婚約者「キミは人の気持ちがわかっていない」いや、誰が言ってんの
第一話 婚約破棄と、人の気持ち
「リュシエンヌ。君との婚約を破棄させてもらう」
王宮の大広間。
華やかな音楽が流れる中、エドガルド王子は大勢の貴族たちを前にして、そう宣言した。
彼の隣には、一人の女性が立っている。
ネリカ。
平民出身でありながら、その聡明さと愛らしさで王子の心を射止めた女性である。
私は二人を見比べた。
「……なるほど」
「何がなるほどなのだ?」
「いえ。わかりやすい状況だと思いまして」
「わかりやすい?」
「ええ。婚約者のいる王子が、別の女性を連れてきて、婚約破棄を宣言する。なるほど、これが噂に聞く婚約破棄というものなのですね」
「君は、もう少し深刻に受け止められないのか!」
エドガルド様が声を荒らげた。
深刻に受け止めろと言われましても。
そもそも、婚約破棄を申し出ているのはそちらではありませんか。
私はリュシエンヌ・ヴァルグレイ。
王太子ではないが王位継承権を持つエドガルド様の婚約者として、これまで十年以上、王宮での振る舞いやら政治やら、さまざまなことを学んできた。
もっとも、婚約者としての役割を果たしてきたのは私だけではない。
エドガルド様にも、当然ながら役割があった。
私の話を聞くこと。
私の都合を考えること。
そして、私を一人の人間として扱うこと。
ところが、彼はそのあたりを時折忘れてしまう。
特に最後の一つについては、かなり頻繁に忘れていた。
残念ですわ、
「リュシエンヌ。君はいつもそうだ。自分のことばかりで、他人の気持ちを考えようともしない!」
「……ほう」
「ネリカは、君のせいでどれだけ傷ついたと思っている!」
ネリカ嬢が慌てて口を挟んだ。
「エドガルド様、私は別に……」
「いいんだ、ネリカ。君は優しいから、自分の苦しみを隠そうとする」
「いえ、本当に、そういうことでは……」
「大丈夫だ。私にはわかっている」
エドガルド様は彼女の肩に手を置いた。
ネリカ嬢は困ったように微笑んだ。
私は、その様子をしばらく眺めた。
そして、にっこりと笑った。
「エドガルド様」
「何だ」
「今の貴方様のお気持ちを、当ててもよろしいでしょうか?」
「……は?」
「今、貴方様が何を考え、何を感じていらっしゃるのか。当ててみせましょうか、と申し上げているのです」
エドガルド様は眉をひそめた。
「こんなときに、何を馬鹿なことを……」
「では、始めますわ」
私は人差し指を立てた。
「まず、貴方様は今、こう思っていらっしゃいます」
「……?」
「『そんなこと、今の状況でわかるはずがないだろう』」
エドガルド様の口が止まった。
「そして、私が妙に落ち着いていることに腹を立てていらっしゃいます。婚約破棄を告げられたのだから、もっと悲しむべきだ、と」
「なっ……!」
「その一方で、少しばかり困惑もしていらっしゃる。私が泣いたり怒ったりすれば、ご自分が正しいことをしていると確信できたのでしょう。しかし、私はそうしない。だから、どう反応すればいいのか、わからなくなっている」
「お、お前……!」
「いかがでしょう?」
私は優雅に首を傾げた。
エドガルド様は顔を赤くして叫んだ。
「それはズルだろ!」
「……ズル?」
「そうだ! 私の考えていることを勝手に言い当てるなど!それに、明らかに誘導されていたではないか、」
「人の気持ちを当てるのに、ズルもズルじゃないもあるんですか?」
「それは……!」
エドガルド様は言葉に詰まった。
どうやら、今度は何を言えばいいのかわからなくなったらしい。
私は小さく息を吐いた。
「……わかりました。とりあえず、私と貴方様の仲はこれまでですね」
「ま、待て! 話はまだ……!」
「婚約を破棄するとおっしゃったのは、貴方様ですわ」
私はスカートの裾をつまみ、礼をした。
「それでは皆様、ごきげんよう」
背後からエドガルド様の声が聞こえたが、振り返らなかった。
こうして私は、十年以上続いた婚約関係を終えたのである。
……ところで。
私が人の気持ちを当てることができる理由について、少しだけ説明しておこう。
私は魔法使いではない。
占い師でもなければ、神託を受けた聖女でもない。
まあ、私が変なことを言えば困惑する。
もしくは、面白いと思うか。
そもそも、人の感情なんて二分の一なんだ。簡単な話だ。
エドガルド様の気持ちがわかったのも、特別な能力のおかげではない。
あの方は、昔からわかりやすいのだ。
