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世界樹の記憶《リアラ》  作者: 鈴木 厳流彩


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30章



一節


 列車は、ごく静かに走り出していた。


 車輪の音はほとんど耳に届かず、まるで風の上をすべるように静かだった。

 音も、匂いも、時間までもが、どこか現実とは違う静かな夢のなかのようで……それが不思議と心地よかった。


 俺たちが通されたのは、木目の美しい個室。


 壁には温かな色合いのランプが灯り、天井には淡く模様の浮かぶ布張りの装飾。

 片側にはふかふかのソファベッドが二段、もう片側にはテーブルと折りたたみ椅子。

 窓際には小さな花瓶があり、野の花が静かに揺れていた。


 「わぁ……素敵!夢みたいです……!」


 リディエルが思わず声を上げ、足を踏み鳴らす。

 リアラは微笑を浮かべながら、荷物を手際よく棚に収めていた。


 「揺れも少なくて、快適そうですね。寝台列車と聞いていましたが……ずいぶん贅沢な造りです。」


 「お弁当、並べますね。少し冷めてしまいましたけど、まだ温かいです。」


 そう言ってリアラがテーブルに布を敷き、小さな包みを広げ始めた。

 煮込み野菜に炊き込みご飯、山の幸の天ぷら。

 どれも屋台で見たままの、あの優しい匂いをまとっていた。


 俺はその様子を眺めながら、ふと、車窓の外に目をやった。


 そこには見慣れた木立と、小さな川が流れる風景が、ゆっくりと後ろへ流れていく。けれど、どこか……いや、何かが違うような……?


