7章
7章 一節
街の中心、石造りの大広場の地下。
そこに、闘技場がある。
タダンカは、革製の軽装鎧に身を包んでいた。
肩当て、胸当て、手甲、膝当て。
いずれも軽量で動きやすく、見た目にも引き締まった印象を与える。本人いわく「ふんどしに合わない」と言っていたが、今の装備のほうが遥かに“強そう”だった。
ゴウン、と重低音を響かせて、石造りのエレベーターが上昇を始める。
その中には、タダンカとともに、リアラ、そして俺の姿があった。三人は無言で並び立ち、天井へと近づいてゆく光の穴を見つめている。
「……いよいよだね。」
俺の声に、タダンカがちらと振り返って笑う。
「ふん、見ててよ。絶対、勝ってくるから!」
エレベーターが石床を突き破るようにして闘技場へと到達する。
開かれた先に広がるのは、無骨な石壁と、砂が敷き詰められた闘技場中央のリング。
その瞬間、耳に届くのは、わずかながらの歓声。
ブロンズランク。
それは、名もなき新参同士の“前座”の戦い。
観客席の三分の一も埋まっていない。だが、それでも、誰かが見てくれている。
その事実だけで、タダンカの胸は少しだけ高鳴った。
「気をつけて、タダンカ。……でも、あなたなら、大丈夫です。」
リアラが小さく微笑み、そっと背中を押す。
俺とリアラは、転生者専用観覧席へと向かった。
そして、タダンカはひとり、リング中央へ。
向かいのエレベーターもまた、ゴウンと同じようにせり上がってくる。
そこに立っていたのは、赤いマントを翻し、目をぎらつかせた少女。
炎のように燃える瞳を持ち、栗色の長髪をバンダナで押さえた小柄な少女だった。マントの下からはミニスカートが覗き、腰にはいくつもの魔導具が揺れている。
間髪を入れず、実況係が張りのある声を場内に響かせた
。
『さあお待たせしました!本日のブロンズランク、前座試合の一戦!まずは、描写限界スレスレのふんどし猫耳少女!タダンカァアア!』
なぜかこの紹介にだけ大きく湧く観客。
数人が席を立って拍手を送る中、タダンカは威風堂々と片手を上げて応えた。
「つ、追加装備あるからギリギリセーフだよ!」
実況席の近くで、誰かが「アウト寄りのセーフ!」と叫ぶ。
「にゃっはー!今日は燃えてくよーっ!」
場内が微妙な笑いとざわめきに包まれる中、タダンカは元気よく手を振って応えた。
『続きまして!紅蓮の語り部!天才魔導少女!“悪党壊し”の異名を持つ美少女魔導士、リィナ・インパルス!』
紹介に応じたリィナは、鼻で笑いながらマントを翻して前に出る。
「ふん、前座にしては楽しめそうじゃない。さ、猫耳ちゃん、せいぜい私の炎で炙られてきゃんきゃん鳴きなさい!」
「おーこわ!でもあたし、焼き魚になる趣味ないんで!」
両者の言葉に、観客からどよめきが起こる。瞬間、開戦の合図が鳴り響いた。
「燃やすよっ!」
リィナ・インパルスの右手に、小さな火花が灯る。
その瞬間、足元に魔方陣が咲いた。ぎらぎらと赤く、地を焦がすような紋様。天才魔導少女を名乗る彼女が放つ、火系魔法の詠唱である。
「さあ、こっちだよ猫ちゃ〜ん。《フレイム・バロウ》ッ!」
ひゅん、と唸りを上げて飛び出すのは、炎のウサギ達。
まさに魔法の芸術。
その1羽1羽が熱を帯び、火花の尾を引きながら空気を焼き裂いて飛びかかってくる。
「うおっとっとっと!?ちょ、ちょっと近い!熱ッ!!」
タダンカは即座にバク転で回避。
その小柄な身体をしなやかにひねって、横っ飛び、ローリング、急ブレーキ。
舞台は戦場というより、サーカスだった。とはいえ、熱に浮かされた観客達が、大いに沸いたのは言うまでもない。
「動きは軽いわねぇ。でーも。見えてるわよ、キミの動き!攻撃手段が接近戦しかないんでしょ?」
リィナの鋭い観察眼が、その本質を突く。
