ついてない看護師
仕事が無くなった。
ある日突然。
私がしていた仕事は、小さな小児科の看護師だ。
小児科医の安藤先生は、自分に厳しく、人に優しく。を体現している様な人で、私はこの職場を、とても気に入っていた。
受付の医療事務二人とも、いい距離感で居られたし、大学病院の看護師だった頃の様な、夜勤も無い。前ほどの給料は望めなかったけれど、仕事がきつくないのだ。
私は、前の職場をうつ病気で辞めている。だから、この職場はまさに打って付けだったのだ。
けれど、今思えば、安藤先生の様子は最後の半年、おかしかった。
痩せたし、あまり立たなくなった。以前は、すぐに立ち上がって何でもやってしまうので、仕事が無くなると思う程だったのに。
癌だったのだ。
先生は、この病院を譲るべき相手を探していたけれど、誰も手を挙げない。
立地も良く、人気もある小児科だ。引き継げば、間違いなく儲かる。それでも、後継が見つからないのだ。
理由は簡単だ。先生がすぐにでも入院しなくてはならない状態で、引き継ぎが殆ど出来ないからだ。
離島とかで、医者が居ないなら話は別だ。皆、無条件に医者と言う存在を喜ぶ。
しかし、近辺にも小児科はあるのだ。そちらの評判もそんなに悪くない。
うちの場合、安藤先生の人柄と、医者としてのキャリアを頼って来る患者が多いから、尚更だった。
大ベテランの代わりをやりますなんて、無謀な馬鹿はまず居ない。
そんな事をするなら、開業資金を貯めて、自分で最初から立ち上げるか、何年もかけて代診を引き受け、患者との信頼関係を築いてから引継ぎをする。
だから、ろくな引継ぎもしていないのに、笑顔でやって来た代診の医師、大月には、不信感を持った。
後は僕に任せてください。
……軽そうなお任せ宣言を、顔合わせの飲み会で聞いた時、ああ、こいつはダメだと思った。
勤務医とは違う。一人で全部を判断するのだ。どうしたらいいのかのアドバイスも、今後どうすべきかの指摘も受けられない。病院の名前だけを見て患者がやって来る様な大きな病院じゃないのだ。
思っていた通りだった。
真っ先に頼りにされたのは、私だった。
ここには受付が二人と看護師の私、そして大月しか居ない。
乳児検診があって、別室で赤ちゃんの身長や体重を計測しているのに呼ばれる。仕事の邪魔をするな!と思うが、行かない訳にもいかない。
渋々出向いて聞いてみれば、安藤先生がどうやっていたかと言う事ばかりだ。
特に薬の処方傾向を聞かれる。
「隣の薬局の人にでも聞いてください」
と言うと、私を睨んでくる。
パソコンにあるデータを見ないんですか?と口に出かかっていたのを、辛うじて止めていた。
患者が激減した。風邪の季節なのに。
暇ならパソコンのカルテでも読んで整理すればいいのに、それもしない。
患者への対応も親身になっていなくて、何処か上の空だった。
受付の二人は、大月と殆ど顔を会わさないからそれに気付いていなかった。その内、大月に慣れて患者は戻って来る。そう楽観的に考えていたみたいだ。
私は、自分の事で精一杯だし、何ができるでも無いので、ただ黙っていた。
そして、誰もの予想を裏切る形で、唐突に病院は無くなってしまった。
「大月先生が捕まった。病院は、閉院するので、別の仕事を考えて欲しいと言う、安藤先生からの伝言です」
翌朝出勤すると、隣の薬局の社長が来て、こう言った。
捕まった理由が酷い。交通事故の加害者とかならまだ分かるが、覚せい剤の検査に引っかかって、警察の留置場に居ると言うのだ。
「戻ってこないでしょ、それ」
受付の一人である南が、小声で呟く。私もそう思う。
その足で、安藤先生のお見舞いに行くと、先生が、泣きながら詫びて来た。
白衣や重ね着で誤魔化していただけで、酷く痩せていたのを、その時知った。
痛ましい姿を見て、言葉も出なかった。受付の二人も私も、かける言葉が無かった。
