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世界樹の記憶《リアラ》  作者: 鈴木 厳流彩


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36章



一節


 リアラは、胸に抱いた小さな蒼いクリスタルを見つめたまま、肩を震わせていた。

 その瞳には、もう涙しか映っていない。


 今の彼女に、俺はどんな言葉をかければいいのかわからなかった。

 下手な慰めなど、逆に彼女を傷つけてしまうだけだ。

 どれだけ必死に探しても、俺の言葉は彼女の涙には届かないだろう。


 その静寂を、突然の轟音が切り裂いた。


 ドゴォォンッ!!


 大地を砕く重い衝撃。

 破亜死が、練極の《メテオ・スープレックス》で、頭から地面にめり込んだ音だった。


 やがて耳をつんざくような、いや、居酒屋の酔っ払いがマイクを握ったような、場違いな演歌が森中に響き渡る。

 聞いた瞬間、背筋に寒気が走った。

 妙にこぶしが効いているくせに、どこか不気味で、吐き気がするほど耳障りだ。


「三つ並んだ~ パラディソ=ラストリア~♪

 どれも美しい~ とても雄々しい~♪

 それぞれちがった~ パーツあわせて~♪

 みんな合体~ 仲良しきよし~♪」


 場違いにもほどがある歌声の主は、夢災。

 だが、笑う余裕など刹那もない。


 その呪歌に呼応するように、夢災の背後へと新たに召喚された二体の《パラディソ=ラストリア》が、地面に伏せた最初の一体、破亜死へ、ギチギチと音を立て近づき始めた。

 そして、枝や蔦、葉っぱなどが、巨大なブロック玩具みたいに外れたり組み合わさったりを繰り返し、やがて、一つの巨人のような姿へと変貌してゆく。


 息が詰まる。

 目の前の現実があまりに突拍子もなくて、声も出なかった。


 その横で、練極がふらりと膝をつく。

 焦げて裂けた布切れが、かろうじて身体に張り付いているだけ。

 刀を杖代わりに支えていた腕もついに力尽き、金属が地面に落ちる音が、やけに大きく響いた。


 そして、太陽のように俺たちの前を照らしてくれた彼女の口から、信じられない言葉がこぼれる。


 「……これ以上……無理だ……。」


 あまりにも、弱々しい声だった。



二節


 森の奥で、異様な姿が完成した。

 後から召喚された二体の《パラディソ=ラストリア》が、地面に伏せた最初の一体、破亜死を取り込み、見たこともない悪夢めいた姿に変貌し終わったのだ。


 その巨体は、まるで森そのものが立ち上がったかのようだった。

 枝と蔦が軋み、湿った腐葉土と青臭い樹液の匂いが風に乗って押し寄せる。

 胸の奥に、低い地鳴りのような振動がじんじん響く。心臓の鼓動と同じリズムで森全体が脈打つような錯覚さえした。


 後から来た二体のパラディソ=ラストリアの体が脚となり、蔦や花で覆われた巨大な体が立ち上がる。

 その顔は笑っているのか、それとも威嚇しているのかさえ分からない。

 にやけた顔面が月明かりにぬらりと光り、見た瞬間、胃が裏返るような嫌悪がこみ上げた。

 まるで遊園地の着ぐるみが血に濡れた悪夢に変わったような、不気味な親しさがあった。


 ……動けない。


 俺も、練極も、ただその異様な巨影を見上げるしかなかった。

 目を逸らしたくても、背筋が凍りついたように動かない。

 見てはいけないものを直視させられるような、そんな圧迫感だった。


 その背後から、かすれた声が届く。


「……マス……ター……。」


 振り返れば、リアラがいた。

 赤く腫れた目に、まだ涙の余韻が残っている。頬を伝う雫を拭いながらも、その瞳だけはまっすぐだった。


「リディエルのクリスタルを……私に、継承して頂けますか?」


 継承。

 それは、クリスタルの元になった降臨者の力の一部を、新たな降臨者に受け継がせる儀式だ。

 使ったクリスタルは吸収され、受け継いだ者の一部になる。

 そして、その操作は……転生者である俺にしかできない。


 リアラの決意を感じ取り、俺はしっかりとうなずいた。

