まらずに 走り 風になれ






プロローグ


場末の酒場地帯は今日もいい盛り上がりを見せている。


住み着く黒い影を隠そうと、其々の店は低い場所から派手さの無い電飾の光を、そして全体的には暖色の光で街を彩るが、全ての闇は消し切れない様だ。


そんな中。


女。彼女は酷く冷や汗を掻き、闇と暖色の間、狭い路地裏間際、煉瓦の壁に背を付け肩で全身で息を注いでいる。


その両手には胸に抱える様に何かを持ち、それが手の汗で滑って落ちない様、しわの寄ったトレンチコートの腕でどうにかその場に留めている。


乱雑気味に纏め上げられたパーマかかるホワイトブロンドは、首筋に汗でくっつき呼吸毎に汗が噴出した。


その身を潜める建物に挟まれた影から、一度明るい方を見る。そして、早く、早くとつぶやいた。


目の前の煉瓦壁に視線を戻し見つめては、彼女は建物の間の夜を見上げた。


白月は彼女の真上の夜空を飾り、広く光を鱗雲に反射させ、月自らも照らしていた。


近くでした物音で彼女はざっと通路から振り返り、酔っ払い達が二人組みで彼女には気付く事無く足元をおぼつかせ、へたくそな唄を歌いながら、支えあって歩いて行った。


彼女は、微笑みその鼻歌に併せ小さく囁いて、それでも汗で首筋は光り暖色を受けていた。


彼女は過ぎていった背を見送ると、手に持つ大型の刃物の包まった布を握った。


待つ。でも、照明で照らされる明るい方向には、彼女の目的の人物は一向に現れなかった。


彼女の男も早く連れて来るんだと、通路の先の闇の中で手招きしている頃かもしれない。


今日はもう、結局駄目だわと、彼女は引き下がる他無かった。

急いでコートで布を隠して、闇の中へ消えて行った。


駄目だったのよと、彼女は今にも泣きそうに歪む顔で狭い通路の中、壁に何度もぶつかりながら前のめるように走って、コートの中の凶器を抱え持つ手が震えている。


路地裏から抜け、彼の顔を見て笑顔から息をついた。


彼女の顔を見て、失敗したのだと分かる。


「これでいいのか?このままでいいのかよ」


「今日は仕方無いのよ、いなかったんだから」


何度も暗い通路を振り返りながらそう言って、彼女を彼は車の中に押し込んだ。


とにかく、今は直ちに退散だ。


彼女の背を2,3回叩いて落ち着かせ、車を発進させる。


恐い程、深夜で真上を陣取る月は、この車を照らそうとした。






1.エリッサ警察本署



署内は今日も混雑した食堂を中心にこの時間人が集まっていた。

ラニール=ゲービッツ刑事は腰をくねらせおぼんの上の食器を一杯にして、テーブルとテーブルの間を歩いて行く。波打つ髪を歩調に合わせてふわつかせ、かなり細い体をカフェオレ色のタイトなスカートスーツに包み、颯爽と歩いた。

スカーフがタートルネックの様に首を巻きスーツの中に入っている。最近買ったエルメスの豪華なスカーフだ。そのスカーフはモデル並みの顔立ちとスタイルの美しさの目立つ彼女にこそふさわしいスカーフである。

ベージュ色の唇が上に引き締まった。視線の先に後輩の姿を入れ、満面の笑みでそのワイシャツの背後に歩いて行く。

彼女の腕には大きなランチボックスの入ったバッグが掛かっている。

彼の横におぼんを置いてから、彼の襟足の長い癖掛かる深いブロンドを見下ろしてバッグを置いた。

横に座って顎を手の甲に乗せ、ラニールはにっこり微笑んだ。

「可愛いわね。お姉さんのも飲む?」

ダイラン=ガルド警部は降ろしたスラックスの足側をテーブル側面につけ、TVニュースを見ながらライスをフォークで口につっこんで、ミルクポットの口を運ぼうとした所だった。その手を止めて肩越しに彼女を睨んでからごくごくと一気に飲み干した。

肉を一口でがっついては皿に食堂のおばちゃんが乗せたフライドポテトと白身魚のグラタン、他の人間が乗せて行ったオレンジだとか林檎の切り身を食べた。

「出ねえもんなんかいらねえよ」

彼が立ち上がったのを、彼女は笑顔のまま見上げて肩をすくめた。

「じゃあキスしてあげる」

「いらねえいらねえいらねえいらねえいらねえいらねえいらねえいらねえ」

まるで呪文の様に反復しながら調理場に入って行った。くすりと笑ってラニールは食事を始めた。

彼はいつもの様に厨房内の各所のマイスペースで400グラムの肉を調理し、そして2リットルの牛乳を飲み、その後食器を洗うのだ。

また椅子の背に掛かったネクタイやテーブルの上に散らばった小銭やジッポーを持ちに来た。首にわっかを引っ掛けポケットに小銭を突っ込み歩いて行こうとしたのをラニールが肘をひいた。

「なんだよ」

「ねえ。今日新しい刑事が来るんですってね」

何にも負けない自信のある彼女の笑みが彼を見上げた。これがニューハーフじゃ無かったらダイランもくらっとする所だったが、そこらへんは他3大美女、レオン刑事、アマンダ女史、受け付け嬢ロマンナにも見向きもしない術を身に着けた事が大いに役立っていた。この職場にこんなに美人が多いこと事態が間違っているとダイランは思うのだ。それなのに毎回女達は硬派になった彼に面白がってわざとちょっかいだして来るから困っていた。

「あんたの部署に来るんでしょ?同じチームに入るらしいじゃないの。どんな刑事なのかわかる?」

「ああいい男ならあんたに話通す様に言っておくから、俺には、近づくな」

「ふ。もうまたそんな蛇みたいな顔で言う事無いのに。ほら食べなさいよ。サラダ、作って来たのよ」

「だからいらねえいらねえいらねえいらねえいらねえから近づくな近づくな近づくな近づくな近づくな近づく」

彼女は首を振ってその背を見送ってからサラダを口に運んだ。

「こんにちは。ミス」

「ハアイ。アマンダ女史」

彼女の向かいにカウンセラーのアマンダが座った。

「またコーヒーと、あたしのサラダだけなのね?」

アマンダは笑って、「ええそう。彼の残し物が好きなの」そう言った。

「じゃあどんどんお食べなさいな。レモンドレッシングよ」

「おいしそう」

「もちろん」

アマンダは自分の持ってきた食堂のフォークでサラダを刺して食べた。彼女は言う。

「そういえば、知ってる?ガルド君の部署に新任の刑事が来るらしいわ」

「それがね。詳しい事を聞こうと思ったらつっけんどんにされちゃったわ」

消えて行ったドアを振り返ってから言った。

「あたしも知らないもの。どんな人が来るのかしらね。楽しみじゃない?キャリライは素敵だし、ガルド君は可愛いし、今度の人はきっと爽やかな男性かも」

「そういうのも好きよ。いい男チームになるわね。楽しみだわ」

「カトマイヤーキャプテンもダンディーだし」

2人の女達は微笑み話し合う中、時計の音楽がかき消した。2人はあと残りの30分を確認してから、今度はアマンダのしている浮気相手のコーサーこと、キャリライ=S=レガント警部補の話を始めながらおぼんを返し、お手洗いへ向う。

他の女性はいなく、鏡の中で彼女達はメイクを直していた。スプレーを吹きかけ水分をティッシュで取り、ぽんぽんとパフで粉を叩く。

「それで、最近はどうなの?コーサーとは」

「この前お屋敷でシバーラ婦人とご一緒したわ。キャリライったら、あたし達が共にいたって全く思いも寄らなかったらしくて。抱えていたクリープを危うく落としそうになったのよ」

「まあ危険」

「こちろん関係は知られていないわけだし、あたしは彼女のカウンセラーだから一緒にいても当たり前じゃない?なのに、あんなに驚かれたんじゃあ、こっちが危険」

彼の妻、シバーラは元々ショーモデルをしていた。今はアメリカに渡り気ままにしているものの、その時代からのヒステリーは尾を引いているのだ。

その彼女の先生が夫と浮気をしているとなれば、気付けば酷いだろう。優しい振りしてアマンダは彼女の心の介護に当たっていた。

ラニールは「酷い人ね」と言って上目で微笑んでからポーチにルージュを仕舞った。

アマンダはダークレッドのルージュを引きながら一度横目でラニールを見て、余分な油分をティッシュで取ってから鏡に向って微笑んだ。彼女のトレードマークはセクシーな唇とルージュだ。

「だって、彼って本当素敵だから」

「あたしには優しくて可愛い人にしか見えないわ。そんなに2人になると変わるのね」

「レガントの人間よ?それは性格も出るわよ。そこも好きなところ」

「あら。着いてくるものが?」

「違うわよ。それはね、あの裕福な点は条件に沿えているし大事だけれど、キャリライの何ともいえない魅力は、そうね。言葉じゃ分からないわ」

「ふふ、幸せな事言ってる」

「ね。ところで今度レオンと一緒にオージャスタンのJ-オースティン沿いに出来たエステハウスに行く事になったのよ。ロマンナも後から誘うんだけれど、明日の午後は暇でしょう?ほら、なんでJ-オースティンなのかと言うと、ジャック=ラティンがクラブと同じ系列で始めた事からなの」

彼女はあのクールで洒落たクラブの街の貫禄と迫力あるJ-Ohトップダンサーだ。

「実は予定が入っているのよ」

あのダンサーには負い目を感じる。彼女の欲しがる全てを持っている。それは、『女』としての最高のスポットライトだ……。

ラニールもダンサーである事は知られてはいない事だった。姉貴の経営しているアジェン地区場末にあるバーは、父親から受け継いだものだった。すぐに姉貴はラニールの夢を叶えるべくダンスショーのバーにした。

生前父親はそういう系統を嫌っていた。ラニールがバレエを始めた少年時代にも絶対に女の子の衣装を着せる事を母親に止めさせるように言っていた。金を取って踊っているわけでは無いし、自宅である店で趣味として踊っているだけだから、彼女の職場は別段何も言って来なかった。

「残念だわ。もっと早く言うべきだったのにね。彼女の推進するエステはヨーロッパでも話題なの。発祥はローマン時代のギリシャらしくて、エーゲ海からのナチュラルな恵と大地のパワーをミックスさせたものに、現代医学の超音波による振動とショックを与え、彼女の得意とするトップアスリート並みのダンスで手にするあの健康的で美しい肉体を内側から手に入れていくらしいわ。手にするのよ。あの肉体を」

「素敵ね。本当に行きたかったのよ」

「また今度の機会がいくらでもあるわ。あたしが行った時にあなたも次回連れて来ることを言って予約をしておく。だからスケジュールの開いた日にあたしに言って」

「分かったわ」

「じゃあ」

「ええ」

アマンダは先に出て行って、ラニールはポーチから錠剤を出した。食後から丁度20分。ホワイトローズ味の女性ホルモン薬を3粒飲んでから、仕舞う。

自問する。あたしは本当に勝っているかしら。完璧かしら。女性であるかしら。体も心も完璧にそうだわ。自信を持って。まだまだやってける。大丈夫。

彼女を見る同僚の男達の目は半分がひけらかしだった。どうでもいいのよそんな事。彼女はそう心で思って顔をつんと上げた。

気高い彼女は美しい。彼女は本当に美しかった。まるで弱さを感じはしない。

自分よりもまだ届かない同僚の女達の憧れの視線は裏では殆どが妬みで彩られていた。そんなのだって、どうでもいいのよ。

彼女は自信を持っていようと呼び掛けて自答した。完璧だわ。

元々スペイン系ダンサーの様に華奢な鋭い肉体のラニールは、リオデジャネイロなどの野性的美しいダンサー達とは違ったオーラがそなわっていた。

あのガルドも騙されていたくらいだ。署の4大美人の中の一人がまさかニューハーフだったなんて知った時の彼の真っ青になった顔ったら無かった。それを思い出し彼女は可笑しそうに苦笑し、微笑んだ。

彼は刑事になると、完璧に女を避ける風を見せ始めた。彼女も作らずにぴくりとも笑わなくなってはおっかない顔をして怒鳴り散らしてばかりいる。

ドアから出て鼻歌交じりに廊下を歩いて行く。

更衣室に入ってから着替える。今日は午後から女子柔道の時間だ。そこには殺人課ギャング取締りチームの刑事リンダがいて、入って来たラニールににこにこして手を振ってきた。

「ねえねえ知ってる?先輩が訓練の監督するんだ」

リンダの言う先輩とはガルドの事で、彼女は彼がそのチームの主任だった頃から懐いているという珍しい女の子だった。彼は2ヶ月前から新設された特Aチーム主任である。いわゆる左遷に他ならない。Tシャツの上から胴着を羽織って帯を締める。

ラニールもそれを聞いて喜んで着替え出した。

「あとは手伝いにシャムルだってさ」

リンダの横でTシャツを潜っていたティニーナは、つい最近刑事になった子で、顔をすぽんと出すと「あたしあいつ嫌い」と、顔をとんでもなく歪めて言った。

シャムル=アレドムはガルドの一つ下の制服警官で、何かとティニーナにうるさくちょっかいを出しては彼女の男のジョセフに敵対心を勝手に燃やしていた。ティニーナはガルドが大好きで、よく父親であり、彼等の現在上司である特A部長にガルドの事を紹介してと言っていた。彼を養子縁組にして自分の兄貴にしたいと言うのだ。

「アレドム巡査?彼、童顔なのにクールでいいじゃない。何でそんなに毛嫌いするのかしら」

「だって、あいつすっごく嫌味で癪に障ることわざと言って来て、それで自分が何言ってんのか分かって無いのがすっごく嫌なんだもん」

しかも言い返せば逆切れして本気で被害顔して来る最悪な野郎だ。知らない振りしてわざと怒らせて来るくせに人の揚げ足とってつんとしている。本当に奴が大嫌いだった。勝手にあっちが傷ついたって、こっちが傷つくとスッキリなんてして、糞みたいな男だ。

「そんな小さい男だったの?それは問題なわけね。困った人」

「もう!そんな嫌な奴!」

「あんなのほっときなって。寂しくて哀れな男だよ」

「分かってるけどさ」

ティニーナは怒って、リンダはティニーナの顔に大笑いしてラニールも乾いた笑い声を立ててから、昨日は黒スーツに合わせた鮮やかな紫ネイルだったのだが、今日のブラウンの付け爪を綺麗に剥がすとケースに仕舞った。

ティニーナはシトラスとライムと檸檬、それにガーデニアのミックスされた香水を胴着に吹き掛けた。彼女のトレードマークの香りだ。

この前はガルドに、そんなもん気が散るから着けるのはやめろ!!と怒鳴られたがお構い無しだった。

ガルドは署内女警官からの憧れの的だった。鋭利な雰囲気は無鉄砲で捜査も危険で精力的、鋼の様に強くて冷静さは無いのは傷だが、芯が強くて頑固だった。いつでも必死で活力もある。今まではらりった薬中で粗野な恐い感じだったが、半月間彼は留守中に部長命令で強制的なジャングルスパで見違える男に変わって帰って来た。

