じいじの公園
「あらぁ、柊斗くん、よく来たわねえ!」
実家の玄関を開けると、母親がぱたぱたとスリッパを鳴らして駆けてきた。
俺になどは目もくれず、孫の柊斗に手を振る。
「ばあば! これ書いてきたよ!」
柊斗は手に持った手紙を母に差し出した。
「柊斗、中に入ってから渡せよ」
俺はそう言って息子を諫めると、バギーのベルトを外し、「よっ」と声を上げて柊斗を廊下の床に降ろした。
五歳ともなるとなかなかに重い。
「柊斗くん、クッキー買ってあるわよ」
母が廊下の手すりにつかまる柊斗の、空いている方の手を取って、リビングへと引いた。
「わーい!」
ガシャンガシャンと柊斗は足の補助具を鳴らして、ブリキの木こりのような動きで母とリビングに向かっていった。
俺はその様子を見て息を吐いた。
――柊斗は生まれた時に少し息苦しくなってしまった影響で、足が普通の子のように動かない。
「柊斗、手を洗ってから食えよ」
俺は二人を追いかけると柊斗を後ろからつかんだ。
「ほら、ジャーンプ!」
「あはははは!」
そのまま笑う柊斗を抱き上げて、洗面台の前の足台のところへ運んで手を洗わせた。
手に持っていた手紙は俺が預かる。
「いただきます!」
椅子に座った柊斗はそう言うと、机に置かれたクッキー缶に手を伸ばした。
「柊斗、手紙渡すんじゃないっけ」
俺は手洗いのときに預かっていた手紙を机に出した。
「そうだ。ばあば、これ書いたよ」
柊斗は得意げな顔で手紙を祖母に渡した。
封筒にはひらがなで『ばあばへ』と書いてある。
「あらあら、なあに」
母は嬉しそうに封筒を開けた。
中の紙には「ばあばへ ずっとげんきでいてね」と書いてある。
母は少し瞳を潤ませた。
その様子を見て、柊斗は得意げに言った。
「パパが書けって言ったから、僕、書いたよ!」
「お前な。そういうのは、黙ってろよ。そしたら小遣いとかもらえるのにさあ」
俺は柊斗を小突いて母を見た。
「いや、敬老の日近いしさ。せっかく平仮名書けるようになったから、手紙でもって思って」
母は微笑んで手紙を見つめた。
「ばあば嬉しいわあ。――それにしても、字が上手ねえ」
柊斗の書いた字を指でなぞる。
今度は俺が得意になって頷いた。
俺が言うのもなんだが、柊斗の字はきれいだ。ちゃんと読める。
「上手いよな。毎日練習してるもんな」
俺は柊斗の頭をぽんとたたいた。
柊斗には毎日、幼児向けのドリルを少しずつやらせている。
「ひらがなは全部書けるし、カタカナも練習中だ」
そう言うと、母は感心したように言った。
「年中さんでそれはすごいんじゃない?」
「だろ。柊斗は賢いからな。カタカナも年中のうちに全部書けるようになるんじゃないか? 保育園の同じクラスの子はまだ書けないのに、すごいよなあ」
そう言うと、母は少し視線を落とした。
「――でも、まだ小学校も先だし――そんなに頑張らなくてもいいんじゃない?」
その言葉に、俺は少し眉間に皺を寄せた。
「無理矢理やらせてるわけじゃないよ。本人もやる気だし、得意なことはあった方がいいじゃないか。この前、保育参観に行ったんだけど、こいつ家より大人しくてさ……」
先月行った保育参観の様子を思い出す。
柊斗のクラスはやんちゃな男子が多い。
先生の制止も聞かず駆け回るクラスメイトの間で、柊斗は柊斗のために加配として通常より一名多くつけてもらっている先生と一緒に黙々とレゴを組み立てていた。
「こいつのクラスは、やんちゃな子が多いから、気が引けてるのかもしれないと思ったんだ。――ほら、かけっことかは周りと同じように……」
俺はそう言いかけて、ちらりと柊斗を見た。
柊斗はじっとこちらを見ていた。
――かけっことかは周りと同じようにできないし、だったら字が書けるとか得意なところでもっと自信が持てたらと思って……
俺は口から出かかった言葉を飲み込んだ。