自分の思いどおりに物事が進めば機嫌がいい。
進まなければ不機嫌になる。
そして、自分が相手のために何かをしたと思っているときには、相手も喜んでいるはずだと信じて疑わない。
今回も、きっとそうだったのだろう。
私を悪者にすれば、ネリカ嬢を救う自分を正義の味方だと思える。
私が悲しめば、私がそれだけ彼を愛していたのだと確信できる。
私が怒れば、私が自分の非を認めたくないのだと考えられる。
そして、私が何もせずに立っていれば。
……自分の考えた筋書きが崩れて、困る。
実に簡単な話だった。
人間の気持ちというものは、案外、考えればわかるのである。
もちろん、何もかもわかるわけではない。
けれど、わからないからといって、考えることをやめていい理由にはならないだろう。
少なくとも私は、そう思っている。
さて。
婚約破棄された私には、これから新しい人生が待っている。
まずは、長らく後回しにしていた読書を楽しもう。
それから、気ままな旅行にも出たい。
ついでに、もう少しまともな人間関係を築きたいものだ。
そう考えながら王宮を出ようとしたところで、私は一人の青年に呼び止められた。
「失礼。あなたがリュシエンヌ嬢ですか?」
振り返ると、見知らぬ青年が立っていた。
明るい茶色の髪に、穏やかな目。
身なりからして、かなり身分の高い人物だろう。
「そうですが、何か?」
「私はノエル・アシュベル。隣国から参りました」
隣国の王族。
そういえば、今回の舞踏会には隣国の王族も招かれていたはずだ。
「先ほどのやり取りを、少しばかり拝見していました」
「あら。それはお恥ずかしいところを」
「いえ。面白いものを見せていただきました」
「……面白い?」
「ええ。王子の考えを言い当てたところなど、特に」
私は少し考えた。
「それは、私が特別に優れているからではありませんわ」
「そうなのですか?」
「はい。エドガルド様が、特別にわかりやすいだけです」
ノエル様は、声を立てて笑った。
「なるほど。それは、なかなか手厳しい」
「事実ですもの」
「では、私の気持ちもわかりますか?」
私は彼の顔を見た。
「今、貴方様は私に興味を持っていらっしゃいます」
「ほう」
「ただし、恋愛感情ではありません。人の気持ちを言い当てるという私の言葉が本当なのか、確かめたいのでしょう」
ノエル様は目を丸くした。
「……正解です。これは参りました。あなたと話すのは楽しそうだ」
「それは光栄ですわ」
私は微笑んだ。
こうして私は、婚約破棄されたその日に、新しい知人を得たのである。
人生とは、なかなか愉快なものだ。
第二話 人の気持ちを考える王子様
エドガルドは、困っていた。
婚約破棄をしてから三日が経った。
リュシエンヌとの婚約は正式に解消され、ネリカとの婚約が発表された。
本来なら、これで何もかもがうまくいくはずだった。
ところが、そうはならなかった。
「エドガルド様。私、明日は町の慈善施設へ行く予定なのですが」
「ああ。聞いている」
「それで、出発は朝早くなるそうです」
「なら、今日は早く休むといい」
「はい。そうしようと思います」
「それなら、明日の訪問は取りやめよう」
「……え?」
ネリカは目を瞬かせた。
「朝早く出るのだろう? 疲れてしまうじゃないか」
「でも、明日は子供たちと約束しているんです」
「君はいつも頑張りすぎる。少し休んだほうがいい」
「いえ、でも……」
「大丈夫だ。私から施設に連絡しておく」
エドガルドは満足げに頷いた。これでいい。
ネリカは優しいから、自分が疲れていても無理をしてしまう。
ならば、自分が代わりに判断してやればいい。
彼女の負担を減らすことができた。
きっと喜んでくれるはずだ。
……と思ったのだが。
「エドガルド様」
「何だ?」
「どうして、私に相談せずに決めてしまうのですか?」
ネリカの声は、思ったよりも冷たかった。
「相談? だが、君は疲れているだろう」
「それは、私が決めることではありませんか?」
「君のためを思って言っているんだ」
「私のため……」
ネリカは唇を引き結んだ。
「もう、いいです」
「ネリカ?」
「失礼します。私の気持ちなんか、何にもわかっていませんわ」
彼女は頭を下げて、部屋を出ていった。
エドガルドは呆然とした。
なぜだ。
自分は、彼女のことを考えて行動した。
彼女が疲れないように、無理をしないように、気を遣ったのだ。
それなのに、どうして怒る?
