仕事をください
抱き枕にされる事、二十九の日が過ぎた。最早川の字にも慣れた物。
これは抱き枕三日目の夜にリエルルにより教えて貰ったのであるが。
この世界ヘクスは太陽は一つであるものの月が同時に大小合わせて三つも見える夜があり、その日は半年に一度の特別な日なのだそうな。何が特別は知らぬ。教えてくれる前にリエルルが眠ってしまった。
さて、二十九日もの間に私が何をしていたかというとだ、家政夫である。いや家政犬か。まあどちらでも変わるまい。
異世界といえば冒険したり、森の中で四苦八苦しながら生活したり、迷宮に潜ったり、という気がするが。私は幸運にもリエルルにより転生直後にお持ち帰りされた為にやたらと文明水準の高いファンタジー世界に触れて、そこに順応する事へとなったのだ。
一部に至っては前世より便利なのだから魔法術器万歳である。
そんな家政犬になった理由は、単純に暇になってしまったからと使い魔たる仕事が欲しかった為である。地球の室内や庭先で飼われている犬達が、何故御主人様との散歩をあそこ迄に喜ぶのか分かってしまった気がするよ。とりあえず初日からの流れを順に追って話そうか。
日は戻り、抱き枕初日から明けて二日目の事。朝食に黒パンとミルクを頂いた後である。
「家の中を案内するね!」
とリエルルに言われた私は。
「是非お願いする」
と答えた。その頃、ナナエルルはロビーのソファで垂れていた。
まず一階は構造が簡単な上に前日以上の部屋はない為に省略され、二階へ誘われる。
階段を上がった先には壁際に廊下が一本走りそれが家の奥まで続き、その廊下に並ぶ様に大小の部屋が五つあるようで、先ず階段側より手前から寝室ついでリエルルの仕事部屋兼研究室、後に倉庫二つ書庫一つと続いた。客室が無いようだが。
「泊まるのナナ叔母さんとお母さんとお父さん位なの」
それを聞いた私は心の中で涙した。
にしても倉庫が二つとは多い気がするがいつか使うからと、置いてる品が沢山溜まっているそうな。捨てられない病は何処の世界も似た様な物らしい。庭の倉庫は? と聞くと家に入らない大きな物が保管されているそうだ。
で。各部屋の中に入る訳であるが、寝室は特に特記する所は無い。天蓋付きの巨大ベッドはまあ凄いと思うし、二つあるクローゼットと化粧台が一つに多尾の獣人形がある小物置の棚も女性らしいなあ、とは思うが前世の我が親類である姪の部屋も似た様な様相であったから驚かなかった。姪のベッドは流石にシングルサイズだったが。
にしても、結構片付いているのでどう散らかっていたのかが気になる。壁際に木箱が三つ程放置されているが、余り詮索するまい。
二部屋目、リエルルの仕事場で研究室である。
「ちょっと危ないから勝手に入らないでね?」
とリエルルに言われたので私は素直に頷いた。先ず扉からして危険である。彼女の許可無く外からドアノブを回したり、研究室の壁にある窓を開けようとすれば雷撃で黒焦げにされるとか。
防犯対策は完璧な様だ。設置出来るのはあくまで自衛魔術になるそうで流石に死ぬまでには至らないと彼女は言うが。
そんな危ない扉の中である、何というかファンタジーよりサイエンスフィクションと言った方が正しい気がする様相であった。
机に広がる様々な色の液体入る試験管に拡大鏡や遠心分離機らしき物とグラインダー等の工具、壁際には薬品が入っているのであろう色付き遮光瓶の棚、部屋のあちらこちらに渡された配管の先にビーカー等。幾何学模様走る配管と、リエルルの獲物である杖が数本並ぶ棚がなかったら普通の研究室に見える光景だ。
正直何をしている部屋なのかさっぱりである。
