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卒業文集 2

 卒業文集に載せる作文を、私は書く羽目となっていた。

 その作文のテーマは『将来の夢』という、中年男性には厳しいお題で、いまさら『将来』と言われても何も思い当たらず、筆が一向(いっこう)に進まない。


 行きづまった私は自室でタバコを吸っていると、一筋の光明(こうみょう)が差した。

 書く作品は『夢』であり、現実的でなくても構わないのだ。

 そう考え始めると、今まで全く動かなかった筆が驚くように進み出す。

 そしてあっという間に原稿が完成し、翌日には提出する事が出来た。



 しばしの時が過ぎ、やがてそれは一冊の本として返ってきた。


 まだ冬の最中で、卒業には程遠いが。置き場所がなかったのだろうか、おそらく届いて間もないその本は、早々に我々に配られる。美和子先生から手渡されたその本からは、刷って間もないインク独特の臭いが漂ってきた。

 私は本を受け取ると、すぐに開いて読み始める。


 クラスメイト達の作品は、まさに夢そのものだ、プロ野球選手、三つ星レストランのシェフ、世界的なデザイナー、パティシエのコンクールでの優勝。

 文章は拙いが情熱が感じられ、どれもが輝いて見える。


 その中でやや異質な、他の作品より少しだけ現実的な願望が(つづ)ってある私の作品がある。

 書いている時は何も考えずに執筆していたが、こうして本として仕上がってくると、私の文章は作品として形を成しているのかが急に不安になってきた。

 今さら修正は出来ないのだが、もう一度読み返して確認を取ってみる。



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将来の夢    鈴萱(すずがや) 良介(りょうすけ)


 私は中学を卒業すると、再び元の建築会社へと再就職する予定となっています。

 職種は年齢的なものもあり、いまさら変更は効きませんが、社会復帰した際のささやかな夢があります。



 ひとつめ、有給休暇をきちんと取得できる部署に配属されたい。


 有給休暇は、会社に申請をすれば取得できるはずなのですが、世の中はあまりこのルールを守っていません。

 その理由の一つに、繁忙期(はんぼうき)という忙しい時期に限り、会社側は社員の有給休暇の取得を断る事が出来ます。これが悪用され、いついかなる時期に申請しても、有給が却下する事がしばしばあります。


 また、有給休暇を取ると評価や査定に響くと脅され、社員に出来る限り取らせない雰囲気を作るような会社はままにあります。


 私はこういった妨害のまったく無い会社で、自由にこの権利を行使したいです。



 ふたつめ、法律を守った範囲での残業を。


 労働時間は一日あたり8時間と決められていますが、建築業界の懐事情(ふところじじょう)は厳しく、人件費が絞り込まれ、結果として一人あたりの仕事量が多くなり、どうしても残業が発生してしまいます。


 残業時間の上限は、三六協定(さぶろくきょうてい)という法律で定められており、月に42~45時間程度が上限とされています。

 特別な場合に限り、月80時間程度の残業が認められるようですが、これはあくまで例外的な処置です。


 さて、土日祝日が休みの場合、営業日はおおよそ20~22日程度です。

 月に42~45時間の残業時間だと、一日あたり2時間となるわけですが、現実はそんなに早く上がれません。たやすく三六協定の制限時間を越えてしまいます。


 法令を順守する会社で働きたいものです。



 みっつめ、管理職の肩書きは要りません。


 管理職になれば楽になれると思っている方もいると思いますが、現実はそう上手くは行きません。

 立場が弱いと、それまで行ってきた通常の業務に加え、さらに管理業務まで追加する形で押しつけられてしまいます。


 管理業務は厄介です。部下のミスの責任を取らされるのですから、たまったものではありません。

 しかも管理職となると残業代が出ません。それに、さまざまなプレッシャーがのしかかってくるにも関わらず、増える給料は雀の涙ほどです。


 私は責任を背負うこと無く、残業代をキッチリと頂きたい。

 そのためには平社員で構いません。むしろ平社員のほうがありがたいです。



 最後にひとつだけ。労働基準監督署はあまり動いてくれません。

 労働者の味方だと思っていると痛い目を見ます。


 私の友人が以前、不当に扱われ、労働基準監督署に駆け込んだのですが、全く動いてくれませんでした。

 たとえるなら、警察は犯罪が起こって、被害が出てから動きます。労働基準監督署も全く同じで、明らかな実害を受けているか、動かぬ証拠を押さえた時にしか動きません。

 残業を会社もみ消されたと訴えても、証拠を出せなければ取り合ってもらえないのです。


 友人は泣き寝入りをしています。

 あまり労働基準監督署は当てにしない方が良いです。

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 読み返してみると、私としてはかなり大胆で、夢のような労働条件を思うがままに(つづ)っている。

 こんな願いは将来的には叶う訳が無いのだが、ほかのクラスメイト達が社会に巣立つ際に、この作文をもう一度だけ読み直して、何かの役に立ってくれれば幸いである。




 後日、前に務めていた派遣先の会社からメールが来た。

 課長からのメールで『私の正社員の話は問題無く上手く行った』という内容だ。

 専務と常務の認可も下りているので、いつ小学生をクビになっても大丈夫との事だった。


 それとは別件でメールにはもう一つだけ、愚痴のような一文が記述されている。


『労働基準監督署の査察が突然入って大変だったよ。業務を見直すよう厳重注意を受けたよ』


 なぜか文部科学省の再教育課の女性職員の顔が頭をよぎった。

 彼女の行動力はすさまじい。卒業文集をチェックして、厚生労働省を介して労働基準監督署へ連絡をしたのかもしれない。


 だが、この仮説はあくまで空想の域でしかない。

 事の真相を桐原さんに問うこともできたが、


『それは災難でしたね』


 私はそう課長に返信するのが精一杯だった。

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