33.魚殺り
「え、えええ? なんかすごい事になってるんだけど!?」
レインも思わず二度見する。
大きな魚がさらに大きな魚に丸呑みされたのだ。
驚くのも無理はない。
驚くレインに対してセンはすぐに声をかける。
「身体固定できる? 引っ張られると危ないから場合によってはすぐに釣竿を離してね」
「あ、うん」
レインは足や腰、手首に氷の柱を設置して固定する。
少し前かがみになった状態だ。
「……なかなかいい格好ね」
「そんなこと言ってる場合なのかな!?」
実際、釣竿の糸の先には先ほど見えた大きな魚がまだ川の中にいる状態だ。
ただ、大きな動きはない。
釣竿を引っ張ってもビクともしないが、魚は川の中へと沈んだまま動きをとめたようだ。
糸は食べた魚の方に引っかかっている。
食べた側には特に気にならないのかもしれない。
「それにしても、ついているのかついてないのか分からないわね。お目当ての魚が来たと思ったら、あんなのに奪われるなんて」
目当ての魚を別の魚に奪われる――サイズがサイズだけに滅多にあることではなかった。
この川の中でも今回狙っていたウィコスサーモンはそれなりのサイズだったからだ。
たまたまこの川の方までやってきていた巨大魚に運悪く狙われてしまった形となる。
「僕のせいじゃないけど……」
「もちろん、責めているわけじゃないわ。むしろ面白くなってきたと思わない?」
「いや、思わないけど!」
センの言葉をレインは否定する。
少しテンションの下がっているレインに対して、センはむしろ燃えてきた、と言わんばかりに目を輝かせている。
どうやら巨大魚も含めて捕まえるつもりらしい。
レインももうやめよう、というのはやめた。
アラクネのときから思っていたが、彼女達のパーティはよほどのことがないかぎり撤退するようなことをしないからだ。
後衛タイプと思えるシトリアですら戦いでは退くことを選ばなかった。
最も、シトリアとセンではまるで戦う理由は違う。
シトリアは薬草を手に入れるためで、センはおつまみを手に入れるためである。
(……あれ、そんなに頑張らなくてもいいんじゃ……?)
レインがそう考える間に、センは行動を開始した。
早々に剣を腰にさげると、軽く準備運動を開始する。
「一先ずそのままね。わたしが直接やるわ」
「え、直接って――」
レインの問いかけに答える前に、センが跳躍した。
そのまま、釣竿の先――糸の部分に着地する。
思い切り釣竿は撓るが、折れることはなかった。
大きな魚にも対応できる釣竿だ。
糸の方も、元々大きな魔物を捕らえるためのネットにも使用される頑丈なものだった。
どちらも問題はその重さを支えられるかどうかであったが、氷で固定しているレインにその問題はない。
ただ、この状態では釣竿を引くことはできないが。
センは糸の先の方を見つめる。
川の流れでも、時折ゆらりと先が揺れるのは見えた。
「周囲に氷の足場とか作っておいてもらえる?」
「それはさすがに危なくない!?」
「え、足場で滑るようなことはしないわよ。レインじゃないんだから」
「そういう意味じゃなくて! そのまま行くことがだよ!」
「ああ、そっちね」
ようやく突っ込みが通る。
氷の足場も作れるが、センがしようとしているのはこの釣竿の糸に沿ってそのまま走っていくということだった。
いくらSランクの冒険者といってもそんなことをするとはレインも思わなかった。
ただ、そういうことができる技術を持っていることは、すでに目の前にいるセンを見れば嫌でも分かってしまう。
センは手をひらひらと振ると、
「動き回られたら追えないじゃない? 長い時間引っ張り合ってもいいけど、たぶんこっちが持たないわ」
「ここから川を凍らせていくのは?」
「他の魚に砕かれると面倒だから空中がいいの。それとも、川の底まで綺麗に凍らせて向こうの方までまっすぐ道が作れる?」
「……できないけど」
レインも器用な方の魔導師ではあるが、流れる川においてまっすぐ綺麗な道を作るのは難しかった。
それこそ、川の流れを変えてしまうほどに凍らせることは可能だろうが、そうなるとここからレインの方まで水が流れてくる可能性もある。
その方が危険だとセンは判断していた。
「そこはきちんと考えてたんだ……」
「わたしだってバカじゃないわよ? 相手を追うなら付いている糸を追うのが結局一番早いものね」
センはそう言うと、剣を抜いて駆け出してしまう。
「それじゃ、危なくなったら外していいから!」
「いやちょっと!」
(外せるわけないだろ!?)
