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エイム家の顛末

公国の聖女が旅の足と称してドラゴン(黒)に乗って来訪した件とその顛末について

作者: 因果論

『~の顛末について』シリーズ第四弾をお届けします(/´△`\)


*第一作より、目を通して頂いた上で本作に挑んでいただく流れを推奨致します*


 *




 今思えば、あらゆることが密接に関わり合って生じた事態だった。

 とはいえ、始まりはおそらくこうなる。

 どうやらチロルさんに春が来たらしい。







 友人であるエルーカ・ココットとその幼馴染ミカエル・フリード君が来訪して数日後。

 病み上がりのチロルは何時になくハイになっていたようである。

 普段は飛ばない様な遠方まで散歩に出かけて行き、ようやく帰宅したのが五日前のことだ。

 とりあえず様子がおかしいのは分かった。

 解析の結果では無い。

 普通に見れば分かる。

 あからさまに挙動不審だった。



 チロルさんが自作の歌を口ずさんでいる。

 歌、といっても聞く分には鳴き声に独特な節をつけた代物である。

 川向うでは、魔獣たちの遠吠えが発情期ともなれば響くもの。

 しかし流石は古代竜。

 遠吠えという単調なそれではなく、複雑怪奇なメロディーを響かせていた。


 心話が使えない私に、そのメロディーに秘められた想いは分からない。

 しかし、帰宅していた弟と弟から心話のスキルを学んでいる最中のユーグ君には伝わっていたのだろう。


  どこか、気まずそうな表情のまま解説に入ろうとした弟。

 しかしそれを見逃すチロルでは無い。

 破壊光線とも呼べそうな規模で放たれた牽制に、危く家が燃え上がるところだった。

 咄嗟に弟が抗延焼結界を張り巡らせなければ、間違いなく色々燃え尽きていた。

 疲れ切った様子で溜息を零した弟。

 ぼそり、と彼が言う事には。



 竜にもプライバシーは存在するらしいね。と。



 一体そのメロディーにどれほどの意味が込められていたのかは、結局分からずじまいである。

 また、肝心のお相手について。

 これは後にある人物が訪問してくる過程で判明することとなる。



 今はそれよりも先に、危く家を燃やしかけたことへの教育的指導が先になります。

 未だ収まらぬ羞恥を持ち余してか、結界の中で反抗期に突入しているチロルさん。

 実は、弱点が三か所ある。




 一、羽根の付け根の突起(を擽ると、小一時間は床にへたる)

 一、背骨の上から六番目の突起(を摘まむと子猫のごとく動けなくなる)

 一、尾の裏側(を撫でると、何故か腹這いになる)