薬でぼろぼろになっていた髪はブロンドに戻って艶掛かり、健康的な肌はつるつる、入墨も消されてしまい血液も全て変えられた。声の出し方、表情の訓練までさせられ、彼のマンションの部屋の全ても廃棄処分され、今は潔癖なほど何も無い。

誰もが帰って来た彼が彼だとは当初気付かなかった。若くてとても素敵な男性、彼の薬に廃れていない素の顔はどちらかというと気の強い貴公子の様な男性。そんな男性が何故こんな警察署などに?そう思われ、結果的に誰なのか分からずにあの乱暴者の狂犬は首にされ、新しく新任の警部が来たのだと思ったわけだ。

使い捨てダイランは改良品ダイランに変えられていた。ティニーナがそう名付けた。

他の女警官達は大体が道場に着いたら着替える為に、現在スーツや制服のまま勤務に当たっていた。

4日間を午前と午後に分けて行われる護身術訓練は、午後をガルドの監督と知ると、今日の午前の部に入っていたレオンを大いに悔しがらせた。

ラニールが自分の部署、交通課への階段を降りていくと、ふわっと、蜂蜜の香りが漂った。

「……?」

振り向いた時には背後には誰もいなかった。気のせいね、と思いながら一階に降りると受け付けの前を通り、少年課の手前の交通課へ歩いて行った。

交通事故の春季の統計が張り出され、また上昇している事を見た。パトロール数がまた多くなる事を思って、他の策を今後考える必要がある。ポイントのカメラ設置や、事故の多発する夕方の時間帯と深夜に巡回を増やし、往来の激しいバートスク3丁目交番とエリッサ通り沿いの11番街交番の巡査部長も交えての会議を行わなければならない。

上司に報告し、荷物を持って階段を上がって行った。

「本日より、リーデルライゾン警察エリッサ本署に勤務となりましたフィスター=クリスティーナ=ジェーンと申します」

新任刑事である彼女がこの署に勤務が決まった事は喜ばしい事だった。

「殺人課情報処理B班内特Aチーム配属との」

ザワッ

今まで彼女が階段から上がって来た瞬間から男性陣がざわめき、誰もが笑顔になっていたのを、特Aの名が出た刹那から誰もが一様に黙り込んだ。

彼女が噂の新しい特Aの仲間なのだ。

利口そうでしっかりした知的なお嬢様。清楚で女性らしく、可愛らしい清純派だ。キャリア組だと一目でわかる。品の良いスーツを着込んではびしっと立っているものの、誰もがこれはあの狂犬に怒鳴り散らされるなと予想した。

彼女の背後を通ったラニールは彼女の背を見ながら階段を上がって行った。彼女からは蜂蜜と百合の花の甘い香りがする。

ラニールは5階の道場へ行く前に、3階で立ち止まってガルドに顔を見せに行こうとした。でもどうせ道場に来るわけだからと思い、そのまま上がって行った。

すると首を傾げながらさっきの女の子が階段を上がってくる。

「ハアイ。お嬢さんは、どうしたの?」

フィスターは微笑んで彼女を見上げてから透き通った柔らかな声で「こんにちは」と挨拶した。自分がこの春から刑事になり、特A配属になった説明をした。

「あなたが話の」

ラニールはガルドとコーサーのチームに加わる事になった刑事が、こんなに若くて可愛らしい女性なのだと分かると開いた口をようやく閉じた。

「あたしはラニール。交通課の刑事よ」

「よろしくお願いします」

美しいそのラニール刑事に微笑み、彼女はその横を3階へと昇って行った。

彼のタイプじゃ無いわ。そう思いながらも階段をゆっくりと上がって行った。ガルドのタイプは気の強く美しいグラマラス女。リオデジャネイロのダンサーの様な。

4階のアマンダの診療所に入って行く。

「女の子だったわ」

「本当?」

残念そうな顔のラニールがそう言いながら入って行った。アマンダはリラックス効果のあるエッセンシャルオイルをお香の壺に一滴垂らしているところで、回転椅子を回し体を向けると首を傾げた。

「それは意外な事だったわね」

そう落ち着き払った深い声で言うと、ラニールも細い肩をすくめさせた。生ハーブティーを勧め、彼女は微笑み受け取った。

3階の処理B班部署内部長室では、新任紹介の為に特Aチームが集まっていた。

その部長室に入って来た若い女の子を見て、正直ガルドは初めて目の前が数トーンライトカラーに変わった事を体験した。

いわゆる、一目惚れだ。

彼女はしっかりドアを閉めて振り向かせると、部長、コーサー、脈が正常で無いガルド、特AとB班の補佐であるティニーナと彼氏のジョセフ刑事達のいるロフトを見上げ、微笑んでにっこりした。

「本日より特Aチーム配属となりましたフィスター=C=ジェーンと申します」

コーサーは微笑んでここまで来た彼女と握手をし、ハノス部長は頷き、そして、ガルドが憮然とした顔でソファーから立ち上がった。

「僕はキャリライ=S=レガント。コーサーと呼んでくれて構わないよ。彼が我がチームを立てたカトマイヤー部」

「こんな女に何が出来る」

この街の地主の家系の御曹司である男性から、きつい声でそう言った男性をぱちぱちと瞬きをしてフィスターは見上げた。

「まあまあガルド」

彼は恐い目で彼女を切る様に見るとふんと、自己紹介もせずに踵を返し再びソファーに座った。

「彼はこのチームの主任のガルド警部だ」

フィスターはカチンと来てその男を睨み、その目にガルドは立ち上がって彼女の前まで来たからフィスターは口を引きつらせて彼を見上げ、青ざめた。

「こんなお嬢なんかこのチームには必要無い。出て行きな」

そう、長く垂らした深い金髪ストレートをサラッと払いのけて、フィスターは激しく瞬きし怒った顔つきで驚き見上げた。

「こらガルドそう言う物じゃ無いよ、彼女も」

「なんだと?」

庇おうとしたコーサーを険しい顔で睨め付け、ティニーナとジョセフはいそいそと逃げて行った。

ガルドはとんでもない声で怒鳴り散らしたのだ。

「このチームはこんなひょろひょろの女なんか入るような部署じゃねえんだよ!!!こんな動きづらいロングスーツなんか着てハイヒールなんか履いて髪も纏めていないこんな体力無い女が何の役に立つって言う!!!頭脳馬鹿はてめえ一人だけで充分なんだよ!!!処理が好きなら」

フィスターの頭の血管がぷつっと切れた。すぐに悟った。誰もが特A配属になった彼女を哀れんでいた。原因はこの男ね?

「女性差別的言動です!!人を見かけ判断だけで無能と決め付けるのは間違っています!!言動を改めなさい!!!」

「……なに?」

フィスターは真っ青になって自分が言ってしまった事に口を押えて鬼の形相の男を見上げた。そしてその男は彼女の細い腕を乱暴に掴み、彼女は頭が真っ白になってその視界の隅でコーサーも真っ白になっていった気がした。

その瞬間、署内にとんでもない叫び声が響き渡った。

またあのガルドのとんでもない怒鳴り声が響き渡った瞬間、やはりなと誰もが顔を見合わせたのもつかの間、今度は高い金切り声が連続して響き渡ったのだ。

「きゃ~っ!!きゃ~!!嫌~!!離して~!!きゃーっきゃあー!!」

ラニールはアマンダと顔を見合わせ、2人で階段を降りて行くと、ガルドがさっきの女の子のか弱そうな胴体を肩に担いでどんどん階段を駆け下りて行っている所だった。ジェーンはもうわんわん泣いて助けを求めてきゃーきゃー言って両手をばたつかせ、駆けつけたラニールに両腕をばらばらやって必死に助けを求めた。

「ひい~っラニール先輩助けてくださいー!!!」

「ちょ、ちょっとガルド君?!何考えて、誘拐?!」

そのままガルドは降りていき、はやし仕立てた2階殺人課のギャングチームで一悶着起こし、ラニールにはシャムルに教われとだけ言って彼女を怪物の様な紫の車に放り込んでは、彼が行きつけるアジェン地区内の道場に走らせて行ったのだ。

いつまでもジェーンの泣き声と金切り声が署内に響き渡っていた。

ラニールは口端を上げて自分の軽自動車に乗り込んだ。すると、リンダとティニーナのチビコンビも面白がってその道場に向うべくリンダはスクーター、ティニーナはジェットエンジンチャリに乗り込んだ所だった。2人はきゃっきゃ言いながら走らせて行き、ラニールもシートに沈んだ。

彼女はしばらく、サイドギアに手を掛けたままドアを閉めずに座っていた。車内から見える目の前の青空を見ていた。

雲は少ない。太陽は少しずつ真上になって来ている。しばらくすると完全に真上を陣取った。

表情も無く、ただただ輝く青空を感慨も無く見つめ眺めていた。

彼女はキーを抜いて手の中に収め、小さく微笑み外に出て署の表玄関へ向い歩いて行った。

ガルドはリンダとティニーナを畳にぶん投げ、泣き叫び逃げ腰のジェーンをぶん投げては怒鳴り散らし、彼女は真っ青になって転がってはえんえん泣いて、ティニーナとリンダは大はしゃぎして何度も技を掛けに行きジェーンは泣き叫んだ。

「こんな事でやって行けると思ってやがるのか!!!なんだその引けた腰は!!!基礎体力が整ってねえんだよ!!!」

「ひいいっ」

今まで警官になる前に教わってきた護身術など、彼の前からしたらぺらっぺらの紙だった。

「殺される為に警官になったのか!!!そんな技で自分の身が護れると思ってやがるのか!!!」

「きゃああ!!!」

ぶん投げられて転がって卑怯な手で攻撃されて、今までの正当防衛のぼの字も役立たないと来る。攻撃もへなちょこだ。つまりは、彼女は実践向きでは無かったのだ。お嬢様的に悪い世間を正すべきだと言う正義感だけは強く、悪い世の中を分かっているのは目で見た事からだけ。実際その狂犯罪の現場さなかに放り出されれば気の違った犯罪者に逆に餌食にされるような。

フィスターはもうわんわんに泣きながら哀れな事になっていて、リンダもティニーナも頑張れ頑張れ!!とはやし立てては彼女も意地になって燃えてきた。

「違うだろうが!!!そんな構えで何習って来たんだ!!!ああ?!!」

やっぱり恐いっ

彼女は道場を駆け回り逃げ回って鬼が追いかけて来るのを必死になってきゃーきゃー叫び逃げ惑った。

ぶん投げられて転がって立ち上がっては真っ青に泣きながら突撃して行っては無残にトアルノのお嬢様は投げ飛ばされた。

3時間の訓練でぼろぼろになった彼女は見るも無残にわんわん泣いて、年下のティニーナにあやされていた。

「これから水曜日と木曜日勤務終了後は道場で訓練だ。いいな。土曜の勤務終了後はアジェンの場末で毎週実務訓練する」

「ひいいっ嫌!嫌です!!」

「そんな意気込みで特A犯罪の奇人変人共の捜査が出来ると思ってやがるのか!!!」

「きゃああ!!!」

「まあまあダイランそんなに」

「お前は黙ってろ!!!こんな邪魔な女がうろつかれたら迷惑なんだよ!!!」

「ひ~ん」

道場から帰って来てシャワールームに来たラニールは丁度帰って来たガルドを見て、その横でジェーンが可哀想な程鼻をすすって泣いていた。

「もうやめたい、もう嫌、」

ずっとそれを繰り返しているのをガルドが怒鳴りつけていた。

「いいからさっさとシャワー浴びて来い!!!」

ジェーンはびくっとなって「ふうう~」と泣きながらとことこ歩いて行った。ガルドは全く、とんでもねえ女だと言いたげに苛着いて胴着を放り投げた。

「もう。苛めないであげなさいよ」

ラニールは胴着を籠に入れて首筋の汗をタオルで拭った。

「あんな弱い女なんかが来るなんて話聞いちゃいねえぞ」

「そうみたいね」

かんかんに怒ってストトラを放ってシャワーカーテンを閉めた。

ラニールは肩をすくめてタオルを巻いてそのカーテンから顔を覗かせた。

「でも、やめたら困るんじゃない。3人以上にならないと解散させられる事になるんでしょ?」

「知った事か」

熱湯を出してシャワーヘッドから落としシャワーポンプを怒りでボンボン押してまた壊した。

「でも俄然あのチームを続けて行くやる気は出てきたんでしょう?コーサーだってやっとであんたが腹くくってくれたから喜んでたってアマンダ女史が言ってたわ。DDの事諦めてくれたみたいだってね」

壁に両手を付けて湯を項に受けていたのを石鹸を掴んで肩越しにラニールの顔に投げつけて来た。ラニールは「んもう」と言ってガルドの背中をどんっと蹴り付け右隣のカーテンに入って行った。

「あにすんだよ!!」

ガルドは額を打って床にのめり込んだコラーゲンロイヤルゼリーモイスチャー石鹸を取って隣りを睨んで体を洗い出した。

冷水を浴びガルドは左隣りにジェーンが泣きながら入って来たのをさっさと出て行き、籠の中からクリーニングされたタオルを取って服を着ると出て行った。

ラニールはカーテンをめくりそんなガルドの背を見てから向こう隣のカーテンを見てから顔を引っ込めた。

タイプじゃ無いからなのか、興味が無いのか、それともタイプじゃ無い筈なのにかなり気になっているのか、多分一番最後の事だろう。ラニールは意外に思いながらもシャンプーを出して髪を洗い出した。

「なんだこりゃ!また壊れてるじゃねえか!」

変わりに監督を勤めた刑事がかんかんに怒っている声が響き渡った。

ラニールは可笑しそうに笑ってから「はい。こっちは健全よ」と隔たりの上からボトルを渡してやり、タオルを巻きカーテンから出ると服を着てから横に来た泣くジェーンに言った。

「彼は恐いけど、いろいろ学べると思うわよ。20で刑事になってから翌年に警部に昇進してDD取締りチームを立てて、2年間主任を務めた後に今年の春から特Aの主任になったから、少しだけでも粘ってみて」

「ふうう~でも恐いです~」

ラニールはくすくす笑って彼女を元気付けるために肩を叩き歩いて行った。ティニーナとリンダも来て元気付けた。

「あいつ恐いから今のうちに逃げた方がいいよ」

ティニーナはそう言い、リンダは言った。

「本当はああ見えて優しいからさ。あたしが女でDDチームに入った時も他の奴等に馬鹿にされた中を面倒しっかり見てくれたもん。まあ、元からあたしは体力には自信あるけど」