先生は、もう病院に戻ってこない。それだけは確信できた。
閉院。
薬局の社長に聞いた嘘みたいな話が、現実味を帯びて、私の中にじわじわとしみ込んでくる。
三沢佳苗、二十九歳。三十年のマンションローンを抱えて、無職になった瞬間だった。
私は、二十二歳で大学の看護学部を卒業し、看護師になった。
別に強い動機があった訳じゃない。
単に母親が看護師で、今も現役で働き続けているので、そういう風になればいいかな、と思った程度だった。
母の居る病院はそんなに大きくないので、特に忙しそうでは無かった。だから、大丈夫だろうと、安易に看護学部を受けた。
しかし、大学に行って就職するときに、より有名でハクの付きそうな職場を……なんて、友達と競う様に就活をしたのがいけなかった。
県下で最大規模の大学病院なんて、大きな職場に就職が決まってしまったのだ。
決まった時は、すぐに人を見下げて来る嫌な友達に勝った!と、言う満足感で一杯だったが、いざ仕事を始めてみると、想像以上のハードさに、泣きそうになった。
仕事は厳しく、大変だった。
夜勤はあるし、病棟が大きくて部屋も多い。各階にナースステーションがあるのだが、ナースコールが問題だった。
どうしましたか?なんて聞いても、寂しくて呼んでいる人の場合、言うと来ないから黙っている人が多い。
何事かと様子を見に行くと、痛くも無い場所を痛い、眠れない、先生を呼んでくれと夜中の二時に言い出す。……当直の先生を呼ぶ訳だが、当然異常など無い。退院するまで、それを毎晩やられる。睡眠薬なんて山程あるのだから、先生が処方してくれればいいのに、それもしてくれない。
そうかと思えば、一刻の猶予も無い状態まで我慢していた患者さんに、巡回で遭遇したりもした。……そう言う時の為にナースコールがあるのに。
全く気が休まらなかった。
病院が大きいと、看護師の人数も多い。対応は、殆どがマニュアル化されていて、先輩直伝みたいな事も、あまり無かった。
全てをマニュアル化して、効率を上げなくては、やっていられない程忙しいのだ。
とにかく、仕事に慣れて欲しい。そして、私達を助けて!それが忙しい先輩看護師達の願いだった。いじめ?とんでもない。私も後輩には優しくした。辞められたら仕事が増えて困るからだ。
「マニュアルを読みなさい」
それが、看護師長の口癖だった。
質問するのは、マニュアルを読んで、それでも分からない事と言う暗黙の了解があったのだ。それ程に忙しかった。
問題点を話し合うナースや医師の会議は、頻繁にあって、マニュアルは随時書き換えられた。
そんな状況を受け入れて、色々な事を覚え、少し息抜きの仕方も覚えた頃、うっかり男に引っかかってしまった。
大学二年の頃に彼氏と別れて以来だったから、かれこれ五年はご無沙汰だったと思う。
大学に進学して以来、家を出て一人暮らしをしていたのだが、忙しい日常に慣れて余裕が出てくると、一人が寂しくなった。
そこで誘われるままに、学生時代の友人の誘いで合コンに行って、その男に引っかかってしまったのだ。
不動産会社経営。高峰司。
男は、そう名乗った。まだ二十八歳で、親のやっていた会社を任されていると言った。
シャチョウガ、アラワレタ!
合コン会場は、突然、ゲームで敵に遭遇したみたいな状況になった。
みんな臨戦態勢だ。雰囲気が怖いので、私は『逃げる』を選択した。……トイレに行くフリをして、そっと外に出たのだ。
しかし何故か、高峰が私を追って来てしまったのだ。
「星が綺麗ですね」
合コンをやっていたレストランを出て、少し歩くと、高峰がそう言った。
見上げるが、星なんて見えない。地上の明かりにかき消されて、何も見えない。
「星なんて見えないです」
「この町の明かりが、私にとっては星なんです」
振り向くと、高峰がこちらを見て笑っていた。
「あの会場で、あなたが一等星だった」
イットウセイ?