 「マスター? どうかしましたか?」


 「……ああ、いや、なんでも。ちょっと、景色がきれいだなって。」


 その違和感に名前をつける前に、リアラの声が返ってきた。気づかれないように、俺は目を細めて窓を見つめ直す。


 どこまでも穏やかで、美しく、眠たくなるほど静かな風景。


 俺たちは、その違和感ごと、旅の始まりに酔っていた。


二節


 食後の緑茶の湯気が、まだカップの縁にゆらいでいた。

 静かに揺れる車窓の向こうでは、森の緑が少しずつ影を落とし始め、薄紫の空へと溶けていく。


 「おふたりさま、ご入浴のご準備が整いました。」


 柔らかなノック音とともに、乗務員が再び顔をのぞかせた。

 微笑を崩さぬまま丁寧に一礼し、リディエルとリアラのために温泉車両へ案内するという。


 「やったぁ……!」


 リディエルが小さな声を上げて顔を輝かせた。

 子どものように嬉しそうなその表情に、リアラも思わず目を細める。


 「それでは、マスター。私たち、少し行ってまいりますね。」


 そう言い添えたリアラは、いつもの慎ましさに少しだけ華やぎを帯びていた。

 この旅の中で、彼女の頬からようやく緊張の色が消えかけているのが分かる。


 「……行ってらっしゃい。リディエル、転ばないようにね。」


 「はいっ!」


 俺は二人を見送り、再び個室に静寂が戻る。


 手元のカップを持ち上げ、残りの緑茶をゆっくりと口に含む。

 温かくて、少し苦くて、心に染みる。


 車内には、どこか懐かしい音楽が流れていた。

 古い弦楽器のような音色と、柔らかなリズム。

 あまりに穏やかで、思考すらほぐれてしまいそうになる。


 夢、か。


 どこかで、そう思う自分がいた。


 だが同時に、これは夢じゃなくて、ただ“休息”なんだと、心がささやいてくる。

 あれほど辛い旅の果てに、ようやく辿り着いた場所。

 心と身体を委ねていい場所。

 誰も傷つかず、誰にも追われない時間。


 こんな旅が、ずっと続けばいいのに。


 窓の向こうで、丘の端から月が顔を出した。

 ほんのりと金を帯びた、丸い月だった。


 リディエルとリアラが向かった温泉車両は、まるで露天風呂のように天井が開けており、月明かりが湯面をやさしく照らしていた。


 「あったかぁ……。」


 湯船に肩まで沈めたリディエルが、心からほっとしたように息を吐く。

 表情はとろけるように緩み、今にも眠ってしまいそうだ。


 その隣で、リアラは手拭いをたたみながら、そっとその髪を撫でていた。


 「よかったですね。少しでも、こうして心が落ち着くなら……。」


 「……リアラさん……。」


 リディエルが、ぽつりと呟いた。


 「はい?」


 「……いまが、いちばん……しあわせ……。」


 リアラの手が一瞬止まる。

 けれど、その声に偽りはなかった。

 この子は本当に、いまを“しあわせ”と感じているのだと、すぐに分かった。


 リアラは、そっと目を伏せる。

 そして、湯気の中でつぶやくように呟いた。


 「……わたしも、そうかもしれません。」


 この世界で過ごしてきた時間の中で、どれほどこの子が怯えていたか。

 どれほど、無理をして微笑んでいたか。

 今の穏やかな寝顔のような笑顔を、どれだけ見たかったか。


 ふと、遠くの車両から音楽が聞こえてきた。

 オルゴールのような旋律。

 それは、まるで絵本の中に流れる優しい夜を描く子守唄のようで。


 この列車は、やはり“癒し”のためのものだったのだ。

 そう信じてしまうことは、罪ではない気がしていた。



三節


 入浴から戻った二人は、どこかほんのり頬を赤く染めていた。

 リアラは髪を丁寧に結い直し、リディエルはふにゃっとした笑顔のまま、椅子に身体をあずけている。


 「お待たせしました。こちら、食後の紅茶と本日おすすめのフルーツケーキでございます。」


 乗務員が再び現れ、銀のトレイに乗せられた紅茶とケーキを置いていく。

 個室の中に、甘やかな香りと紅茶の湯気が広がった。


 「わあ……ふわふわだぁ。」


 リディエルは目を輝かせ、ナイフを入れる前に、じっとケーキを見つめていた。

 それを見て、リアラもくすりと笑う。


 「召し上がれ、リディエルちゃん。冷めないうちに……ふふ。」


 「……はいっ!」


 三人で囲むテーブル。

 カップの縁をくすぐる湯気の向こうで、月の光が森の緑を染め、車窓の外へと滑っていく。

 ほんのひととき、どこにも戦いも喪失もない、静かな時間だけが流れていた。


 「……ふわぁ……。」


 一番にあくびをしたのは、リディエルだった。

 身体をゆらゆらと揺らしながら、目をこすっている。


 「……あら、もう……眠たくなってきましたか?」


 リアラが優しく声をかけると、リディエルはこくんと小さく頷いた。

 俺も、湯上がりと甘いケーキのせいか、だんだんとまぶたが重くなっていくのを感じていた。


 「……もう、今日は休んじゃおうか。」


 リアラがそう提案すると、リディエルはベッドへよちよちと向かい、リアラもそれに続いた。


 俺も、紅茶の最後の一口を飲み干しながら、ふと目を閉じる。


 列車の揺れが、まるで子守唄のようだった。

 そして三人は、それぞれの夢の扉を、静かにくぐっていった。



4節


 風の音がやさしかった。


 リディエルが目を開けると、そこは見覚えのある景色だった。

 白い花の咲いた野原。遠くに見える石造りの井戸。きらきら光る川。


 「……ここ……。」


 懐かしい匂いに包まれ、足元の草を踏みしめる。

 ああ、知ってる。

 これは、わたしの村。

 わたしが……生まれた場所。


 「リディー!おいでよー!」


 声をかけてきたのは、かつての友達たちだった。