「頑張れ頑張れ!」

今にやめてるかも……彼女はそうしょんぼりし、とぼとぼと歩いて行った。ティニーナとリンダは顔を見合わせ、頭を掻いた。





2.アジェン場末地帯


まだ陽はそこまで低くは無い。闇の中で男はじっと待ち続けた。

しばらくすると彼の黒い肌の中の鋭い目の先、バーのドアにラニールが駆け込んで行った。影に身を潜めて、とにかくこれからの2時間後の開店までをここでじっとしている。彼女の今日は綺麗な形のモカ色のロングスーツ姿だった。珍しいと思った。

彼女の姉が店から出てきて、開店準備の為に掃除をしはじめる。

一度バーモラはその通路から離れて行き、この界隈をいつもの様にうろついた。今の所の目的とする女共は3人だ。男はあの糞女共が……と心の中でつぶやきながら歩いて行った。

闇はまだ薄い。それでも彼の心の中の闇は強かった。彼の心境にはどうとも言い難い物を感じる。それは余りに痛い程辛すぎて、それが彼には分かっていないのだ。黒く渦巻く彼の中の闇は深い歪んだ愛情に埋もれて、それが絶えず彼の横に横たわっていた。女への敵対心は強く、女の存在自体で苦しいほどの吐き気と嫌悪を催した。女なんか、魔物だ。

彼は路地の足下や雑踏の中を駈けて行き重なり始めた影の中へ消えて行く猫達を目で追っては歩いて行った。

顔を上げると、猫の一匹は闇間際の足にうざそうに蹴り払われては走って行った。ここらへんを縄張りにする老デカだ。また何やら影でこそこそと黒髪でアルメリア人の若い男と話し合っていた。

老刑事は視線に気付いてその顔を見ながら連れの男に指を指し示して話しては頷いて、そのまま別れては照明の照らす道を歩いていった。ドルク=ラングラーというデカだ。

その老デカは見知った顔を見つけたのか、人ごみの中立ち止まってはしばらく何か口元を動かし話しては、珍しく顔が和んでいた。彼は手を振り、その話し相手の連れ合いらしい長身の男を睨め付けては歩いて行った。

長身の男は背を向けていて顔は見えなかった。その若い男が老デカから顔を反らし歩いてくる。

「おう。バーモラじゃねえか」

男、バーモラは怪訝な顔をしてその気迫ある青年をまじまじと見てから、確かに目の色がガルドだと認めた。

「久々じゃねえかガルド。お前、見違えたな」

「うるせえ。何だお前、この街に帰って来たのか?」

「ああ」

あの独特で癖のある喋り声や蛇の様な口調や表情まで違う。ガルドとはハイセントルでのチビ時代からの顔なじみだった。何やらデスタントに加わらずその話を蹴って警官になった噂は聞いていたが、あのイカレた犯罪者がどんなやましい手を使って警察の人間になれたのか分からない。裏で何か手を回したんだろう。この数年、バーモラは他州に物用で移り住んでいた。

「最近からだ」

「へえ」

その洗礼されたガルドの後ろには、隠れる様に女がくっついていた。今初めて知って顔を曇らせた。

ジェーンはガルドの後ろから泣きそうな怯えた顔を覗かせて、バーモラと目が合うとにこっとはにかんだ。バーモラも返しておく。そして、「いい女じゃねえか」とも言った。本心は心にも無い事だった。

彼女は手を差し伸べながら、自分の説明をし、今日はアジェンの場末地区を散策に来た事を言った。バーモラは手を取らずに笑顔のままだった。女とは手を触れ合いたくも無いからだ。寒気立つ鳥肌物だ。

「へえ。そうなのか。こんな可愛い後輩が出来て羨ましいぜ。デートか?」

「………」

ガルドの顔がぎゅっと険しくなり、ジェーンと名乗った刑事の顔が真っ青になった。

「いいや。いいかジェーン。お前ここの奴等に喧嘩売れ」

「ええ?!」

「じゃあなバーモラ」

「おう」

そのままバーモラはまた路地裏に入って行った。

春只中の気候はまどろんだもので、どこか全てを薄靄にする様に思えた。





3.本署の朝


朝方、ガルドが署に向っていた。新米であるジェーンが玄関の入り口にいた。

彼女は何やら男刑事数人と話し合い、彼女は受け答えしながらも門から見えるバートスクストリートを見やっていた。話の内容はジェーンをこの街や隣街を紹介しよう、食事に行こう、今男がいないのなら一度付き合ってみないか、携帯の番号は?などという事だった。

「パンツスタイルもよく似合よ。でも何でこんな所に立って?」

「ありがとう御座います。何故かは……」

「中に入って待合室へ一緒に行こう」

「いいえ。ここにいます」

「俺も一緒にここにいるよ」

「そうですか?でも」

「君があんな危険な部署にいるなんて合わないよ。俺の部署に来ると良い」

「いいえ。警察署の部署はどこも同じ危険を持ち合わせ、そして任務に当たっています」

「そうだね。でも何故ここに?」

西側のバートスクから右折し、派手な車両がバートスクストリートを上がって来ていた。ジェーンは気付き、背をびしっと伸ばした。

ガルドは門から真っ直ぐ入り右折もせずに玄関の段に突進した。ガルドのもくろみに反して誰もが驚き男達はジェーンを抱え込み背後にやりガルドを睨み、彼女は真っ赤になって段に突っ込んできた車両を驚き見てかんかんに怒った。車両はバックし署の背後の駐車場へ走って行った。やっぱり嫌な男だったんだわ!あんな事して!そう、青ざめた顔を押えた。

ジェーンはそれを叱り付ける為に刑事達が幾ら言っても中には引き下がらなかった。

「こんな人を驚かせる様な真似をした事について言います。頑としてここにいます」

警備員達はホルターに銃をしまい、刑事達と顔を見合わせた。これは見かけによらず昨日からあのガルドにお嬢さんが物言いするとは意外に頑固な子が来た物だと苦笑した。

地主のレガント御曹司のキャリライが来て、豪華なリムジンから降りた。

彼は彼女に気付き顔を上げ。顔をキャリライから優男コーサーに変え歩いて来た。

「やあ。おはよう」

「おはようございます。レガント警部補」

「ハハ、僕の事はコーサーでいいよ。何故ここに?」

「はい。新米として先輩方を迎えることを」

「それは立派な事だね」

そう、彼は微笑み入って行った。

ガルドが歩いて来て、ジェーンは彼に顔を向けた瞬間、ガルドがまた怒鳴った。

「朝っぱらからこんな玄関口で突っ立ってっていられたら出入りの邪魔だ!!!」

ラニールは顔を覗かせ、ジェーンは瞬きして眉を潜めて今にも泣きそうな顔になっているのが見える。

「もし警察に怨み持った人間がそのまま突進して来たらそれこそどうするつもりだ!!!第一なんだその髪は!!!」

そう言って彼女のポニーテールを掴もうとしているのを警備員達が「まあ落ち着きましょう警部」と言い押えているところにラニールが大股で歩いて来て彼の腕を引っ張った。何やらまわ喚いていている所か女性の髪を引っこ抜かんばかりに掴もうとしているではないの。

「今度はどうしたの?フィスターちゃん」

ガルドは高いところで縛られた髪を指差した。ポケットから何やら出してジェーンの手に乱暴に投げて入って行った。

小さな缶に入った大量のUピンだとかピン留だとかの紙袋だ。中身を見てジェーンはピンクになって頬を押えた。ラニールも刑事達も紙袋を覗き見て、素直じゃ無い気障な野郎だと階段を上がって見えなくなった方向を見てから向き直って男達は顔を見合わせた。確かに署の前でうろつく危険性は正論でもあるのだが。

ジェーンはその事で今度からは部署内で待つことにした。自分も新任なのに、ここで突っ立っているよりもやるべき事は多いのに、叱りつけられて良かった物だと思っておく。

「彼いつも馬鹿が付くほど正直なだけなのよ。今についぽろっと本音が出るわよ」

ラニールは可笑しそうに笑ってから自分の部署へ歩いて行った。

フィスターは嬉しそうににこにこして袋からその2つの可愛らしい小さな缶を出して歩いて行った。

綺麗な装飾のされた甲冑を着けたユニコーンと蔓薔薇が白とピンクとクリーム色で囲う缶と、エジプトの宮殿が金色で裏打ちされ、唐草模様の水色の三日月とラクダのシルエットの缶だ。

昨日、ロマンティックな職人達の街並みバートスク地区でジェーンが大喜びで見回し入って行った店内、彼女のはしゃぐ横で何か買っていると思えばこれだったのだ。

男達は悔しそうに顔を見合わせその背を見送った。その中にいた処理B班の刑事ハリス=B=ハンスは頭を掻いてからまたジェーンに声を掛けるべく追いかけて行き口説きにかかった。

誰もがラニールに軽く挨拶して彼女も笑顔で返す。

彼女の頭の中は徐々もやかかって来る。あの時のステージは最悪だった。あんな気分にさせられた事が初めてなんかじゃ無いのだ。あんな気分を味合わなければならない事が、しょうが無く悲しい事だった。

鋭い目。意地悪い顔。彼女を罵倒する激しい口。

彼女は視線を落とし、目を閉じてから顔を上げた。

前月分の交通道路上の監視カメラの総合検討と調査書の完成、前週で起きた交通事故の結果から出た今後の事故防止課題についての会議に入るためにラニールは椅子を反転させた。





アマンダは署内のカウンセラーである。

犯罪心理学などの見解の為にも特A絡みの事件の相談をコーサーに持ちかけられる。

キャリライとは以前から浮気をしていた。シバーラ婦人は彼女からしたら、邪魔ではあるが言わずにいる。

白衣を脱ぐと、膝までのダークブラウンのタイトなスーツスカートから、黒の皮パンに履き替える。

颯爽とドアから出た。

彼女は豊かな髪を揺らし、署から出ると颯爽と綺麗な足を上げ、ハイヒールでバイクに乗り込む。

レッドのルージュが息を付いて、妖麗な顔の下から伸びる白い首筋にパールが一粒。

黒のシャツから覗くそのネックレスが揺れる。

ゴールドの華奢なチェーンはかすかに太陽に輝いた。

彼女はふとその顔を上げ、署の最上階の大きな填め殺し窓に微笑んだ。

我が署の若き署長バルゴ=レッチェルノだ。彼は滅多に微笑まない顔を男らしく一度微笑ませた。

彼女も柔らかく微笑み返すと、顔つきをいつもの鋭いものに変えバイクのエンジンを唸らせた。

オーシャンビューの署長室へと彼は引き返して行く。

良い男だが、彼の性格をよく知る分、アマンダは近づく事は無かった。アマンダは人の目を見れば、大体がどんな人物なのか分かる。どういう特性があるのか。どういう生活を送っていそうなのか。

面倒な利害関係は好きでは無いから、そういう感覚をもてあましては、今の職業は適任でもあって、ある程度人と関わり過ぎないポストは気が楽だ。

彼もいい男だが、アマンダが狙っているのはガルドの事だった。激しいが、わりと可愛い所もあり、そして若い。

ラニールが気になる事を言っていたが、やはり新任に傾くとも彼女は思っていた。

ガルドは今独身で、徐々に板につき始めた警官の身分も悪くはない。

それらしく誘いはしないのは、彼がこの3年を警官生活の邪念になるからという理由で、一切の恋愛をしなくなったからだ。

いつかは落としてみせる。その自信が彼女にはあった。

それと無しに同チームのキャリライに彼の情報を聞き出すものの、やはり女を作る気無し。という風が彼自身からも窺えた。

署の門に来ると、受付嬢ロマンアが玄関口に立っていた。何をやっているのかしら。

公的な外出以外は彼女に報告してから署を出る。また妙な詮索を?

「どうしたのよ」

見かけの女性らしく媚びる甘い顔とは裏腹に、仕事を完璧にこなそうとするロマンアは記憶力がいい。

妙な詮索というのは、逆にアマンダの用心深さから来る偏見でもあると、アマンダ自身も分かっている事だった。

「ええ。なんだか街の雰囲気が変わったと思ってね」

アマンダも街を見回し、彼女の顔を見た。

「あまり出歩かない方がいいわよアマンダ」

「ふ、どうしたのよロマンナ?」

「あたしがそう言う時には、割とそうしておいた方がいいかも」

「可笑しな事言うのね」

「気をつけて」

意味ありげに微笑みそう言うと、彼女は署内へ引き返して行った。

アマンダはいぶかしげにその背で揺れる彼女の髪を見てからバイクを勧めさせた。

ロマンナは去っていくアマンダの黒シャツの背を肩越しに見てから、多少不安げに溜息をついた。

アマンダが自分の言う警告や何かしらの予兆を聞かない事は分かっていた。

彼女はカウンターの中に入り、万年筆を走らせる。

そういえば、今日来た女の子は随分若い子だった。酷く泣いていて、エンジェルみたいな顔の子だけど、芯が割と強そうな子。

もう一度、風の流れる自動ドア向こうの街を一望してから彼に連絡を入れた。

「今日は帰りが早いと思うわ。今日もいつもの場所に飲みに行きましょう」

そう笑顔を含んだ声で言うと、早々に切り上げて受話器を置いた。

アマンダは職人地区のレトロなバートスクを流して行き、アジェンの場末、酒場地帯に入った。この時間は死んだ様にどこも寂れている。

バイクから颯爽と降り立ち、髪を揺らして歩き出す。

彼女はザッと振り向き、睨んだ。

「ああ、驚きましたわ。刑事」

「何かうやましい事でもあるのか?」

「いいえ」

ドルク=ラングラー刑事はよくこの辺りをうろつく。目的は知らないが、視野の迷惑だ。

きっと、この辺りをうろつき始めた元ごろつきチームリーダーのガルドを探ってでもいるのだろう。この刑事は元々港を中心に張っていた。

アマンダは彼に微笑み、歩いて行った。アジェンの店の一つに入って行く。

「ハアイ」

ボックスの青年に呼びかけ、彼女も向かいのソファーに座った。暗い店内でもサングラスを填め、彼は長い黒皮の足をテーブルを避け組み、アマンダに軽く手を上げた。

ロイヤルブランデーというシガリロを置くと、男はサングラスをテーブルに置いてから言った。

「様子はどうだ」

そう、涼しげな声で言いアマンダは答えた。

「そうね。相変わらずうまく騙しつづけているようよ」

「あの性格だ。あの男がぼろを出す事も無いだろう」

キャリライはある場所と提携を結んでいる。その事で多くの情報を掴み易くしていた。捜査上でもそうだ。

「話が新しく出た。いわゆる、ゲームだ」

「へえ?」

アマンダは意味ありげに微笑んだ男の顔を見つめてから、首を振り微笑んだ。

「街に何かが起こるらしい話を聞いたけれど、まさかと思ったわよ」

「そんなに鋭い人間が署内にはいるのか?」

「どうかしらね。彼女のいつもの感という奴よ」

「まあ、気になる範囲でもない。上手く進めばこちらの物だ」

「ゲームの内容は、街にまつわる事ね?」

「ああ」

「OK」

「くれぐれも慎重にやれよ」

男はサングラスを填め、葉巻を口に放り飲み込むと立ち上がり、店を出て行った。

アマンダは足を組替え、ようやく息を付いた。彼を目の前にすると、言い知れない不安を感じる。いつものことだ。彼女は常に毅然としているが、彼の前では狐につままれた感覚に陥らされる。