「一番明るい星です」
私は、この臭いセリフで、コロっと行ってしまったのだ。
かつて夏目漱石が英語教師だった頃、英語の『あなたが好きです』を、まんま直訳した生徒に、恥かしいから『月が綺麗ですね』と訳せと言ったとか。
月は明るい。町の光で霞んだりしない。はっきり見える。唯一無二の地球の衛星だ。
けれど、星がどんなに綺麗でも、霞む。見えない。一等星なんて、正に星の数程ある。
『星が綺麗ですね』
なんて声をかけられて、ひっかけられた私は、馬鹿だったのだ。
私は、社長だと言いながら、食事は必ず割り勘で、デートの際に、財布の中身が全くないのを、『カードばかりで現金を使わないから』なんて言う男と付き合い始めた。
理由は明確だった。凄かったのだ。夜の方が。元の彼氏が霞む程の経験をした。私にとっては、全ての嫌な事を忘れてしまう程の快感だった。
私は快感に抗いきれず、すっかり高峰の言いなりになってしまった。最後はデートも何も無かった。それだけの関係だった。
そして買わされたのだ。……私名義でマンションを。防音の効いた良い部屋がある。特別に割引にするから、そこで暮らさないか?なんて言われたのだ。
『一緒に暮らさないか』じゃない。高峰は、ただ『暮らさないか』と言ったのだ。私はすっかり勘違いしていた。
そして、マンションを買ってローンを組んだ途端、高峰は連絡をして来なくなった。
高峰に連絡をしている内に、着信拒否されるようになった。
高峰の不動産屋は確かにあった。けれど、高峰に会いに行っても、門前払いを食らう。最後にはストーカー扱いだった。
一人で暮らすには広すぎる部屋と、膨大な借金を抱えて、私はみるみる痩せて、ドクターストップで休職する事になった。
診断は、うつ病だった。
病院の仕事のせいではないかと、看護師長や病棟の医師等の面談で質問されたけれど、「仕事のせいじゃありません。プライベードが原因です」
としか、事情は言えなかった。
内容は吐き出せなかった。言わせようとすると、私の状態が更に悪化したので、病院側は休職手続きを取ってくれた。
同僚の結婚が決まって、その話でお祝いムードだった。言える訳が無い。
休職したものの、今の部屋の家賃とローンの二重苦で貯金が減っていく事ばかり考えてしまう。だからと言って、激務にも耐えられない。
売ると、購入時よりうんと安くなる事が判明し、売るに売れなくなった。
仕方ないので、別の不動産会社を介して、賃貸として貸す事にした。
そこまで手続きをした後、実家に戻った。
一人暮らしをする余力があったらローンを返済したかったからだ。
大学病院へ復帰すれば、給料がいいのは分かっていたけれど、騙されて借金を背負った精神的ダメージには勝てなくて、休職をそのまま退職に変更してもらった。
大学病院のナースと言うイメージのせいで、とんでもない男に目を付けられてしまったのだ。……そう思うと、もうあそこには居られなかった。
そして、一年の休職明けから安藤先生の病院に再就職したのが二年前。そして、その仕事も唐突に無くなってしまった。
賃貸として貸しているから、あの呪われた部屋から、家賃は入って来ている。
一人暮らしを止めて、実家で暮らしているから、かなり経済的に楽だ。
三十五年で組んだローンは、繰り上げ返済をぽつぽつと続けて、ようやく三十年になった所だった。蓄えを全部ローンに注ぎ込めば、もっと減るけれど、そう言う捨て身な事も出来ないので、これが限界だった。
このままいけば、何とかなると思っていたのに……。
唯一、全ての事情を知っている母は、ため息を吐いた後、こちらを恨みがましい目で見た。
「私は、お父さんの事で精一杯なの。もう三十にもなるのに、何してるのよぅ」
「病院が潰れたのは、私のせいじゃない」
