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遠近法の彼方

作者: 足戸篤

 もうすぐ20歳を迎えようとする大学2回生の夏。人生の中で残りわずかの夏休みに入った。どこのサークルにも属さず、特に親しい友も作ってこなかった、むしろ近づいてくる者を追い返すほど頑固に孤高を貫いた。孤高の大学生活を送っていた私は、休みの間に何もすることがなく戸惑っていた。下宿に籠っていても無意義に時間が過ぎていくだけだが、実家に帰るのも億劫だった。何か勉強をしようかとも思ったが、何に手を付けるべきかわからず、結局全くできていない。夏休みは何も成さないには長すぎるし、何かを成すには短すぎる。そんな何処かから引用したようなことを考えているうちに、刻一刻と時が過ぎていった。

 しかし、私はこの自分の学生生活に対して特に焦りはなかった。むしろ誇りすら持っていた。食堂でひとりイヤホンをつけながら食べる昼食はおいしかったし、空きコマに一人本を読んでいる時間は楽しかった。

そして何より、キャンパス内で騒いでる輩をひどく嫌っていた。彼らは群れることしかできない、一人で授業も受けられない、愚かな奴らだと思っていた。私はあんな奴らのようには絶対にならない、人に頼らずに勉強も何もかもしてやる、そう固く心に誓っていた。

 夏休みのある日、何もすることが無く、ふらっと大学図書館へ向かっている途中に偶然彼女を見つけた。彼女とは、私が今年の春に入ったゼミで一緒だった。彼女は誰とでも気さくに話す子で、誰からも慕われている子だ。こんな私にすら気さくに話しかけてくれる子だ。そんな彼女の後ろを意図せず歩くこととなってしまった。信号待ちのタイミングで隣に並ぶこととなったが、気付いていないだろう、と特に何も考えていなかった。

「図書館へ行くの?一緒に行こ?」

こんな時はどうやって返せばよいのだろう。この時ばかりは、生まれてこの方、コミュニケーション能力を磨いてこなかった自分を少しばかり憎んだ。

「あっ、はい、そうでっ、そうだよ。べっ、別にいいけど…」

思わず敬語で答えそうになり、思いっきり噛んだ。恥ずかしさのあまり、思わず彼女から目を逸らした。

「じゃあ行こっか」

そう言って、青になった信号へと歩き出した。

 夏休みの図書館は、涼みに来た学生や、寝ている学生、勉強熱心な老人などがちらほらといた。私と彼女は適当に空いた席に隣同士で座り、彼女は持ってきたらしい小説を読み始めた。とりあえず私も書架で見つけた哲学書を手に席に戻り読み始めた。一心不乱に小説を読む彼女とは裏腹に、私は何度も寝そうになった。格好つけて哲学書なんか読むんじゃなかった。そんな後悔をしているうちに、彼女が小声で、

「ご飯食べに行かない?」

と言ったので、学食へ行った。昼食を一緒に食べた後も彼女は熱心に本を読み、私は本を読む体勢になりながらも全く文字が頭に入ってこない状態が続き、夕方になった。

「じゃあまた今度」

そう言って彼女は私と反対の方向へ歩いて行った。なんだか不思議な気持ちだった。今までに感じたことのない感情が胸の中に沸き起こってきた。

 その後も、何度か図書館で一緒に本を読む日々が続いた。相変わらず彼女は本に夢中で、対して私は本どころじゃなかった。今までの人生で、女の子と一緒に過ごすことが皆無だった私は何を話したらよいのかも分からず、終始ふわっとした気持ちで、何が何だかわからなかったが、何となく楽しいことだけはうっすらと感じていた。

 しかし、どうして彼女は私と一緒にいるのだろうか。今まで何度か、彼女がサークルの仲間らしき男たちと過ごしているのを見たことがある。彼女は、私が忌避するあの騒がしい連中と同じだと思っていた。それが何の因果か今私と一緒にいる。何度か理由を聞こうとしたが、結局聞けずにいた。