 尚、その一とその三(一番下)については、ほぼ同様の効果が得られることが分かっている。

 ラースが実証済み。



 弟との、話し合いの結果。

 今回は一番下を施行し、その後は弟を介して懇々とお説教である。

 何しろ火力は制限して貰わないと、家がいくつあっても足りない。

 床に腹這いになり、伸び切ったチロルさんはようやく冷静になったのか。

 一旦は普段通りに戻った。

 久方ぶりに施行されたお説教に、悄然として項垂れた背中でそれは分かる。



「何処の世界を探しても、古代竜に説教なんて真似が出来るのは姉さん位だね……」



 弟の呟きを受けて、複雑な心境を覚える姉心。

 その本心はと言えば。

 一様に古代竜と括って欲しくないものである。

 チロル以外の竜に対して、そんな大それたことが出来るほど過信していない。

 チロルは確かに古代竜ではあるが。

 古代竜=チロルではないのだから。

 あくまでも古代竜≒チロルである。

 育ての親からすれば、それはごく自然なことなのだ。



 そうして始まった異変は、その後も形を変えて様々な場所で見られるようになった。


 ある時は、突如庭に仰向けになって地面に全身を擦りつけていた。

 その奇行に巻き沿いになる形で、植えていた薬草や観賞花に被害が出た。

 この折は、全身を色とりどりの花びらと希少な薬草に覆うこととなったチロルさん。

 暫くは当人ならぬ当竜が自覚していなかったのだろう。

 徐々に状況を悟るまでの過程が、大きくなっていく震えの中に見て取れた。

 二階の窓からの只ならぬ視線を感じ取り、可及的速やかに植え直しに掛かった後ろ背にはもの凄い量の汗が伝い落ちていた。

 水やりが不要に思えるほどだ。

『冷や汗をかくチロル②』という題で写真に収めた位に見事な情景だった。


 またある時は、ぶんぶんと振り子のように振り回されていたチロルの尾。

 その尾の先が屋根の上の特注望遠鏡を跳ね飛ばし、持ち主である弟が絶叫していたのが三日前のことである。

 弟の趣味は星空観察である。

 その良き相棒として、十年に渡って彼を支え続けた望遠鏡はこの際に大破した。

 きらきらと空へ飛散したレンズの欠片が、何ともいえず物悲しい光景だった。


 弟は修理専門の魔術師のもとへ泣きながら駆けこんでいき、数日して戻って来た。

 無事に治ったとはいえ、以来屋根の上から弟の部屋へ居を移した望遠鏡。

 悲劇は起きてしまったものの、弟が平静を取り戻してくれたのは何よりの救いだった。



 元々チキンな性質を持つチロルさんが、こう立て続けに被害を生じさせるのは今までに例が無い。

 とうとう臨時の家族会議を開くに至ったのには、そういった経緯があった。




「竜の春だな」


「竜の春だね、うん。まず間違いないよ」




 兄と弟が珍しく口を揃えて一致している。

 つまり彼らはこう言っているのだ。


 チロルさんに、春が来た。


 ここで言う春。それ即ち、恋の季節である。


 それを聞いた私は、些か茫然としてしまった。

 ここ数日の奇行は全て、恋の病と呼ぶべき症状であったと言う。

 つまるところ、初恋。

 チロルさんの、初恋。


 ……何だかとても複雑なのですが。

 ……これが世に言う、子離れの衝撃というあれでしょうか。


 いや、でも…何かそればかりでは無いような気がする。

 それを思索していったらいけないと私の本能が止めに掛かっている。

 ここは素直に従っておくとしよう。



 しかし、そんな思いも虚しく。

 エイム家の居間に不用意に落とされた発言。

 それは、文字通りの起爆剤となる。




「初恋かぁ……懐かしい響きだね。そう思わない? リズ姉」




 弟ラースのさり気無い発言に、表情には出さないまでも背後には氷点下が吹き荒れている。

 それに振った後で気付いた所で、手遅れである。

 青ざめた弟は、必死の訂正を試みるが。

 肝心な時に限って、口はうまく回らなくなるものだ。



 にっこりと微笑みを張りつけたリズ。

 その口から紡がれる音には、周囲を凍りつかせる覇気が籠っていた。




「それを私に振るのね、ラース?」




 後の祭り、という言葉がこれほどに似合う場面もなかなか無いだろう。







 その頃、庭で薬草の摘み取りをしていた元魔王ことユーグ君は空に打ち上がる盛大な火花を目撃することとなる。


 これが後に語り継がれる『地上からの彗星』ことチロル砲の威力である。

 火力二倍、紅蓮に染まった空。

 見上げた村人たちがどのような感想を抱いたかは、敢えて記す必要もない。

 長老たちは一斉に空を仰ぎ、終末を予感したことだろう。

 それほどの色と、規模だった。



 興が乗ったのか、チロルは弟に火炎を放ちつつ天高く舞い上がっていった。

 ラースは公国随一と呼ばれる飛行術を用いて、チロルとの空中散歩ないし命懸けの闘争劇を繰り広げている。

 地上へ戻っても地獄。

 空の上には火炎。

 半泣きの弟である。


 一方の地上。

 破壊されたドアを潜りながら、上空を見上げる兄とリズの横並び。