母は私の話した事情に、最初は激怒して、弁護士でも雇って、高峰と戦うべきだと言っていた。しかし、父にバレる事に思い至ったらしく、急にトーンダウンした。
父には、私は過労でダウンして、転職した事にしているから、真相を知られる訳にはいかなかったのだ。
父は心臓が悪い。私が大学病院に居る頃から、手術する事をずっと勧められている。それを父が拒んでいるのだ。今も説得しているのだが、応じてくれない。
母はそんな父に手一杯で、更に悩みを増やしたくなかったのだ。
手術をするなら、県の循環器病センターまで行かなくてはならないのは確定している。
心臓弁膜症なのだ。どこの弁が悪いのか、進行はどうなのか、それは人によって様々なのだが、父の場合は、既に精密検査を受けていて、何処が悪くて、今後どうなるのかも分かっている。このまま放置しても悪化する一方なのだ。
だから体力があって、体調の良い内に手術を。と、言われているのだが、父は断固としてこれを受け付けない。
自覚症状が無いので、元気だから手術なんて受けないと言うのだ。
しかし……母は見たらしい。胸を押さえて凄い形相で寝ている父を。その姿が、頭を離れないらしい。
私も母も看護師だから、当然説得した。
「きっと後で良かったって思うよ。体力とかの問題で、手術出来ない人も居るんだから!」
なんて、某有名大学病院に務めていた娘が言うのだ。父も少し気分が変わる。
「そうよ。佳苗の言う様な状況は、私の職場でも見たわよ。本当よ」
ベテラン看護師長である母が言うのだから、更に父は乗り気になった。
ところが……私の一歳下の弟である俊希が、理学療法士なのだが、余計な事を言った。
理学療法士とは、リハビリ指導の国家資格だ。動けない患者の機能回復する為の様々な指導を行い、機能回復を目指す。
患者のお世話をしていると言う意味では、私や母と同じ立場に見えるが……実際は全然違う。
父に手術をさせたいと言う使命感から出た言葉なのだろうが……最悪だった。
「手術して体が元に戻らなかったら、俺がリハビリするよ」
何で、手術後に貴様の世話になるんだ!
私は心の中で悲鳴を上げた。母に至っては、思わず手が出て、俊希の頭をひっぱたいていた。
空気がさっきまでとガラリと変った。
地方企業の経理部に勤めていて、医学的知識は全くなく、小鳥の様に繊細な心を持つ父は、真っ青になって黙り込んでしまった。
そして、手術拒否が続いている。
私と母が、俊希を激しい暴言で袋叩きにしたのは言うまでも無い。
そんな経緯もあって、命の危機のある父と、空気を読まない息子、どう仕様も無い娘の問題は、母の限界値を超えたのだ。
「出て行きなさい」
母が低い声で言った。
「あんたも俊希も、何でこんなに馬鹿なのよ。あんた達のせいで、お父さんが死ぬ」
姉弟揃って馬鹿なのは、両親のせいじゃないのか?
「結婚しないし、出来ないし」
多分、しないが俊希で、出来ないが私だ。何か悔しい。
「とにかく、出て行って。孫を連れて来るまで家に入れない」
滅茶苦茶だ。そこまで怒らなくてもいいじゃない。
「未婚でいいなら……」
全部言う前に、空になったカップが飛んできて、髪の毛を掠めて飛び去り、壁にぶつかって割れた。
空気を読まない発言であったのは事実だ。姉弟共にダメダメなのだ。それが母の逆鱗に触れている。
だとしたら、出ていくしか無いだろう。
今晩、とばっちりで俊希も追い出されるのだ。可哀そうに……。
『佳苗のバーカ!お前のせいだ!どうしてくれんだよ!』
とか言うのだろう。来年二十九歳なのに、子供の頃と変らない口調で。
ところが、俊希はニコニコしていた。
「佳苗、マンション持ってるんだろ?そこに一緒に住もうぜ」
母の方を見ると、全力で視線を逸らされた。
何処まで喋ったんだ!