しかし、話す回数が増えるうちに、いつしか僕の側からも話をできるようになってきていた。そして、いつも通り学食で一緒に昼食を食べているときに、ついに切り出せた。

「どうして僕と一緒にいてくれるの?」

彼女は「君が面白いから」とだけ答え、そのまま会話は続いた。

 私は面白いのか。少し意外に感じた。今まで、人を遠ざける一方で、彼女のような人間に面白いと思われるとは考えていなかった。しかし、面白いやつならもっと他にもいただろう。どうしてその中で私なんだろう。少し考えたが、単純な脳みその私に考え付く答えは一つだった。

彼女は私に対して特別な感情を持っているのではないか。

そう考えるとまんざらでもない気がした。なら私のほうは彼女に対してどう思っているのだろうか。思えば、今までの私の来し方20年間で培ってきた頑固さを折り曲げたぐらいだ。おそらく、私も彼女に惚れているのだろう。

 しかし、そう考えてから行動に移せる人間ではなかった。相談しようにも、相談できる人間が居ない。日に日に彼女への思いが強まって行く一方だったが、何の進展もなかった。

 そんな折、大学前の通りを歩いてると、鏡にへらへらした男が移っていた。ぎょっとしたが、よくよく見ると私だった。その時私は今の自分を振り返った。彼女に気を使い、彼女に対して常にへらへらし、少し前の私が持っていた確固たる信念は跡形もなくなっていた。そして何より、私がもっとも忌み嫌っていた連中そっくりな顔をしているではないか。ふと我に返った。そして情けなくなった。部屋に帰ると机に向かって小一時間考えた。今の自分でよいのだろうか。過去の確固たる意志を、誇りを持っていたころの私を思い出せ。そんなことを考えていると、今の私に対する否定的な意見が私の単純な脳内を占拠した。どう考えても、この道は間違っている。今私が歩いている道は軟弱への道である。少し前まで歩いていた道のほうがまっすぐで、絶対に正しい、と思えてならなかった。そう考えると、彼女は邪魔でしかなかった。栄光ある学生生活を送るには彼女のような存在は不要であった。

 そんな中、また彼女と会う機会があった。

「おはよう。どうしたのそんな顔して?」

そう話しかけてくる彼女に対して、以前感じていた好意は全く以て消え去っていた。

「もうやめよう」

それだけ言って、引き留めようとする彼女を置いて行った。これで私は栄誉ある学生生活に戻った。


それから、月日が経ち卒業の日が来た。あの夏休みの直後、彼女は興味が変わったという理由でゼミを変え、それ以降私は彼女に会うことはなかった。私は、栄誉ある、一匹狼の学生生活を送り、誇らしげに卒業の日を迎えた。卒業式には出なかったが、何となく最後にキャンパスを見に行こうと思い正門をくぐり、学部棟へ向かった。その道中、袴姿の女性が楽し気に男と笑いながら正門へ向かって歩いていくのとすれ違った。彼女だ。何故かすぐに分かった。彼女の楽しそうな姿を見た瞬間、走馬灯のように、彼女とのあの夏のわずかな思い出が蘇った。その瞬間どうしてか涙が出てきた。おかしい。栄誉ある学生生活を送ったはずなのに。正しい道を選び、そのことに全く疑いが無かったはずなのに。どこで間違えたのだろうか。そんな思いがこみ上げてきた。あの時は、私の選択が私にとって最も良いものでだと思っていたのに、今になってみればこのざまである。戻りたい、あの頃に。戻って選択しなおしたい。そんな思いだけが私の中を木霊した。


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― 新着の感想 ―
[一言] 孤高の大学生は自分の心の変化に気づいてしまったのですね。 何か物悲しく寂しい話ですが、話の意味が分かりやすくて短編としては完成されていると思いました。 また新しい小説更新されたら覗きに来ま…
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