男はバイクに跨り風を避けて火を灯すと南側へ向け酒場地帯を横に突っ切り、駅に出ると隣街まで直結する道を走らせた。バートスクストリートの突き当たり、24Hマーケットへ差し掛かり、そこで一度北側突き当たりの勾配の上にある警察本署を捕えてから顔を戻し、見知った女の背を見つけた。

「レオン」

彼女はビクッとして振り返り、彼の顔を見て胸を撫で下ろした。

「驚いた、」

彼女はまたがるバイクから足を外し、男を見た。

「何やってる?」

「あなたこそ何を?この街にいるなんて偶然ね。バイクイベントの為に?」

彼女は街を見回っていたのだ。

「お前もその為か?」

「いいえ。ここ、あたしの地元だから」

男は意外そうに「へえ」と言い、相槌を打った。レオンは微笑み、街を見回した後にこの色男に誘いを掛けた。

「ね。今日の夜はイベントに向う前に暇なんでしょ?あたしは今日行けないんだけど」

「何か予定があるのか?」

自分が刑事である身分は知らせた事は無かった。

「エステ。隣街でJ-オースティンという場所があってね。そこでラティンという店が新設されたのよ。友人伝いで」

男は興味もなさそうに頷いてから、にっと微笑み首をしゃくった。レオンも微笑みバイクを走らせる。

「お前、何の仕事してる」

「ああ、刑事よ。言った事無かったわよね」

男はちらりと横目で彼女を見て、正義に強そうだとは知らなかった。

「あんたは?まだ自由人のギャンブラーなの?この街に来てみたら?何か紹介するけれど」

「いや。移動が激しいんだ。遊ぶ事にな」

「相変わらずね」

レオンは自棄に余所目を気にするかの様に視線だけが辺りを見回した。

「なんだ?浮気って思われたいわけじゃ無いんだろ?」

レオンは一度頬を染めて男の微笑み顔を見てから、首を振った。

「違うのよ。上司に見つかると煩くてね。この前も拳骨されたわ」

「小学校みてえだな」

レオンは可笑しそうに笑った。殺人課のギガ刑事部長は時間に厳しいからだ。街の暇な時に稀に息抜き程度にバイクを走らせるだけでも、ロマンナにしっかりとしたパトロールの為と報告してでさえ、後からギガにとやかく言われる。

彼等は道を走らせた。

物陰の木々の間から、一人の男が顔を向け、バイクの2人を見た。女の方を見て目を鋭くし、木に身を潜めた。

彼は視線に気付きマウントアッシャー側のその木を視線だけで一度見てから顔を反らし走らせた。レオンは気付かずにいた。

ソルマンデの草原を走らせ、グランドホテルの前を抜けてマウントレアポルイードのふもとまでを走らせた。

降り立つと彼はレオンに呼びかけた。

「山登る」

「え?」

「お前も来るか?」

彼女はうずたかいレアポルイードを見上げ、瞬きしながら正気かと男を見た。

「正気?ここを登山する人間なんていないわよ?山脈の神がいて昔から被害に遭ってるから」

「神じゃねえじゃねえか」

「守り神よ。真っ白のね。正体は分からないけど、目撃者の話では真っ白くて馬以上に巨大なやつ」

男は構う事無く歩いて行こうとした。元々イベントが目的でも無い。依頼されていた仕事のためだ。

「この山脈に咲く幻の花があるらしいからな。紫畳の様に一部だけ広がるらしい。希少価値が高い物花だ」

「ああ、あのBBBの姉妹花。あたしも写真で見た事がある位よ。山脈の神に出会ったらよろしく」

「出たら写真でもとっておいてやる。お前、こないのか?こいよ」

さっきの殺気を含んだ男の事もあり、レオンを振り返った。

「帰るわ。グランドホテルのカフェで一服してから仕事に向う」

「へえ。気をつけろよ」

「ええ。バイ」

レオンはバイクに跨り、長身の彼を見上げ微笑んでから走らせて行った。男はしばらくその背を見送り、歩いて行った。

レオンはグランドホテルに入ろうとしたが、突如ポケットベルが鳴った。

案の定、帰ってこいとの事だ。息を付き、バイクを進めさせる。木々の裏から鋭い目が再び女であるレオンに飛び、それには気付かずに過ぎ去って行った。

男、MMは腕をまくり、森に入ると一気に山を駆け上がって行った。真っ白の巨大な狼はその日も練り歩き、なにやら人間がいる事に気付いた。恨めしそうに見つめ、食べ様と思い、その後をつけて行く。

MMは青空から、ふと背後を振り返った。

小さな頭の首を傾げ、怪訝そうにその背後へ歩いた。狼は気付かれた事に驚き岩に身を潜めじっとした。目を瞑り、毎回突き出る大きな耳を細長い前脚で押さえた。

「……何だ、狼じゃねえか」

狼は片目を開き、丸まったまま男を見上げた。彼は嬉しそうに微笑んでその巨大な狼を見回してから、ぴょんと耳が突き出て狼は毅然と立ち上がった。彼は瞬きして見上げ、2メートルの自分の背より高いその信じられない美しさの凛とした狼を見た。

丈夫なふさふさの胸部は立派な襟巻きで、がっしりとした体格だがその腰もキュッとしまり、足が細長い。長い尾が揺れ、大きな耳の下の綺麗な顔立ちは大きな瞳が美しい水色で、突き出た口元の下から、真っ白の鋭い牙を剥いた。

狼はけたたましく吠え、彼は目を見開き狼が真っ白の毛をなびかせ逃げて行った俊足の白い影を目で追った。

「……」

しばらく瞬きをしたまま見送り、若い木々の色の中に真っ白の狼は消えて行った。ずっとそちらを見ていたが、暗くなる前に昇る必要があった。彼はまた向き直り、山脈を一気に上がって行った。

驚異的体力のあるMMなので山頂まで行くまでに、紫の花が群生する場所に来た。青い空に溶け込むような紫で、ここかでも微かに蒼い花特有のものが鼻腔に届く。

MMはその花を一輪、手にした。BBBは小ぶりの花だが、この紫の花は大振りの花で、花粉の花冠も大きい。その一輪を箱に入れた。

あとは一気に山脈を降りていく。

MMが他の山も経由しようと山の稜線を辿る。緑に包まれ歩くが、立ち止まって木の幹に手を掛けると、木の太い枝の上に上って見渡した。

山から草原、そして向こうに街が横たわっている。

「………」

空気がやはり堅い。

アマンダを待つ間も感じていたが、何か街では起きているのかもしれない。





4.犯行の夜


それはその日の夜だった。

彼女の自宅に連絡があり、至急署に赴くようにとの事だ。パトロール中の交通課の人間が車両から女性の遺体を発見したという。

ラニールは跳ね起きて、彼女の姉貴は寝起きで青い顔のラニールに早く支度をするようにと、店内から大声で呼びかけた。

バーに出るのは一日おきなのだ。

彼女は裏手に停めている車に乗り込んで出ようとしたら、その界隈でガルドがうろついていた。週の真中に酒場地帯にいるなんて珍しい。彼は土曜以外はあまり場末に出て来ない。

「よう。どうしたんだ?」

「遺体が上がったって。あんたも乗って行くんでしょ」

ポケットベルや携帯を持ち歩かない彼は事件を知らないらしい。今も建物から出たところで、彼はサイレンを聞けばことにいても駆けつける人間だった。一気に顔つきが変わっていきなり運転席側を開けて彼女を助手席に蹴り倒して乗り込むと、一気にアクセルと踏み込んだ。

ラニールはゆっくり姿勢を正して胸を押えた。

「ねえ何か話してよ。事件の事でも何でもいいの」

「何だお前、死体駄目なのか?交通課のくせにしっかり慣れておけよ」

何度も頷いて息を吐き出した。彼女の車の無線に、そのまま野原に向うように連絡が入って来た。

野原。ジュルッサの丘だと言った。

彼女は歯の奥を、震えがばれないように噛み締めた。このアジェン地区で住宅街の一番エリッサ寄りに広がる野原で車両の死体。

その途中、アジェンの雑居ビルの中に、彼女はバーモラの姿を一瞬捉えた。彼が彼女の車に気付いて視線で追い、歩いて行った。ジュルッサの死体、女の車の中から。

心臓が嫌な音を立てる。違うわよね。違うんでしょう。そうよ、お願いだから……

ガルドは彼女の腕を叩いた。彼女がまるで死体の様に静まり返って夜の闇を凝視しては固まっていたからだ。彼女ははっとして彼を見て微笑んだ。また闇に目を反らして息を付いた。

手肩が震えてしまう。寒さは無いのに。ガルドは震える彼女の細い肩を一度温まるまで包括してやった。

ラニールは驚き目を閉じて暖まった。「ありがとう」と微笑み、ガルドは肩をおどけさせた。

「急ぐぞ」

「ええ、」

途中からバートスクに入って行き、野原の周りを交通課の人間達が抑え、ラニールの車を認めて敬礼した。ガルドが窓を開けて状況を聞くと、こちらですと2人を丘の先へ促した。

コーサーが車両から遺体を出すように言っている所だ。

監視官達がポラロイド写真をひらつかせている。敷地がすぐそこのコーサーがまず刑事達の中で一番早く到着し、既にいろいろと調べた所で指揮に当たっている。

ラニールは運び出された遺体を見下ろした。

「……、」

知らない女。違った。彼女等が殺した女では無かった。車もバーモラの物とは違った。

死体は胸部を強く掴んでいる。それに、ショックから心臓発作により突如の心肺停止による突然死である可能性が高いと言う。

野原で……そうよ。ある筈無いじゃない。あまりの事で驚いた。だって、あの死体はマウントアッシャーにあるんだから。それに、彼女に外傷は無かった。

免許証では19歳のウィール=レイマンという女性だと分かった。彼女の自宅に連絡を入れても誰も出なかった。そのまま遺体は署に向け、エリッサ通りを搬送されて行く。

彼女の財布からいきつけの病院のカードを出すと、コーサーが連絡を入れ、今から死亡した女性の身体的な事を聞きに行くと言った。

「大丈夫かい。ほら汗を拭いて」

コーサーが彼女を気遣ってハンカチを出しだし微笑んだ。暗い場所では彼の顔つきは冷たい印象を人に与える。彼女は力無くはにかんで受け取り汗を拭いた。

乱雑に纏め上げられたホワイトブロンドの巻き毛を整えてから署に向うために車に乗り込む。

コーサーが今度はリムジンに乗り込んで来たガルドに聞いた。

「珍しいじゃないか。こんな週の真中に飲んでいたのか」

「暇してたからな」

ラニールの車両は背後からついて来ていた。

署に着くとジェーンがパトカーの背後から降りた所だった。コーサーが処理を手伝わせる様連絡して来させたのだ。背後のラニールを見ると笑顔になり駆けつけた。

彼女はよくジェーンに優しくするから、まず始めにジェーンが親しみを持ったのは彼女だった。

「ご苦労様です」

3人にそう言い、遺体がすぐに搬送されて行った事を聞くとジェーンも走って行った。

ラニールは一度門から街を見て玄関に入って行った。この時間は受付にロマンナに変わる男が納まっている。ロマンアは日中勤務の事務員だ。

「事故処理も受け持つようになったのか特Aは」

「近くにいたからだ」

また脅迫するように目を剥き殺気を込めてそう言ったのをコーサーが改めさせた。

コーサーは交通課に引継ぎをするために歩いて行った。

ラニールはもう落ち着きを取り戻していて、その後は事故後処理をしれようやく連絡のついた家族が遺体を確認して終了した。元から心臓が悪く、バートスクの友人の店に行こうとしていた途中で発作を起こしたのだろうと、彼女と連絡を取っていたその友人も泣きながら言っていた。

ラニールが処理を終えた頃には深夜も深まっていた。くたくたになって自宅に帰ると姉貴がホットミルクを差し出した。いつもより多目の錠剤を飲み下してまた眠りにつく事にしようとしたが、やっぱり店に出てきてボックス席に座った。

ウォッカに伸びそうになる手を止めて、その彼女の肩を後ろから叩いたのがバーモラだった。彼女は驚いて振り向き、それが彼だと分かるとほっとした。

赤いベルベットのソファーに腰掛けてメープルのテーブルに煙草を放り彼女の顔を覗く。

「何があったんだ。え?」

「持病の女の子が突然死して車がエリッサ通りから曲がらずにそのまま野原に突っ込んで行ったのよ」

「そうか。大変だったな」

人目を気にしてそう言って、彼女は「ええ」と、息を吐きながら言った。心臓に悪かった。本当に。

客たちが彼女に今日も踊ってくれよとはやし立ててくる。静けさが嫌で出てきたものの頼まれたからには踊りきらなければ。笑顔を振り撒いてから立ち上がり、心配する姉貴の肩を一度叩いてからステージに立って髪を解いた。

バニラのエレガントな香りがそれで広がった。

そういえば、警官になったばかりの頃のガルドはこの薫りに微笑み、熱的な目で見つめて来た。今は彼は笑わなくなった。愛想良く笑わなくなっただけなのかは分からない。十代の頃は悪どく笑った。大笑いした。何かを企て、そういう時の彼は残忍だった。

バーモラの視線に気付いて彼に微笑み掛けるとバーモラもにっこり微笑んだ。彼の気強そうな顔が可愛くなる時だった。

彼は別に彼女が他の男の所にいてもそこまでは怒らなかった。最近、1週間前から彼女は彼と付き合い始めていた。このバーに顔を出すようになり、彼が彼女に猛烈に言い寄ったのだ。

どこか悲しそうに踊っているのは何でだ?初めて声を掛けて来た言葉がそれだった。彼女は踊りが好きだし、一生懸命その日も踊っていた。そういうことを言われたのは初めてだった。心のどこかで負い目を感じ捨てきれずにはいた。でもそれを見破られそう言われた事は無かった。幸せになればもっと綺麗になる。そう彼は言った。

彼がゲイだという事は知っていた。この前来ていた客が言っていた。あのギャングファミリーの人間で、カウンターで姉貴にそう言っていたのを聞いたのだ。あつからああなっちまったのかは知らねえが、きっと女が恐くなったのさ。あの腰抜け野郎が。そう姉貴に色目を使いながら酒を傾けては、姉貴の手を取って姉貴も微笑んでは見詰め合っていた。

