59.薬の副作用
「……」
レインの表情はいつになく深刻だった。
机の上にあるのは一枚の紙――もう一週間前に迫った水着大会に関する事が記載されている。
この町では毎年行われている祭りの一つで、最初の頃は単純な水着審査だったらしいのだが、最近は趣向を凝らす方向へと移り始めている。
早い話――競技のようなものである可能性が高い。
前回はレースというもはや水着が関係あるのか怪しい勝負であったらしいが、実際水着審査もポイントとして評価に入るらしいので面倒な話だった。
ただ、最大の問題はやはり水着で出なければならないという事。
レインはちらりと机の横に置いてある紙袋に視線を落とす。
すでに買った水着がそこにはあった。
「着てもばれないとは思――いたい」
レイン自身、買った水着を着て鏡の前に立った事はある。
幸いにも、女の子になったレインの身体が非常に貧相である。
ただ、微妙に胸が膨らんで見えなくもない。
つまり、レインから見てもばれるかばれないか微妙なラインだった。
肌の白さとか、華奢な身体付きとかを踏まえれば、アウトな気がしてならない。
「……よし」
レインはまた、一つの決意をする。
大会の前に元に戻る――そのために、わざわざ素材を手に入れたのだ。
そうすれば大会に出る事になっても買った水着を着る必要もない。
それに、昨今の大会の内容を考えれば、男でも確かに勝つ見込みはある。
それならば、リスクを背負うよりも戻れるならばその方がいいと考えた。
レインの自室にはいくつか薬品や素材が並んでいる。
元々、将来的に楽をして暮らしたいと考えているとはいえ、レインは魔導師だ。
魔導師なりの研究などは行っている。
正直言って、元に戻るための薬作りをするのは久しぶりな気がしているが。
レインは瓶を一つ取り出すと、そこに粉末を入れていく。
火であぶると、徐々に色が変化していった。
以前手に入れたアラクネの一部も素材として入れている。
コポコポと瓶の中身が音を立て始める。
青色から緑色――そして赤色から、黒色に変化していった。
「こ、これ大丈夫かな」
まさかの調合している本人であるレインが心配になるような変化が発生している。
そもそも、元に戻るための薬自体が不明だ。
あくまでレインにかかった呪いのような強化を解除する事が必要になる。
一度は自身で治す事は諦めていたが、フレメアのような危険人物に頼るくらいならやはり自分で頑張った方がいい。
レインはそう考えるようになっていた。
黒くなった薬品はそれ以上の変化をする事はなかった。
「……いや、本当に大丈夫かな」
レインは匂いを確認する。
特におかしな匂いはない。
ただ、コポコポと不気味な音を黒い液体が立てているのには鳥肌が立つ。
主にアラクネの素材が影響している気もするが――他にも強化魔法を解除する効果を持つという《ワンダー・キャット》の体液などを混ぜてある。
前回のワイバーンから作り出した試作品第一号は、レインの肌のつやレベルがアップしただけだった。
今回は、そういう美肌効果はないと思われる。
「ワンダー・キャットにはランダムな副作用があるっていうけど……」
唯一のネック――それは強化魔法の解除効果が強い素材の副作用だった。
どういう類のものが出るか分からない――だからこそ名前にワンダーを冠しているらしいのだが、レインとしてはむしろ強い運要素にかける他なかった。
なにせ、シトリアにすら解除できないのだから。
「な、なるようになれ!」
レインは思い切り、その黒い液体を飲み干す。
「んっ!? まあまあいける……!?」
試作品第二号――まさかの味はそれなりの甘味があって美味い。
前回の試作品第一号は飲めたものではなかったが、こちらはぐびぐびと行けそうだった。
「飲み物っていうのは見かけに寄らない――って、飲み物じゃないよ!」
自分で言って自分で突っ込む――以前のレインはそんな事をするような性格ではなかったのだが、最近特にそういうノリが多くなってきていた。
黒い液体を飲み干したレインは、念のためベッドに横になる。
意識が混濁するような事があるわけではない。
ただ、お腹の中が少し熱い感じがした。
「何だかいけそうな気がする……っ!」
レインのその自信はどこから来るのか――しかし、レインが信じなければどうしようもない事だ。
薬を飲み干してからしばらくすると、だんだんとお尻の部分が痒くなってきた。
正確に言うと、ちょうど腰より少し下くらいのところだ。
「にゃ、にゃんでこんなところが――は?」
何を言っているのだろう――そうレインは疑問に感じた。
少し呂律が回っていないような感じがして、レインは慌てて身体を起こす。
違和感は他にもあった。
妙な感覚がお尻の方にある――何かがふりふりと動いているような感覚。
レインがそれに手を伸ばすと、びくりと身体が震えた。
「にゃにぃ!?」
レインが驚くのも無理はない。
そこにあったのは、ふわふわとした白い尻尾だったからだ。
レインはそのまま鏡の方へと向かう。
頭の方にも、ぴこぴこと動く耳があった。
どう見ても猫耳と尻尾です、本当にありがとうございました――
「いやいや! おかしくにゃい!? くそっ、『にゃ行』が言えにゃい!」
「レインさん、どうかしましたか?」
コンコンッとレインの部屋の扉をノックする音と共に、シトリアの声が耳に届く。
レインが自室で騒いでいるのが聞こえたのだろう。
だが、こんな痴態を見られるわけにはいかない。
「にゃ、にゃんでもにゃいよ!」
「……失礼します」
「ま、待って――」
レインの制止の声も空しく、シトリアが扉を開く。
そこにいたのは、猫耳と尻尾を生やしたレインの姿だった。
シトリアはその姿を一瞥すると、
「失礼しました」
「待って!?」
今度はレインがシトリアを引き止める羽目になった。
薬の副作用――猫耳と尻尾という謎の効果がレインに発生してしまったのだった。