やはり、女心というものは難しい。
リュシエンヌがあんなふうに言った理由も、少しわかった気がする。
人の気持ちを当てるなど、簡単なことではない。
どれほど考えても、わからないものはわからないのだ。
彼女のためを思ってしたことなのだ。
悪意があったわけではない。
それなのに、なぜ自分が責められなければならないのか。
そう考えてから、エドガルドは黙り込んだ。
自分の気持ちを理解してほしいと思っている。
けれど、相手の気持ちは理解しようとしていない。
それは、ずいぶんと都合のいい話ではないだろうか。
彼は椅子に座り、額に手を当てた。
……考えてみよう。
今度こそ、本当に。
第三話 相談に来た婚約者
「リュシエンヌ様。お願いがあります」
数日後。
私の屋敷を訪れたのは、ネリカ嬢だった。
私は彼女を応接間へ案内し、紅茶を用意した。
「どうなさいました?」
「……エドガルド様とうまくいかないのです」
「まあ」
私はカップを置いた。
元婚約者のところにのうのうと恋愛相談にやってくるなど、私にとっては些細なことなのだ。
「それは、お困りでしょうね」
「はい。私、エドガルド様のことは好きなのです。でも、最近、何を話しても、うまく伝わらなくて」
ネリカ嬢は俯いた。
「私が疲れていると思ったら、勝手に予定を取り消されてしまったり。私が何かをしたいと言っても、危ないからとか、無理をしなくていいとか……」
「なるほど」
「もちろん、私のことを考えてくださっているのはわかるんです。でも、私は自分で決めたいこともありますし、何より、私の気持ちを聞いてほしいんです」
私は頷いた。
「それで、私に相談にいらしたのですね」
「はい。……エドガルド様は、以前、リュシエンヌ様のことを『人の気持ちを考えない人だ』とおっしゃっていました。でも、あのときのリュシエンヌ様は、エドガルド様の気持ちを言い当てていましたよね」
「ええ」
「どうして、わかったのですか?」
私は少し考えた。
「考えたからですわ」
「……考えた?」
「はい。エドガルド様が普段どのような行動をするのか。そもそも、二分の一を言い当てているだけですわ」
「⋯⋯そんなことで、わかるものなのですか?」
「ある程度は」
私は紅茶を一口飲んだ。
「そもそもですね、「相手の気持ちがわからない。思った通りにならない、そうだ、人の気持ちは難しいものだ!!」って思い込んでいるからダメなんですわ」
「そ、そうなんですか、」
「まあ、エドガルド様があなたを大切に思っていることは、間違いないと思います」
「本当ですか?」
「はい。問題は、その気持ちの表し方です。気持ちと行動は、一致していないようで案外一致しているのです」
私は指を一本立てた。
「エドガルド様は、あなたに必要とされたいのではないでしょうか」
「必要と……?」
「誰かに頼られることで、自分に価値があると感じる。あなたを助けることができれば、自分はあなたにとって大切な存在なのだと思える。そんなところがあるのではありませんか?」
ネリカ嬢はしばらく黙っていた。
「……そうかもしれません」
「もちろん、これは私の推測ですわ。本人に確かめたわけではありませんから」
「でも、思い当たることがあります。エドガルド様は、私が何かに困っていると、すぐに助けようとしてくださいます。私が自分でできると言っても、です」
「なるほど」
「もしかしたら、私が一人でできることが増えると、寂しいのかもしれません」
私は頷いた。
「その可能性はあるでしょうね」
「……では、私がもっとエドガルド様を頼れば、うまくいくのでしょうか?」
「それは、違います」
私はすぐに答えた。
「おそらく、頼りすぎるとエドガルド様は「もっと自分でやってくれ」と言ってきますわ」
ネリカ嬢は困ったように顔を上げた。
「エドガルド様がすでに、二つの選択肢を持っておくのです。それを、柔軟に使い分けるのです」
「……はい」
私は微笑んだ。そして、窓の外を眺めた。
「だからこそ、考えるのです。相手が何を大切にしているのか。何を嫌がるのか。どんなときに笑うのか。何をされたら悲しいのか。そうやって考えれば、わかることはたくさんあります」
「……人の気持ちは、わかるものなのですね」