心の中で怒鳴りながらも、周囲を見回す。
父は、風呂に入っていて居なかった。
「賃貸で貸してるから、今すぐは無理」
辛うじてそう告げると、俊希はふぅんと感心した様子で言った。
「その年で大家かよ。かっけー」
かっけー。……馬鹿にされている様にしか聞こえないのは、私の心理のせいだろうか?
「じゃあ、俺も一緒に不動産屋行ってやるから、賃貸契約、早く終わらせようぜ」
「はぁ?」
もう決定事項なの?それ、急展開過ぎるんですけど。
「あんた一人だと心配だから、俊希も連れて行きなさい」
俊希と住むの?あの部屋に?
「嫌よ……」
「あんた、まだそんな事、言うの?」
母の眉と目が、みるみる吊り上がって行く。
父が風呂で鼻歌を歌っている。
お父さんが、手術を受けてくれれば……。というか、俊希が台無しにしたのに。お母さん怖いから、コップ持たないで。
なんて事は、全く言えない雰囲気だったので、するっと流れが出来てしまった。
不動産屋へ俊希と一緒に出向く。
賃貸契約をしていた家族は、丁度三月の末で引っ越しが決まっていた。
次の契約者を探していた不動産屋に、私と俊希が四月から住む事を伝え、契約は解除になった。
住む場所は決まったものの、仕事を探さなくてはならない。借金返済の為に、今以上に給料の安い場所には行きたくないのだが……。
すると俊希が、一枚の紙を持ってやって来た。
「はい」
そう言って渡されたのは、俊希の働いている病院の、正看護師を募集するものだった。
俊希の働いている病院は、リハビリステーションと呼ばれるリハビリ施設の併設された整形外科の大型専門病院だ。
穂高祐樹先生と言う、テレビにも出た有名な整形外科の先生が居て、他県からも患者が来るし、スポーツ選手が故障して治療に来たりもする。
結構有名な病院なので、給料は申し分が無い。しかし、業務内容を見て眉根が寄る。
「私、オペ看の経験、殆ど無いんだけど」
オペ看とは、手術室で手術を手伝う看護師の事を指して言う。大学病院時代、私は入院患者の世話をする病棟看護師はやっていたが、手術室には入っていなかった。
町の小児科でも、当然手術は無かった。
しかし、俊希の居る病院に行けば、手術の補助も病棟の手伝いも、外来の手伝いも、全部出来なくてはならない。
「今から覚えればいいよ」
「もう二十九だよ?もっと若い子の方が、覚えが良いんじゃないかなぁ」
この年で、機材出しとか手術の補助とか、新しく覚えるのは、どうかと思う。
新卒で勤めていれば、すっかり中堅だ。同じ位の年齢の看護師達に比べて、見劣りするのは明らかだ。というか、年の若い子よりも出来ないと言う事になりそうだ。
「俺が居るから、いじめとかにはならないと思う」
「でも、年下の子に教わるとかあったら、みじめかも知れない」
「いじめとみじめか……綺麗にまとめろって言ってないよ!」
俊希がクワっと目を見開いて叫ぶ。
「別にまとめてない!本音だ」
私も叫び返す。
ぐっとそこでお互い黙って、肩を落とす。
「こう言う所が、母さんの怒りに触れるんだろうな」
「そうだね……」
保育園から高校まで、私達は全く同じ学歴だ。
頭の中身は大差無いのだろう。しかもノリと言うか、性格も似ている。
大学は違った。そこで私はあっさり一人暮らしを始めて、家にすっかり寄りつかなくなった。とにかく、単位を落とさない程度に勉強して、遊びまくっていたのだ。
俊希も翌年に大学に入って寮に入ったので、家は静かだったそうだ。
母はすっかり子育てが終わったと判断し、父や職場の友達と、旅行やランチをして楽しんでいた。
ところが、俊希が就職して洗濯が面倒だからと、実家に戻って来てしまった。
更に、私が酷い事情を抱えて転がり込んだ。
よく考えると、掃除も洗濯もご飯の準備も、当然の様に母がしていた。生活費も、ローンの事があったので、全く入れていなかった。自分の事ばかりで、手伝いはおろか、気遣いも全くしていなかった。
母が怒るのも無理ないよなぁ……と思う。
「いいから、就職しちゃえよ。俺からも説明しておくからさ。もう、これ以上酷い状況無いと思うから、頑張って這い上がれ」
確かに、騙されて、ローン組んで、親に愛想尽かされて……そこで、はっとする。俊希は、私の事情を全部知っているのだ。
「お母さんに聞いたの?」
「大体だけど。母さんも、一人で抱えていられなかったんだろうから、許してやってよ」
何?その上から目線。お前が姉に気遣って、胸に秘めてれば済むのに!