姉貴は列記とした女で、姉妹そろって美人なのは母親の血で、背が高い所はラニールは父親に似た。恵まれた容姿、恵まれた美貌、そして女の心は元から持ち合わせ自分が男に分類される事を知らなかった。ラニールは学校へは通わなかった。男として少しでも区分される事には耐えられなかった。

踊り終えて歓声を聞いてから満面の笑みを送って店の奥に入って行くと、暗い廊下でバーモラが壁を背に表情も無く彼女に手を振った。

「誰かの事を考えながら踊ってただろう。なんだか、楽しそうだった。それも良かったんだが」

「ふふ。なら良かった。誉めてくれるなんて珍しいじゃない」

バーモラも微笑んで廊下を歩いて行った。リビングについて静かな中を周りに視線を這わせてからソファーに2人は腰掛けた。耳のピアスを癖の様に動かしてバーモラは頭を抱えた。

「あの事、大丈夫よね」

「もう郵便箱に突っ込んでおいた。今は深夜で寝てるから朝には気付くだろう」

彼女はあの時の事を思い出して、口を押え立ち上がり、横のキッチンに駆け込んでさっきのミルクの白い液体を吐き出して、胃の中でまだとかされる前の錠剤も一緒に転がった。

死体が慣れていない事は無い。交通事故の死体は無残な物が多い。でも、あれは……。

「おい大丈夫か。やっぱりお前は残った方が良かったんだ」

「あなた一人に、やらせるって言うの?あなたの気持ちを大切にしたいのよ」

彼女を本気で心から愛してくれている彼だから。

自分で彼女はそれが間違っているとはまだ思っていなかった。気付いていないのだ。愛に餓えていて、温もりを切に感じていたいから。今まで彼女を本気で想ってくれた男性はいなかったから。

「ガルドの奴は何か言ってたか?あいつ、結構厄介だからな」

「ええ、なんとか」

「うまく丸め込めよ」

「分かっているわ。あなただって彼が好きなくせに」

おどけてバーモラはテーブルのラ・フランスを手に取った。いきなりフォークを突き立てて驚いた彼女は彼を見た。

硝子の皿も、その下のテーブルにもフォークの傷が付き無表情の恐い顔のバーモラの方に歩いて来て、横のアームに座り両肩をそっと持ってなだめるように小さな声で囁いた。バーモラは息をついで頷き顔を覆った。

自分までガルドに殺されやしないか、その恐怖が彼の中にはあった。

最近ファミリーの輸送船が爆破され、その中の遺体の面子を聞きバーモラはすぐ帰って来たのだ。デイズはあんな事気にするなと言っていた。

あいつは何も知りはしないのだからと。あんな単独なんかでどんな復讐劇なんか達成出来るという。そう言っていた。

ガルドには昔妹がいて、大切にしていた。いつの間にかその妹が姿を見せなくなっていたのだが、ガルドは以前に増して歯止めが効かなくなっていた。

兄貴に懐いていた様だが、きっと奴が恐くて恋人と駆け落ちでもしたんだろうと聞いていた。

「大丈夫よ。だって、ファミリーの中でも生きている人間は多いんだから。そうでしょう。だから落ち着いて。今は明日の事を考えましょう」

彼女は彼に水を差し出した。相槌を打ってから一気に飲み込む。

ガツンとテーブルに置いてからそのグラスと割れたガラスを彼女が片付けた出した。フォークを掴んで彼が口にラ・フランスを運んだのを、彼女が止めた。

「明日のことを、考えましょう」

過去の事なんて捨てればならない事だってある。

「今日、2人目をばらそう」

ラニールは振り返って彼の顔を見た。

「さっき店の中にあの女がいた。だから、出て行く前に今の内に行くんだ」

バーモラは立ち上がって裏手から出て行った。

彼女はガウンを羽織って自室に鍵を掛けてから、後について歩いて行った。

彼は一度車を用意して来てからその中で彼女が待機し、バーモラだけがバーに戻って行った。

車の中で彼女は今すぐ逃げたい、正直にそう思った。でも、彼が女を許さなかった。しばらくすると、あの女がバーから彼と2人で出てきては、暗い路地に入り話をしながら歩いて行った。その頃には既にラニールの男装は終えていた。

通路から2人が出てくる。女はもう一人連れの男がいると知ると喜んですぐに車の後部座席に乗り込み、スモークの張られたドアをバーモラが閉じた。

彼女は車を出した。

「ねえ。どこ行く?モーテルに行って3人でやりましょうよ」

女は隣りに座るバーモラに言ってキスをねだった。

「隣街だ。少し飲み直そうぜ」

バーモラはそう言ってから彼女に口付けて、覗いた視線は今にも吐きそうなのがミラーに映っていた。

マウントアッシャーに着くまでをとにかく急いで、口をきかない無口な連れに女は何度も話をし出すものの、つれないのね。放っておきましょうと言ってまた彼とたわむれだした。彼女には全くの自覚が無かった。

カーステレオのボリュームをラニールが上げた。

女がはしゃぐ中、バーモラが座席の下から取り出した。大きく鋭利なあの刃物だ。

女はそれを見て目の色を変えて、叫び声を上げた。カーステレオが彼女の声を掻き消した。

ラニールは激しく涙を流して震え泣きながら運転に集中した。背後から女の激しい断末魔と、バーモラの狂った様な呪い怒鳴り声が響いて彼女のうなじにも血が何度も飛んでくる。

生温かい血が酷い冷や汗と混じって車内に血の匂いが散漫し始め、今にも吐きそうだった。

建物が見えなくなって行き、ソルマンデ草原が広がり小さな森に入って行く。隣街とこの街を隔てる山にギアを変え入って行く。既にカーステレオを息を継ぐバーモラの声しかしなく、ミラーの中の彼は真っ赤な血でもっと黒かった。

黒のノースリーブを脱いで顔を拭ってから山を行く中、助手席に乗り込んできて、真っ赤なビニール袋の口を閉めて息を付き、汗を腕で拭った。横で激しく泣く彼女の頬に手を当てた。

「これで2人目だ」

激しく顔を歪め泣き同じ位激しく声を出して泣いて、彼にしがみついてた。後ろの女の死体は恐くて見れなかった。

バーモラが運転を変わり、だんまりする目の腫れ上がった彼女の横顔を見てから車を発進させ、同じ様に死体のある地点に着くと車のトランクからシャベルを出した。

まだ柔らかい土を再び掘り起こし始める。彼女は男物のジーパンやブルゾンを脱ぎ捨ててショートガウンの体を抱えて、その作業を青くなりながら見つめていた。




5.臓器郵便事件の発覚


翌朝、彼女は出勤していつもの様に交通課の人間達と挨拶しあい自分の席に着いた。

「昨日は大変だったな。ご苦労様」

「ええ。ありがとう」

にっこり微笑んでデスクに来た同じ交通課の刑事エリックを見上げた。

その彼の視線が上がって、その方向を彼女も見ると、玄関ホールにジェーン刑事がいて、彼女は交通課へと笑顔で歩いてくる所だった。彼女の視線がラニールを捕えて手を振り小走りになる。

彼女は21なのだという。まるで柔らかな蜂蜜みたいな子だ。まるで天使のような。

深い色合いの上品な金髪に、淡い色の黄緑の瞳、蜂蜜色の唇、まるでその顔つきは子やぎの様で、すらっとした肢体の柔和そうな子だった。

「おはようございます!昨日の突然の任務、ご苦労様ですた。ラニール刑事からいろいろと細やかに教えていただき、とても勉強になりました」

その表情が多少翳った。

「昨日の女性はまた19年しか生きていない若い内から、しかも避け難い持病で亡くなられただなんて、本当に嘆かわしい事です」

「ええ。本当ね。その事については今後話し合うことになっているのよ。大学病院の方々にお越し頂いて、持病者の交通のあり方の再認識や保護者、介護者の参導、日常の手軽な体調診断法も検討してもらって、役所にも掛け合うの。車両にもそういった者の声が直に我々の所へ届く設備を検討したりするわ。その事について、あなたもセミナーに参加してみて。これらは個人の注意だけではまかなえなくて、自己認識はどうしても大切になる事だから大変なのよ。第二被害者が出なくて良かった」

ラニールは力無く微笑みそう言った。

昨日の少女は20だった。その前の少女は、19。

「ええ。ごもっともです。その為に我々はいるのですから、心掛けを共に高めて一人でも多くの命が予防により救われたのなら、その者達も幸いです。その為にも我々側にも基本を根付かせそれらを解き、事態を食い止めなければなりませんものね」

突如、ジェーンの持つポケットベルが音を立てた。

同時に、朝が苦手なガルドが玄関から珍しく硝子を割らんばかりの勢いで突進して来た。

一目散にジェーンを見つけると、彼女の所にまた鬼の様……まるで浮気現場を目撃した恐夫が2人を道端に引きずり出して棍棒で殴り殺そうとするが如く大股で歩いて来た物だから、ジェーンはもう真っ青もいい所になっていた。

「ひいっ、まるで鬼のよう……!何て恐ろしい顔、」

ジェーンの言葉にラニールもエリックも噴出し、他の人間も笑ったが、ガルドの言葉で一気に変わった。

「おいジェーン。事件だ」

そう言って彼女の腕をぐんぐん引っ張って、ジェーンが「えええ、」と困惑していると怒鳴り散らして彼女の腰を脇に抱えて階段を駆け上がっていき、受付嬢ロマンナがまた可哀想にと顔を歪めていた。ジェーンはまた「ひいいん」と泣き出していた。

ラニールは歯が微かに震え出した。

今度こそは、そうよ。もう神が放っておく筈が無い。彼が、昨日の夜の内に少女の自宅の郵便受けと、それにもう一人の子の玄関ドアに吊るしたって言っていた。

彼女h心臓自体が緊張で震え出した時だった。

殺人捜査一課の人間と特Aの3人が走って玄関から出て行った。

「殺人事件の様だな。嫌だな。まさかスラムの人間がまたやらかしたなんて事は無いだろうな」

「でも、あの特Aが駆けつけた位だから、もしかしてまたグロテスクな事件が起きたんじゃないか?またその捜査を処理B部長のハノス警部が特Aに渡すんだろう」

「何だか、最近あのコンビが結成されてからは殺人課内でそ捜査分別がされる事に決まったらしいぜ。この前の奴は殺人一課が忙しかった為に全面的にあの2人に捜査が一任されたって話だが、今に奇人変人物事件は奴等に行くってな。持って行くハノス警部も一課部長のギガ警部から多少今までとは違う目で見られ始めてる。今に主導権をB班に持って行こうとしてるんじゃ無いかってな」

「へえ。そんな話が出てるのか。それにしてもフィスターちゃん可愛そうになあ。妙な事件ばかり受け持つ所に入れられて始めはガルドの奴も哀れだと想ったが」

「あ、哀れか……?」

「でも、あんないい男2人もあんな事件捜査処理やらされる事になるなんて、」

ラニールもどうにかそう言って、その言葉に女警官達も続けた。

「本当、勿体無いですよね刑事」

「あたしガルド警部のファンでしたけど、あの可愛い子に絶対取られますよ……」

「大丈夫だろ。あいつの基準はレオンなんだからな」

彼等はガルドが刑事になる直前に別れたらしく、その事についてレオンはラニールとアマンダに怒って言ったのだ。「酷いわよ!あたしを、このあたしを利用していただけなんてあんまりだわ!」

「それにしても、どんな事件なのかしらね。フィスターちゃんの初事件簿……」

ラニールの声は今にも乾きそうだった。なんとか持ちこたえられたものの、あの人は今、どこにいるのかしら。しっかり隠れているかしら。それとも、いつもの様に歩き回っているのかしら。働きもせず……。

バーモラはサイレンが高く鳴り響いているのを聞いて、それが一斉にベッドタウンヒールコンスト、多分Bブロックエケノだろう。

その方向へ一方は向かい、もう一方は既にバートスクのジュルッサ側商店地区に到着した所が見えた。

確実だ。あの女共の事に違いない。

バーモラはその地点から離れて行き、その途中で顔見知りの男、ファミリーの下っ端だ。彼がバーモラを見つけサイレンの方向を見て声を掛けた。

「さあ。昨日に引き続き、また交通事故なんじゃねえのか?」

「ちっ分らねえならさっさと俺の前から立ち去れホモ野郎が」

バーモラは「ハッ」と息を吐き出し歩き去って行った。

人気の無くなった通りに来ると、バーモラは目を見開いた。あの女だ。

その女は彼女の連れ数人とゲラゲラ話し合っては笑っていた。

一度「なになに~?」とサイレンの方を一番若そうな子が見たが、その後すぐに関係なさそうに自分達の話に戻って行った。バーモラは彼女を尾行し始める。耳のシルバーのリングピアスをまた癖で動かす。

あの女は彼女を罵った。

本当の女じゃ無い彼女を心底底意地の悪い顔で罵ったのだ。あの女達は若いだけで大してきれいなわけじゃ無い。肉体が若いだけで大して何か秀でて勝るわけじゃ無い。

それをあの女共は努力をし続けて来た彼女に罵声を浴びせたのだ。それでも彼女は踊りつづけたし、笑顔を絶やさなかったし、潤む目元を押える事も、涙を流しもしなかった。

最高の踊りを踊りきったのだ。

あの女共は俺が許さない……。女共などどいつも最低な種族だ。彼女だけは違う。彼女だけは……。

彼女が彼には、どんあに純粋で健気なのかを分かっているからこそ許せなかった。彼女の全てを否定して、彼女の全てを踏みにじり、女達はそれでもゲラゲラ笑って、最後まで踊りきって女達にも笑顔を送った彼女に対して、あの3人揃って不機嫌で面白みも無い顔で唾を吐き、彼女の笑顔にまで罵声を怒鳴りつけたのだ。

彼女の姉貴が酔っ払った3人娘達をどうにか店の外に追い出し、女達はそのドアや壁を蹴り散らしまたゲラゲラ笑いながら去って行った。

彼女はそのままステージから店の奥にいつもの様に入って行って、その背後からは彼女のファン達が彼女を気遣っていつもより盛大に拍手と歓声を送った。

彼が駆けつけた時には彼女はもう足の力を失い歓声さえも拒否する様に入り口で声を押し殺し耳を押さえ激しく泣き崩れていて、彼はその時彼女の肩を持ち支えて彼女をなだめた。

彼女の姉貴が激怒して入って来ると、泣き崩れる妹を見て彼女の所に駆けつけ、男のバーモラを追い返した。気持ちは有り難いけど、今の彼女は男性に会って、なんて言うか姿を見られたくは無いのよ。どうにか今日の所は引き返して頂きたいの。バーモラにそう囁いて、彼も数度頷いてその日は帰って行った。