 徐に口を開いた兄曰く。




「まぁ、あれだ。……季節は必ず巡るよ、リズ」


「……燃やされたいみたいね、兄さん?」




 氷河期に突入している妹の隣で、尋常でない冷や汗を流し続ける兄。

 これをアルバムに加えようとは思わない。

 冷や汗を流す兄など見飽きていますから。







 俄かに夏祭りのごとく、村の上空で打ち上がる火花もとい古代竜の紅蓮。


 鳴り響く爆音と、合間合間に微かに聞こえてくる悪態。

 それは一向にやむ気配は無いものの。

 異状に慣れたポプラ村の村民たちは次第に日常に帰依していく。

 以前も伝えている通り、庶民にとって時間は有限なのだ。



 それは当のエイム家においても変わらない不変律。

 上空での攻防の結果、特段被害が地上に及ばないと解析した後は。

 発端であることは重々承知しながらも。

 今日もまた夕食の準備の為に、キッチンで香草を選り分けています。

 ずっと見上げていても仕方がありませんから。



 本日のメニューは八面鳥のグリル~三種の香草を添えて~。

 最近、両親が送ってくれたレシピ集の中に、掲載されていたメニューの一つである。

 付け合わせには、赤カブ(一口サイズ)とリモーネのポトフ。


 実は、記念日的な月日だからこその選択だったりします。

 視線の先の当人は、明後日の方向を見ながら窓辺で弓の手入れをしていますが。

 ええ、きっと忘れているのでしょう。

 他ならぬこの焼き目も綺麗な八面鳥に掛けて言えます。



 やれやれと溜息を零しながらも、兄らしいと思う。

 そんな妹なりの感傷に浸りつつ、ポトフの煮込み具合を確認しようと鍋の蓋を上げた時。



 時を同じくして、もはや立て付けていただけのドアに手を掛けながら慌てた様子で戻って来たユーグ君。

 あと少しで退かし切れずに、無情にも行く先を阻むドア。

 見かねた兄が立ち上がる。

 そんな兄の手伝いにより、ようやく室内へ駆けこんで来たユーグ君。

 彼は息切れしながらも、慌てた様子で告げた。



「う、上にドラゴンが……!!」



 それに対し、兄は真顔で返答。




「チロルとラースが空中遊泳中だからな」


「分かってますよ。チロルの事で今更驚くと思います? 僕が言いたいのは…」



 舌打ち混じりは止めた方がいいと思うのユーグ君。

 何故か弟同様に、この兄に対しては徐々に扱いが粗雑になりつつある。

 そんな近頃の元魔王。

 彼が、言葉を続けるよりも早く。


 ずしん、と何かが降り立った振動で地面が揺れたのが分かった。

 エイム家の床板もカタカタ揺れた。

 この振動はチロルでは無いですね。

 何せ、この頃のチロルさんは体重管理にも目覚めつつあるのだから。

 その成果については、階段を下りる際の軽やかさでも実感できる。



 それにしてもチロルさん、努力家である。

 その姿を見ていたら、自分のわき腹を抓りたくなりました。



 そんな感傷に浸っている間にも、庭先に降り立った何かが近づいてくる気配。

 勿論、兄は弓から愛用のナイフに持ち替えて、油断なくドアの向こうへ意識を向けています。

 曲がりなりにも、嘗ては公国の騎士。

 それ位の緊張感は持ち得ていて、安堵する私。



「別の竜です」



 いつの間にか傍に来ていたユーグ君が、そう私に伝えるのと同時。



 みしり、と威圧的な音を立てて既に壊れていたドアが間横へ飛んで行きました。

 後から遅れて聞こえてくる、庭木がバキバキと押し倒されていく音。


 そこまで耳に届いた時点で、握り締めた伸べ棒を振り被っていました。

 その狙いは対象本体では無く。

 その、上。





 突然ですが。

 我が家のドアの上には対侵入者用の罠が仕掛けられているのですね、うん。

 伸べ棒の端が、その仕掛けを作動させるのと同時。

 幾重にも巻かれて収納されていた、対ドラゴン用最硬度捕獲網。

 通称・竜取り網。

 幾久しく使用されたことの無かったそれが、陽の目を浴びることとなった本日は快晴。




「リズ……。偶には兄に陽の目を当ててくれてもいいのに」


「兄さん、あなたには初めから期待していないもの」




 兄 ヴィー・エルドール・エイムは妹の本音を受けて床に崩れ落ちた。

 そんな兄を横目に、掛かった獲物の検分に入った私。



 いつかと同じ、眩暈に似た後悔を覚えたのは僅かも経たない内でした。


 ドラゴンはまだ良い。

 ここで肝心なのは、その背に乗って来たらしい人物。

 今は頭上から被さって来た網の衝撃で、気絶しているらしい彼女。




 描写しよう。

 まるで太陽の光を溶かしこんだような、金色の髪。

 真白といって過言でない、きめ細やかな美しい肌。

 今は閉じられているその双眸の色は、アイリスの花弁のごとき深紫。

 勿論これは、解析の結果である。

 気絶した少女の目を、網目から指を突っ込んで開いて確かめてなどいない。

 そうしようとした兄に、跳ね戻って来た伸べ棒が直撃したのは偶然である。

 流石の私も、そこまで計算して投げられる筈もない。

 ええ、偶然ですよ?