さっぱりなのでリエルルに聞いてみたら。
「えっとね。あれ!」
奥にある水槽を指差された。私がそれに釣られて視線を送ってみたところ、水槽の中に漂うはカラフルなスライム達という光景。彼女には失礼だが、ゲンナリしてしまう。何でも趣味ついでの仕事である、スライムの品種改良をしているそうだ。
そこでまた軽くリエルル先生より講義を頂戴した。
「スライムは万能!」
と。まず昨日食べた食用スライム、次に昨日のトイレ等生活周りで活用されるスライム、更に医療用スライムなどなど。もはや人々の生活に密接に関わる大事な存在だそうだ、が。
それを聞いた私はスライムからは逃げられないと悟り絶望する。待つのだリエルル、ご飯を食べなくてもスライムと水だけ摂取していれば生きられるとかいう情報はいらない。いらないのだが。
「世の役に立つ楽しい仕事なの!」
と笑顔で言われたら私は何も言えなくなった。我が御主人様は立派な研究者であるのです。
後、最初に私が起きた部屋はここであったそうな、もっとしっかり見ておくべきであった。主に水槽を。
そんなリエルルの可愛いスライム達が蠢く部屋を後にして倉庫へ向かうが特記する事がない。薬品臭漂う倉庫その一とリエルルの武器であるらしい杖と球の素材が眠る倉庫その二、以上だ。
残りは自由に見て良いと言われた書庫である。書庫と聞いて少し心踊りながら幾つか読んでみたが、専門用語が多分に含まれた頭が悪い私にはちとキツイ物ばかりであった。
そこで本を読むのを諦めて壁に掛けられた世界地図を発見したのでじっくりと拝見する、何とこの世界六角形であったへクスの名はこの形からだろうか。
今私のいる国はレダナ国と呼ぶらしく。
「ここ!」
とリエルルが背伸びして指差した先は六角の上側にある茸のような形の大陸、その中央である。そんな茸型大陸のど真ん中にあるレダナ国は交通の要所として栄えているそうな。なるほど。
更にリエルルの指が六角地図の右へ向かい、海を越えて歪な菱形の大陸を指差した。以前聞いた七尾の女狼が落とし子と共に統一、平定したという帝国がある大陸だ。
お次は地図中央、大小様々な島が存在している場所をリエルルは指差す。それら群島全てあわせて一つの国だそうな。バカンス向けの風光明媚な国で主な産業は観光との事。
次に地図左手、そこにはこれまた歪な形をしている四角の大陸がある。リエルルから人が住めるのは沿岸部位で内陸はクレイジーな生き物や風景が広がる魔境だと言われた。それを聞くと行きたく…なくなる。
最後、六角地図下部。大陸と言うには小さく島と呼ぶには大きい陸地が二つ横に並んでいる。その島達はより大きな丸い点線を左右に広げて抱えているので、これは? とリエルルに聞くと何か島が浮いているらしい。つまり点線は航路になるわけだ、普通にリエルルに説明されたがとんでも無いと思う。決まった周期により島同士がすれ違うとか、ダイナミックである。
これが私が落とされた世界の大まかな構成である。
「世界地図の説明は以上です!」
と胸を張るリエルルはとても可愛らしかった。そんな異世界情緒溢れるマップのある書庫にて案内は終了、私達は一階のロビーへ戻ると垂れ過ぎて昼寝に突入していたナナエルルを叩き起こして昼食の流れになる。
内容は卵を溶かしたキノコリゾット、ベーコンの様な物入りスープ、昨日の炒め物から余った野菜サラダである。ヘルシー。だがデザートにグリーンスライムが出て来て少し泣いた、味はマスカットに近い物で有った事だけ報告する。そんな胃の中蠢く昼食が終わり午後が始まった訳だが。