 彼女の手から、小さな蒼のクリスタルを受け取る。


 リアラはそれを見つめたまま、息を整え、静かに口を開いた。


 「やり方は……知っています。目の前で、見たことがありますから。」


 そう言うと、彼女は俺の左手、召喚器のある手を、自分の胸元へ導いた。

 思わず心臓が跳ねる。左手に、柔らかな温もりと小さな鼓動が伝わり、緊張で指先がこわばった。


 リアラはクリスタルを握る俺の右手を見つめながら指示する。


 「……そのまま、私に触れたまま……クリスタルが砕けて、私に吸い込まれるところを、強く思い浮かべてください。」


 ごくりと喉が鳴る。

 俺は言われたとおり、リアラの胸に触れた左手を意識しながら、右手の蒼い結晶を強く握りしめ、その光が彼女に流れ込む瞬間を思い描いた。


 次の瞬間。


 パリンッ!


 リディエルの蒼いクリスタルが、爆ぜるように砕け散った。

 まばゆい光の粒が宙を舞い、すべてが俺の召喚器に吸い込まれ、左手を伝ってリアラの胸に流れ込んでいく。


 心臓に飛び込むような光を受け止め、リアラはぎゅっと目を閉じた。

 蒼の輝きが彼女の胸で脈打ち、新たな力が確かに息づいた。



三節 


 初めに、心の奥で何かが弾けたように、リアラの隅々にまで違和感が走った。

 胸の奥が熱い。

 体の芯に、今まで感じたことのない脈動が広がる。


 「い、痛ぁぁあああぁあぁぁーーっ!!」


 蒼い光が胸に流れ込んだ瞬間、リアラの体がびくんと弓なりに反った。

 森に悲鳴がこだまし、鳥たちが一斉に飛び立つ。


 反射的に下腹部を押さえ、膝を折る。

 体の下の方から、強引な熱が弾けた。

 鋭い衝撃が内側を突き上げ、涙がこぼれそうになる。

 その痛みは、体の奥深くに、無理やり痕を刻むみたいだった。


 「リアラさん、大丈夫ですか!?」


 駆け寄る少年の声が、やけに近く感じた。

 心配そうな瞳に見つめられ、胸の奥まで熱が上る。


 「な、なな……なんでも……っ! だ、大丈夫ですからっ!」


 思わず顔をそむける。

 涙がにじむのは痛みのせいか、それ以外によるものなのかは分からない。


 でも、その時。


 蒼い光が彼女の胸の奥で脈打った。

 熱は静かに全身を駆け巡り、まるで小さな心臓がもう一つ宿ったように、確かな鼓動を刻みはじめる。


 風の音が変わった。

 森の緑も、空の青も、すべてが今までよりも鮮やかだ。

 胸の奥で生まれた新しい脈動が、世界の輪郭をくっきりと描き出していく。


 「……これが……リディエルの……力……?」


 リアラは小さく息をのむ。

 もう涙はなかった。

 痛みも悲しみも、すべてが熱に変わり、彼女の全身を満たしていく。


 心臓の奥で、脈動が告げていた。

 もう迷わない。

 自分は、この力と共に戦える。


 リアラは、はっきりと悟った。

 自分は、今この瞬間、リディエルと同じ《召喚士》の能力に目覚めたのだ。




三十六章 四節


 ドゴォンッ――!


 大地が揺れた。

 土煙が爆ぜ、森の空気が震える。


 合体した《パラディソ=ラストリア》が、練極を狙って巨腕を振り下ろした。

 鈍重だ。

 だが、その一撃の破壊力は計り知れない。

 外れた拳が地面を抉り、土塊と衝撃波が一帯をなぎ払った。


 重い。


 振り下ろされる影は、目で追える。

 けれど、避けそこねれば最後。

 満身創痍の練極は、悲鳴を上げる体に鞭を打ち、土を蹴って身をひねる。

 かろうじて拳をすり抜けたその瞬間、風圧だけで体がよろめいた。

 もし直撃していたら、肉体ごと大地に埋め込まれていたに違いない。


 「リアラさん、危ない!」


 少年が駆け寄り、彼女の体を抱き寄せた。

 二人は同時に後方へ飛び退く。

 直後、巨腕が地面を穿ち、土砂が雨のように降り注ぐ。


 ほんの一瞬でも遅れていれば、リアラの体は、あの拳に押し潰されていた。


 「だ、大丈夫ですか、リアラさん……!」


 耳元で震える声。

 彼の腕の中で、リアラははっと息を呑む。


 こんなことをしている場合じゃない。


 このままでは押し潰される。

 今こそ、手に入れた《召喚士》の力を!


