45.一仕事を終えたら
町に戻ったレインは引きこもりになるつもりだった――が、すぐに家から引きずり出されてギルドの酒場にやってきていた。
一仕事終えたら飲む――それが冒険者では当たり前の事だったが、今のレインはそんな気持ちにはなれない。
「はあ……」
「ため息ばっかついてないでさ。楽しまないと損よ?」
「分かってるよ……」
下着姿で帰ったセンは、正直レインより目立っていたかもしれない。
そもそも、レインは裸でも隠していればギリギリばれないレベルだったからだ。
レインにとってはむしろ目立たない事は好都合だったが、帰り際に聞こえた「レインがまた裸で帰ったぞ」という言葉に心が折られてしまった。
「また、だってさ。またってなんだよ。誰が好きで脱ぐんだよ……」
「そんなに気にするな、というのも無理な話か」
「そうですね……」
リースとシトリアはおそらくレインが女の子である事を隠していて、それで裸を見られるのが嫌だと思っている。
実際それは間違ってはいない。
隠す理由は現在が女の子であるという事実が知られたくないからなのだが。
「ま、嫌な事は飲んで忘れましょ」
そう言いながら、センはレインにジョッキいっぱいに入ったお酒を渡す。
ちらりとレインを横目で見ると、
「で、やるの?」
「やるって、何を?」
「あら、忘れたの? 勝負するって言ってたじゃない」
「いや、そんな気分じゃ――」
「そっ、じゃあわたしの勝ちって事で」
レインの言葉を遮るようにセンがそう言った。
むっとした表情でレインが言い返す。
「勝ち負けとか興味ないけど、どうして勝った事になるのさ」
「あら、戦わずして逃げる事を負けと言わずして何と言うのかしら? ま、その方がレインらしいかもしれないけどね」
「な、なんだとぉ……?」
「セン、今のレインはそういう――」
「ここまで言われて黙っていられるか!」
リースがフォローを入れようとしていたが、レインが臨戦態勢に入った。
にやりとセンが笑ったところで、戦いが始まる。
そんな様子を、呆れた表情で見ているエリィがいた。
「……前もこんな感じじゃなかった?」
「まあ、レインさんがいいのならば……」
「そうだな。いつまでも暗いままでいるよりはいいだろう」
レインも挑発に乗ったのは、そういう気持ちがあったところはある。
半分以上は本気でイラついたからだったが。
「やっぱり勝ち負け決めるなら罰ゲームもないとね。何がいい?」
「何だっていいよ」
「あら、強気じゃない」
「勝負の前から負ける事を考えるやつは……いないよ」
言いかけたところで、一瞬言葉を詰まらせてしまった。
レインは普段、勝負の前から負けた事も考えて行動するからだ。
だが、今のレインにはそれなりに自信があった。
(ふっ、何の策もなく挑発に乗るわけがないじゃないか)
センが相当お酒に強いという事はすでに分かっている。
それでも無尽蔵に飲めるわけではない。
要するに、こちらが酔わなければいいだけの話だ。
「それじゃ、お互い勝ったら罰ゲームを決めるって事で、乾杯っ」
カシャン、というグラスのぶつかる音がゴングとなり、勝負が始まった。
センはあっという間にグラスに入ったお酒を飲み干していく。
「はぁ、身体に染み渡るわね」
「ふう、そうだね」
「あら?」
レインも同じように、グラスに入ったお酒を飲み干していた。
前回までなら、飲み干した時点で酔い始めていたはずだったが、レインの様子に変化はない。
したり顔でセンの方を見る。
「この前の僕と同じとは思わない事だ」
「面白くなってきたじゃない。リース、あなたも入りなさいよ」
「たまにはゆっくり飲みたいんだが。シトリア、君が代わりに飲んでくれないか」
「私はそんなに強くないので……」
「お姉――リースにあまり飲ませないで」
「もうお姉ちゃんって呼んだら?」
「うるさいっ」
そんなやり取りの中でも、当然だがセンは余裕な様子だ。
だが、レインも負けてはいない。
二杯目、三杯目と飲んでも状態は変わらなかった。
「君、大丈夫なのか?」
「問題ないよ」
リースは心配そうに声をかけてくるが、レインはにやりと笑って答える。
ただ、少しだけ息が上がっていた。
(くっ、さすがにコントロールが難しいな……)
レインは魔法の威力を制御する練習をしていなかったわけではない。
その一環として、非常に弱い冷気を常に一定の場所で発生させる練習はした。
結果として、レインはその技術だけはある程度使えるようになっていたのだ。
今、レインは飲み干したお酒を凍らせていた。
それによってアルコールが回る事なく飲み続けられたのだが――
「まだまだいけそうじゃない。お姉さん嬉しいわ」