 とても良い偶然であったと思います。

 無駄な労力を避けられることほど、喜ばしいことはありません。


 さて、美少女である。

 そして美少女を背に乗せたまま、茫然とした面持ちで緋色の目を瞬かせているのは黒竜である。

 双方の解析を終えて、溜息を付いた私はそのまま踵を返してキッチンへ戻ります。

 現実など、見てはいけなかったのです。

 学ばない私。

 そのまま放り出してしまえばよかった……



「……ね、姉さん? まさかと思うけどそこに転がってるのは……」



 いつの間にやら停戦していたらしい。

 視線を上げればその先に、庭から恐る恐ると言った様子で覗きこんでいる弟。

 溜息で返す姉。

 ユーグ君の沈黙。


 ああ、何て居た堪れない……。

 諦めました、私。

 自ら罠を掛けた以上、そのままにしておくことも叶いません。

 やはり兄に任せておくべきだったのです。

 自ら問題を抱え込んだ結果に、後々になって首を絞められるとは。

 これが因果応報ということでしょう。



「姉さん、考えてること全部分かるよ。……ただね、そんなに後悔しなくてもいいんじゃないかな。だってこれ、正当防衛だよね? あと、こんな状況でも焼き色を完璧に付けてる姉さんに僕は呆れを通り越して半ば感心してる」



 ラースがとても良いことを言いました。

 後半の文言は兎も角として。

 確かにこの状況。

 冷静になって振り返れば、ノックも断りもなく敷地に入っている以上はこちらに分がある。

 たとえ、ノックする扉がすでに壊れていたことを差し引いても。

 一般常識で鑑みれば、これ不法侵入。

 よし、名目はある。

 顔をあげ、頷く私。

 弟の指摘に、救われた姉の図です。


 そうしながらも、ふと過るのは。

 言い得てして妙という言葉。

 目の前に文字通り『救い』という言葉を体現する存在を目にしながら。

 目が覚めた後の事を考え、溜息を隠さない私。




「ラース、とりあえず網を退かそうと思うの。チロルは何処?」


「あれ、さっきまで後ろにいたんだけど」




 首を傾げるラースに、天板の上の八面鳥をオーブンから取り出しつつ弟の後方に視線を向ける私。


 何だかいつかの様な、ごろごろするチロルさんの姿が見えた気がする。

 前にも増して、庭の端から端までをでんぐり返ししていく白い団子虫的なものが。




 ああ、眩暈がする。








 そして数刻後。

 本日三度目の焼き色を付けつつ。

 テーブルの準備はユーグ君に任せ、オーブンの前で集中する私。

 うん?