俊希に、そんなデリカシーは期待できない。
結局一晩考えて、他の就職先を探すよりも、その方が確実だと思ったので、俊希に取り持ってもらって、面接を受ける事にした。
緊急手術は全く無いので、手術助手としての仕事は無い事、病棟のお世話や、外来患者の点滴や採血などが、主な業務になると言う事を聞き、就職する事にした。
何時から働くかとの質問には、答えられなかった。
働いていた小児科が無くなっても、残務整理が終わっていなかったのだ。安藤先生は独身で身内が居ない。病院の後始末が大変だったのだ。
幸い、小児科の隣にあったマツノ薬局の社長である、松野さんが、先生と旧知の仲で、役所への手続き、病院の会計整理等をして、退職金や一月までの給料の手続きなんかをしてくれた。
勤めていた者として、注射器や未開封のワクチン等、様々な医療機器の処分は、私に任された。それで一月は片付けに追われる事になった。
受付の二人も出勤して、カルテや書類の処分など、残務整理をしていた。
私と違って就職先が決まっていないので、口数も少なく、酷く心細そうだった。
「やっぱり、看護師だと仕事って見つかり易いんですね。いいなぁ」
受付の立花さんは、そんな事を言った。
選ぶ暇も無かったよ。お母さんが怖くて。
なんて事は言えないので、医療ゴミの始末を黙々とこなした。
そして、一月が終わった。
私達が残務整理をしている間に、同時進行で、松野さんが後釜の開業医を探している状態になった。
小児科のあった場所の賃貸契約は失われ、空きテナントと言う状態になった。
だから二月になると、私達は部外者で、もう中には入れなかった。
後がどうなるのかは、知らない。
あそこがヨガ教室とかになってしまったら、マツノ薬局の売り上げが一気に落ちてしまう。……多分、松野さんは意地でも医者を探してくるだろう。
安藤先生は、もっと早くに松野さんに話をすべきだったのではないかと思う。仲が良かったのなら尚更だ。そうすれば、こんな事にはならなかった気がするが……もう済んだ話だ。私が気にする事では無い。
二月の最終週から、新しい病院に慣れる為に、職場に通う事になった。
アルバイト扱いで日当をもらって、建物の構造や、業務の流れを覚える事に専念した。
やはり全然違う。大学病院とも小児科とも。患者の移動に、支えとして付きそう事が多く、かなり体力重視な職場である事を認識する。
三月から研修中の給料で、働き始める事になった。
マンションへの引っ越しは、貸していた家族が引っ越すまで待たなくてはならなかった。
実家は、酷く居心地が悪い。今更、家事を手伝っても遅いらしく、母の怒りは一向に収まらなかった。父も母の雰囲気が怖いらしく、見て見ぬフリをしている。
お母さん、その怒りの力で、お父さんに手術を受けさせるのは、可能なのではありませんか?