彼女の生甲斐のダンスの時に全てを崩された事を本人以上に彼は怒りを感じていた。

でも彼女は、彼の復讐の話には、自分が今まで世間の評価から逃げて抵抗をつける事を怖がっていただけなのだから、仕方が無いのだと言った。

仕方無いって何なんだ。彼女の本当の苦しい胸の内をこのまま閉じ込めておくなんで彼女が辛いのだ。生命自体を否定される事なんて必要無いのだ。生きている限りそんな事必要無い事だ。奴等は若さにかまけて何も考え無しに無下に言って来たんだと。それを彼女は力無く微笑んだだけだった。

そこで犯行に及ぶ事は歪んだ感情に他ならない事をバーモラは分かっていなかった。

バーモラは5人の中の一人が帰って行き、残りの4人があの女を含めまた歩き出したのを付けて行く。

2人はハイセントルの人間だ。目的の女はアジェン労働階級住宅地区の人間で、もう一人は知らない。

今から2人の地元のハイセントルへ向う事になったらしい。

バーモラは急いでアジェンの自分の安アパートから車を持って来る。

あのバックシートはまた上から違う布が被せてあった。ソルマンデ側のトアルノから回って行き、港市場に出た。ハイセントルと直通のジーンストリートの端に車を置いた。

エリッサ地区側のエケノのブロックにパトカーが溜まっている頃だ。そのままハイセントルに入って行く。女をずっと見ていた。

殺人一課の人間達が帰って来た。特Aに分類される事件だったらしい。

エリック刑事が一課の男達を呼び止めた。

「心臓が送られて来たんだよ2つの自宅に。それで、どうやらそこの家の娘の姿が見当たらないって事で、専門家の話だと心臓の大きさから言ってその2人の少女の物だろうって事でね」

やっぱりそうだ、ラニールはそれを聞いて青くなった。他の警官達も顔を歪めて各々の崇拝する神の名を口にした。彼女もつられるかの様に掠れそうになる小声でそれをつぶやいていた。こんな事って、まずい……。

「今から奴等が犯人捜査に入って、俺達は遺体の捜索と聞き込みだ。全く、脇な役回りにされたもんだ」

首を振って階段を上がって行った。

2年前からの殺人課刑事のレオンはラニールの所に来た。

「全く、どうしようも無い事になったわ」

「聞いた、」

ラニールの腕をレオンが軽くさすって力無く微笑んだ。

「すぐ解決してみせる。貴女も祈ってて」

そう挨拶程度に話を交わしてからレオンは階段を上がって行こうとした。

「何?」

「え?」

ラニールは振り向いて聞き返して来たレオンに返した。

「何が?」

「何かあったら言ってラニール。今は手一杯だけど、貴女の為ならいくらか暇見つける」

「大丈夫だわ。気遣いいつもありがとう」

「いいのよ。じゃあ、バイ」

「ええ」

レオンはいつも同じ女性に優しく、弱い立場の同性いつでも頼りになる事を言ってくれるのだ。鋼の様に強く、女警官達も彼女に信頼を置いていた。

ラニールはそんなレオンの背を見送ってから、椅子に腰掛けた。

絶対にすぐばれる。あからさまにばれる。ラニールはあんなに罵声を受けたすぐのバーモラの犯行に気落ちする。

何故すぐの犯行を止めなかったの。自問して返って来た答えは何も無かった。ただ、真っ白と真っ暗なだけだった。

これは恨まなければならない屈辱だと分かっているのに、それでもやはり他人を攻められはしなかったのを放っておけば良いと思うのは、彼は臆病になっているだけだと言った。自分に負い目があるからだと思うことでそうなるのは、自分を単に押し込んで守り自由になれないだけだと言う。

スラブが立ち並ぶ閑散とした街並みは低層で、灰色の建物と、一定の空の水色が住み着いていた。

バーモラが彼女に笑顔で声を掛けたのは、彼女が連れの自宅から出て、切れた薬を買いに行く時だった。

直接ディーラーを捕まえに彼女は薄汚れた路地裏を一人歩いていた。

同時刻、ガルドが話を聞きつけその2人の少女の連れの自宅、ハイセントル方向に車を走らせている所だった。あの2人と特に仲のいい少女に聞き込みをしに行く為だ。

あのバーでの事は姉貴があの騒動の後、客達にあの子の為にと口外にストップを掛けた事で、警察にも他のあの界隈の人間にも知られてはいない事だった。

2人と仲の良かったアジェンの少女はハイセントルの友人の所にいる筈だと3人の親は言った。

深夜から彼女は5,6人で遊び歩きに行ったと言っていた。朝は帰って来ていなく、姿を確認していないとも。

もう被害に既にあっているとも考えられる。その彼女達の第一の溜まり場であるハイセントルの家でまだ生きているのかは分からない。

今現在、ラニールの姉貴は眠っている時間帯で、客達も工場勤務の中で作業に当たっていた為にけたたましいサイレン音には共に気付いてはいなかった。事件などがまさか起きている事すら知らずにいた。

バーモラが笑顔で女に声を掛けると、女も笑顔になって上目でバーモラを上から下まで眺めて、噛んでいたガムの風船を口の中に丸め込んだ。

バーモラはグリーンに染色され毛先だけ白く色抜きされたショートコーンロウの小さな顔の背の高いブラックだ。白のノースリーブランニングに黒皮で薄手のイージーパンツを履いていた。

でかい目は昔からでかく、睫も昔から多かった。笑うと無表情の時とは違い男らしい可愛らしさが広がっては白い歯が覗いた。

「あんたって確か、どこかで見たよね。たしかその時も格好良いって思ってたんだ。Cブロックの人間なんだねー。どこで会ったっけ。まあいいや」

女はラリッた目で笑い、続けた。

「ねえお兄さん葉っぱ持って無い?今からさあ、あたしの連れの家に行って一緒にやろうよ」

女は多少薬で酔った目を彼の背後に何度も走らせながら彼に笑顔で顔を向けた。

他の人間がいない事を気にしているのだろう倦怠な風貌からは分からない程度に心情は多少焦っているようで、少女の親はやはりハイセントルの親とは違うのだろう。

ここの人間は親も常習し、子供は2才から服用する様な地帯だ。

「それともさ、奴等蹴って2人でこのままどこかに遊びに行こうよ。昨日から連れ立ってて飽きてた所だったんだよねー」

「そうだな。アシあるから行こうぜ」

裸足に吐いた白革の彼のサンダルに、茶色の染みがついている事にバーモラ自身が気付いた。血痕だ。それでも目立つわけではなかった。

帽子から覗くでかい瞳で背後から歩いてくる彼女を見下ろしてから肩に腕を回して歩き出した。

少女の連れの自宅にガルドが着いた。

青年達は一斉に焦って少女達は玄関口の彼の声に飛び驚いた。

「お、おいガルドさんだ、」

「おいみんな片付けろ、」

既にガルドが入って来ていた。

少女と青年達がばたばたしている所を見ると、一気に彼の顔が険しくなった。

青年は発砲し一気に10人が逃げ出し八方に走り出した。発砲して来る青年を叩き付けナイフの少年を投げ飛ばすと窓から庭に飛び出た少女達を捕えてからキッチンに逃げた青年、少女達と共に詰め込んだ。天井近い狭い窓にシンクに駆け上がって行った少年と少女の背を掴み背後を逃げて行く奴等の背を蹴り倒してサランラップでぐるんぐるんに巻きつけるとキッチン前にソファーを置いた。

写真の少女はいなかった。

「おい。メリーシープってのはどこに行った」

「し、知らないよ」

「言わねえつもりならこのまま火放つ」

「悪徳警官!!」

だが前のガルドを知る分、本気でやりかねない。

「や、薬、買いに行った、さっき、」

「ここから出るなよ。今少年少女を狙った猟奇殺人犯がうろついてるからな。被害に遭いたくなかったらじっとしてろ」

「ヒュウ、マジかよ」

「ちょ、メリーシープは?」

「探す」

無線を送り、パトカーが到着した。昼のハイセントルはまどろみ、3年前にフェンスも取り払われていた為に警察は用心しながらも進み行って来た。

ガルドは麻薬捜査官達が署から駆けつける中を制服警官達にこの場を任せ、ディーラーの所に駆け込むがどこにも掠めなかった。苛立ち、壁を蹴って辺りを見回す。

既にその頃にはバーモラは女を車に乗せている所だった。

女は続けざまのサイレンの音にさすがに首を傾げた。

「なんだろうねー。うるっせえってんだよ、ね~」

この声だ。この苛立った時の声。

あの時の事が思い出されてバーモラは怒りでハンドルを持つ手に力が入った。それに気付いた女が後ろから身を乗り出してきた。

「ねえ耐えらんなくなってんでしょ。あたしもそう」

そう言って助手席に乗り込んだ。人気の無い所で彼はそのままブレーキを踏み込みクラブコンパートメントの中の白の粉を思い切り吸引した。

女も喜んで欲しがり鼻から吸引すると口元を緩めて朦朧とろれつの回らない声で何かを話し続けていた。早くぶっ殺したい。でも彼女と一緒でなければこの復讐に意味は無いと彼は言い聞かせて、これは女達に対する自分の復讐でもあるが、彼女の復讐でもある。馬鹿にも薬でハッピーになっている女を憎たらしそうに睨んでから帽子を目深く被り視線を前に戻した。

彼女をそのまま一時睡眠薬で眠らせてから後部座席に蹴り転がすと適当にその上に布を被せてまた走り出した。

交通課では何も無く、ラニールは通常勤務も終了し帰ってくると、バー裏手の倉庫の影にバーモラがいた事に気付いて飛び出しそうになった心臓を押えた。笑顔を作ってから彼の腕を引いて家の中へ入った。

「ねえ、今日あの事で殺人課が動いたのよ。良かった、掴まらずに済んだのね」

「どういう事……?」

2人はザッと背後を振り向くと、姉貴が立っていた。

「あんた達、まさかあの2人の子達を殺したって言うの?」

ラニールは真っ青になって言葉をなくした。

「ねえ、ねえラニー?あんた、刑事でしょう、まさかそんな事って無いでしょう?起きたらミックが駆け込んで来てあの子達が事件に遭ったらしいって聞いて、あたしもしかしたらって思ってたのよ、」

それでも姉貴の顔は恐い程冷静だった。今に、いい気味だわ、と言い出しそうな顔だった。

でも実際それは口には出さなかった。鼻で軽く息をしたのが姉貴の考えている事を分からせた位だった。あの3人の事は彼女も許せなかったのだ。

「あと一人もさらって来てる」

「なんですって?」

彼女達はバーモラの顔を覗き見て目を見開いた瞬間に、姉貴が笑みを浮かべて笑い出した。何て思い切りがいいのよと。

ラニールの顔はもう強張り、その場に力無く座った。

「あたし達、どうなるのかしら、どうなるの。ばれたら死刑だって分かってる……」

「でも許して終わるってのか?俺達が奴等を死刑に上げるべきなんだぜ。あんな屑共なんか許せないし許すべきじゃねえんだ。ああいう奴等が世の中を腐らせてるんだ。お前も刑事なら見て来ただろう。少年課に来る質悪いガキ共を。そうだろう。俺達がもっと被害が増える前に奴等を裏から死刑にしなけりゃならねえんだ。奴等は、奴等はお前を傷つけた。あんなに深くお前の心を傷つけたんだ」




6.猟奇殺人事件の捜査


ジェーンは消えた少女の捜索へと、ハリス刑事と共に向うが、犯人も共にいると考えられた。それに、既に殺害されている可能性もある。彼女は焦った。

コーサーは消えた少女の自宅で張り込み、捜査本部を組み犯人からの脅迫の連絡を待つ。

ガルドは犯人探しの為、聞き込みと捜索を続けた。

遺体放棄場所として、一課の人間はまず第一にレガントの森に捜索願いをコーサーに出した。彼は渋る祖母リカーにどうにか取り合わせた。

いたいけな若い少女達を狙ったこの残忍な犯行に、ジェーンも世間も怒りを覚えた。

彼女達の家族は大きなショックを受け、こんな殺され方をされる事になったなんて信じられない、こんな通り魔の狂気の犯行に娘が餌食になれた事に怒りを感じ泣き崩れていた。早く娘の体を返してと。

心臓だけでは犯行時刻は判明しづらかった。腐敗の進み具合は無いに等しいのだ。

犯行現場は犯人の自宅と考えられ、2人がよく一緒にいたらしいから共に誘拐して自宅で監禁殺害後、その場で心臓を摘出し遺体を隠し、其々の自宅に送りつけたと考えられ、3人と接触した人間の聞き込みを進めて行くものの、収穫無しだった。

事件から2日経過し、犯人も消え少女2人の死体は上がらず仕舞いのまま時間が過ぎている。

特Aの実力が問われたと一課の人間も言い始めて、所轄の人間は本格的に捜査をこちら側に渡すべきだと言っている。

ジェーンが部長室に入って来たのはガルドが捜査報告をしては行き詰まっているという時だった。

彼女は自分が囮になると言い出したのだ。

殺された少女は19才と20才。今行方知れずの少女は21で、自分もそうだからと言い出したのだ。

「実は、最近何かからの視線を感じるです。彼女達、女性に少なからず怨みを持った者の犯行に思えるし、性行為目的の通り魔的犯行を及ぶ際、頭部や手などなら自らの犯行を誇示した行為に思えるものの、心臓を家族の元へ送りつけるとなると、怨みを持った他の感情からの犯行なんです。そういう恨みかは分かりませんが、世の中には女性に裏切られたり母親に恐怖感を持ったり酷い事を言われるなどして全体の女性に恨みを向ける男性もいるのですから。その犯人をあたしが誘き寄せて」

「お前、何を自分で言っているのか分かってるのか?馬鹿な事言うんじゃねえ。お前はまだ4日前にマイアミから来たばかりで地理も犯罪の事も何も分かって無いし自分の身も護れ無いくせにでしゃばるな。余計面倒になるんだよ。お前みたいな女が言い出す事じゃ無い」

「でも、このままでは犯人に連れ去られたとの可能性の大きな少女の安否が!」

ガルドが怒鳴ろうと口を大きく開けたが、部長が肩を引いた。

「ガルド君。彼女を見ているんだ」

「部長!!!」

ガルドの瞳が深い怒りに彩られて部長の腕を掴んだ。見た目に寄らずスーツの下の腕はかなりしっかりしていた。その目を見据えて部長は冷静に言った。

「犯人は何かしら行動に出る頃だ。性格から言って犯人は気が短い」

ガルドはきつく口をつぐんで部署から出て行った。

「では、許可を出してくれるんですね!」

「君は先程見張られている様だと言ったね」

「はい。寮から出る時などです。姿を見たわけでは無いけれど、昨日の夜は不気味で」

ラニールの姉貴が店仕舞い時にバーモラに言われて彼女を着けていたのだ。

何やら新任の女刑事のくせに正義を剥き出しにして俺達を追っている。

どうやら噂ではラニールとすぐに親しくなって何かと危険な存在になるだろうと。だから彼女を見ている様にとの事だ。その内に俺は女を殺して心臓を摘出し、死体を様子を見て捨てに行くと。