 今の状況が分からないと。

 はい。説明しましょう。

 今はオーブンの前から離れられないので、このままで失礼します。


 まずチロルさんの始末は、弟に任せました。

 …誤解を招く字面になってしまったかもしれない。

 正確には、チロルさんが原因で掘り返された庭のあれこれの修復に向かわせたということになります。

 当竜たるチロルには弱点その一を用いたので、現在は床に伸びている。

 四肢も伸びて、腹這い姿勢。

 隣の黒い小山と共に、現在エイム家の居間には黒白の小山が並んでいる情景を前にして。


 うん、壮観。

 何しろ飛竜が並んで転がっているというのは中々見られないと思うのですよ。

 結局、兄には網の撤去作業を振りました。

 未だ目を覚まさない金髪美少女を抱えてソファーまで運んだ兄は、どこかで見た顔だなと呟きながら頻りと首を捻っていました。



 それもその筈。

 会っていますよ、兄さん。

 まず間違いなく公都で。

 それだけは確信を持って言える。



 彼女が目を覚ませば、いずれにせよ明らかにはなることながら。

 寄りにも依って的人物の巣窟化を邁進しているエイム家は今や混迷まっただ中。





 以前、勇者候補のミカエル君が来訪した折。

 あの時も遅ればせながら気付いて後悔したのでした。

(元)魔王と勇者候補が一般家庭の居間で対面とか。

 泣きたい絵面である。

 もし、ミカエル君が何かしらの切っ掛けで村内で魔力測定を行うことがあれば。

 まず間違いなく気付くことでしょう。

 兄とは違い、ミカエル君は真っ当な勇者候補なのだから。


 恐れるべきは、その結果。

 下手をすれば、ミカエル君までもがドアを突き破って居間へ突入しかねない。

 そんな未来は酷過ぎる。

 これ以上、エイム家のドア修繕費を嵩増しする機会は勘弁願いたい。


 蒼褪め、ただただその未来予想図から目を逸らし続ける事ばかり考えていました私。

 その時はチロルさんが、自分の不安に感化されて暴走し掛けていた。

 改めてエルーカには申し訳ないことをしたと思う。

 とはいえ、内心助かっていたのは事実。

(元)魔王と勇者候補の握手を見て、詰んだと諦めかけた刹那に。

 絶妙なタイミングで、威嚇を始めたチロルさんのファインプレーだった。

 直に触れれば、高い魔力を気取られる可能性があり。

 それが有耶無耶になったことは大きい。

 世界平和と同時に、我が家のドアが守られる未来。

 今後も何としても守らなければならない。




 そう思いを新たにした数日後に、これは酷いと思うの。




 最後の八面鳥を焼きあげて、よしと一息吐いた所で解答編に入ろうと思います。



 只人では無い雰囲気は、溢れかえりそうな高貴な顔立ちで言わずと知れた話。

 ある意味で、我が家と縁のある方と言えば否定は出来ません。

 嘗ての母と、同じ立場の方を前にして。


 そう、未だ気を失ったままを装う彼女は公国の聖女様なのです。

 正確には筆頭の聖女候補と言った方が正しいのかもしれません。


 うん?

