41.竜のように、そして犬のように
洞窟内のせまい場所でも、その巨体はずるりと移動できる。
それが分かるように、ぬるりと柔らかい身体を動かしながら、ナメクジのような黒い魔物はこちらの様子をうかがっていた。
「大きいけど初めて見るタイプよね」
「はい、ナメクジにしか見えませんが……」
センとシトリアも含め、パーティメンバーはこの魔物を見たことがないという。
無論、レインも見たことがない。
おそらく触覚と思われる二本の角はゆったりと動き、先ほどの登場とは打って変わって動きは鈍い。
「本当にこいつがS級の魔物なのかな?」
レインがそう問いかけると、みな一様に首をかしげる。
とてもそうは見えない。
むしろアラクネなら大きな食事が来たと喜びそうなものだからだ。
ナメクジは脱力するように身体を少し平べったくしている。
攻撃を仕掛けてくるような気配はなかった。
「これならレインが凍らせるかエリィが燃やすかの選択って感じね」
「そうだな。どっちがやる?」
「……あれって燃えるの?」
エリィの言葉を聞いて、全員でナメクジを確認する。
表皮にあたる部分は漆黒――洞窟の中も相まって非常に黒い存在がそこにあるだけだ。
常に湿っている身体は確かに、水分量は多く見えた。
「燃えなくても炎は苦手なんじゃない?」
センがそう言うと、エリィが小さくため息をついて、
「分かったわ。試しに攻撃してみる」
エリィが前に出る。
ナメクジに向かって手をかざすと、その表情は先ほどとは違い真剣なものになった。
「殲滅の炎よ。囲いし者を焼き尽くせ――」
詠唱に従い、地面を炎が走る。
ナメクジを覆うように弧を描くと、大きな火柱となって中央に降り注いだ。
「《フレア・サークル》!」
ジュウッと焼けるような音とともに、水蒸気は周囲を覆う。
視界が悪くなると同時に、シトリアが薄い魔力の結界のようなものを張った。
熱気に対する防御だ。
「避けるつもりもないみたいよ」
「……一応、あたしの使える上位魔法で攻撃してみたけど」
「視界は悪いが、一先ずは様子見――」
リースがそう口にしたときだった。
ヒュンッという風を切る音とともに、黒い触手が周辺の壁に張り付いていく。
それは、レイン達の方にもやってきていた。
「なっ!?」
エリィの反応が遅れる。
突然の反撃だったとはいえ、先ほどのナメクジからは想像できないほどの速い攻撃だった。
だが、伸びる触手に対して、シトリアとリースが素早く反応する。
「よっと!」
「ふっ」
エリィに直撃する前に、二人が触手を切断する。
それは空中を飛んでから、レインの方に落ちてきた。
「はっ、避けられないと思ったか!」
レインも認めたくはないが、最近慣れてきている。
万が一のために警戒はしていた。
飛んできた触手を華麗に回避する。
そして、後方にあったぬめり気のある水に着地すると、
「あっ」
つるりと滑って転んだ。
「格好付けるからよ」
「う、うるさいな」
センの突っ込みに少し恥ずかしそうにしながらレインが立ち上がろうとすると、異変に気付く。
ぬめり気のある水は先ほどよりも粘液の度合いが上がっているのだ。
「うわぁ、なにこれ……?」
「まさか」
シトリアが何かに気付く。
ようやく霧のように見えづらかった視界が解放されていく。
そこにいたのは先ほどのナメクジだが、姿が変わっていた。
周辺に黒い触手を伸ばしていきながらも、翼のようなものを広げ、四本の足が出現していた。
「ドラゴン……ですね、あれは」
「あれドラゴンなの?」
センが聞き返す。
シトリアは少し悩んだ表情をしながら答えた。
「いえ、ドラゴンと確定できるわけではないというか……まあ、ドラゴンではないんでしょうけど、その特徴を真似ていると言えます。ナメクジ竜とでも呼びましょうか」
装いは確かにナメクジに手足と羽が生えたような感じで、ドラゴンに見えなくもないと言えなくもないが――
「そ、それよりも起こしてくれない?」
「まったく、何をしているんだ……」
レインを起こそうとリースが近寄ろうとする。
だが、それをシトリアが制止する。
「どうした?」
「あのナメクジ竜なのですが、見ての通りエリィさんの炎の魔法を直撃してもほぼ無傷です。それに、粘液はどうやら触手を伸ばした時にまき散らしたようですが……」
「獲物の動きを止めるためか」
「え、獲物……?」
レインにへばりついた粘液は、時間が立つにつれてより粘土を増していた。
触れたときまではぬるぬると滑りやすかったのに、いまは動くこともままならない。
「一先ずあいつの動きを止める。レイン、いけるか?」
「や、やってみるよ」
尻もちをついたような状態のまま、レインはナメクジ竜へ意識を集中する。
相手は巨体――動きを止めるのはそこまで難しい話ではない。
レインの氷の魔法による冷気が、ナメクジ竜の周囲を覆う。
パキパキと凍っていく音が聞こえたかと思うと、それは砕けて散ってしまった。
「……! 凍った粘液だけを砕いてる!?」
「ちっ、そういうことか」
身体から流れ出る粘液は次々と生み出され、凍った部分は柔らかい身体を動かすことですぐに砕いて離す。
凍らされたという事態に対して即座に対応している。
「確かにアラクネが逃げ出すだけはあるわね。切断した触手が再生しているわ」
エリィが目を細めて、触手の状態を確認した。
先ほどリースとセンが切断した部分はすでに丸みを帯び、先端が同じような形状となっている。
ナメクジ竜――見た目はあれだが相当に強い。
「……ていうか、また見た目変わってない?」
センの言葉を聞いて、レインとシトリアもナメクジ竜を確認する。
広げていた羽のようなものは、細い触手となって上部に広がっていた。
見た目からすると、今度は犬に近い見た目になっている。
移動の方法は変わらずぬるぬるとナメクジのように移動していた。
「今度はナメクジ犬ですか。見た目を変えることで威嚇のようなことをしているのかもしれません。アラクネが逃げ出したのは危険を察知するような見た目に変化したからという可能性も……」
「そんな冷静に分析している場合じゃなくない!?」
レインが無理やり立ち上がろうとすると、ローブの方がぬるりと脱げそうな感覚を覚える。
咄嗟に動くのをやめた。
「……」
「効果は弱いようですが、この粘液には獲物を溶かす作用が――」
「二回目だよ、それ!」
「また全裸?」
「脱ぎたくて脱いでるんじゃないんだよ!」
服が脱げそうという何とも言えない死活問題のため、レインは行動不能になった。
そんなレインの前にエリィが立つ。
「裸になるのは我慢してさっさと出なさい。あたしがその間守ってあげるから」
「我慢とかそういう問題じゃなくて……」
言葉を濁すレインだったが、他のメンバーも慣れたという様子で動じない。
レインのことは放ったまま戦闘の準備に入る。
「レインが動けるようになるまで二体一ね」
「出来る限り注意を引くのが私達の仕事というわけだ」
「私がサポートしますので」
どのみち、この戦いにおいてレインの攻撃力は役に立つ。
レインの後方に、大きな人陰が出現する。
炎の身体でできた巨人――
「《イフリート》、あたし達を守りなさい」
完全に戦いの準備は整った。
あとはレインが動くだけだ。
(……え、もう逃げられない流れなの?)
レインのそんな心のうちを知る者は誰もいない。
溶けるのではなく脱ぐしかないという選択肢。