タダンカは武器らしい武器を持っていない。革鎧とナイフ、そして圧倒的なフットワーク。それだけの戦士だ。
焔の兎が次々に放たれる。
空を焼き、地を割り、爆ぜる熱風がタダンカの髪を揺らす。
だが彼女は負けじと回避を続けていた。
「きゃー!ナイフは投げない主義なんだよなぁああ! ぐぬぬ、火のウサギは飛んでくるのに!」
派手にすっ転びながらも、なんとか立て直すタダンカ。
その姿に、会場からは笑い混じりの歓声が飛ぶ。
そして。
その合間にも、リィナの詠唱は続いていた。
「竜の息吹のごときおおいなる焔よ、我が指先に宿れ。すべてを燃やす、紅蓮の……。」
大技の詠唱だ。魔力が闘技場の空気を圧迫し始める。
タダンカはぐっと息を飲む。今のうちに、なんとか距離を詰めなければならない。
そして。
リィナがわずかに目を閉じ、詠唱に集中したその瞬間を、タダンカは見逃さなかった。
「ここだっ!」
ぴょん、と軽く跳ねたかと思うと、タダンカは地を蹴り爆発的な加速を見せる。
猫耳が風になびく。革靴が地を叩きつける。
「はっ!」
目の前の少女めがけて、ナイフを突き出す。
その刃先が、リィナの首元へ!
……届かなかった。
すんでのところで、リィナがしなやかに身をひるがえしたのだ。
シャッと風を裂いた刃は、彼女の長い茶髪をわずかに掠めただけ。
ふわり、と舞う数本の髪。
それが、まるで敗北の象徴のようにタダンカの手元に落ちる。
「……くっ!」
すかさず跳び退くタダンカ。
詠唱を止めたリィナは、鼻で笑った。
「ほーんのちょっと、惜しかったわねぇ。けど、その程度じゃ……。」
タダンカは言葉を返さない。
落ちてきた髪の毛を見つめ、何かを思案しているようだった。
そんなタダンカの様子を嘲笑うかのように、再び空気が熱を帯び始める。
リィナの周囲に、赤く灼けた魔方陣が複数重なり、それは今にも大技の詠唱を完了しようとしていた。
七章二節
そのときだった。
「ちょーっと待ったぁあぁぁ!!」
突如リングに響き渡る大声に、観客がざわつく。
リィナの詠唱もピタリと止まった。
観客席では数人が笑い、実況席の係員は含んでいた水を吹き出す。
「なによ、今さら降参ってわけ?」
リィナは腰に手を当て、眉をひそめながらタダンカを睨んだ。
「違うの違うの、そーじゃなくてさ!」
まるで道に迷った旅人のような顔で、タダンカが両手を振り返す。
「アンタのその魔法……さっきからずーっと、火のウサギ?魔法の生き物?わけわかんないくらい強いの出してるけど、これ、なに?何系の魔法?どうやって出してんの?」
「……はぁ?」
その、突拍子もない質問に、リィナは完全に呆れ顔になった。
「……いまさら何言ってんのよ、アンタ。」
「いいから教えてよぉ〜!ちゃんと説明してくれなきゃ、こっちは怖くて戦えないじゃん!」
腰に手を当てしかめ面のリィナ。
圧倒的不利な状況の対戦相手から飛んできた、手の内を明かせという前代未聞の謎のオーダーに、思わず両目をぱちくりさせる。
観客席からも、余すことなく笑いが漏れていた。
「じゃあいいわよ、今回は特別に教えてあげる。」
リィナ、失笑。
彼女はくるりと一回転すると、顎下に手を当て、堂々と語り始めた。
「私の使うのは、いわゆる“高火力・単体制圧型”の召喚魔法系統よ。 マナをマーカーにして空中に魔法陣を展開し、そこから火や氷、雷といった属性を呼び出すの。今みたいな炎も、竜の吐息を模したもので、詠唱で形状をアレンジしてるのよ。 初級の《ファイアアロー》から派生して、さっきの《フレア・バロウ》や《マグマ・ストライク》といった中位魔法まで、段階的に威力を上げていくの。」
「ふむふむ……。」
タダンカ、真剣な顔でうなずいている。分かっているんだか、いないんだか。 そもそも彼女に、魔法を理解をする脳みそというものがあるのだろうか?