 そうです。既に彼女は目を覚まして暫く経ちます。

 料理の合間に、薄眼を開けた瞬間を見ていますから。

 微妙にその形の完璧な鼻をくんくんさせた仕草も見ていますから。

 私の目は、解析するだけが能ではありません。

 意識して集中すると、周囲の変化を一般のそれよりかはずっと目敏く見つけられる。

 だから兄が気付くより前から、可愛らしいタヌキ寝入りを観察していました。

 試しに八面鳥の焼き立てを仰いでみたのですが。

 必死にお腹の音を殺そうとしているのが、見え見えでしたね。

 あれには正直癒されました。



 さて、そろそろ準備も整ったことですし。

 まだ客人として迎えた訳ではないものの、話を聞いてみなければどうにもなりません。


 仮にも聖女様。

 兄のように、頬を上下に引いたりする無作法は選びません。

 我が兄ながら、頭が痛い光景です。

 起こすなら、良心的に。

 それを念頭におきながら、どこか不安げな弟に心配はいらないと頷く。

 その際余計に不安そうな表情になった弟には、後で事情を聴くことにします。

 兄を伸べ棒の先で突いて退かしてから、屈んで彼女の耳元に落とした言葉。



「ドアの修繕費、公都の神殿宛てに送らせていただきます」



 これを耳を欹てて聞いていた弟。


「怖ッ」とは言ってくれますね。

 真っ当な請求でしょう。

 そもそも我が家のドアは人身御供宜しく壊れ過ぎなのですよ。

 常にスペアを用意している一般家庭が他にあるなら教えて欲しい。



 さて、取り敢えずこれで起きるなら面倒も少なくて良い。

 そんな思いを胸に、様子を窺っていると。

 とうとう彼女も、諦めた様子で口元を緩めましたね。





 艶笑し、ゆっくりと瞼を開いた彼女はゆっくりと身を起こしつつ。

 ふわふわの金髪を背に流して、そのまま猫のように身を伸ばす。





「ちぇ、やっぱり気付かれてたかー…。流石は森羅万象の神眼、か」





 想像よりも砕けた口調でしたね、聖女様。

 まるで少年のよう。更に言えば幼い頃の兄みたいだ。

 ふむ、興味深い。

 それが初めて彼女に対面した際の、私の第一印象でした。




 こうして聖女様も起きたところで、夕食を囲みます。

 本日のメニューを前にして、ようやく今日という日に気付いた様子の弟。

 ここ数日のキムジー続きに、ようやく合点がいったという顔でしたね。

 そう。

 弟よ、家族の記念日前は質素にならざるを得ない食卓事情を察するとは成長したものである。

 姉さんはとても嬉しい。

 例え肝心の兄が不思議そうな顔で今日は随分豪勢だなぁ、と呑気に呟いていても。

 兄は兄。

 弟は弟。

 結局のところは、どちらも私の大切な家族には変わりません。

 もとい、比べる事自体が意味の無い話ですね。




「誕生日、おめでとう。兄さん」




 そう言って微笑めば、ようやく当人は気付いた様子で口をぽかりと開ける。


 暫し言葉を失くした様子でいた兄が、徐々に感極まった様子で立ち上がりかける。

 ‥ものの、予め目配せを交わしておいた弟がさり気無く留めます。


 兄が感情のままに立ち上がれば、食卓が犠牲になるのは必至。

 すでに五回以上を数えれば、先んじて手を打っておくのも慣れます。




「リズ……!! 僕の最愛の妹!! 兄は今日で二十三になったよ!!」


「うん、兄さん二十四だから。微妙にサバ読まないで」




 弟の冷静な指摘がタイムロスもなく入る辺りに、エイム家の誕生日風景を見る。


 それは第三者視点から見れば、それなりに面白いものだったらしい。

 同じ食卓についている聖女様は、艶やかな唇に弧を描いている。

 因みに艶やかさ三割増しの理由は、彼女の前に置かれた八面鳥のお皿の中身が既に半分になっている所を見れば頷ける。

 外の皮はパリパリ、中はジューシーに仕上げる為の手間暇たるや。

 半日近くオーブン横を定位置にしていた私の苦労が報われた証である。




 何はともあれ、食卓はそれなりに平穏でしたね。

 しかし、真の山場は後半に用意されていた。

 一つ目は、聖女がその艶やかな唇をナプキンで拭った後。

 それは幾分唐突と言っていいタイミングで始まる。




「あー。美味しかった。神殿では年間で二回。知ってる? それ以外は一切肉料理は食べれないんだ。だから久々に堪能したよ。ご馳走様」


「お口にあって何よりです。それで、そろそろお話し頂けるのですか?」


「うん? ……ああ、用件だね? 勿論。その為に此処までライヤーを飛ばせる許可を貰ったからね」




 彼女曰く、ライヤーというのは今も小山の一つになったままの黒竜のことである。

 神殿の守護竜にして、公国唯一の所持竜。

 たとえ聖女とはいえど、西への旅に申請して許可が下りるまでに一カ月ほど掛かったという。

 それだけ、所持竜というものは厳重に繋がれているのである。

 飛竜一羽で、上級魔術師十人分と称される防衛力を謳われるだけに。

 古代竜というのは、それだけに公国にとっても大きな意味を持つ。



「とうとう聖女自ら勧誘に? 悪いけど、姉さんは神殿には渡さないよ。以前にも父さんが国王へ直接釘を刺しに行ったはずなんだけど」



 ラース・エルミタージュ・エイム。

 公国の西の守護者として、魔境の境を統べる彼の眼がいつに無く険悪な色を纏う。

 普段は冷静沈着にして、平穏主義。魔術師の中でも温和と称される彼。

 しかし今聖女を見据える眼差しに、一切の譲歩は無い。


 さて。

 ……そんな弟の発言を受けた姉は言いたい。

 国王に直接釘を刺しに行くって、父さん……。

 貴方の娘は呆れていますよ。ええ。




 それを真正面から受けた聖女は、敢えて苦笑に留めた。

 ここで彼らが対立を深めることは、彼女の本意ではないからである。




「久しいね、ラース。挨拶が遅れて申し訳ない。確かに君の言う通り、公都の上役の面々……つまり王家も含めて未だに『森羅万象の神眼』を召致したい思惑はあるだろうね。けど、今回はそれとは別件だよ。本題は別にある」




 徐にここで表情を改め、背筋を伸ばした彼女は居並ぶ面々に告げる。




「これは公国の機密扱いになっているが、数週間前から魔境の王が行方不明になっているという情報が入って来ている。公国はこれを機に、魔境の粛清を進める方針だ。従って、嘗ての筆頭勇者候補にあたるエイム家長子ヴィー・エルドール・エイムへの帰還要請が出た。しかし再三に渡って送付した書簡の返答が一向に王府へ届かない為、送られてきたのが私ということになる。……以上だ。何か質問は?」




 うん、‥‥空耳だと思いたい。

 ド真ん中を打ち抜かれて絶句しているといえばその通り。



 その公国の機密を、他でもない兄が要因となって作り上げた現状。

 行方の分からぬ当人も同席している。

 さり気無くユーグ君を窺えば、それは大変ですねと言わんばかりの表情であり。

 それもその筈。

 彼は既に魔王であった頃の記憶を失っているのだから。



 何を思ってか、沈黙したままの兄を横目に。

 事情を把握している弟と無言で視線を交わす。




 どうする、これ?