「ええ。考えうる選択肢を二つしっかりと用意しておけば、なんとなかなるものですわ、」
私は彼女に向き直った。
ネリカ嬢は、ゆっくりと頷いた。
「ありがとうございます。私、もう一度、エドガルド様と話してみます」
「それがよろしいでしょう」
彼女が帰ったあと、私は紅茶を飲み干した。
さて。
これで二人がうまくいくかどうかは、本人たち次第だ。
人の気持ちを考えることはできる。
あとは二人で話し合って、仲良くしてもらうまでだ。
第四話 王子様は考えた
エドガルドは、ネリカと話をしようと決めた。
決めたのだが、何を話せばいいのかがわからなかった。
自分は彼女のためを思って行動していた。
しかし、それが彼女を怒らせてしまった。
では、これからどうすればいいのか。
もっと彼女の気持ちを考えればいいのだろうか。
けれど、考えたところで、また間違えるかもしれない。
ならば、何もせずにいたほうがいいのではないか。
いや、それでは何も解決しない。
……そもそも。
自分は、何を恐れているのだろう。
エドガルドは、書斎の椅子に深く腰掛けた。
ネリカが自分を頼らなくなったら。
自分がいなくても、彼女が何でもできるようになったら。
彼女が自分を必要としなくなったら。
そのとき、自分は彼女にとって何なのだろう。
エドガルドは唇を噛んだ。
自分は、ネリカのために何かをしたかった。
しかし、それだけではなかったのかもしれない。
彼女のために何かをして、彼女に喜んでもらいたかった。
彼女に頼られたかった。
彼女が困ったとき、最初に思い浮かべる相手でありたかった。
それは、決して悪いことではないだろう。
だが。
彼女が自分を頼らなかったとき、寂しいと感じるのは自分の問題だ。
その寂しさを埋めるために、彼女の行動を勝手に決めていいわけではない。
「……そういうことか」
エドガルドは、ようやく理解し始めていた。
相手の気持ちを考えるというのは、相手が自分の望むとおりに動く理由を考えることではない。
自分の望みをいったん脇に置いて、相手が何を望んでいるのかを考えることなのだ。
そして、わからなければ尋ねればいい。
それだけのことだった。
それだけのことなのに、どうして今までできなかったのだろう。
エドガルドは、ふとリュシエンヌの言葉を思い出した。
『人の気持ちを当てるのに、ズルもズルじゃないもあるんですか?』
あのとき、自分は何も言い返せなかった。
今なら、少しだけわかる気がする。
彼女は、自分の考えを言い当てたことを誇っていたのではない。
自分が相手の気持ちを考えようともせず、理解できないと決めつけていたことを指摘したのだ。
エドガルドは立ち上がった。
ネリカと話そう。
自分の考えを押しつけるためではなく。
自分が正しかったと認めてもらうためでもなく。
彼女が何を感じているのか、知るために。
第五話 答え合わせ
「ネリカ。少し、話をしてもいいだろうか」
エドガルドがそう尋ねると、ネリカは驚いたように彼を見た。
「……はい」
二人は庭園へ出た。
夕暮れの光が、整えられた植え込みを照らしている。
エドガルドは、しばらく何も言えなかった。
いつもなら、ここで自分が話を始めていた。
しかし、今日は違う。
「この前、君の予定を勝手に取り消してしまったことだが……すまなかった」
ネリカは目を見開いた。
「私は、君が疲れていると思った。だから休ませたほうがいいと考えたんだ。だが、君が本当に休みたいと思っているか、確かめなかった。君がその訪問をどれほど楽しみにしていたのかも、考えていなかった」
エドガルドは、彼女の顔を見た。
「君は、どう感じたんだ?」
ネリカはすぐには答えなかった。
やがて、小さく息を吸った。
「……悲しかったです」
「悲しかった?」
「はい。私は、あの子たちと会うのを楽しみにしていました。みんなで準備もしていたんです。なのに、エドガルド様は私に何も尋ねず、勝手に決めてしまった」
彼女は目を伏せた。
「私は、エドガルド様に守ってほしいときもあります。でも、何もできない人間だと思われたいわけではありません」
「……そうだったのか」
「はい」
エドガルドは、ゆっくりと頷いた。