そうだ。もうこいつもいろいろ周りの話がわかってくることだ。
あんまりこういう話はしない方がいい。
「真希さんとさやちゃんは、今日はどうしたの?」
母が空気を読んで話題を変えてくれた。
「真希は今日、彩香とお出かけだと」
妻の真希は、今日は小学生の姉の彩香と『服を買いにいく』と出かけていった。
俺はわしゃわしゃと柊斗の髪を撫でた。
「彩香が『ママと女子会!』ってはしゃいでたよ。俺と柊斗は男子会だよな」
そう言って、柊斗の顔をのぞきこんだ。
「どうする? 二階の『遊び場』に行くか?」
俺の父親は五年前、柊斗が生まれる直前に死んでしまったので、実家には母しか住んでいない。父親の荷物を処分して、二階の一室を丸々開け、柊斗が遊びやすいような遊び場に変えてもらった。
ボールプールやら室内遊具もいろいろ置いて、デパートにある子どもの有料の遊び場のようになっている。
「うん。そうする」
頷いた柊斗の横で、母が言った。
「せっかく来たんだから、お父さんにお線香あげてよ」
立ち上がって、リビングの隣の和室にある仏壇の扉を開けだす。
俺は眉間に皺を寄せた。
父親は仕事人間で、毎日夜遅くまで仕事ばかりしていて、ほとんど家にいなかった。
当時は父親なんてそんなもんだと思っていたが、柊斗が生まれてから考えが変わった。
俺の家には柊斗の他に姉の彩香もいるし、妻の真希だって働いている。
柊斗は病院やリハビリ、療育と彩香より断然手がかかり、俺もかなり休みをとって対応しないと家が回らなかった。
最初は休みをとって仕事に穴を開けるのが嫌だったが、柊斗がひと月ごとに――いや一日ごとにどんどんと変わっていく様子を見ることがだんだん楽しくなってきた。
――と同時に、なんで俺の父親は、俺に全く関わらなかったのだという気持ちになってきた。
おもちゃやゲームで一緒に遊んだ記憶も、公園に一緒に行った記憶もほとんどない。
まあ母さんはパートだったし、家は回っていた。
そういう家だったから仕方ないとは思うが、俺がもし父親と同じような働き方をしたら、真希には離婚を突きつけられるのではないかと思う。
「じいじー、柊斗くんが来てくれたよー!」
母は黙っている俺など気にもせずチンチンとおりんを鳴らすとそう呼びかけた。
「僕もあれ鳴らす!」
柊斗がやる気になったので、俺は柊斗の両脇を支えて「ジャーンプ!」と仏壇の前までワープさせた。
「じいじー! 来たよー!」
チンチンチン! チンチンチンチンチン!
柊斗がおりんをドラムのように連打したので、母が吹き出した。
「じいじ、そんなに鳴らすとびっくりして出てきちゃうよ」
母の言葉に、俺は苦笑した。
「父さん、家にいないからわかんないだろ。県庁あたりで地縛霊になってんじゃねぇの」
母の笑みが消え、真顔になった。
俺ははっとした。
思わず口に出た言葉が棘を持っていたので、自分でもびっくりした。
慌てて取り繕う。
「……ほら、父さん、ほとんど職場にいたからさ」
父は県庁で働いていた。
都市の再開発計画の責任者になったとかで、定年前まで働き詰めだった。
そのせいか、ある日突然、心臓が止まって死んでしまった。
「……そうねえ。県庁でまだ仕事してるかもしれないわねえ」
母はそう呟いてから、少し考えて、俺たちを見た。
「ねえ、今日は公園に行ってみない? この前ねえ、中央公園の遊び場が改修されたのよ。今日は天気もいいし」
俺は眉間に皺を寄せた。
公園には柊斗の遊べる遊具がほとんどない。
やんちゃな子たちが快活に遊び回っているのを、休日まで見せたくなかった。
「いや、それは……」
言いかけると、母が付け加えた。
「柊斗くんが遊びやすい遊具とかもあるんだって」
母がスマホで県のHPを表示する。
そこには『みんなが遊べる公園、ついにオープン!』とあった。