それを交通課のラニールにマウントアッシャーまでの道をパトカーで見回りさせて、彼の車を他のパトカーなどの目に触れさせないようにするからと言ったのだ。

翌日、心臓はバーモラに頼まれた少年が郵便局へ向い、少女の自宅へと包みとして送られんとしていた。

張り込みをしていた刑事が郵便局員からの視線を受けた。少女の自宅への小包が持ち込まれたという事を悟り、その少年は刑事に取り押さええられた。

奇声を上げあがらう少年を警察車両に押し込もうとした時だった。

あっと思った間に少年の背中に穴が空いた。倒れ込んだ少年を抱え込んで刑事は辺りを見回した時には、バーモラはライフル銃を分解して赤のブルゾンの中に仕舞い込み、窓際から建物内に引いて歩き出した所だった。闇の中に紛れ、階段を降りていった。

バーモラがデイズに呼び戻されたのは、輸送船を爆破し部下を抹殺したガルドを様子を見て暗殺させる為の他ならない。

彼はファミリー内のイレイザーとして今までを、今後手中に収める他の州に回り、契約違反と破棄をしてくる政治家達を再び丸め込み、応じなければ脅し、場合に寄っては殺害する為だった。

その身分はファミリーでも上層しか知らない。他の下っ端の部下達は、彼はホモで無職のごろつきだと思っている。だが誰もが誤解していた。確かに彼は女が大嫌いで憎んではいるが、別に男が好きなわけでは無い。ラニールとさえ関係は持っていないのだから。

それでも彼女の事を心から愛している気持ちに変わりは無い。

彼女をあのうらぶれたステージ上で見たあの瞬間から、彼の中に何とも言えない戦慄が駆け上った。それは始めは同感や同情の様な物だったのかもしれない。でも彼女のあの人柄が、彼を彼女から離せなくさせた。

彼女の事を心から愛したいと思ったのだ。

そのまま足を進めて行き、エリッサ通りから離れて行った。

包みが警察署に持ち困れた。

ガルドが開けようとするとその手を止めた。

「おい。何かが仕掛けられている」

その彼の手で、爆破物処理班が来る前にどんどん包みを開けては手早く分解されて行き、ワイヤーが切られた。

「お、おい、お前、ひやひやさせるなよ、」

巨人ジョセフがティニーナの小さな体の後ろから顔を出してガルドを睨んだ。

「おらよお出ましだぜ。ったく、バーベキューのハツになれる所だったぜ」

バシッ

駆けつけた爆発物処理班の人間とコーサーはガルドの頭を同時に叩いた。

「素人が勝手な事するな!!」

「親族の前で不謹慎な!!」

同時に怒鳴られて彼は頭を両手でさすった。彼は署には秘密にしているが少年時代から仕掛花火や爆発物には詳しい。

親族は心臓を見て気絶し、父親はすぐにこれが娘の物なのかを調べてくれと弱い声で叫んだ。

ジェーンは握った拳を震わせてガルドの腕をぐんぐん引っ張って通路に出て行った。

「少年が狙撃されたと聞きましたから、きっとあたしを着けていた人間の仕業の筈です」

「よく考えろ。お前を着けていた時間帯に真犯人が犯行に及んだと考えたほうが自然だ。お前を着けているストーカーと今回の事件の犯人が同一犯とは有り得ない。その犯人の仲間かもしれねえだろう。今はその実行犯を追うべきだ」

「一人の犯行じゃ無いとしらわ、同じ恨みを持った人間の犯行という事なんです!だから同じ人物に行き着く筈だわ!」

「お前何でもそうやってすぐに決め付け……おい、待てジェーン!!」

ガルドの言葉も聞かずにどんどん彼女は階段を駆け下りて行った。舌を打って糞っと怒鳴って走り追い掛けた。

ラニールは激しく心臓を飛び出させながら激しく口論しながら外に走って行く2人を見ていた。

絶対こんなの嘘、彼女を今度は殺そうなんて、そんなの……。

そんなの彼のやり過ぎだわ。

ラニールは落ち着かないまま仕事を続けて、勤務終了を恐れた。

あの子は彼女のお気に入りだし、可愛がっている後輩だし、彼女は自分の事をニューハーフだとどこかで噂を聞いて分かっているだろうに、全くそんな素振りを見せはしないのだ。

結局ガルドは部長の命令でジェーンを見張りながら犯人捜索に向う事になったが、これといった犯人の動きが無い。

進展が無いままだったが、コーサーが死体捜索に加わる事になった。遂にアッシャーの山に差し掛かりその中腹で、見つけた。

腐乱し切った死体が3体。

即刻遺体は運ばれ司法解剖がされる。2人の爪から人間の皮膚が検出された。それが同一の人間の物だと判明したが、他の証拠は無い。

その現場に乗り入れただろう車のタイヤ跡や足跡は山に振った雨に流されかき消されていた。この山の土は元々主体が赤土であり軟質だ。

コーサーがどちらにしろ手柄を立てた事であと一歩だっただけだと他の刑事達は悔しがった。




7.バーモラという性質×ラニールという性格の決定的な相違


ラニールはその夜4日振りにステージに上がっていた。

今日の踊りはアラビア風舞曲に乗せ、そのテンポと東洋ジャパンの白狐の踊りをミックスさせ、姉貴がサクソホンで激しいビートを刻み付け、クールに決まった。

店内にはバーモラはいない。

バーモラは事件発生から1週間のその日、アジェン界隈に居合わせた2人の刑事に笑顔で声を掛けた。

ガルドとジェーンだ。

やはり思惑通りガルドはジェーンに着いた。バーモラはキャップ下から清楚な感じのジェーンを伏せ気味の目でみてから鍔を後ろにした。

「よう。最近忙しいんだってな。大変じゃねえか。あんたもまだ来たばかりだろう」

黒のランニングから流れる長く筋肉の引き締まった腕を重力に合わせて鍔から下に下げた為、ジェーンが握手を交わすと思ったらそのまま彼がその手を黒のベルベットのパンツポケットに掛けた為に彼女も手を下げた。

「ええ。しかし、初めての事件で哀れな女性達の冥福を早く祈る為にも全力を持って当たっています」

バーモラは耳の金の丸ピアスをいじってからガルドに言った。

「頑張ってるじゃねえか。いい子が来たようだなガルド」

この1週間で生やし鋭利に整えたバーモラの髭面の、でかい目から切り抜かれた様に真っ白い白目の黒目勝ちの視線は、元から奴はやはり注意していなければ何処を見ているのか分からない。

黒目が大きすぎるからだ。だが、一瞬女、ジェーンを見た目は今までのバーモラでは無いと思った。

記憶の中のこの男はいつでも可愛い女を横に連れていた。ガルドの妹も一度こいつとは付き合った事があった。顔が良い分、女達に元々人気があった。

だが今の目は女に大して興味は湧かないという白けた目だった。ガルドは首を傾げl、2人の元から歩き去って行ったその黒の背を、肩越しに黙って睨み見据えた。

犯行が起きた時期、女への興味の無さ、ここら辺をうろつき、ジェーンの前にまた姿を見せた事、あいつは元々同性には白けた性格だった。喧嘩慣れしてもいた。

ガルドは偶然なんて物は信じない質だ。

「……」

「ガルド警部?」

ガルドは向き直り、歩いて行った。ジェーンもその後ろを見失わない様に小走りで追いかけた。

2人から分かれて歩いて行ったバーモラの頭の中はジェーンの言葉に対する激しい怒りが渦巻いていた。

まるでボディーガードの様にガルドが横に居なければ今すぐにでもあの女の心臓を引きずり出したい所だった。

だがいずれ、近い内にガルドの事も始末するのだ。こうやって事件が起きている内に共に行動している奴等を共に始末する事が出来る絶頂のチャンスにもなる。

バーモラは路地裏に入って歩いていると、その彼の背後から誰かが肩を叩いた。

ファミリー上層のゾーイだった。

少年が殺された事件を聞きつけ、この一連の事件が彼の犯行だという事が分かったのだろう。

「お前、何考えてやがる。気でも狂わせたのか?余計な問題起こさずにお前は言われた事だけをしろ」

「もう遅いですよ。だが捕まるような真似はしない」

「ボスはお前を見切るんだとさ。こんな野郎抱えちゃいられねえからな」

バーモラの額に銃口が突きつけられた。

バーモラはゾーイの顔を下目で見据えて、にっと笑った。不敵にだ。背後からそっと近づいたラニールがゾーイの頭を思い切り石で叩いて銃を持つ手を彼が一払いし、膝を腹に何度も食らわせた。

ラニールはギャングの人間にバーモラが襲われていると勘違いしたのだ。彼女はゾーイが倒れたと分かると困惑した顔で息を整えた。

「一体何があったの?大丈夫?危なかったわ」

「何でも無い。ぶつかっていちいちいちゃもん付けられただけだ。ありがとうな。助かったぜ」

「そう、ならいいのよ。間に合って良かったわ。署に連絡」

「やめた方がいい。こいつは上層の人間だ。俺が今度は奴等に命狙われる。な?だから早く立ち去ろう。いいかこのまま俺の車に乗り込むんだ。さっきお前の姉貴には会って来てこれ以上事件に巻き込ませない様にした」

それは殺した、の間違いだった。

彼女は犯人の顔を知る人物として殺された。

一時店奥に引いたラニールに、今日の踊りは最高だったわと言いながら入って来た所を口を押えられ殺され、その時にはラニールはバーモラを探しに外へ出ていた所だった。

闇の中の彼の横を、最高の踊りをしおえて笑顔で通り過ぎて行った。その時初めて彼は彼女にキスしたいと思った時だった。最高の笑みだった。

この今の気持ちを早くバーモラに話したくて仕方無いラニールは奥の外のドアへそのまま消えて行った。

ジェーンを見張らせたのもガルドに不信感を持たせ彼女を囮に確実にふらつかせる為だ。

奴等は犯人をおびき出す為に案の定出歩き続けている。殺人術に長けた自分ならあの狂暴で荒くれ者のガルドを取り押さえて黙らせる事の出来る自信はある。

アジェン地区の路地裏をバーモラとラニールは曲がりくねって行く。

彼の車の所まで来て乗り込もうとした時だった。

酒場街の方向がにわかにざわめき立った。

一度ラニールはが振り向いたが、「早くしろ」と彼に急かされ車に乗り込んだ。

あれは客の人間が彼女の姉貴の死体を見つけたからだったとバーモラには分かっていた。

近くにいたあの2人も駆けつけただろう。そこに集中させる為に同じ様な死体に仕立てたのだから。心臓をくり貫き、テーブルの上に置いた。

その内にも車は走って行った。

「これからどうするの……」

「俺には収入源がある。お前も、ダンサーとして生きれる様に今から話し付けに行く。復讐はもう終わったんだ。完全にな」

そして、事件のほとほりが冷める前に、ガルドとジェーンを殺す。

「話を付けに……?」

それ以上バーモラは何も言わずに進めさせ続けた。ここで見切られるつもりも無い。




8.夜と最後のフラッグ


車両は大通りに差し掛かったその瞬間だった。

バーモラは急ブレーキを踏み切り、ラニールは叫んで体を折りうつぶせた。

いきなり目の前をバイクが踊り出てきたからで、それがガルドだった。

「畜生、」

ガルドは鋭利な目で睨み、バーモラは意外と面倒なデカらしいガルドを睨んでから、キャップを外しラニールのうつぶせた頭に被せてバックした瞬間、彼のバイクに激しく突っ込んで行った。

間一髪で突進して来る車両を避けたガルドだったが派手に転倒した。車は一気に走り出した。

ガルドもバイクを引き起こし跨り乗って追い掛けるが、一歩出遅れて、バーモラはあの女、ジェーンを見つけた。

ドアを開けその細い腕を引っ張ったが、その時に並んだガルドがバーモラの顔すれすれに発砲した。バーモラは手を離し、ジェーンはそのまま地面に転がって行った。

ガルドは悪態を叫んでバイクを捨ててジェーンに駆け寄ろうとしたが、バックした車の方が早かった。

彼女の腰を乱暴に片腕で抱え込んで車の中に引き込み、そのまま走り去ったのをバイクに飛び乗り追いかける。

車はスピードを上げて行きバーモラは気絶したままのラニールを叩き起こす。男装していたし、ガルドに気付かれる事は無かった。

ジェーンはもうぐったりしていて放り投げられた後部座席のシーツは剥がれ血が露になっていた。

気絶から目覚めたラニールは息を継いで今の状況を見た。

「フィスターちゃん、」

彼女は短く叫んでバーモラの顔を見た。

どうにかあのライオン野郎を一時巻いた様だ。彼は後部座席に回ってラニールに運転する様に言う。

もう何が何なのかラニールには分からない。なんでこんな事になってしまっているのか。なんでこんな事を自分がしているのか。疾走する車のバックミラーに、闇の中ライトが一筋灯った。

さっき、彼が轢きそうになったバイクに違いないわ、

バーモラはジェーンの頬を叩き起こさせると、彼女は目を開いて高い声を出し叫んだ。

蜂蜜の甘い香りが一瞬バーモラの感情を片寄らせた。だが小さな頭を振って車のドアを開けようとするジェーンを片手で掴み、座席の下からあの刃物を取り出した。

もうラニールは耐え切れずに声に出して泣き出して。

「もう止めて、もういいのよっ!!」

ジェーンはその声に驚いて目を見開きラニールの後頭部を見た。

「ラニール刑事、」

ジェーンは悟った。

彼女の為に彼は犯行を重ねて復讐の悪魔になったのだといういう事。

ラニールは恐くてブレーキに足を運び事も出来ずにがたがた震えていた。ジェーンは怒りで涙が込み上げてきた。

「酷いわ!!あなた酷いわよ!!」

「何だと?!この女!!」

「あなた気付かないの?!あなたが彼女を傷つけているという事が!!こんな事してあなたが彼女を深く傷つけてるんじゃない!!あなたがこんな事をするという事がよ!!繰り返す毎に彼女の気持ちを殺して踏みにじって、」

「何?!」

「彼女は本当はそんな事望んでなんか無いのに!!!」

「黙れ!!」

「やめて!!お願いバーモラもう止めて!!」

「女なんかどいつも敵だ!!俺はこいつの為に」

「その彼女が哀しんでいるのよ!!この分からず屋!!あなたが彼女から自信を失わせているのよ!!こんなの、そんなの許せない!!」

「このアマ殺してやる!!!」

「バーモラ!!!」

その瞬間だった。激しい音を立てて車がスピンした。

ガルドが思い切り車の側面から衝突させたからだ。車はその事で段に乗り上げて停まり、パトカーが囲った。

ガルドがドアを開けバーモラを引きずり出し凶器を奪い取り制服に投げ渡してからバーモラをぶん殴り飛ばした。仲間の運転手の男を引っ張り出した。

目を見開いて、言葉を失った。泣き濡っているのがラニールだったからだ。

「あんた……、一体何で、」

その瞬間、ガルドは彼女の腕を強引に引っ張ってその顔を手の甲で思い切り払って彼女は派手に吹っ飛んで行った。

コーサーに車から引き出されていたジェーンはガルドに止めてと叫び、他の警官もガルドの肩を引いた。この事件を引き起こしたのがこのラニールだと?余りにショックな事実だった。