 木の枝で剣ごっこをしていた少年、花飾りを編んでいた少女、どこかの犬を引っぱっていた子まで、みんなみんな、あの頃のままの顔で笑っている。


 「あ……うん……!」


 リディエルはとたんに笑顔になり、裸足で駆けていった。

 花の上をぴょんと跳ねて、草の匂いにくすぐられながら、子どもたちの輪に入っていく。


 「ねぇ、次は川に行こうよ!」

 「だめだよ、夕方になっちゃう。」

 「でもリディーも一緒がいい!」


 笑い声が溢れ、風が頬を撫でる。


 そして。


 「リディエルー、ごはんできたわよー。おうちに帰ってらっしゃいー!」


 村の奥から、優しい女性の声が響いた。

 穏やかで、あたたかくて、心の奥にずっと残っていた声。

 お母さんの声だ。


 リディエルははっとして、ふり返る。


 夕暮れの光のなか、家の前に立つ一人の女性。

 手には木の器とスープの湯気。笑っている、少し涙ぐんだような顔で。


 「……うん、いま行くよ……。」


 リディエルの声は、夢の中なのに、ふるえていた。

 でもその顔は、まぎれもなく……幸せだった。


 まるで、すべてを取り戻したみたいに。




三十章五節


 光に包まれていた。


 それは夢の中とは思えないほど、穏やかで、やさしくて、痛いほど眩しい光だった。


 白い花びらが、ふわり、ふわりと舞っている。

 澄んだ風が、レースのベールを優しく揺らし、祝福の鐘が遠くで鳴っていた。


 結婚式。


 そう気づくまでに、少し時間がかかった。


 そこに立っていたのは、晴れやかな式服に身を包んだマスター。

 そして、その隣には……猫耳の女性。白くきらめくドレスを纏い、満面の笑みでマスターの腕を取っていた。


 ……ああ、そうだ。おめでとう。よかったですね……。


 リアラは、式場の片隅、誰も気づかないような位置に立っていた。


 客席の奥の、光の届かない場所。  祝福の声と拍手の波のなかで、ただひとり、立ち尽くしていた。


 「……きっと、こうあるべきだったんですね……。」


 その言葉は、口に出したはずなのに、自分の耳にだけ冷たく響いた。


 マスターが笑っていた。

 あの猫耳の花嫁も、うれしそうに彼の手を取っていた。


 リアラのことなんて、誰も見ていない。

 存在ごと、忘れられてしまったみたいだった。


 「リアラさんも、一緒に写真を……。」


 誰かが声をかけた。

 けれどそれは、祝福の輪の中に入れてくれたわけじゃない。

 ただの配慮だった。「かつての降臨者」に対する、形式的な気遣い。


 リアラは、かすかに首を振る。


 そこは、私の居場所じゃない。


 わかっていた。ずっと、最初から。


 本当は、わかってる。


 マスターがやさしい人だってこと。

 あの時、笑いかけてくれたこと。

 月明かりの下で一緒に歩いた夜。

 共に旅をした荒野。


 全部、嬉しかった。

 全部、本物だった。


 ……でも、それは“通過点”だったんだと思う。


 マスターを支えるのは、もっと若くて、強くて、未来のある子。

 私じゃない。……私は。……わたしは。


 ……私は、過去の存在。


 そう思った瞬間だった。


 祝福の光が、ふっと歪んだ。


 花びらが散る。

 鐘の音が、ひび割れたように軋みはじめる。

 ベールが燃える。

 風が渦を巻き、嘲るように笑っていた。


 「ねえ、リアラ。あなたは……“何だった”の?」


 誰かの声。いや、違う。


 ……それは、自分自身の声だった。


 「何のために、笑ったの?」

 「何のために、尽くしたの?」

 「その手に、何が残ったの?」


 夢が、闇に落ちる。


 空気が凍りつくように重たくなり、息ができない。


 苦しい。

 叫びたい。

 でも、声が出ない。



三十章六節


 夢の中。


 そこはまた、列車だった。

 いつもの揺れ、灯りの色。

 だが、隣にいるのはリアラでも、リディエルでもなかった。


 お母さんだ。


 ぼんやりとした姿。

 顔は霞んで見えないのに、どうしてか、わかる。

 あの声。あの腕の温もり。

 懐かしくて、やさしくて、胸がぐっとなる。


 「よく頑張ったわね。ここまで。」


 母は笑った。

 優しい声でそう言って、俺の頭を撫でた。

 その手のひらに、涙が出そうになる。


 この旅は楽しかった。

 はらはらして、怖くて、でも、胸が熱くなるような日々だった。

 仲間と呼べる人たちがいて、自分で考え、自分で決めて、少しずつ歩きはじめた道。


 それなのに。


 不思議だった。

 いつの間にか、一緒にいたはずの少女のことが、思い出せなくなっていく。

 リアラという名前も、どこか遠くに霞んでいく。


 代わりに、母の手が、あたたかくなる。

 その腕に抱かれ、安心に包まれて、俺はまぶたを閉じかけた。


 「もういいのよ。眠りなさい……もう、ずっと……休んでいいの。」


 その時だった。


 「……起きなさい。……起きなさい……。」


 聞こえた。

 誰かの声。

 遠く、はっきりとは聞こえないのに、心を貫くような響き。


 次の瞬間。


 バチン、と稲妻が駆け抜けたような感覚が全身を走る。 

 雷鳴でも、痛みでもない。

 ただ、魂の奥に叩き込まれるような“目覚め”だった。


 目を見開いた俺は、跳ね起きるように立ち上がった。


 そして、目の前にいた“母の姿をした何か”に捕まれた腕を振り払う。


 「……違う。お前は、お母さんじゃない!」


 言葉とともに、世界が霞んだ。

 空気がぐにゃりと溶け、色彩が歪み、景色が崩れていく。


 気づけば俺は、リアラとリディエルの眠る車室の中にいた。




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