見てみると、すぽっとはまれるブランコや、バギーに座ったまま遊べる砂場などがあるらしい。
「なるほど」
俺は頷いた。
横からスマホを覗き込んだ柊斗が、「公園行きたい!」と言ったので、俺たちは公園に行くことにした。
駐車場に車を停め、バギーを下ろし、チャイルドシートからバギーへと柊斗を移動させた。
県庁の脇にある中央公園は広く、野球場やサッカー場もある。
「こっち、こっち」
俺はバギーを押しながら、先を行く母の後をついていった。
この公園は俺が小さい頃からある。
母にときどき車で連れてきてもらうことがあった。
『お父さん、あそこで仕事してるね』
母が公園から見える県庁の庁舎を指差して言ったのを思い出した。
父はその日も、また別の日も休日出勤で家にいなかった。
「わー!」
柊斗の歓声に意識を戻すと、目の前には真新しい遊び場があった。
大ぶりのブランコに、台が設置された砂場、カラフルな滑り台。
記憶の中にある公園とはまるで違った。
休日だからか混みあっていて、たくさんの子どもが遊んでいた。
駆け回っている子どもたちを見て、俺は少し眉間に皺を寄せて柊斗を見た。
保育園のように気が引けてしまわないだろうか。
ところが柊斗は全く気にする様子もなく、砂場を指差した。
「パパ、僕、お城作りたいんだけど」
「城……? 砂で?」
俺は困ってしまった。
砂場遊びの道具は持ってきていない。
「台があるから、座ったままでも遊べるのよ」
母が俺の横から柊斗の乗ったバギーを押して砂場の方へ行ってしまった。
「でも、手で作るしかないわね……」
「水がほしいよ」
慌てて追いつくと、二人でもうやる気になっている。
すると、隣で遊んでいた親子が、母と柊斗に声をかけてくれた。
「……あの、よかったら一緒に使います?」
母親と女の子だった。母親がバケツとシャベルを手に持って、話しかけてくれていた。
――よく見ると、女の子は柊斗と同じようなバギーに乗っている。
「あらあら、ありがとうございます。ご親切に」
母が朗らかに笑いながら、バケツとシャベルを借りてしまった。
――こういうとき、「ばあば」というのは強いなと思う。
俺だけだったら貸してもらえなかったかもしれない。
柊斗といえば「やった!」と歓喜の表情でバケツに手を伸ばしていた。
「柊斗、お礼を言いなさい」
そう言うと、柊斗は大きい声で「ありがとうございます!」と言った。
それからぱっと俺の方を向くと、指示を出した。
「パパ、水もってきて」
「はいよ」
俺は「ありがとうございます」ともう一度、道具を貸してくれた親子に礼をしてから水道へ向かった。じゃあじゃあと水を汲み、戻ると、柊斗はさらに注文をつけた。
「パパ、水を少し減らして、そこに砂入れて。お城の土台にする」
「はいよ」
俺は言われるがままシャベルでざくざくとバケツに砂を入れていった。
「これくらいでどうだ」
俺がバケツの中身を見せると、柊斗はそれを手に取り、何度か握ってから頷いた。
「これでやってみる」
柊斗は砂場に設置された台に置いたバケツから、砂をスコップですくっては山を作り始めた。台の高さはちょうどよく、バギーに座ったまま作業できる。
砂はつきそうだが、あとで落とせばいいだろう。
柊斗は真剣な表情で土台を押し固め、その上に砂を積むことを繰り返し、三角の山を形作った。職人のようなその様子に俺は思わず感心してしまった。
山が完成すると、柊斗は少し身を乗り出し、指で山を削りだした。
窓のようなものを作りたいらしい。
「手伝おうか」
上から同じようにやってやろうとしたら「やめてよ!」と制止された。
「下からやるんだよ。レゴとかもそうなんだけど、上からやるとくずれるから」
「そ、そうなのか……」
俺は思わず後ろずさった。手を出さない方がよさそうだ。
柊斗は黙々と砂の城を仕上げていった。