 まさにそれに尽きる。

 何処から公国が情報を仕入れたものかは不明である。

 それもその筈。

 一般庶民には想像が付かないような情報網を公国が持つというだけのことであり。

 とはいえ、このまま魔境の粛清を進められては……という思いは否めない。



 兄が不用意にオオカミ狩りをした結果が、魔王の不在。

 この落ち度は全て兄もとい現在もその事実を伏せ続けているエイム家にある。

 なるほど、これが岐路かと。

 半ば諦観の様な思いを抱きながら、兄の返答を待った。






 しかし、兄は何処までも兄である。

 きっと今までもこれからも兄の言動を先んじて把握に至る人物は現れない気がする。





「粛清とか、真面目に言ってるの? そもそも必要無いと思うけど」





 兄がたった一言で、公国へ喧嘩を売りました。

 流石に目を瞠った聖女様の様子に、それも当然と見ていた私と弟。


 しかし、その予想は実際のところ尽く裏切られる結果となりました。




「……ふふ、その言葉しかと聞いた。ヴィー・エルドール・エイム。お前は公都にいた頃よりもずっと面白い男に育ったな。これなら私も気兼ねなく言える」


「何を?」




 兄の言葉に、珍しく同意見の私と弟。

 一体彼女が何を言いたいのか。

 それに気を取られていて、二つ目の山場がすぐそこで目を覚ましたことに気付くのが遅れた結果。




 白の小山もといチロルさんが、突然特大の炎を吐きました。




 後から思えば、あれは驚きと混乱によるところが大きかったように思います。



 炎の行く先は、黒の小山もとい公国の守護竜ライヤーさんです。

 まさに、宣戦布告とも取れかねないタイミングで放たれたそれを避けられる位置ではなく。

 慌ててラースが二羽の間に結界を張ろうと両手を掲げる前に。

 ぱくり、と。


 ともすれば事も無げに、ライヤーがその炎を広げた口で呑み込んでしまった。



 それに絶句する一同。



 一方、炎を放ったチロルさんは今も混乱収まらぬ様相。

 それを見て取ったラースは取り敢えずチロル用に抗延焼結界を張った。

 そして徐に心話に入ろうとする。

 しかし、それを待つよりも先に反射的に解析を掛けていた私。




 真相を前に、思わずいつかのプライバシー云々を忘れていた。

 零れ落ちたそれに、居た堪れなかったのかチロルが猫みたく丸まって動かなくなった。




「……この子が、初恋の相手だったのね」





 言った後で、取り消せないのが言葉の恐ろしさである。

 チロルは幼獣期より人と共に育ったために、公国の言葉を解することが可能。

 それでは、公国の守護竜はどうか?