センはそもそも、泳ぎはそんなに得意ではないと言っていた。
それに、この川にもああいう巨大な魚が現れることがあるということだ。
魚が魚を食べるだけならばまだしも、人間を食らうものだっているかもしれない。
折れそうなほどに折れ曲がった竿を支えるために、レインはある魔法を発動した。
「氷の巨人よ――」
氷がいくつも重なりあって出来上がる人型の巨人――氷のゴーレムだ。
冷気を発しながら、ゴーレムはゆっくりと竿を糸を固定する。
レインが滅多に使うことのない魔法の一つだった。
あまり動きも早くはなく、その上脆い――氷のゴーレムは主に荷物運びなどで必要になった場合にのみ使われる。
ただ、今のレインが使うとどうなるか分からなかったから、手加減をして作ったつもりだった。
「大きすぎないように作ったつもりだけど……」
サイズはすでに三メートルを超えており、レインを覆うように背後にいる。
物凄い圧迫感がある。
見た目はシンプルな人型デザインであったはずが、ギザギザと尖った部分が目立つようになっている。
ギギギ、と動くたびに耳に音が届くのが何とも言えなかった。
「あら、かっこいいもの作るじゃない」
センが少し離れたところからレインの様子を見る。
そして、再び川の方へと視線をうつした。
すでに周囲にはいくつか足場が作り出されている。
(ほぼ同時にこれだけのことができるのはさすがね)
「まあ、足場は安定しないわね」
糸の上に立っているのだから当然だった。
センはそのまま、川に入るギリギリのところまで進み、そこでぴたりと動きを止める。
(どうする気なんだ……)
レインが遠巻きに見守る。
センが川に入って直接斬ることはないだろう。
そもそも、槍とは違い水の中では剣を振るうことは難しいのではないか、というのがレインの見立てだ。
そんなレインの考えをよそに、センは剣の持ち方を変えて、魚がいるだろう方向へと剣を向けて――
「えいっ!」
「な、投げたー!?」
レインも思わず声を上げて驚く。
そんなことをして魚を取ろうとするとは想像もしていなかったからだ。
ましてや、剣で戦う冒険者のセンがそんな風に剣を扱うこと自体に驚く。
もしも剣がなくなってしまったらどうするつもりなのだろうか。
センは剣を突き刺した後、作り出された足場の方へと跳躍する。
レインの心配をよそに、センの付近の水は赤く血で染まっていき、やがてそこに剣の刺さった状態の魚が浮かび上がってきた。
「ふふっ、一撃ね」
笑顔になるセンに対して、レインは呆然とその状況を見つめることとなっていた。
川辺まで足場を作り、センが戻ってくる。
そして、作り出したゴーレムによって巨大魚は引き揚げられた。
頭部に剣が刺さって即死の状態だ。
見たことのないタイプの魚ではあるが、牙の形状などから肉食系の魔物である可能性は高い。
そもそも食べられるものなのかどうか分からないが、センはもう食べる気満々だった。
「おつまみの種類が増えたわね」
「いや、こんな大きいのどうやってもって帰るのさ」
「レインのそれがあるじゃない」
センの言うそれというのはゴーレムのことだ。
「冷えてるから腐りもしなさそうだし……レインったら便利ね。お姉さん嬉しいわ」
「いや、これ維持するの結構疲れるんだけど……」
「男の子でしょ。がんばって」
「ぐっ」
そう言われると、レインも頷くしかなかった。
センが剣で魚を綺麗に切り刻み、レインがゴーレムの身体の一部を保存室とした。
氷のゴーレムの中にいくつも魚の柵が見える状態は何ともシュールな状態だった。
さらに、そんな状態のゴーレムが魔物達に狙われないはずもなく、帰り道も実に多難であった。
もうセンとは絶対に釣りにはいかない――そう思うレインであったが、この数日後にはまた一緒に釣りに行くことになっていたのだった。