「教えてくれてありがとう」
ネリカは、また驚いた顔をした。
「エドガルド様?」
「君の気持ちを、もっと知りたいと思ったんだ。だから、聞いてみた」
「……」
「これからも、私は間違えるかもしれない。君の気持ちを考えて、見当違いのことを言うかもしれない。私は、君の気持ちをすべて理解できるわけではない。だが、理解しようとすることはできる。わからなければ、君に聞けばいい」
「……はい」
「だから、君も遠慮せずに言ってほしい。私が間違っていたら、間違っていると」
「それは、今までも言っていたつもりなのですが」
「……すまない」
「ふふっ」
ネリカは笑った。
エドガルドは、その笑顔を見て、胸の奥が温かくなるのを感じた。
自分は、彼女に笑ってほしかったのだ。
ただし、彼女が自分の思いどおりに動いた結果としてではない。
彼女自身が、笑いたいと思ったから笑う。
それが、嬉しかった。
「エドガルド様」
「何だ?」
「私も、エドガルド様の気持ちを考えてみたいです」
「……私の?」
「はい。エドガルド様は、私に頼られたいのではありませんか?」
エドガルドは、言葉を失った。
ネリカは、彼の顔をじっと見つめた。
「違いますか?」
「……いや」
エドガルドは、苦笑した。
「そのとおりだ。私は、君に必要とされたいと思っている」
「どうしてですか?」
「……君にとって、特別な存在でありたいからだろうな」
口にしてみると、ひどく単純な理由だった。
「私は、君が何でも自分でできるようになったら、私など必要なくなるのではないかと、怖かったのかもしれない」
ネリカは、しばらく彼を見つめていた。
「エドガルド様」
「何だ?」
「私が何でもできるようになっても、エドガルド様にそばにいてほしいと思うことはありますよ」
「……本当か?」
「はい。でも、私が自分でできることまで、取り上げないでくださいね」
「わかった」
「本当に?」
「わかった!」
二人は笑った。
すべてが解決したわけではない。
明日になれば、また意見が食い違うこともあるだろう。
それでも、二人はようやく、同じ場所から話を始められるようになった。
相手の気持ちを決めつけるのではなく。
相手の気持ちを考え、尋ね、答えを聞く。
その繰り返しを、これから続けていけばいいのだ。
第六話 人の気持ちは、考えればわかる
それから数週間後。
私はノエル様と一緒に、王宮を訪れていた。
ノエル様は隣国へ帰る前に、私と話をしたいと言ってくださったのだ。
もっとも、私たちの会話の大半は読んだ本の話や、隣国の文化についての話である。
恋愛関係に発展するかどうかは、まだわからない。
わからないが、少なくともノエル様は、私が何かを言うたびに勝手な結論を出したりはしなかった。
私が黙っていれば、考え事をしているのかと尋ねる。
私が何かを断れば、理由を聞くことはあっても、勝手に理由を決めつけない。
実に快適な会話だった。
そして、王宮の庭園では、エドガルド様とネリカ嬢が私たちを待っていた。
「リュシエンヌ」
「エドガルド様。お久しぶりですわね」
「ああ。……その、先日は世話になった」
「何のことでしょう?」
「ネリカの相談に乗ってくれただろう」
「ああ。あれですか」
私は頷いた。
「お二人が仲直りできたのなら、何よりですわ」
「仲直りというよりは……まあ、いろいろと話をしたんだ」
エドガルド様は、少し気まずそうに頬をかいた。
「以前よりは、うまくやれていると思う」
「それはよかったですわね」
ネリカ嬢も微笑んだ。
「リュシエンヌ様のおかげです。ありがとうございました」
「いいえ。私は、少しお話をしただけですから」
私たちは庭園のテーブルにつき、紅茶をいただくことになった。
しばらくは、他愛もない話が続いた。
ノエル様が隣国の祭りについて話し、ネリカ嬢が興味深そうに質問する。
エドガルド様は、時折会話に加わりながら、二人の様子を眺めていた。
やがて、彼はふと口を開いた。
「……女心というのは、難しいものだな」
私はカップを置いた。
「何を言ってらっしゃるのですか?」
「え?」
「女心ほど簡単なものはございませんわ」
エドガルド様は、目を瞬かせた。
「……簡単?」
