82.変態、船上に立つ
『みなさん準備はいいですかー! いいですね! それでは第一回戦――《水着レース》の……』
アナウンスによって、ついにレースの開始がされようとしていた。
船の配置は、センが船先。後方にエリィと護衛役とシトリア。
右側にはリースだ。
そうなると、レインの位置は自ずと決まってくる――決まってくるはずだった。
「さあ、気合入れていくわよ!」
「ねえ」
「腕が鳴るな」
「ねえってば」
「エリィさん、頑張ってくださいね」
「分かってるわよ。始めから本気で行くわ」
「ねえ――」
『スタートですっ!』
レインの声をかき消すように、スタートの合図がなされた。
同時に、エリィが一気に炎の魔法を後方から噴出させる。
圧倒的熱量と共に、《紅天》の船はスタートを切った。
「何で僕だけ柱に縛られてるのさああっ!」
そんなレインの悲痛な叫びが周囲に木霊する。
この配置なら、間違いなく左側にレインを配置するのが普通だろう。
――だというのに、レインは何故か船の真ん中で縛り付けられていた。
氷でできた船はレインの作ったもので、寒さにも耐性のあるレインだが――それでも直に氷を触ると冷たさがある。
「やっふー! いいスタートね! わたし達が断トツよ!」
「聞いてよ!?」
「聞いてるわよ、レイン。お姉さんも心苦しいのだけど、レインはどこかに縛り付けとかないとプールに落ちちゃうでしょ。レースで落ちたレインを拾う暇はさすがにないのよ」
「そ、それはそうかもしれないけど……」
落ちないと否定することができないのは悲しい現実である。
レインもよく分かっている――何も支えがなければ、船から落ちる可能性は相当高いことくらい。
だが、さすがに縛り付けるというのはどうなのだろう、とレインは考えた。
ただ、センの言うことが一理どころか百理くらいあるために言葉が続かない。
「レイン、諦めてくれ。勝つためにはまず君は落ちないことだ」
「わ、分かってるけど……背中とかお尻が冷たいんだよ……!」
「我慢しなさい! 男でしょ?」
「ぐっ、こういう時ばかり……」
そう言われると、レインも我慢するしかなかった。
ただ、レインよりも頑張っているのは後方のエリィである。
最初から全力――言葉通り、エリィは炎の魔法を全力で繰り出していた。
プールの水を蒸発させるような勢いで吐き出される炎に、レイン達の船は加速していく。
他の船も同じように魔法を使っていたが、この船の速さには追い付かない。
「さっすがエリィね! この調子でいくわよ!」
「う、うっさい……集中してんの、こっちは!」
「センさん、テンションが高くなるのは分かりますが、少しお静かに――来ますよ」
「え?」
シトリアの言葉を聞いて、レインは周囲を確認する。
船の真ん中にいるためによく見えないが、どうやらこの船に迫る相手がいるらしい。
(そんな相手がいるとしたら……!)
一組しかいないだろう。
師匠であるフレメアと、センの姉であるエイナ。
水使いであるフレメアが圧倒的に有利なステージだ。
そもそも――水着大会の主流がゲームであり、水場で行うというのならフレメアにあまりにも有利すぎるものばかりだ。
この決闘を受けてしまったこと自体、改めて失敗だったとレインは後悔する。
だが、後悔してももう遅かった。
「そうね、来たみたいよ」
「っ!」
センの言葉と共に、人陰が船上へと降り立った。
水の中から飛び出してきたのか、ずぶ濡れの姿でレインの前に立ったのは――
「アタシよ! 待たせたわね、《蒼銀》のッ!」
「へ、変態だーっ!?」
フレメアとエイナでもなんでもなく――水着姿の変態、マクスがやってきたのだった。