「詠唱は、魔力の濃度を一定以上に高めて、空気中の元素や熱流を陣に引き込むことが前提。集中と持続力が要るのよ」
「へえ〜、なるほどねぇ〜。」
「で、今この私が詠唱しようとしていたのは、《クリムゾン・エンド》。地脈を誘爆させてリングごと吹き飛ばす、ブロンズじゃ反則スレスレの“演出付き”大魔法よ!」
「ふぇ〜、豪華だねぇ〜。」
「ふふ……ちなみに、もっと上の段階になると、魔法陣を通して“存在そのもの”を召喚して戦わせることもできるわ。 たとえば、竜、とかね」
そのときだった。
タダンカは、腰のポーチから、何かを指先でつまみ出した。
それは、さっき彼女のナイフで切り落とされた、リィナの髪の一房。
「なっ……!?」
リィナが目を見開く。
タダンカはそれを一瞥し、何のためらいもなく、ぱくり、と口に放り込み、そのまま飲み下した。
「……ちょ、ちょっと!?あ、あんた今、なにしたのよ!?あたしの、髪を!」
リィナの声が裏返る。
彼女の周囲を取り巻いていた魔法陣が、みるみるうちに色褪せ、音もなく霧散した。
「……っ、え?」
その場に崩れ落ちそうになるリィナ。手を前に突き出し、再び詠唱を開始しようとする。
が。
「……え? あれ?《クリムゾン・エンド》、出ない……?」
彼女の指先には、ひとしずくの火花も灯らない。
「ど、どういうこと!?おかしい……!あたしの魔法が……。」
困惑、焦燥、そして、恐怖。
その表情を見上げながら、タダンカが悪戯っぽく笑う。
「いやぁ、ありがとね。ぜーんぶ、教えてくれたおかげで……。」
そして、ぽん、と自分の胸を指さして続けた。
「アンタの“魔法を発動させる能力”、まるごと、あたしがいただいちゃったよ」
「……な、なっ……!?」
リィナの顔が引きつる。
「なによそれ! そんなのおかしい!!そんな能力、どこにも……!?」
「あたしも、他の人が使っているところなんか見たこと無いよ。もっとも、他の人に見られちゃうくらいの盗みの腕じゃ、泥棒なんか廃業した方がいいよね?」
タダンカはふふんと胸を張った。
「ふざけんなああああああ!!」
リィナが腰の短剣を抜き、叫びながら突進してくる。
「返せええええ!!あたしの!あたしの魔法ぉおおお!!」
けれど。
その動きは、既に見切られていた。
タダンカの身体が、ふわりと一歩引き、 空いた左手でリィナの手首をとり、ひねり上げる。
「きゃっ!」
短剣が落ち、砂の地面に突き刺さる。
そして次の瞬間、タダンカはそっとその背後に回り、優しく、だがしっかりとホールドした。
「……もうやめとこ?ね?」
その言葉に、リィナの肩から力が抜ける。
「……ぅ……うう……。」
膝をついたまま、彼女は小さく震えた。
静まり返る観客席。
そのなかで、実況席から、絞り出すような声が響き渡る。
「し、試合終了……!勝者、タダンカァァ!!」
わずかに遅れて、観客席から湧き起こる拍手と歓声。
だがそのなかで、リィナはしばらく、顔を上げることができなかった。