なんて言えなかった。……今度こそ、母は外さない。コップは命中し、私は額から流血して倒れるだろう。
そして三月最後の日に、あの忌々しい部屋に俊希と引っ越した。
居心地で言えば、こっちはこっちで最悪だった。改めて中に入ると、背負った借金の重みがずっしりと胸に迫って来る。思い出したくも無い、高峰の顔が思い浮かぶ。
俊希が、部屋が綺麗で嬉しいとか言いながら、ヘラヘラして荷物を片づけているのすら、腹が立つので脛を蹴ってやったが、気分は一向に良くならなかった。
俊希は、
「次は、蹴り返すからな」
とだけ言って、片づけを続けた。
いきなり蹴られたのに、我慢してくれたので、ちょっとだけ慰められた気分になった。
レトルトカレーとレンジでチンするご飯で夕ご飯を済ませ、一緒に荷物を片付ける。
そして夜が明けて、四月になった。
ようやく慣れて来た出勤経路が、大幅に変更になった。
電車通勤だったのが、バス通勤に変わったのだ。通勤時間が短縮されたが、一本乗り過ごすと大変な事になる。
俊希は、自分の車を実家から持って来て、マンションの近くの駐車場を借りた。
理学療法士は、出勤時間の変更が無い。患者の方が、理学療法士の居る時間にリハビリを受けに来るからだ。そんな訳で、毎週決まった日に休める状態で、看護師とは全然仕事が違う。
同じ病院に居るのに、滅多に会わない。
私はまだお試し期間なので、夜勤は無いけれど、早出と遅出がある。
当然、俊希は私に合わせないし、送り迎えもしてくれない。私はバスで行って、バスで帰って来る。
慣れない環境や職場で、滅茶苦茶疲れているのに……家が荒れて来る。
俊希の食べた弁当の容器が、机の上に放置されている。洗濯も、洗濯籠に入れっぱなし。
それを私がギャーギャー言いながら片付ける。俊希は、私のヒステリーには慣れているから、動じない。
俊希は、出来ないのではない。やりたくないから、やり方をあえて覚えないのだ。甘えている。酷い奴だ。
俊希が家電の金を出すと言ったので、親切だと思っていたけれど……金だけ出して、操作方法を一切覚えない作戦だったのだ。
文句を言えば、家電の金を返せと言われる。
まんまとハマったローン持ちの私は、俊希の分も家事をする。叩きつけてやる金も無く、労働力で返す方法しかないからだ。デキる女への階段を上っているのだと、念仏の様に言い聞かせて。
実家に居た頃は、こんな事は微塵も思わず、自分も一緒になって甘えていたのだ。
ごめんなさい。お母さん。
と、心底反省した頃には、ゴールデンウィークも終わっていた。
そして、暑い夏が過ぎた頃には、研修期間も終わって、夜勤が入る様になった。
本格的に仕事が忙しくなったのに、私は仕事以外の事で苦労していた。
俊希と自分の分、食事を毎日自炊し、朝、俊希の分まで、弁当を作る苦しみを味わっていたのだ。
何故そんな事になったのか。
ちゃらんぽらんな私達は、生活ルールを一切決めないで引っ越してきた。普通、話し合うのかも知れないが、そう言う事をしなかった。
で、気付いたら、私が契約者だから、光熱費を払う事になっていた。
就職先を紹介した事と家電を揃えた事以外、俊希は何もしていない。メリットだらけで、デメリットが無さ過ぎる!
「テレビを見るな。エアコンを使うな。ここは私の家だ。居候……」
私が食いしばった歯の間から低い声で言うと、俊希はヘラヘラ笑った。
「じゃあ、食費入れるよ。余った分は、佳苗のお小遣いにしていいよ。俺、新品の家電を一杯買ったし、駐車場の月極料金も高いし、貯金減るからこれ以上は嫌だ」
「……あんた、幾ら出すの?」
激しく不安になる。『食費』と言われたからだ。光熱費やローンの一部を引き受けてくれる訳じゃないのだ。
実は俊希は、食事に対して、非常にシビアだ。鬼と言っても過言ではない。
中学から大学を卒業するまで、柔道をしていたのだが、身長が百八十二センチある。
勿論、黒帯だ。……問題はそこじゃない。
現役時代に比べれば、筋肉の量は減ったものの、未だに体脂肪率を十五パーセント未満に抑える様に日々トレーニングを欠かさないのだ。
だから、不味いプロテインを平気でガバガバ飲んでいるし、肉はささみばかり食べている。野菜もゆでた物やサラダ等、色々な方法で、結構な量を食べたがる。……自分磨きが趣味と言う、ナルシストな所が問題なのだ。
俊希は、四万出すと言った。一週間、一万円で、弁当まで作れと言う。それ以上は、払わないと言い張る。一人暮らしをしていた割に、スーパーの総菜頼みだったので、月四万でどの程度の食材を入手できるのか、分かっていない私は追い詰められた。
金を負担させたつもりが……また私の負担が増えた。藪蛇と言うやつだ。
弟となんかと、同居するものじゃない。
そんな風に気付いた時には、病院の近くの街路樹の葉が、黄色くなって、落ち始めていた。
仕事が忙しい。へとへとなのに、食事や弁当に文句を付けられる。私には、一週間一万円に食費を抑える様なレシピも料理の能力も無い。お釣りどころか、赤字になる勢いだった。
母の、俊希に対する怒りの理由も分かって来る。……死に腐れプロテイン信奉者め!