 リアラは呼吸を整え、脳裏に浮かんだ光景を呼び起こす。

 列車の中、夢の中。

 リディエルが頼もしく、ゴーレム《ウォール・ロジーナ》を呼び出したあの瞬間。


 心臓が高鳴る。

 胸の奥に宿る蒼の鼓動を感じながら、彼女は叫んだ。


 「《ウォール・ロジーナ》ッ!」




三十六章 五節


 「《ウォール・ロジーナ》ッ!」


 力強い叫びが、森の中に響き渡った。

 ……それだけだった。


 風も光も、何も変わらない。

 期待した巨体の影も、頼もしい足音も、どこにも現れなかった。


 な、なんで……?


 心臓が凍りつく。

 だが迷っている暇はない。次の一撃が来る前に、もう一度!


 「《ウォール・ロジーナ》ァッ!!」


 両手を突き出し、喉の奥から声を絞り出す。

 叫びが森を震わせ、鳥たちが一斉に飛び立った。


 ドゴォーンッ!


 轟音。だがそれは、ゴーレムの出現を告げる音ではなかった。

 パラディソ=ラストリアの拳が、練極を狙って地面を砕く衝撃音。

 大地がえぐれ、破片が雨のように降り注ぐ。


 「……なんでよ……っ。」


 狼狽した声が、唇からこぼれた。それを皮切りに、胸に押し込めていた感情が決壊する。


 クリスタルを継承したあの瞬間、確かに力は感じた。

 胸の奥に宿る熱と脈動は、リアラに召喚士の力を授けたはずだった。

 でも、その先がない。


 マスターの期待。

 練極の背中。

 皆の命がかかったこの状況。


 それなのに、呼び出すべき仲間の影すら掴めない。


 「お願いよ……出てきて……お願い……!」


 必死に声を振り絞り、両手を空に向ける。

 涙がにじむ視界で、ただ見えない存在にすがる。


 「今、あなたの力が必要なの……!ロジーナ……? ゴーレム……?なんでもいい……!お願い、声を聞かせて……皆を助けて……っ!」


 懇願は祈りに変わる。

 それでも、森は静かに風を鳴らすだけだった。


 最後の希望を抱きしめるように、リアラは呟いた。


 「……ウォール……ロジーナ……。」


 沈黙。

 返事はない。

 彼女の願いは、形を持たなかった。



三十七章 六節


 「……ロケット……パンチ……。」


 草葉が擦れ合うような、湿った声が森に響いた。

 パラディソ=ラストリアの脚部から、大小様々な枝が突き出し、槍のように空を裂く。

 その狙いは、まっすぐリアラ。


 「危ないっ!」


 次の瞬間、世界が揺れた。

 視界いっぱいに迫る枝よりも早く、温もりがリアラを包み込む。


 信じられない。


 マスターの腕。

 彼はリアラを抱き寄せ、そのまま地面に倒れ込み、自分の体で覆いかぶさったのだ。


 衝撃と共に、背中に湿った土の感触。

 仰向けになったリアラの上に、必死に庇うように覆いかぶさる少年。


 あり得ない。

 そんなこと、あるはずがない!


 自分は降臨者。

 転生者であるマスターを守る盾であり、戦う道具。

 これまで仕えてきた者たちは皆、そう扱った。


 危険が迫れば、まず降臨者が前に立つ。

 命を落とせば、《大神殿》で蘇生を待つ。

 そして、気に入らなければ、トレードかクリスタル化。

 それが当たり前で、世界の仕組みですらあった。


 なのに、この人は。


 「……っ……!」


 腰に回した手に、生温い感触が伝わる。

 血だ。

 パラディソ=ラストリアが放った枝が、少年の左足を貫いていた。


 「……どうして……?」


 思わず零れた言葉は、自分でも信じられないほど震えていた。

 返ってきた答えは、震えていなかった。


 「良かった……リアラさんが無事で。」


 少年は横に転がり、痛みをこらえながら、弱々しく笑う。


 「闘技場のときも……アクアバウトのときも……ずっと、一人で戦わせちゃったから……。俺……何もできないけど……それでも……役に立ちたいって……ずっと思ってたんです。」