「ええ。そもそも、気持ちを決めつけるからよくないのです」
私は指を一本立てた。
「こうすれば喜ぶ。こうすれば悲しむ。こうすれば笑ってくれる。それで、うまくいかなかった。どういうことだ? これは女心が難しいからに違いない――」
「……」
「そんな単純な発想から得られる結論なんて、とてもじゃないけど、考えたとは言えませんわ」」
「いや、しかし……」
「女心は簡単です」
私は、にっこりと笑った。
「なぜなら、あなたが思うことと反対のことをすれば、結構うまくいくからです」
「結局、どうすればいいんだよ!」
エドガルド様が叫んだ。
ネリカ嬢は吹き出し、ノエル様も声を立てて笑った。
私は紅茶を一口飲んだ。
もちろん、女心が簡単だというのは、半分は冗談である。
人間の思考は、複雑だ。
自分でも理由のわからないことがある。いくら考えても、答えが出ないことだってあるだろう。
けれど、だからといって、人の気持ちまで理解できないわけではない。
相手の立場に立って考えてみる。
これまでの言葉や行動を思い返してみる。
自分がその立場だったらこうするな、というのを考えるわけではないのだ。
事前に備えておけば良い。
人の感情なんて、単純かつ豪快なのだ。
「人間は複雑だから」「女心は難しいから」と言って、相手を理解しようとする努力を放棄するよりはしっかり考える方が良いに決まっている。
「まあ、何をしても怒るというときはありますよ。反対のことをやってもうまくいきそうにない。それは、あなたの責任ではございませんから、気にしなければいいんです。気にしているのは、本人ですから、」
すると、エドガルド様がぼそっとつぶやいた。
「いや。以前の私は、相手の気持ちがわからないと、相手のほうが難しいのだと思っていたのかもしれない」
「ええ。そうでしょうね」
「少しは否定してくれないか?」
「事実ですもの」
「……君は、本当に変わらないな」
「貴方様も、ずいぶん変わられましたわよ」
私は微笑んだ。
「以前なら、ここで私に怒っていたでしょう?」
「……それは」
エドガルド様は、言い返そうとして、やめた。
「そうだな。そうだったかもしれない」といって苦笑した。
「自分の考えを疑うことが、面倒だったのだろう」
私は少しだけ目を見開いた。
どうやら、ようやく気づいたらしい。
自分の考えを疑うのは、面倒だ。
相手がわからないと言ってしまえば、自分が考えなくて済む。
だが、それでは何も変わらない。
人の気持ちは、考えればわかる。
私はカップを置き、エドガルド様を見た。
「……まあ、これからは少しずつ考えていけばよろしいのではありませんか?」
「そうだな」
「単純に考えるのですよ。こっちかこっち。それ以外なら、それは向こうが悪い。そんなもんで、いいんですよ」
「わかっている」
「本当ですか?」
ネリカ嬢が笑った。
ノエル様も笑った。
エドガルド様は不満そうな顔をしたが、やがて諦めたように笑った。
私は、隣に座るノエル様を見た。
「ノエル様」
「はい?」
「今、私が何を考えているか、わかりますか?」
ノエル様は少し考えた。
「……この場にいる全員が、もう少し素直になればいいと思っている?」
「感情の話ですわ。どんなことを思っているかって、」
「それは、⋯⋯いいなってことか?」
ノエル様は首をかしげながら私の方を見てきた。
「まあ、そんなもんですわ。平和でいいなって、そんなもんです」
私は、彼の顔を見つめた。
彼は、ほっとしたように微笑んだ。
その表情を見て、私は思った。エドガルド様の方を見る。
「先ほど、女心は難しいとおっしゃっていましたわね」
「……まだ続くのか?」
「ええ。大切なことですもの」
「嫌な予感がするんだが……」
「⋯⋯婚約を破棄されたこと、実は結構根に持っているんですよ」
私は、にっこりと笑った。
「どうですか?今、どんな気持ちですか?」
そう言ってニッコリと笑うと、エドガルド様の口角がぎこちなく上がった。
「そ、それは、どういう意味なんだい、」
エドガルド様は、実にわかりやすくうろたえた。
まあ、人の気持ちがわかったところで人の機嫌を取れるわけではないですからね、
「まあ、そこはご自分で考えてください」