 僅かな望みを掛け、問い掛けた先は。




「あの、つかぬことをお聞きしますが……ライヤーさんは人語を?」

「ライヤーは卵から孵した希少な守護竜だからね。うん、勿論分かるよ」




 聖女様の苦笑を受けて、そのまま天を仰いだ私。

 ええ、その心の内は後悔で一杯です。

 御免なさい、チロル。

 貴方の育ての親として、この失言の重みは十分過ぎる位に分かる。

 貴方が望むなら、いくらでもこの頭を下げる用意がある。

 大惨事である。

 取り敢えず結界越しに謝る他、今出来る事は無い。

 そう思い、歩み寄った先でふと視線を感じて横を見る。




 黒の小山もとい守護竜ライヤーさんの、物言いたげな視線。

 まさかとは思いながらも、思わず解析を掛けてその心理状態を見た私。






「……あのね、チロル? どうやら両想いらしいわ、貴方達」






 私の言葉を受け、丸まっていたチロルが一瞬で体色を一変させた。

 具体的に言えば、白が桃色に。

 全身で乙女ですね、チロルさん。

 蒸発しそうな瞬間的な熱量の放出に、慌てて結界の強度を再構築した弟の手際の良さ。

 きっと私と同じように、ライヤーの心話を読んでいたのだろう。

 顔を見合わせ、思わず疲れた様な笑みを交わしたのも無理はありません。






 竜の春、思ったよりも周りが気を使うわ。






 ようやく落ち着いたエイム家の居間。

 例の歌がチロルからライヤーに贈られたのは言うまでもない。

 それを聞いていた周囲の五人中三人が何とも言えない表情になっていたのが印象的でした。

 結果、プライバシーを尊重する三人に見守られて歌い終えたチロルさん。

 元の体色に戻りながらも、全身から花を飛ばしておりました。

 背景、薔薇色。

 二羽の世界です。

 弟が結界を解き、二つ分の羽ばたきが屋根の上へ昇って行った後。






 ようやく仕切り直しである。

 お茶を入れ直し、デザートには冷やしておいたクランベルー・パルフェを配ります。

 村の特産の一つクランベルーは、やや酸味のある果実。

 春に花を付け、初夏から秋にかけて実を付けるクランベルーの灌木は村の至る所に見られます。

 勿論、エイム家の菜園の隅にも自生しています。



 一度ジャムにして煮込んだ後、急激に冷やすと酸味が抑えられるクランベルーはお菓子にもよく使用されるのですね。

 甘味好きな兄の為に、多めに作り置いていて良かったと思いつつ。

 もはや話などそっちのけで、パルフェを頬張る兄を眺めながら。

 ようやく冷静を取り戻しつつあった、エイム家の居間。




 その爆弾は、情け容赦なくパルフェを頬一杯にした兄へ向けて放たれたのでした。




「ヴィー・エルドール・エイム? 私が君に降嫁したいといったら、受けてくれるか?」



 降嫁。

 その言葉の意味を一番最初に把握したのは、恐らくいつもの通りラースでした。



 危くパルフェを噴き掛けた弟に、この時ばかりは何も言う気はありません。

 かく言う私自身、のどに詰まらせ掛けました。



 先の発言を鑑みれば、これは即ちプロポーズであり。

 公国において、女性から男性にプロポーズをするということはかなり稀。

 そんな稀な状況をまさか兄相手に立ち会う羽目になるなど誰が予想できただろう。



 当の本人。

 つまり兄は、この発言を受けて僅かに目線を上げたものの。

 未だにスプーンはパルフェを掬って運び続けている。

 そして寄りにも依ってこの兄は、このタイミングで思いがけない返答をしたのである。





「……良いけどさ、クイン家の面々の説得は面倒だから任せるよ」




「……って!? 良いの?!!!」





 弟の魂の叫びは、エイム家の居間を木霊した。

 無意識に魔力を込めていたからか、通常よりも長く反響し続けたそれは。

 次第に居た堪れなくなった弟を、テーブルに沈没させる。

 それにしても、よくテーブルに埋まる弟。

 そうした姿は、父に一番よく似たのかもしれないとふと思った。





 チロルさんに春が来た。


 それは冒頭で話しておいた通りである。

 しかし、思いがけず二つ目の春を迎えたエイム家の居間で。

 今も当人である兄は、残りのパルフェを頬張っており。

 それを苦笑しながら見ている聖女様の表情は明るい。


 何だかんだで、意外とお似合いの二人なのかもしれません。


 半ば取り残された感の大きいユーグ君に、巻き込んで御免なさいと謝罪しつつ。

 二杯目のパルフェを手渡しながら、浮上してこない弟の頭を励ましの意味を込め、軽く叩いた。



 そして、キッチンへ戻った私。

 今後の課題として見えて来たそれを一旦は胸に仕舞って。


 目を向けなければいけない日はそう遠くない。

 そう思いを新たにした。





 夕暮れに沈んでいく空に、魔境から響く遠吠えが木霊している。

 それに耳を澄ませながら、窓から屋根の上に二つの小山を見上げた。

 チロルの歌に、重なる旋律。

 それを聴いて、ようやく気付いた。


 ああ、二つ重なってようやく分かる主旋律。

 それは美しい歌であったのだと。


 恋人ならぬ恋竜たち。

 そんな彼らを見守りながら、騒がしい一日の終わりをオーブンの傍らで迎えた少女。







 一つ屋根の下、エイム家の日常はこうして今日も比較的平穏に過ぎていく。


 六人と一羽に新たに加わったのは。


 一人と一羽。


 彼らが紡ぐ物語の行く先は、明日に続いている。








ここまで読んで頂いた方々へ、感謝の気持ちを込めて(*´ー`*)。


さて、それなりに長くなって参りました本シリーズですが……。

突然ですが、予告です。

次回の投稿にて終止符を打つ目処が立ちました(^-^ゞ


舞台は魔境。

エイム家一同による、訪問劇をお届けする予定です。


今暫くお付き合い頂けると幸いです(*´ー`*)


8/7誤字訂正致しましたヽ(´o`;


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― 新着の感想 ―
[一言] 望遠鏡の年数の桁がおかしいよな?弟何歳?
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