ラニールは地に崩れ震え小さくなり、地面にうつむいて顔を押え泣き崩れている。

ガルドは彼女を睨み見下ろし連れて行けと言い、気絶したバーモラと泣き崩れるラニールをパトカーに押し込んだ。

ジェーンは青くなってパトカーを見て、ガルドは彼女の腕を引き頬を張った。

「何でレオン達といなかったんだ、」

ジェーンは震える口元をつぐんでうつむいた。

「ごめんなさい、」

ジェーンは手を見下ろしはっとし顔を上げ、ガルドは一度強く彼女の頭を抱き離すとコーサーに投げ付けさっさとバイクに跨りアジェンに戻しに行った。車で直ちに署に向う。

コーサーはジェーンを車両に乗せた。初老の女警官も彼女の横に乗り込み発進して行った。

ジェーンの手首を掴んだガルドの手は強く震えていた。勝手に着いて来た怒りからじゃ無い。

心配でならなかったからだ。弱い彼女が殺されるんじゃないかという、強烈な恐怖からだ。助けられないんじゃないかと思った。3人を助けられなかった事の様に。

まだ手は震えた。





8.取り調室


ラニールはコーサーが補佐をつるレオンの事情聴取により、力無げに全ての犯行を認めた。

そこで、レオンから姉の死を知らされまだすすり泣き始めた。

レオンには信じられなかった。信じたくは無かったのだ。

「なんで、あたしにそんな辛かったって相談してくれなかったのよ。ねえあたし達親友だったじゃないのよ。なんであんなろくでも無い事平気でやらかす男なんかに騙されたって言うの?あたしにでも、アマンダにでも一言でも言ってくれれば幾らでも助けになったのよ。貴女の事は最高だってあたし達はちゃんと分かってる。あのアマンダだって貴女の全てをうらやんでいたの知ってたでしょ?あなたの誇り高い女性としての心をあたしは深く尊敬していたのよ。あの男の言葉全てをあたしが変えて包んでやる事が出来た。貴女をいつまでも素敵なままでいさせてあげられる事が出来たのに……。あたしはね、だからあのバーモラって男が本当に許せないのよ」

レオンは泣き崩れる彼女の肩を優しく持ち立ち上がらせた。

ラニールは何度も力無くごめんねと囁いていた。

バーモラの取調べはロジャーの補佐でガルドが冷静に行った。全ての犯行とその理由を認めたが、最後にバーモラはガルドの鋭い目を睨め付け、せせら笑った。

「それにしても、あの女は最低の阿婆擦れ女だぜ、よう兄貴」

ガルドは腕を組んで背にもたれバーモラを見据えていた上目が、怪訝そうな色になった。

「俺達の間じゃあ有名な話だ。リサは俺等の殆どとやったってな。最高だったぜデイズの奴に見切られたてめえの大事なリサファックした気分はなあ」

ガルドは目を見開き、バーモラを見た。

「貴様……、俺のリサに何しやがった」

「ハッもう覚えてるかよ」

瞳は一気に怒りに彩られ、彼の歪む口から唸り声がもれた瞬間、ロジャーは人間であるガルドのブロンドを見下ろした。その瞬間ガルドがテーブルを壁に投げつけバーモラを殴り倒した。ロジャーは驚き、激しく殴りつづけこのままでは彼がバーモラを嬲り殺し兼ねなかった。ロジャーは他の人間達を呼んだ。

「落ち着きなさい!これは挑発よ!」

ガルドの肩腕を背後から掴み引っ張り、尋常じゃ無い怒り様だ。目の色が普通じゃ無い。パイプ椅子を掴みバーモラを殴打し様と振り上げた瞬間だった。いきなりガルドの体がふっと浮き、そのままぐるんと回ってドアの外に出された。

バタンッ

あの巨人ジョセフだったのだ。ガルドがドンドン叩いたがドアは開かなかった。

バーモラは血まみれの顔でガルドが喚いているドアを睨む様に剣呑と見ていた。

「あの野郎本当は全て知ってるに決まってやがる……俺達を全て殺すつもりなんだよあの死神はなあ」

そうつぶやいた。

「え?」

警官になって組織保護下に置かれた事で手を出しづらくなり、何かと罪を上層が免除したとしか思えないガルドを、決定的な犯罪を犯させ刑務所送りにする為に他ならなかった。

「あなた、何が言いたいの?」

「俺はリサに心底惚れ込んでたってのにあの女俺になんて言いやがったか……、俺はそれでから女なんか愛せなくなっちまった、リサのせいでな」

「聞いているの?」

「何かにつけて阿婆擦れ共が、可愛い顔してどいつもこいつも糞女共ばかりだ」

どこまで性悪で酷い仕打ちをされたかは不明だが、きっとあの兄を見るからに、いたとも知らなかったその妹という存在も、相当節操無い男好きだった様だ。幾ら女に酷く振られたからと、あんな事件の発端を作られたのではたまらない。

だが実際は、バーモラがリサに言われた言葉は「私はダンが大切なの」という言葉だった。リサは性格はしっかり者でいつも牛乳嫌いのガルドを心配して農場でもらう牛乳を飲ませていたような子だった。

「ラニールだけは……ラニールだけは違った、俺の救いだったんだ。あいつだけが他の女共なんかとは」

バーモラの声が震え出し、ジョセフはロジャーの顔を見てから静かになったドアから歩いて、飛ばされたデスクを正した。

「それを、あいつを汚す奴等が許せなかったんだ、どうしてもラニールの力になってやりたかった。俺ならなれた」

ロジャーは呆れ返って立ち上がった。

「間違ってるって気づかなかったの?」

彼は腕を引かれ床から立ち上がり、パイプ椅子に脱力した様に座った。

「ラニールも俺を信用してた。俺について来てた。だが、あの百合みてえな顔の女が言ってた。唯一の助け舟の俺が殺しやらかす事が一番ラニールを失望させ続けてたって。信用されてたからこそ殺しなんかしてもらいたくなかったんだって言ってた」

「あなたは差別を嫌う筈なのに犯行に及んだのは、あなた自身が差別の心を持つからよ。確かに、人の暴言は形が無いくせに最も人を傷つける物だわ。それを、暴力に変えてまだ成熟しきらない少女達を手に掛けた事のどこに、あんなに純粋だったラニールへの優しさがあったというの」

バーモラはうな垂れた首を横に振り、何もその後は口を開かなかった。

ロジャーは彼を連れて行かせた。

ガルドは部長室で叱責を受けていた。一警官が取調べ挑発されたからといえ、私情を挟み負傷させたからだ。

憮然として出てくるんと向き直りドアを閉め、部下達と同じ空間にデスクを並べている彼が、普段は嫌って使いたがらない部屋、主任室へ珍しく入って行った。

戻って来たロジャーはハリスと顔を見合わせ、ノックをしてから入って行った。

「ガルド君」

彼は銘木書斎机向こうのチェアの背で見えなかった。覗き込むと両足を曲げて膝に額を付けていた。

彼女はアームに腰掛けた。彼の怒りで真っ赤になる項が襟足の長い金髪から覗くのを見ると、彼を気遣う様に肩に手を置いた。

「差し支えなかったら、言って。聞くわよ」

「何でもねえんだ」

そう普通の時の声で言うと、ロジャーの肩を退かして出て行った。

ジェーンがアマンダ女史のカウンセラーから帰って来て、処理B班内のガルドのデスク前まで来て、帰って来た事を報告した。ガルドは顔も上げずに「ああ」とだけ言い、書類作りを続けた。

ジェーンも自分のデスクに戻り、女刑事ソーヨーラが彼女に紅茶を差し出して肩を元気付ける様叩いた。ジェーンも小さく微笑み受け取った。

ロジャーは主任室から出てジョセフを見上げた。

「あなた、そういえば補佐で無くティニーナと同じ刑事になれたのね。取り調べ室に入れたなんて。数日前まではまだ遊びに来てただけだった筈だけれど」

「まあ、今日からなんだけどな。にしてもあのダイモンの怒り様は何だったんだ?」

ロジャーにこそこそと耳打ちし、ロジャー自身もよくは分からない。

「それにしてもあの美人なラニールさんがニューハーフだったってマジかよ。俺知らなかったぜ。あんなに綺麗でいい女だったってのに」

「あら。みんな知ってたわよ。だから驚いてるんじゃない。彼女が今回の犯行にまさか絡んでいただなんて事が。本当残念だわ。あたし、彼女の事大好きだった」

「俺もだ」

ジョセフは低く唸って頷いてから、ロジャーに耳打ちした。

「そういえば、あの可愛い子一体誰だ?エンジェルみたいな子山羊みたいな子」

「ああ、キャリア組みの新人で最近、1週間前にマイアミから来たジェーン刑事よ。何しろ、正義感と決め付けが強い頑固な子だから、ああ見えてあるガルド君も参ってて」

「あのダイモンが?あのジェーンちゃんが頑固?」

「ええ」

ロジャーは可笑しそうにやれやれ首を振ってコーヒーカップに口をつけ、ジョセフはにこにこして、事件処理についてコーサーと話し始めたジェーンに近寄って行った。

ジェーンのところに着く前にハリスがわざとずっこけジョセフにコーヒーをぶっかけた。

ガルドはそれらをシカトして書類纏めを続けていた。

カレンダーを眺め、ラニールがあの例の刑務所に送検される日取りを計算してから視線を落とした。

まだ信じられなかった。

ラニールがバーモラにそそのかされ、殺人幇助した事などは。

彼女程聡明でいつでもひたむきな笑顔が必死な女はいない事は分かっていた。どんなに避け様が絶対にくじけなかった自然体のラニールが好きだった。

いつでも毅然としては報われる事を心に思い描いていたし、泣き言なんか言った事も無かった。精神を強くいよう、そういたいと思っていたからだろう。

彼女の人柄や、そういう所をガルドは心のどこかでは尊敬していた。彼女が恋愛観の絶対的な幸福の手に入れる方法の過ちに気付かなかった事は残念でもあった。それほど汚れ無さ過ぎたのだろう。

結局は報われない結果に終わったのだ。

幾ら暴言を吐いたからと言え、3人は餌食にされたに他ならない。ラニールも犠牲になったのだ。

あの男の手に寄って。

あいつは本当は、分かっていたんじゃないかとガルドは思った。ラニールの事さえも操り、心を壊し、全ての女に分類される物を敵に回して復讐したんじゃないかと。





9.エピローグ


ラニールは監獄に入れられ、崩れ泣いた。

月光は冷たくて、石のブロックは彼女を心の孤独にした。

口ずさんだ。


「  最後の朝 目覚めたら 鳥の声が叫んでいるわ

   ねえ…もし全てからやり直せたらね…


   死 凌駕した雷鳴が轟き恐くても

   貴女の頬に触れる雨は そう 優しい母の手


   いつでも思い出す 南風 東風 吹けば

   見つめ合うときは愛する時だと


   目を見開き天を見上げては光射せば

   「全てを共に歩めるのだ!」と 声を上げて 泣く


   stand up!

   hey today, stoping today……

   stoping stoping stoping today

   silent love the wolrd.

   you making day by day of mine heart


   矢の如く降り注ぐその雨の邪悪さに

   心を壊され全てを 力無く哀れむ         」


ゆっくり立ち上がって、ターン……

ステップ、回っては、崩れて涙を滴らせた。

もう戻れないのだ。

自分は飛び立てる子達の羽根をもげてしまった。]



エンディング

本編をお読みいただきありがとう御座いました。


★「Standing Today今日という日よ立ち上がれ」は替え歌です。

 本当の曲は、メリーポピンズ「feed the birds 2ペンスを鳩に」で、リチャード・シャーマン&ロバート・シャーマンの作曲。


 懐かしき1980年代の幼少の頃、ミュージカルムービー、メリーポピンズとオズの魔法使いのカラフルな世界を見ながら育って来た。それらのロマンティックで色とりどりな世界、メリーゴーランドとかファンタスティックドリーミングな夢見心地の世界が好きだった。それが高じ、今でも大人にも関わらず、豪華絢爛で巨大で煌びやか荘厳なメリーゴ-ラウンドという代物が狂ったほど好きで馬も大好きだ。シマウマ、アンダルシアン、ペガサス、そういうのも含めて大好き(乗馬やってみたいなあ)

 そんなメリーポピンズの世界の中でも、幼心に特に印象的だったシーン。

それが、寂れた灰色の噴水がある広場で老婆がハトに餌やっているシーン。共に流れていた寂しい感じだが、とても綺麗な歌。一人の老婆が噴水脇に座っていて、鳩が広い空を飛び交っては餌を上げている。荘厳な建築物を背後にした、寒空の雰囲気。

 その部分がとても印象深く、成長後も頭に唯一残り続けていた好きなメロディーでした。


 幼少時代の記憶は何しろ酷く曖昧で、第一英語で歌詞を覚えていない。でもどうしても歌いたい好きな曲。それで18の頃に、それなら自分で歌詞をつけてしまおうと、つけた物。なのに歌えなかった理由があって、低い声が出なかったのと、自分のその頃の若い声が納得行かなくて。

 今回ようやく20年ぶりに、作曲家と題名、歌詞を調べてみた。

そうしたら、見事に細かい記憶違いが続出。どうやらあたしが覚えていたのは、サビの部分だけだった事も判明。サビ以外の部分は完全に記憶欠落していた為、もし、この曲を知ってらっしゃる方なら、随分中途半端だなあと思われたかもしれません。

 久し振りにメリーポピンズ観て見たくなりました。ビデオ借りてこようかな。残念な事に家には既に無いらしくて。


 歌詞内容は調べたところ、次のようなものだったようです。とても素敵な歌詞の内容です。

早朝のサンポール寺院。おなかをすかせる多くの鳩達に餌を買って食べさせてあげてください。そうすれば、あなたもきっと幸せになれますよ。

餌はたったの2ペンス。どうか餌を買ってあげてください。そう老婆が言っている。

その事を鳩達も知っていて、寺院や銅像を見下ろしながら飛んでは、優しい老婆を見ている。

鳩達が餌をくれる人たちに本当は微笑みかけている事が、あなたにも伝わるはず。

 シャーマン兄弟は物語に忠実に沿わせたこの曲に一番力を入れ、この曲こそがメリーポピンズの全てを語っていると言っていたようです。だからこそ、幼い心にも唯一残りつづけた素晴らしい曲だったんでしょう。

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