スーツ姿の小学生
ゆったりと歩いて小学校へと行く、いつもなら満員電車の中で窓にでも押しつけられている時間帯だが、今日からは無縁の生活を送る。
社会復帰したときに反動がつらそうだが、いまは楽をさせてもらう事としよう。
土の香りがする。畑を見ると掘り起こされた後がある。すでに収穫を終えた後だろう。
道ばたの雑草がすこし黄色くなり枯れかけている、確実に冬が近づいてきている。
朝は寒い、特に田舎の朝は寒い気がしてならない。実際に気温も低いのだろうが、それになにより精神的なところが大きい。その最たる理由に市内を流れている川があげられる。視界に入るとさらさらという音とともに冷たい水のイメージが流れ込み寒さが倍増してしまう。
都心では冬には噴水を止めるところが多いが、これは納得できる配慮だと思う。
徒歩10分程度、信じられないくらいの通勤時間、いや通学時間で学校へと到着する。
校門の所には、年配の警備員の方がいるのだが、どうしたことだろう生徒達の姿が見えない。
警備員の方と挨拶を交わす。
「おはようございます」
「おはようございます、昨日の方ですな」
「そうです、今日からお世話になることになりました。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしく、しかしまた早いですな」
「早いですかね?」
「いま時刻は始業30分くらい前だけど、生徒ではあなたが一番かな」
「つい癖で早く来てしまったようです。ちなみに他の生徒たちはどのくらいに来るんですか?」
「だいたい15分くらい前から10分くらい前がピークかな」
「そんなにぎりぎりなんですか!」
「毎回すこし遅刻してくる子もいますし、意外とそんなものですよ」
「はぁ、そんなものですか」
いつもの癖で30分ほど前に来てしまったが、ここでは早すぎたらしい。
思えば始業開始まえの準備時間も、電車遅延のための余裕も要らなかった。
明日からはもう少しだけ遅くしてみよう。
しかし遅刻をする生徒がいるとは……
仕事だと遅刻などというミスは許されない。
だがよくよく考えてみれば、ここは職場などではなかった。
玄関を入り下駄箱の横を通り過ぎて、再び来客用のスリッパを使わせて貰う。
昨日は引っ越しのごたごたで買い物などできなかった。
どうにかノートと鉛筆くらいはコンビニで用意できたが、まだ書道用具など特殊な物は準備ができていない。優先順位を考えると、まず用意する物は上履きだろう。しかし27.5cmの小学生用の上履きなど扱っているのだろうか? もしかするとこの上履きが、最も特殊で手に入れにくい品かもしれない。
まだ誰もいない教室を見ながら学校の中を進む、無人の校舎は違和感を覚える。不安になってきた。
教室の自分の席へと付くが、だれもいない、やることもない。
スマフォでニュースなどを見て時間を潰す。
15分くらいしただろうか、カラカラと音がして最初の生徒が入ってきた。
大人しそうな女の子が入ってきた。こちらをチラリとみる。
どういった挨拶がこの場では好ましいのだろう?
ここでは軽めの挨拶をするのが常識的だろう。片手をあげて挨拶をする。
「おはようございます」
女の子はすこし驚いたようで、体を反転するとそのまま出て行ってしまった。
ようは、にげられてしまった。
「ははは…… はぁ失敗したかな」
上げた片手がむなしい、下ろす機会をうしなって固まっていると、さきほどの女の子が戻ってきた。すこし年上に見える男の子の影に隠れながら。
男の子と女の子は目鼻立ちがよくにていた、兄だろうか? そのお兄さんらしき男の子が口を開く。
「お前が例の転校生のおっさんか」
「そうです、5年生になります」
「そうか妹と同級生だな、仲良くしてやってくれるかな」
「もちろんですとも、よろしくね」
女の子は、ウンとうなずいた。
男の子は少し眉間にしわを寄せて、
「しかし、へんな喋り方をするな」
「自分でもそう思います、こういった事には慣れていないもので」
ちぐはぐな会話が面白かったのだろうか、女の子が吹き出してしまった。
無邪気にケタケタと笑う。つられて男の子も私にも笑いが起きる。
ひととおり笑いが落ち着いてきたら女の子が口を開いた。
「私はゆめです、よろしくね」
「こちらこそよろしく」
そのような挨拶を交わしていたら、校内アナウンスが流れる。
「授業開始10分前です、みなさん席につきましょう」
その放送を聞くと、男の子が慌てだした
「おっと、じゃあな」
と手を振って自分の教室へと戻っていく。
「じゃあね」
と手を振りかえして、分かれる。
社会人になると、死語というか使わなくなる言葉がある。
『じゃあな』という言葉は、久しく聞いてなかった。
しかしそれは使わなくなるというより、大人になると使う相手が居なくなるといった方が適切かもしれない。