「今日は全く用事がないから、家でゆっくりします!」
ロビーの椅子で食後休憩していたら我が御主人リエルルが異世界生活三日目にてお休みを宣言。ギルドに使い魔登録したからダンジョンにでも行くのかと思ったら違ったようである。一応迷宮とかあるのか聞いてみると。
「多元迷宮はねー、審査が三十日はかかるからー。それ迄アツヒちゃんは無理ねー。まー、支部長にお願いしたからー、審査自体はねえ? 多分大丈夫よー」
ナナエルルが答えてくれた。あの変態に尾を揉まれた甲斐があったようである。
しかし何処の世界も役所の手間は変わらないようだ、まあ仕方の無い事ではあると思う。何といってもその多元迷宮とやらを今、初めて知った私がどの程度戦えるかは未知数である訳だしギルド側が私の扱いを決めるのにかかるのが三十日なのだろう。
それにしても多元迷宮である。名前からして既に仰々しいがはて、どんな所なのやら? と頭の中でその迷宮を想像していた時。ふと疑問が出て来る。迷宮初心者の私がリエルル達と一緒に行けるのだろうか? 。なので聞いてみると。
「契約者のあてと同じランクになるから一緒に行くのも、あてが行ける所に着いて来るのも問題ないよ! 多尾の獣は強いって事も知られてるから大丈夫!」
リエルルが嬉しそうに教えてくれた。使い魔特権とは素晴らしい物であったようだ。
リエルルと共に迷宮に入れると言うのは嬉しい事である、一人で攻略は寂しいからなあ、といつだったか学生の頃プレイしたとあるネットゲーム初期のソロ活動を思い出してしまった。迷宮に行く際にはリエルルへおんぶに抱っこになりそうだ。我情けなし、頑張ろうと誓う。
しかし洞窟でリエルルに会っていなければ私はどうなっていたのか? 居るかは知らないがウサギでも獲って生きていたかもしれない。生で肉を食べるのは勘弁である、リエルルに感謝。と彼女に頭を下げて拝んだら抱き着かれて頭を撫でられた。気持ちが良い。
「じゃー、私はお昼寝するわねー。おやすみー」
「おやすみなさい」
「あ、ああ。おやすみ?」
私が撫でられているとナナエルルがソファで昼寝を開始。
まだ寝れるのか、凄いな。食堂でも突っ伏していたが、彼女は昼寝が得意なのやもしれぬ。ナナエルルが夢の世界に旅立ったので、リエルルにこの後の予定を聞いてみると。
「リエルルはどうするのだ?」
「あてはアツヒのお手入れをしたいです!」
素晴らしい笑顔と共に片手に櫛を持つ御主人様がそこにいた。いつの間に櫛を取り出したのか疑問であるが是非、とお願いする。いつか彼女の髪を手入れ出来るように私も二尾を掌握せねばなあ。
そうして暫く私の白毛を櫛で梳かしていたリエルルは陽気に誘われたのか、途中で私の背に顔を乗せたまま体を預けて寝ついてしまった。このままではキツかろうと彼女をソファの上に寝かせて離れようとしたのだが。ソファへ彼女を横にした際に左尾を抱き込まれ動けなくなってしまう。
しょうがないので私も一緒に昼寝をする流れになった。心地は良かったが二日連続で昼寝とは、ナナエルルを笑えぬ。
その後午睡から目覚めた私達だが、外が夕方になっていた。寝すぎた。
その後はと言うと、ほぼ前日と同じである。
違った事といえば夜ご飯がヌーガ肉入りシチューになり、白パンだった事であろうか、腹の底から温まる優しい味であった。ご馳走様でありました、御主人。
と感謝したらお礼はベッドで払わされることになる、中身に肉の詰まった白毛抱き枕の再来である。リエルルの講義を彼女に抱きつかれながら少し受けたのだ。後、ナナエルルのロックが昨日より強めでちょっとキツかった、私は彼女に何かしただろうか?