そして、本当にごめんなさい。許して下さい。お母さん。
引っ越してから、電話にもメールにも素っ気ない対応しかしてくれないので、毎回謝っているが、母の怒りはまだ収まらない。
俊希が母の怒りに無頓着で、私の鎮火した場所に油をドバドバ撒いて行くからだ。
私にはちゃんと食費を入れているとか、母はタダで美味しい物を出してくれたのに、佳苗は不味い物しか出さないとか。
母は、息子の為に、安価で栄養価の高いレシピを習得せざるを得なかったのだ。それを思うと、当たり前に受け入れていた俊希が、悪魔の様に思えて来る。……私も、一緒になって実家の食事を食べていたのだから、母にとっては私も悪魔だったのだろう。
私は悔い改めた。しかし俊希はそう言う部分を全く理解しようともせず、食べる。そして、カロリーを計算して、味に文句を付ける。
「腹減った」
この一言が、警告音に聞こえる様になった。
必死になって、節約レシピの習得に励んでしまう。とにかく、健康的で安い物を与えなくてはならない。……味の文句は今の所受け付けていない。
安価だが、劇的に不味いプロテインを毎日飲めるのだから、あいつの味覚はおかしい。合わせてやる必要を感じない。プロテインを、食費に含む、含まないで喧嘩にもなった。
私はかなり善戦した。絶対に譲らなかった。買って来いと言われても、絶対に買ってこなかった。
そして、俊希が折れて、くそ重たい徳用プロテインの粉末を、激安で置いているドラッグストアが少し離れた場所にあるので、箱買いして、俊希が車で買って来る様になった。
俊希を、一度でいいから、ボッコボコにしてやりたい!
私のそんな願いは叶わない。
百六十センチあるかないかの、テニス女子だった私との力の差は歴然だ。どうあがいても、私は俊希に勝てない。だから、俊希はやりたい様に振る舞う。
ローン地獄、エンゲル係数責め。
酷い。私が何をしたのよ?
けれど、高峰に騙された時みたいに、うつ病になって痩せたりはしなかった。
皮肉な事に、俊希のお陰で健康な食生活を維持する事になったのだ。健康的に引き締まってしまった……。別にトレーニングはしていない。仕事に家事に忙しくして、俊希の食生活に合わせているだけで、スタイルが良くなったのだ。
悪夢の象徴みたいな部屋で過ごしているのに、下着の洗濯すら、気を遣う必要の無い同居人が居たお陰で、私は救われた。
そして、バス通勤にも慣れて、職場にも慣れた。
そんな頃になってから、俊希が、ゴリ押しで私を就職させた事が判明した。私が入った頃、中途採用は予定されていなかったのだ。新人ナースの研修準備で多忙だった所に私が入り込んで、現場は大混乱だったらしい。
事情を知っている人は、礼儀正しくはしてくれるが、親しくしようとは微塵も思っていないのは、一目瞭然だった。
けれど、私は貯金も減っているし、ローンの事がある。転職は出来そうも無かった。だから、真面目に仕事をする事にした。私には丈夫な体しか残っていないのだ。
私は十一月に三十歳になって、ローンの期間は、三十年を切って、二十九年に突入した。
年齢がローンを追い越した。……嬉しいのか悲しいのか、分からなかった。