「当然、だ。僕はこれくらい平気で飲める……」
(お、お腹痛くなりそう……)
これが物凄く冷える。
凍らせた物をそのまま胃の中に入れているのだから当然だ。
お腹の中はまだ余裕はあったが、このままだと体調を崩すのは目に見えていた。
(それでも負けられないんだ……っ)
もはや意地だけで戦うレインだったが、このままでは負けてしまう。
レインはある提案をした。
「も、もう少し強いお酒でいかない?」
「レインからそんな事を言ってくるなんて、よっぽど自信があるみたいね? いいわよ」
センはレインの提案を受け入れてくれた。
内心ガッツポーズをしながら、度数がさらに上がったお酒が運ばれてくる。
これでより短期間で勝負を付ける事ができる。
実際、センも少しだけ顔は赤くなっている。
このまま一気に度数の高いお酒でいけば勝てる――そうレインは確信していたのだが。
「ふう、これはさすがに強いわね」
「うん、そうだ――ね?」
(あれ、ちょっと待って……)
胃の中に冷気を送り続けているレインだったが、違和感に気付く。
冷えているはずのお腹の中からじんわりと温かい感覚が広がる。
食事も何もしていないから、余計にその感覚がよく分かった。
「どうしたの?」
「い、いや、何でもないよ」
センの問いかけに平静を装って答えるが、レインは慌てていた。
流し込んだお酒を凍らせられなかったからだ。
(何で……!? あ、あれか! 度数が高いと凍らないとか……!)
レインは自身で墓穴を掘っていた事に気付かなかった。
レインが今使用している微弱な冷気はレインの身体に影響が出ない範囲でしか使えない。
変に強くすればレインの身体の方にまで影響が出てしまうからだ。
だが、今のお酒を凍らせるには、レインの冷気が足りていない。
つまり、そのまま飲んでいる状態と変わらなかった。
(ど、どうしよう。一旦度数を戻し――)
「乗ってきたわね! もっと強いやついっちゃいましょう!」
「……っ!」
「あら、レイン顔色があまりよくないわね。やっぱりつらかった?」
「そ、そんな事ないよっ」
(あ、これ死ぬやつだ……)
レインは強がってそう返事をしてしまう。
すでに後には引けない状態だった。
涙目になりながらも、すでに酔いがまわり始めているレインは――
(もうどうにでもなれっ)
やってくるお酒をまた一気に飲む。
次に見せたレインの表情はすでに真っ赤だった。
「あれ、大丈夫なの?」
「ダメだと思いますよ?」
そんな他人事のようなエリィとシトリアの会話だけが耳に届いた。
投げやりになってしまい――結局同じ失敗を繰り返すレインであった。
***
冒険者が集う場所はいくつもある。
それぞれの場所で有名な冒険者がいて、その噂は大きければ大きいほど早く広まるものだった。
一人の女性が、ギルドの酒場でお酒を飲んでいた。
黒いドレスのような服を身にまとい、黒く長い髪は艶やか。
端正な顔立ちに泣きぼくろが特徴的だった。
そこにいる多くの男達がその女性に視線を向ける。
だが、声をかけるような事はしない。
女性が何者か、その場にいる全員が知っているからだ。
冒険者達はそれぞれ、女性が気になりつつも各々で話をしている。
女性は、冒険者達の話に耳を傾けていた。
目新しい情報が得られないか、いつもそれを気にしている。
「アラクネを倒した? Bランクの冒険者が?」
「ああ、しかもワイバーンの群れもほとんど一人で倒したらしい」
「へえ……そんな奴がぽっと出てくるもんなんだな」
「それでよ、その銀髪の冒険者が――」
「銀髪?」
二人の冒険者達の話に、女性が反応した。
男達は女性が反応した事に驚きだったのか、目を丸くする。
「その話、詳しく聞かせてくれるかしら?」
女性は男達の話に割って入り、その銀髪の冒険者の話を聞いた。
見た目は女の子のようだが、氷を使う男の魔導師だったという事。
そして、特徴的な銀髪であり、蒼い瞳を持つ冒険者だったという事を――
「うふふっ、やっと見つけたわ」
ギルドの酒場を後にして、女性は空を見上げてにやりと笑う。
誰にも見せたことのないような表情を、女性は久しぶりにしていた。
「待っていなさい――レイン」
夜の町に女性は姿を消した。
女性の名は――フレメア・コルトゥ。
フレメアは探していたかつての弟子を、ようやく見つけたのだ。
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ここまでを第一章となります。
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