そうして首をキメられながら、迎えた四日目の朝。朝食を頂いていた時にリエルルより今日はアツヒだけお休みです、宣言をされた。何でも今日リエルルは夜迄スライムの世話をするらしい、つまりお勤めである。
私に何か手伝える事は無いかね? と聞いてみると。
「アツヒはゆっくりしてて?」
と悪意など欠片も含まない笑顔で言われた。私の男心に刃が突き刺さった瞬間である、かなりの致命傷であった。
辛うじて私は崩れ落ちはしなかった物の。
「また夜にね!」
と笑顔で二階へ去って行く御主人様を見送ると失意と共に床に倒れ込む。
右尾でのの字を書く事十五分。何とか再起動を果たした私は、自身の安い使い魔の面目を保つ為にロビーでダラけながら暴力姫日記というタイトルの本を読むナナエルルに近づき何か用事は無いか聞いてみたのだが。
「無いわねー」
と言われたので私は不貞腐れて寝たのである。
私が起きた後、リエルルは仕事部屋に夜まで篭るらしいのでナナエルルと二人で食べる昼食になる。
食後ナナエルルが昼寝に突入しようとしたので仕事は大丈夫なのか聞いてみると、ギルドで百年働いたら貰える年金で今は生活しているそうだ。ギルドの福利厚生は完璧であった。
それはいいのだが、ナナエルルが寝てしまった為また暇になった。どうしようか? と考えてみたが未だにリエルル邸の勝手がわからないので私も昼寝に突入、三日連続である。
そのまた次の日の昼。
同じ状況に陥った私は、遂に我慢が出来なくなり。ダメだ暇で朽ち果てる、と仕事を済ませて夜に一階へ降りてきたリエルルに私めに仕事を下され、と強請ったのだ。
贅沢な話である上に迷惑な話であるが、その時の私はかなり必死であったのだよ、寝るという行為が苦痛なのだ。しかもリエルルに対して初めて迫ったのがこれである。情けなや。
かくして家政犬の誕生である。
リエルルから掃除道具と何故か持っていた私にピッタリの割烹着を頂戴し、貯蔵してある本や倉庫の品、家の危険物などの注意点を聞くと掃除を開始した。
右尾で掴むはたきで埃を落とし、左尾で支え右尾で動かす箒により埃を集め纏ると、トイレのスカスライムとやらに与える。埃落としが終われば窓と床を光るまで雑巾で吹き、それが終わると庭の薬草が生えている範囲以外の雑草を抜いて又スライムに与えた。その後は風呂掃除である。
これらだけでも家の広さにより、リエルルとの触合い時間を除いて三日潰れたが実にやり甲斐を感じる日々であった。リエルルにも撫でられて嬉しいので一石二鳥である。
尚、トイレ掃除は人が居ない時にスカスライムと最終的に合体するスライムを撒くとの話、便利だが万が一その光景を見たら正気の値が減る気がする。
こんな事ばかりしていると尾先の仮装指が随分器用になった、嬉しい誤算である。
今の私に剥けないスクルとかいうミカンもどきは無いのだ。ただ包丁はまだ無理だ、怖い。
それでも十五日も経てばブラッシング位は自分で出来るようになった。
櫛を優しく持って自分の体をそうっと梳かしていく。だがそれを見ていたリエルルに。
「あてがしてあげたいの…」
と寂しそうに言われた為にすぐに彼女に身を任せる事になる。使い魔が御主人を悲しませてはならない。
二十日目。トイレの紙を平均三枚で済ませれるようになる。無駄が減るという事は素晴らしい事だ。
それにしても排泄が尿しか出ないのが気になる、まさか便秘になっていないだろうか?
二十五日。夜、ブラッシングのお返しに髪を梳かさせて欲しいとリエルルに頼んでみたら喜んで櫛を貸してくれた。
この時私は感激して、これは絶対に失敗できぬ髪は女性の命である、と前世を含め生きてきた中で最高の集中力を発揮してこれを攻略。
事が終わり私が安堵のため息を吐いていたら横で見ていたナナエルルにも頼まれたので、また集中力を発揮するのだが。彼女から殺気がしたと言われる、馬鹿な。
そうして二十九の日が流れて現在。
いま私は、お使い犬用割烹着を着て日々順調にリエルルへ奉仕しているのだ。仕事の内容をあれから徐々に増やした結果。
私の仕事は掃除からリエルルの料理の手伝い、食器洗い、観葉植物と庭に生えている薬草の水の世話、来客が来たらリエルルに伝え、荷物が届けばリエルルに渡し、ダラけた格好でソファを占拠して昼寝中のナナエルルを寝室に放り込み、主に女性物が大半を占める洗濯をするのだ。
見よ、この活躍ぶりを! 私は異世界の使い魔として立派に順応している! 実に満ち足りた日々である、使い魔はやはりこうで無くては。
さて明日は三十日目。ナナエルルの言う私の審査結果が出る日を迎える事になるが。
「邸宅の状態こそが、使い魔がどれだけ有能かも表すのだ!」
私は家事に夢中になり、それを完全に忘れてしまっていた。