俺が思っていたよりも、ずっと城らしい形になっている。
「ねえ! あれお城!」
周囲を走り回っていた子どもが立ち止まり、親の手を引いて見にきた。
「――まあ上手。じいじみたいねえ」
横で母が目を細めて呟いたので、俺は「は?」と聞き返した。
「どのあたりが?」
「ほら、だってあんたのお父さん、建物建てたり壊したりが趣味みたいなもんだったじゃない」
俺は言葉に詰まった。
父は確かに県庁の整備局の専門職で、県内の公共施設を建てたり改修したりが仕事だった。
「――いや、父さん仕事でやってたかもしんないけど。趣味とは違うんじゃ……」
「仕事が趣味というか……生きがいな感じだったからねえ」
母は目を細めた。
「この公園の遊び場を改修する計画もね、お父さんが担当してたのよ」
「え?」
俺は思わず瞬いて、周囲を見回した。
カラフルな遊具で子どもたちが楽しそうに遊んでいる。
「――お父さんね、倒れる直前まで、この公園の計画を作ってたのよ。『いろんな子が遊べる公園にしたい』って言っててねえ」
母は周囲を見回した。
「予算の関係で時間がかかったみたいだけど、ようやく完成してよかったわ」
それから、少し笑って付け加えた。
「お父さん、急に死んじゃったから、まだこの辺をふらふら彷徨ってるかもしれないわね。柊斗くんが遊んでるの見たら、喜びそうね」
俺はもう一度、周囲を見回した。
柊斗が座ったまま砂遊びのできる台も、あの大きなブランコも、父さんが作った計画の中にあったのだろうか。
俺は県庁の建物を見上げた。
――柊斗、楽しんでるぜ。父さん。
心の中で父に向かってぼやいた。
――仕事ばっかして早死にしやがって。……父さんも一緒に遊べたらよかったのにな。
「ばあば、できたよ!」
そう言って柊斗が振り返る。
台の上には、立派な城に見える砂山ができあがっていた。
柊斗の肩に手を乗せて、ばあばは小さく呟いた。
「……じいじも、柊斗くんのお城がカッコよくてよろこんでると思うわ」
――家に帰ると、真希と彩香は先に帰って待っていた。
「ママー、姉ちゃん、僕ねー、お城作ったんだよー!」
柊斗は早速二人に報告し、俺にスマホで撮影した城の写真を見せるように要求した。
真希と彩香に写真を見せ、ひとしきり「すごい」と褒められた柊斗は、すっかり得意顔になっていた。
俺はそんな柊斗を浴室へ運んだ。
「砂ついてるから、先に風呂に入って着替えような」
そう言って湯をため、風呂に入れると、柊斗が言った。
「僕のお城、すごかったでしょ!」
「すごいな。保育園で作ったことあるのか?」
「砂遊びは初めてしたけど、動画で見たことあるし。あと僕、『こうじちょう』だから、できるよ」
「こうじちょう?」
「保育園でよばれてる」
「え、どういう意味だ?」
「ブロックが上手いからって……」
俺は頭の中で言葉を漢字変換した。
こうじちょう……工事長か!
「そりゃあ、すごいな……」
俺は上を向いた。保育園での様子を俺は気にしすぎていたのかもしれない。
――夜、夢を見た。
俺は柊斗と中央公園の砂場で城を作っていた。
風景は今日見たままの、改築された新しい遊び場だった。
バギーに座ったままの柊斗と城を作っている。
けれど、俺は柊斗と同じ目線で、子どもの姿だった。
『父さん、できたよ!』
俺はそう言って横にいる背の高い人影を見上げた。
背広の上に作業着を着たその人影はにっと笑った―――
バチン!
何かが頭に当たってはっと目を覚ます。
横には柊斗が寝ていて、俺の頭に柊斗の手が当たっていた。
その横では真希が寝息を立てている。
彩香はもう自分の部屋で寝ているが、柊斗はまだ俺たちの間で、川の字の真ん中になって寝ている。
「寝相わりぃなあ」
俺は斜めになっている柊斗の身体を縦に直すと、布団をかけて、その上を小さくぽんぽんとたたいた。