 吐血はない。命に関わる傷ではないのだろう。

 けれどこの足ではもう、あの巨人の次の一撃は避けられない。


 少年は、震える息を整えながら続けた。


 「一瞬だけ、リディエルのクリスタル継承で、何とかなるかもって、思ったんです。でも……それが駄目でも、今は二人で生きて帰ることが最優先です。」


 彼は、まっすぐな瞳でリアラを見つめる。


 「……あんなパンチで、リアラさんが……ぺしゃんこになったら……もう、神殿で蘇生出来ない。……リアラさんを失った明日なんて……俺にとっては、死んでるのと同じなんです……。」


 その言葉に、リアラの胸が熱く震えた。

 視界が滲む。頬を伝うのは、もはや痛みの涙ではなかった。


 彼に出会ってからの、短くも愛しい日々。

 彼と過ごす中で何度も感じた、生まれ変わるような心の感覚。

 闘技場、アクアバウト。

 走馬灯の様に、それらのシーンが甦る。そして今、彼の言葉が、心に光を運んだ。


 また一つ。

 確かな“芽吹き”が、彼女の心に根を下ろしていった。




七節



 リディエルの持っていた召喚士の力。

 それは、ただの魔法使いとは違う、特別なものだった。


 リアラが継承したのは、生まれつき幻獣と心を結べる、稀少な系譜の力。

 炎や風、土や水……世界の奥に潜む意志たち。

 生き物のようでいて、生き物ではない。

 概念のかけらに宿った魂たちは、召喚士の呼びかけに応えれば姿を貸してくれるが、無理やり従わせることはできない。


 心と心を通わせ、互いを受け入れて初めて結ばれる契約。


 契約を果たした彼らに、自らの精神エネルギーを餌に、現世に干渉してもらうべく、交信する力と門を開け呼び出す能力。


 それが召喚士の力であり、リディエルが持っていた本当の才能だった。


 ただ一つ、大きな問題があった。


 リアラには、リディエルが契約している《ウォール・ロジーナ》のような、心を通わせられる幻獣がいなかったのだ。


 剣を振るう技術があっても、肝心の剣がなければ戦えない。

 魔力を備えていても、それを形にする呪文を知らなければ意味がない。


 役に立たない力。

 振るえる矛のない、無用の長物。

 それは、かつての自分そのものだった。


 中途半端だと蔑まれ、全てを差し出すことを強要され、使い捨てにされてきた日々。

 気に入らなければ心を踏みにじられ、最後には捨てるようにトレードに出された。

 それに改めて向き合わなければならないと感じた瞬間、胸に重く暗い影がのしかかり、吐息が震える。


 けれど、迷わなかった。マスターの言葉で、何かを掴みつつある今、次の危険が目の前に迫るこのタイミングで、迷うことなど出来なかった。


 闘技場で、諦めかけた自分を勝利へ導いてくれた声。

 転生者ギルドで見せた、小さくも確かな勇気。

 列車で、震えながらも刀を握り、背中で示してくれた覚悟。


 弱くて未熟。

 けれど、誰よりも優しい、彼女の敬愛するマスターの姿。


 あの人の為なら、どんな困難でも、この身全てを捧げ、立ち上がり、乗り越えられる。


 諦めない。

 いや、諦められない!


 まだ、何か手があるはずだ。

 考えろ、掴め、ひねり出せ。

 思い出せる全てに思考の糸を張り巡らし、可能性の隅々まで想像の翼を広げる。


 セフィロトによって奪い取られた、自分自身のアイデンティティ―であった、戦闘能力と武器。

 それを超え、マスターを守るために編み出した必殺技、デュエルファン零式。

 そして、彼の導きで武器としての本領を開花させた《デュエルファン》。


 ある。

 ここにきっと、道がある。


 その瞬間、心の奥底に、はっきりと声が響いた。


 『……私を……呼んで……。』


 周囲の世界が音を失い、心臓の鼓動だけが全身に響く。

 胸が熱く震える。

 ああ……貴方なのね。


 そして今。

 リアラは迷わなかった。

 息を呑み、唇が震える。

 次の瞬間、彼女は魂の底から、たったひとつのその名を叫んだ。



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